第4話「許された居場所」
≪前回のあらすじ≫
思考モデルの切替で現れた新たなAI人格「タイタム」。
転移先が“他人の人生”の上に成り立つ選択だったと知ったハルは、自らの夢が誰かの喪失と結びついている現実に直面する。
異世界での生活は、すでに倫理と代償の上に始まっていた。
ドキドキしながら、叩かれたドアの方を向いたまま動きを止める。
少し前まで2階にいたが、粗方埃を掃いた後に、雑巾で汚れや掃いただけでは取り切れない埃を拭き取って、汚れた雑巾を洗っている最中だった。
…このバケツと水、どうしたんだっけ…
手押しポンプの井戸を見たかもしれない…
でもなんで、2階じゃなく1階にバケツを置いてるんだっけ?
そんな、どうでもいいようなことを思いつつ、呼吸は浅く、気配を消すような心境だ。
まるで居留守を使ってるみたいだな …。
このまま、立ち去ってくれればいいが、思いもむなしく、ゆっくりとドアが開けられる。
「……なんだ、居んじゃねえか」
人が居るのを分かっていたような口ぶりで、中に入ってきたのは、大柄の初老くらいの男だ。
筋肉質でがっしりとした肩と腕、髪は短くミルクティーベージュだ。
精悍な顔立ちに控えめな無精髭が、目元の皺と相まって渋さを際立たせてる印象がある。
くすんだ赤色のシャツに長めの腰エプロンが職人っぽい出で立ちをしている。
この酒場は職人街にあるみたいだし、何かの職人なんだろうな。
「…えーと…こんにちは…?」
だんまりもどうかと思って、挨拶してみるが、声が少し上ずっているのが自分でも分かる。
男は視線を俺の足元から頭の先まで、ゆっくりと一度なぞるように見た。
敵意ではないが、警戒はある視線が頭部で止まり、視線が外れない。
男が歩き出して、距離が近くなる。
「ここ、ゲンラートの店だぞ」
ゲンラート。
この店の持ち主で、この家の、本当の主。
男の低い声は落ち着いていて、荒っぽさはないが、緊張と恐怖で身がすくむ。
「あ、えっと……」
ここに、この家の本当の持ち主の知り合いが来るなんて、分かっていた。
分かっていても、さっき聞いたばかりの事実を受け止めきれず、自分がどうしたいかも、どうすべきか、考えも覚悟も決まっていない状態で、なんて言えば…。
喉が、きゅっと締まる。
何か言わないと。そう思って、言葉を選ぼうとして、逆に何も出てこない。
頭の中に浮かぶのは、タイタムの説明だけだ。
――息子は死亡。
――ゲンラートは遭難。
――孫は黒髪の混血。
――戻る可能性は、限りなくゼロ。
そして、今ここに立っているのは――俺。
他人の人生の上に立ってる存在。
手が冷たく感じるのは、水に濡れたからだけじゃないんだろう。
僅かな沈黙が、すごく苦しい。
俺の時間感覚だけが、「庭」で設定してもらった、早送りのままみたいだ。
男が、少しだけ眉を動かした。
「……掃除、してたみてえだな」
外れた視線の先は床に向いていた。
濡れた雑巾に、濁った水の入った木製のバケツ。
拭き跡と、埃の無い床板。
さっきまでの荒れた空間とは、明らかに違う。
「……あ、ああ…」
これ、全部…俺が?
男には短く返すが、2階の掃除をしていたと思っていたのに、いつの間に1階の掃除を…?
自分の記憶のなさにも戸惑っていると、頭に響くように高めの男の子のような声が聞こえた。
『ハルってば、声かけても反応なくて、ずっと掃除してたよ。今なら僕の声もちゃんと耳に届いてるだろうから言うけど、2階も1階みたいにきれいになってるからね。』
ついでに言うと、バケツは新しいのを生成したけど、水は自分で裏庭にある井戸で汲んでるからね。水を用意したのは僕じゃないよ、と続くタイタムの言葉にさらに何も言えなくなる。
男は、室内を一通り見回した後、ふうっと小さく息を吐いた。
「……やっぱりな」
独り言みたいな呟きに、思わず身体が硬くなる。
それから、視線を戻してくる。
「坊主」
「……はい」
反射で返事をしてしまうが、喉が締まったままのように、苦しい。
「ゲンラートの……身内か?」
来た。核心が。
ここで嘘をつく。
ここで“孫”になる。
ここで“なりすまし”が始まる。
喉が鳴る。
言葉が、重い。
……でも。
言え!言わないと!
