♪(1)風呂敷学園
(万国旗みたい‥‥)
満員の車内を見た途端、恩田茜は目を見張った。
朝8時前のバスの中は、茜が今日から通う賢聖女子学園高等学校の生徒でぎゅう詰めだ。
入学式の日は制服で真っ黒だったのに、今日は何でこんなにカラフルなんだろう。
その理由は、女生徒たちが小脇に抱えた“風呂敷”にあった。
赤。 ピンク。 黄色。 水色。
レース。 フリル。 オーガンジー。
飾り結び。 リボン結び。 茶巾風。
あらゆる仕様が施された美しい布が、荷物を包んで女生徒たちの胸に誇らしげに抱かれている。
そういえば、校則に「紙袋は不可だが風呂敷は可」とあったのを思い出した。
ヘンな校則だ。 今時、風呂敷を持ち歩く高校生なんて、全国でこの高校にしかいないに違いない。
この華やかな通学バスが、他のバス利用者からは“お花畑便”と呼ばれて、憧れかつ恐れられていることを、のちに茜は知ることになる。
ぎゅうぎゅう押されながら周囲を見回すと、車内には男性や大人、つまり賢聖女子以外の利用客も結構いることに改めて気づく。
茜の隣に立っているのは、長髪の若者だった。
ジーンズとTシャツ姿で、涼しげな目元をしている。 長い髪が少し暑苦しい気もするが、手入れが悪くないので不潔感は感じない。
茜ははじめてのバス通学で、男性にカラダを密着させるのがとても恥ずかしかった。
女ふたりの姉妹で育って、あまり男に耐性がないのだ。 公立に落ちたのは泣くほど悔しかったが、校内に男子がいないというのは、ホッとすることでもあると思っていたのに。
これが毎朝のことになるのかと思うと、今からうんざりしてしまった。
と、その時。
「おい! やめろよ!」
いきなり、その長髪が威嚇したので、茜は飛び上がった。
「やめろって、オッサン! あんただよ!」
長髪が見ている方向は、茜がいるのと逆の側だった。
そこには中年のサラリーマン風の男がひとりいた。
そのすぐ前には、3年生のバッジを付けた賢聖ガールがひとり。
長髪は中年の腕をつかんで、その手を人垣から引っ張り出そうとしていた。
「携帯見せろよ、オッサン」
「こっ、これは、マナーモードにしようとしてただけだ!」
「5分も10分もかかってか」
「人の勝手だろ!」
「ざけんじゃねえや。 何度シャッター切ったか、当ててやろうか」
車内中の人が注目する中、ついにバスが止まり、運転手がマイクを取って
「痴漢ですかね?」と放送した。
「そうです」と、複数の声が答えた。
「違うっ、違うぞ! おい、降ろせ、降りるんだ」中年がわめく。
「降りるんなら、運転手に名前と住所、出来れば免許証かなんかで見せて行ってよ」
長髪の言葉に、車内一杯の拍手が起こった。
(スゴい! カッコいい!!)
再び走り出したバスの中で、茜は長髪ボーイの顔を横目でこっそり見つめた。
(この人大学生かな? これから毎朝このバスに乗ったら会えるかな?
だったら満員バスも、悪くないんだけどなあ‥‥)
ある日、また隣り合わせになったりして。
偶然、足なんか踏んじゃったりして。
ごめんなさい、イイんですう、なんてやってる間に、恋が生まれちゃったりして。
エヘヘ、妄想、妄想。
だらだらと横顔を見ていたら、偶然にふっとふたりの目が合った。
ギョッとしてあわてて目を逸らした茜の横顔を、今度は相手が見ている。
茜は、顔を背けて窓の外を見るフリをした。
ところがしばらくしても、まだ相手はこちらを見ている。
茜の頬に、血の気が集まって来た。
バス停をいくつも過ぎたのに、まだ視線が外れない。 いくらなんでも、ジロジロ見すぎではないかと気味悪く思い始めた頃だ。
「ねえ」
相手が、低めの声で話しかけて来た。
「ねえ、賢女って、その髪オッケーなの?」
「‥‥は?」
茜は思わず髪に手をやった。 ふたつに分けて、低めにくくっただけの髪だ。
「オッケーって‥‥?」
「三つ編みしなくても違反じゃないの?
その長さだと、みんな編みまくってるように思うんだけど、そういう規則なワケじゃないの?」
「え? こ、校則?」
茜は、頭の中で生徒手帳のページをめくった。 入学式で貰ったばかりの手帳だが、きのう目を通してある。
(確か、髪は耳下でくくるか編む、とあったと思うけど、どの長さから編む、とは書いてなかった‥‥)
しかし、車内を見回すと、確かにその長さで三つ編みをしていない生徒は見つからなかった。
「すっげ、きれい」
茜の返事を待たずに、また唐突に長髪ボーイが言った。
「髪、めっちゃキレイなストレートだよね。 オレが今まで見た中で、一番きれいな髪」
言いながら、相手がふっと手を伸ばしたので、茜はびっくりした。
「これ三つ編みにしたら、ソバージュみたいにアトついちゃうから勿体ないよなあ」
(さ、触る!? 嘘でしょう?)
面食らって固まってしまった茜の髪を、相手はゆっくりと撫でた。
「手入れもいいなあ。 オレ、髪キレイな女の子ってハマるんだ」
(こいつ‥‥ヘン!)
