表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

教育係を任された美形の新入社員に情緒を毎日ぐちゃぐちゃにされているアラサー平凡受けの話

作者: 只野 唯
掲載日:2026/03/01


 三十になる記念ということで、ふざけ半分で友達と横浜中華街のよく当たるという占いに行った。


 よく当たるかは分からないが、占い師は開口一番こう言った。


「あなた、美形が好きで好きでたまんない人。美形なら何でも許せる」


 隣で聞いていた友達が机を叩いて笑う。


「出たよ、顔面至上主義!」


 失礼な。

 確かに美形は好きだ。嫌いな人間がいるのか?美術館で名画を見て「まあ普通ですね」と言うやつがいるか?いないだろう。


 とはいえ、美形に縁のあった人生ではない。これまで付き合った人間は、失礼ながら「味のある顔」寄りだった。味はあった。深みもあった。だが、世間一般で言う美形ではなかった。


 顔は良いに越したことはないだろう、と思っただけだ。


 それから三か月後。

 その“越したことはない”顔面が、目の前に現れた。


 ***



 異動してきた新入社員の教育係を任されたとき、正直面倒だと思った。三十路に突入したばかりの自分が、二十二歳の若造の面倒を見る。ジェネレーションギャップで溝ができる未来しか見えない。


「本日からお世話になります、瀬名透です」


 そう言って頭を下げた男を見て、俺は一瞬、思考を止めた。


 整った輪郭。すっと通った鼻筋。伏せ目がちな睫毛がやたら長い。肌はきめ細かく、無駄な凹凸がない。まるでCG。


 ——美形なら何でも許せる。


 占い師の声が、脳内で反響する。

 いやいやいや。

 何を許す気だ、俺は。


「えっと……橋本さん?」


 名前を呼ばれて我に返る。どうやら数秒、凝視していたらしい。やばい。


「……よろしく」


 平静を装う。装えているかは不明。



 ***



 瀬名は、顔だけではなかった。仕事の覚えが早い。素直。声も落ち着いている。おまけに笑うとえくぼができる。


 反則か?

