穢れのない世界に生きるって?
人間は皆、穢れている。 世界は、全て穢れている。
この世に産み落とされた時点で、我々はすごく穢れている。
なぜなら、人間がこの世に生を享けた時点で、死ぬことは決定しているから。
人間が、不死になることはありえない。
人間が、穢れていないわけなどあるはずがない。
なぜなら、人間を凍らせて次世代に送ったとしても、
なぜなら、人間の遺伝子を弄って改造したとしても、
それは、もはや人間ではなく、全く違う生物だから。
だって、そもそも、人間が生きる過程で、不死になる過程などありますか?
そもそも、人間は死ぬ生き物じゃないんですか? それとも、違いますかね?
しかし、それでも一部の人間は、不死を目指している。
確かに、それは科学の追い求めるべきところなのかもしれない。
一応は、技術の進歩といえるところかもしれない。 もしかしたらだが。
だが、どちらにしろ、その技術を知るのはアリだと思うが、
実行してしまえば、 もはやそれは人間などではないといえるだろう。
要するに、俺が言いたいのはこうだ。
人の殺し方を知っているからって、普通 人を殺すか?
大麻の育て方を知っているからって、普通 育てるか?
育てないだろ?殺さないだろ? やり方を知っていても、しないだろ?
なぜなら、それは自分が自分でなくなってしまうからだ。
それを、犯してはならない領域だと知っているからなんだよ。
だから、科学者として、人間として、 不老不死を知るのはアリだと思う。
しかし、それを実行してしまえば、全く別の生き物になるということは知っておいてほしい。
だって、人間は、完璧な生き物ではないのだから。
人間は、産まれた時に、すでに死が決定している不完全な生き物だから。
だから、それが完璧になった時、 それは同時に人間ではないことを証明している。
よって、人間は完璧を求めるのだ。 それは、完璧でないが故に。
よって、人間は穢れているのだ。 それは、この世界が完璧でないが故に。