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1mmのズレと、君の住所  作者: ネギ玉(仮)
第7章:1mmのズレと、春の足音

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第3節:1mmの幸福(僕たちのエピローグ)

特急列車の車窓を流れる景色は、市街地の灰色から、瑞々しい若草色の山あいに移り変わっていく。

 僕は座席のテーブルに、あの日塗りつぶした手帳を広げていた。

 かつては分刻みの「タスク」で埋め尽くされていたその余白には、今、週末ごとに繰り返される往復二時間の移動時間が、一つの「儀式」として誇らしげに刻まれている。


目的地まであと十五分。

 僕はペンケースを開け、最後の中身を確認した。

 整然と並んだ筆記具の間に、彼女の家の瓦礫の中から拾い上げた、あの「マグカップの破片」が一つだけ入っている。

 鋭利だった角は、僕が毎日指先でなぞり続けたせいか、心なしか丸みを帯びているように感じられた。


「……まもなく、終点です」


アナウンスが流れ、僕は立ち上がる。

 ホームに降り立つと、潮の香りが混じった風が頬を撫でた。

 改札を抜けた先、見慣れない街の風景の中に、見慣れすぎた「ノイズ」の気配を探す。


「律くん! こっちこっち!」


駅前のロータリーで、彼女は大きく手を振っていた。

 新しい学校の制服は、まだ少し彼女の体に馴染んでいないようにも見えたが、その笑顔の輝度(ルクス)だけは、僕の予測モデルの最高値を容易に突破していた。


「……15秒、遅い」


 僕は時計を一瞥し、いつもの小言を口にする。


「あはは、ごめん! 途中で綺麗な野良猫がいてさ、写真撮るのに手間取っちゃって。あ、見て見て、この角度から撮るのが一番の正解だと思うんだ!」


彼女が差し出してきたスマートフォンの画面。

 そこには、案の定ピントが少しズレた、けれど春の陽光を一身に浴びた猫の姿があった。


「……被写体が中心から1.2ミリ左に寄っている。黄金比を無視しているな」


「もう、相変わらずだなぁ、律くんは。でも、そのズレがいいんでしょ?」


紬は屈託なく笑い、僕の制服の袖を掴んだ。

 以前のような悲痛な懇願ではない。


 それは、世界で最も信頼できる「基準点」を確認するかのような、穏やかな接触。


「……ああ。この1ミリのズレこそが、僕が今日、ここへ来るための理由だ」


僕たちは歩き出す。

 僕の歩幅は一定で、彼女の歩幅は時折スキップが混じる不規則なものだ。

 それでも、僕たちの歩調は不思議と重なり合い、新しい街の地図に、新しい足跡を刻んでいく。


世界を救う公式は見つからないかもしれない。

 完璧な秩序は、いつかまた壊れるかもしれない。

 けれど、僕の手帳には、明日も、その先も、彼女という最高の変数が書き込まれている。


僕は、彼女に悟られないように、少しだけ自分の歩幅を緩めた。

 彼女の不規則なリズムに合わせるために。

 その、わずか1ミリの歩み寄りが、今の僕に与えられた、何物にも代えがたい「幸福」の正体だった。


春の光が、二人の背中を優しく包み込み、物語は静かに、しかし確かな鼓動とともに幕を閉じる。

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