茜は10mくらい遠ざかりたい欲求にかられた。 振りほどこうと思ったが、体が動かなかった。
「次は、賢聖女子学園前」
車内アナウンスに救われた思いで、あわててその場を移動した。
出会いはもう一つやってきた。 この日はそういう運命のもとにあったのかもしれない。 バスを降りた途端、ぐいっと腕を引かれたのだ。
「ね 。ね。 あなた1年生?」
見れば、さっき痴漢に会っていた3年生ではないか。
美人ではあるが少々オトコっぽい感じの、長身の少女だった。
「1年生よねッ」
「あ、はい」
「ギター弾く? 弾いた事ないの? 弾いてみる気は?」
「‥‥いえ‥‥」
「じゃあ今から弾く気になろッ? なったら放課後、3-Dの教室に来て!!」
「え‥‥あ‥‥部活の勧誘‥‥ですか」
茜は相手の恰好を興味深く見た。
その人は、学校指定の手さげカバンを持ち、風呂敷を抱えていた。
その上ギターケースを持ち、さらに茜の腕をつかんでいる。
(なにこの荷物‥‥。千手観音状態?)
何をされても身動きできない大荷物。
おまけにギターケースが微妙にスカートを押し上げて、裾から赤い下着がちらちら見えてる。
真赤に黒が混じったレース。 どうだろうこの派手な下着は! 痴漢に狙われるのも無理はないんじゃないだろうか。
「あらあ、見えてるの? やっだァ」
その先輩は、あわててお尻を振って、スカートの裾を落とした。 手はあくまで使わない方針らしい。
「だってねー、これくらいしないとね。 この学校ほかにおしゃれのしようがないんだからァ」
この大荷物でおしゃれしても、イロモノ芸人みたいになるだけだと思うのだが。
バス停で大量の制服が吐き出された。 お花畑が、校門へと移動して行く。
茜は、目の前に現れた古風なレンガ作りの校舎を眺めた。
賢聖女子学園。
他校の生徒からは、“お嬢様学校”と呼ばれている。
偏差値は県下では中の上。 進学校とされている公立の上級高校の、いわゆるスベリ止めだ。
ここの学生の半数は、付属の中学校からエスカレーター式に上がってくる。 つまり、新入生の半数がお互いに知り合いということなのだ。
茜は外部受験なので、ほとんど知り合いがいない。 そのことが嬉しかった。
(ミドリのいない学校なら、きっと頑張れる)
妹の美登里の、屈託ない笑顔が思い出された。
この活発な妹が、茜のコンプレックスのモトだった。
茜と美登里は、双子じゃないのに同学年だ。
茜が4月上旬の生まれ。 美登里が翌年の3月末の生まれ。
ちゃんと一年離れているのに、学年がくっついてしまったのだ。
おかげで何をするにも、互いに比べあってピリピリする。
茜と違って、美登里はエネルギッシュで明るい性格だった。 社交的で友達も多く、人前に出ても臆することがない。 正反対の姉妹を見ると、友人たちは口を揃えて「妹にいいとこ取られた」と同情してくれる。 それがまた茜のコンプレックスにつながっていた。
茜はなるべく、妹と同じ舞台に立つまいとした。
部活も趣味も、美登里がやることにはなるべく手を出さないように避けて過ごした。
母親は気を遣って、何もかもを平等に扱おうとする。 そのことも重荷になった。
もともと持って生まれたものが違うのだ。 それを平等に扱われることの苦しみが、母にはわからないらしい。
中学時代、美登里の方が、わずかに成績が良かった。
それでも、懇談で担任の先生に「公立はギリギリでしょうね」と言われた。
当然、茜の方は「もう少し落としませんか」と指導された。
家に戻ってから、母親は茜を呼び、
「難しいと言われたけど、美登里はダメモトでやってみたいって言ってるの。
女子高はどうしてもイヤなんですって。 だからやらせてみようと思うの」と知らせた。
「わかった」
「茜はどうしたい?」
「私はランクを落とせって言われたじゃないの」
「そうだけど、あんたがやりたいならやってみてもいいわよ。
美登里にだけやらせて、あんたはダメって、そんな風には母さん思ってないわよ」
(わかってる。 母さんは、私が挑戦しようって言い出さないのが不満なんだね。
やる気のあるミドリと比べて、何て覇気のない子なんだろって思ってるんでしょう)
茜は自分の気後れが負い目になり、「私には無理」と言い出せなかった。
母親の言い方は強引ではなかったが、何故か抗えなかったのだ。
次の日先生に、公立高校を受けたいと伝えると、「お前は強情だな」とあきれた顔をされた。
強情という単語ほど、自分に縁遠い言葉はないのにと愕然とした。
そして、担任の予想は正しかった。
茜は公立高校を不合格になり、美登里は合格した。
落胆と敗北感。 しかし反面、茜は不思議な安心感も得ていた。
もう、美登里を知る人たちと付き合わなくて済む。 新しい学校に行けば、美登里と比べられて惨めな思いをしなくて済むんだ、と。
明るい高校生活が、今日から始まる。
(3年間、よろしく。 何かいいことありますように!)
心の中で頭を下げて、校門をくぐった。
ちょうど4月の話なので、立ち上げるなら今かなと思って連載始めました。 私の作品の中では1章の文字数が多めなので、ゆっくりの更新になると思います。