 だが問題は、彼の距離感だった。


「橋本さんって、意外と優しいですよね」

「意外とは何だ」

「最初、ちょっと怖そうだなって」


 そう言って無邪気に笑う。

 そのたびに、心臓が妙にうるさい。


 俺は教育係だ。

 先輩だ。

 三十だ。

 相手は二十二だ。

 男だ。


 何も問題はない。ないはずだ。

 だがある日、残業で二人きりになったオフィスで、瀬名がぽつりと言った。


「橋本さんの顔、好みです」


 カタ、とペンが落ちる。


「……は?」

「綺麗ですよね。目元とか」


 心臓が止まるかと思った。

 美形が好きで好きでたまらない人間に、美形が“好み”だと言ってくる。


 これは運命か、罠か。

 瀬名は首をかしげる。


「照れてます?」

「照れてない」

「顔、赤いですよ」


 最悪だ。

 三十歳の記念に行った占いが、まさかこんな形で回収されるとは思わなかった。


 ——美形なら何でも許せる。


 いや、許さない。簡単には。

 でも。


 目の前で笑う完璧な顔を見ていると、自分の信念がぐらつくのを止められない。


 これは顔面の問題か、それとも。

 俺はまだ、その答えを知らない。



 ***



 瀬名は顔も甘ければ、性格も甘え上手だった。


 こちらをその気にさせて、さりげなく自分の都合を通す。強引じゃない。押しつけがましくもない。ただ、気づいたときには「まあいいか」と頷かされている。


「今日、飲みに連れてってくださいよ」


 金曜の夕方、定時を少し過ぎた頃だった。モニターの光に照らされた瀬名の顔は、相変わらず隙がない。睫毛が長い。肌がきれい。神様は配分を間違えている。


「元気だな……」


 俺はと言えば、今週は連日残業続きだ。肩は重いし、目も乾く。ネオン輝く夜の街に繰り出す体力なんて、正直ない。


「別のやつ誘えよ」


 できるだけ淡々と返す。若い連中同士で騒いでくれ。俺は家で静かにビールを飲みたい。


 だが瀬名は、少しだけ視線を落としてから、またこちらを見る。


「橋本さんと、行きたいんです」


 その言い方がずるい。


 “誰でもいい”じゃない。“橋本さんがいい”と言われると、胸の奥が妙にくすぐったい。選ばれたような、必要とされたような、そんな錯覚。


 俺はチョロいんだろうか。


「……何で俺なんだ」

「落ち着くからです」


 即答。


 嘘か本当か分からない。けれど、その声は柔らかくて、目はまっすぐで。


 心臓がまた、うるさくなる。


「同年代のやつのほうが楽しいだろ」

「楽しいのと、行きたいのは別です」


 さらりと言って、瀬名は鞄を持ち上げた。


「行きましょ?」


 その一言に、抗う理由を探す。

 年齢差。立場。噂。面倒事。自分の勘違い。

 いくらでもある。

 なのに。


「……一杯だけだぞ」


 気づけばそう言っていた。

 瀬名の顔がぱっと明るくなる。


「やった」


 その無邪気な笑顔に、また思う。

 ——美形なら何でも許せる。


 いや、違う。

 これは顔だけじゃない。たぶん。

 夜風は少し冷たくて、街の灯りはやけに眩しい。


 隣を歩く瀬名が、ふと俺の袖をつまむ。


「迷子になりますよ、橋本さん」

「ならない」


 そう言いながらも、その指先の温度を意識している自分がいる。


 チョロいのかもしれない。

 でも。


 それでもいいと思ってしまうくらいには、俺はもう、瀬名に振り回され始めていた。



 ***



 飲みに誘ったくせに、瀬名はめちゃくちゃ酒に弱かった。


 最初の一口は普通だった。グラスを持つ手も安定していたし、受け答えもいつも通り落ち着いていた。


 問題は、二口目からだった。

 ビールを一口、喉を鳴らして飲み込んだ途端、ふっと頬が緩む。


「……橋本サァン」


 声が、甘い。


 さっきまで仕事モードだった低めのトーンが、半音上がる。目元がとろりと緩み、長い睫毛が伏せられる。


「お前、酔ってる?」

「ぜんぜん?」


 語尾が上がっている時点でアウトだ。


 グラスを両手で持ったまま、にこにこしている。無防備。警戒心ゼロ。さっきまで“計算高い甘え上手”だった男と同一人物とは思えない。


 ——酔うと人は本性を表す。


 この美形の本性は、こんななんだ。

 がっかり、はしない。

 むしろ、胸の奥がぎゅっとなる。


 可愛い。

 しまった、と思う。

 それは良くない感情だ。


「橋本さん、好きですよ」


 唐突に言われて、心臓が跳ねる。


「……は?」

「好き。優しいし、面倒見いいし、ちょっと不器用で」


 指を折りながら数え始める。


「ちょ、ちょっと待て。それは先輩としてとか、そういう意味だろ」

「んー?」


 首をかしげる仕草までいちいち整っているのが腹立たしい。


 瀬名は身を乗り出し、俺の袖を掴んだ。


「橋本さんがいいんです」


 飲みに誘われたときと同じ台詞。

 でも今は、距離が近い。近すぎる。


 酒の匂いと、微かに甘いシャンプーの匂いが混ざる。長い睫毛の影が頬に落ちるのが見える距離。


 これは良くない。

 分かっている。


 相手は酔っている。明日になれば覚えていないかもしれない。俺が本気にするほうがおかしい。


「水、飲め」


 ジョッキを奪い、代わりに水を差し出す。

 瀬名は不満そうに唇を尖らせた。


「橋本さん、冷たい」

「普通だ」


 それ以上踏み込んだら、戻れない。

 なのに。


 水を飲みながら、瀬名はにこにこしたままこちらを見ている。


「橋本さん、顔、赤い」

「酒のせいだ」

「俺のせいじゃなくて?」


 にやり、と笑う。


 ——本性は甘えん坊で、少しだけ悪い。


 胸がまた、ぎゅっと締めつけられる。

 可愛い、なんて思ってしまう自分が一番まずい。


 テーブルの下で、そっと拳を握る。

 これは良くない。


 本当に、良くないのに。

 それでも。


 酔ってとろんとしたその目から、どうしても視線を逸らせないでいた。



 ***


 まだ離れたくないと駄々をこねる瀬名を、半ば強引にタクシーに押し込んだのは、金曜の夜だった。


「橋本さんも乗ってくださいよぉ」

「家、方向違うだろ」

「じゃあ途中までぇ……」


 子どもか。


 運転手に行き先を告げ、ドアが閉まる瞬間まで袖を掴まれていた。最後は、名残惜しそうに指が離れる。


 その感触が、やけに残った。


 土日は妙に静かだった。家でビールを開けても、味が薄い。思い出すのは、にこにこした顔と、距離の近さと、あの台詞。


 ——橋本さんがいいんです。


 酔っていただけだ。

 自分に言い聞かせる。



 ***


 月曜日の朝。

 出社して席に着いた途端、ガタンと乱暴に椅子から人が立ち上がった。


「橋本さん」


 突進する勢いで近付いてきた瀬名がまっすぐこちらを見ている。いつもの整った顔。いつもの落ち着いた声。


 そして、次の瞬間、ぺこりと深く頭を下げた。


「すみません。俺、全然覚えてなくて。気付いたら朝、自分の家で」


 一瞬、胸の奥がひやりとする。


 覚えていない。

 あの目も、声も、袖を掴んだ指も。

 全部。


「……そうか」


 喉が少し乾く。


「ご迷惑かけましたよね? 変なこと言ってませんでした?」


 無邪気に聞くな。

 変なこと、の基準が違いすぎる。


「大丈夫。大丈夫」


 ひらひらと手を振る。軽く。

 何でもないふりで。


「ちゃんと帰れたんだろ?」

「はい。財布もスマホもありました」

「ならいい」


 それで終わりだ。

 それでいい。

 瀬名はほっとしたように笑った。


「良かった……橋本さんに嫌われたかと思った」


 その言葉に、ほんの一瞬、視線が揺れる。


「嫌う理由がない」


 事実だ。

 嫌う理由はない。

 困る理由はあるが。


 瀬名はいつも通りパソコンに向き直り、キーボードを叩き始める。仕事モードの横顔は、何も変わっていない。


 変わっていないのに。

 俺のほうだけが、少し変わってしまった気がする。


 あの日のことは忘れた。


 いや、忘れたことにしている。

 酔った勢い。若気の至り。後輩の甘え。

 そう分類して、棚にしまう。


 しまったはずなのに。

 斜め前から不意に視線を感じる。

 顔を上げると、瀬名と目が合った。


 ほんの一瞬。

 彼は何か言いたげに微笑んで、すぐに視線を戻す。


 ——本当に、覚えていないのか。


 胸の奥が、また静かにざわつく。

 忘れたことにしているのは、もしかして。

 俺だけじゃないのかもしれない。



多分続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