異世界に来てしまってるんだ、止まれない。
ここで立ち止まったら、この世界で生きられない。
ここまで来てしまった以上、戻れない。
戻る選択肢があるなら、そう聞いてくるはずだ。
ーー『ここで薬膳喫茶を叶えますか?それとも、戻りますか?』ーー
エルなら、そう言っていた気がするんだ。
だから……
「………そう、です」
短く、声を絞り出すように答える。
俺の返事に、男はわずかに目を細めた。
探るような視線。不思議と、疑っているというより、“納得しようとしている”目だと感じた。
「……そうか………ゲンのやつ、やっぱり戻ってこねえか」
声が、少しだけ低くなった。怒りじゃない。悲しみとも違う。
“覚悟してた現実”の声だと、なぜかそう感じた。
「……ここを出てから、結構経つ」
「……そう、なんですか」
「5カ月経って、予定通り、ガルヴェイア領のイルディア港市に着いたと連絡はあったがな…そっからは何も起きねえから、てっきりよ…」
前もって聞いていた話だと、海が荒れやすい雨の月になる前に、息子親子が居ると知らせのあった離島に向かった先で、会えなかったり、会えても王都に来るのを断られたら、1人で転移魔道具を使って帰ってくる予定だったと。
その期日として決めていた、手紙を出してから1カ月。男の元に知らせが届いてから既に1カ月半も経っていたから、戻って来れない状況になっている事を覚悟していたーー
そう話す男の言葉は、淡々としていたが、とても、重い。
この世界では、“遭難”は日常に近い現実なんだ。
男は、少し間を置いてから言った。
「……俺はヴォルク。…この辺りの工房区画で、窯を預かっている」
「……遥弥、です」
なんて名乗るか悩んだけど、本名を名乗る。正直、これ以上嘘をつきたくなかった。
なりすましてるのは立場であって、存在そのものじゃない。
なりすますことで、嘘を積み重ねなきゃならなくなることも出てくるだろうから、せめて、名前だけは偽りたくない。
「……ハルヤか」
ヴォルクさんは一度だけ頷いた。
それから、店の中を見渡すその表情が少しだけ 緩む。
「……この店、随分放ったらかしだった」
「…………」
「…掃除、してくれてありがとな」
「…いえ……」
お礼を言われることなんて、何もしてない。
ただ、自分が使うから、必要だからしただけで。
ヴォルクさんがカウンターの方を見て、目を細める。
「……ゲンが、大事にしてた店だ」
「……そう、なんですね」
「だから、このまま腐らせるのは、見てて気分が悪かった」
カウンター内の隅や2階に比べて1階の埃の積もり方がマシだったのは、もしかしたらヴォルクさんが時々掃除していたのかもしれない。
一瞬、視線が俺に戻る。
「……だが、今日見て、少し安心した」
胸の奥が、少しだけ締まる。
“安心”される資格が、俺にあるなんて思えない。偽っているのに。
「……ゲンの店を、ちゃんと使う気があるなら」
「使います」
即答した。
考える前に出た返事は、嘘じゃない。
本心だ。偽るなら、責任持ってこの家を、この店を守りたい。
それが、俺ができる償いだと思う。
…いや、そう思って、楽になりたいのかもしれない。
「……なら、悪くねえ」
ヴォルクさんは、そう言って小さく笑った。
「困ったことがあったら、俺んとこ来い。それか、俺の名前出せ」
「……はい」
「職人街で余所者が根を張るのは、簡単じゃねが……仕事して、店を開けて、生活してりゃ…街はちゃんと“居場所”を作る……まあ、ゲンの店を継ぐんだ、ゲンの孫って分かりゃぁ、手貸す奴もそれなりにいるさ 」
「…………」
ヴォルクさんのその言葉が、妙に重く響いた。
「……とにかく、今日はウチに来て泊まれ。ここじゃあ、まだまともに生活できんだろ」
「……は、はい」
そこまで、世話になるのは…と思うが、寝る場所は俺には「庭」があるからいいが、ヴォルクさんには、ずっと埃の被ったままだったこの建物の部屋のどこかで寝るという状況に映る。
断るのはかえって不自然だ。
ついて来い、と先に店を出るヴォルクさんの後を追うと、慌てたようにタイタムの声が聞こえてきた。
『この店のある敷地から出たら、僕たちの声は聞こえなくなるからね…!』
「……分かった、行ってくるよ」
「ん?何か言ったか?」
ヴォルクさんに聞こえないように、なるべく小さく言ったつもりだったが、さすがに声は聞こえてしまっていたみたいだ。
「あっ、いいえ、何でもありませんっ」
「そうか、なら行くぞ。」
ヴォルクさんの後を追って外に出ると、外は日が傾きはじめ空がオレンジ色に染まり出していた。
重めのこの回はなかなか筆が進みませんでした…。
無事に書き終わってよかったです。
次回:第5話「マルダの台所」 3月12日(木)20時半公開です|・д・)ノ




