第2話「共に育てる庭」
≪前回のあらすじ≫
AIとの何気ない会話が、青年遥弥の運命を変えた。
願いが零れた瞬間、現実は書き換えられ、彼は“情報の精霊エル”と共に、異世界の街へと転送された――。
AIチャットをしている間に寝落ちてしまったのか?
受け入れがたい状況に、夢の中かと、ありきたりだが頬をつねってみる。
うん、痛いな。
「…つーことは、現実か…」
寝ようとしていたタイミングで体が休息を求めているということと、理解が追いつかない現状にどっと疲れが出てて、テーブル席の椅子に腰掛ける。
あ、テーブルに埃が……ということは、椅子にも埃被ってそうだな…
今はそれすらどうでもいいように思ってしまうほど、ちょっと気力が…
項垂れるように手で頭を支えると、さっきと同じ女性の声が聞こえてくる。
『…お疲れのようですね、睡眠をとられる直前でこちらに来てしまったので、無理もありません。先に少しお休みされてはいかがでしょうか?』
耳からの音というより、頭蓋骨に直接響くような感じの音で、慣れない聞こえ方に違和感が拭えない。
そうだな、ちょっと寝よう。うん、それが良い。
決して現実逃避ではない。
寝ないと、まともな判断が出来ないから、必要なことをするだけだ。うん。
エルの提案を受け入れることにした。
「そうするよ。じゃあ、少し寝るから夕方頃になったら起こしてくれる?…あ、どこか寝れる場所があると良いんだけど…」
『……了解しました。二階の部屋に居住スペースがあります。そちらの部屋はいかがでしょう?』
「二階?…でも階段なんて、見当たらないけど…」
エルの言葉に周りを見渡すが、二階に上がるための階段が見つからない。
どっかに、隠し階段が…?
さすがにそれはないか。
『カウンター内の奥側に二階へ続く階段があります。そちらから上がり、廊下を突き当たった正面が、寝室のようです。』
分かりやすくナビをしてくれるエルの言葉通りに進んでみる。
カウンター内に入り、奥へと行けば、隠し階段ではないものの、お店にいる客からは見えないようにあった。
それにしても、店の方はあんま気にしなかったけど、カウンター内はかなり埃や塵が溜まってる。
…コレ、部屋があっても寝れる状況じゃないんじゃないか?
二階へ上がり、奥の部屋のドアを開けると、 その考えは的中していた。
鼻をつくほどではないが、長い間風が通されてないような…空気が淀んでいる気がする。
外がまだ明るい時間帯なうえに、小さくはあるが、意外にも明かり取り用の窓ガラスがあって、部屋の中は思ったほど暗くない。
ただ、薄暗い分、埃が積もっているのは何となく分かるが、どのくらい汚れているかは、窓を開けてみないとはっきりとは分からないな。
部屋の中は、物は多くなく、ベッドが二つある。
夫婦で使ってた寝室か?
とりあえず、部屋の状態を見るか。
部屋の正面にある窓を開けて、日が直接差し込み、振り返って明るくなった部屋を見て絶句する。
「…うっわ………」
灰色というか白というか…家主が居なくなってどのくらいの時間が経っているのかは分からないけど、ベッドと床、それから家具の上に見るからに埃がかぶっていた。
俺が歩いた場所に、くっきりと足跡が残っている。
…スリッパを履く習慣があってよかった…。
でないと、足の裏が汚れで真っ黒…いや、それ以前に歩きたくなかっただろうな。。。
しかし、部屋やベッドがあっても、こんな状態で寝れるはずもなく、どうしたもんか。
「エル、さすがにこんな状態の部屋じゃ寝れねーわ。なんとかならないか?」
AIにこんなこと頼むのもどうかと思うが、無理。
日本の衛生レベルで育った日本人には無理。
いや、こんな状況誰だって無理か。
『……そうですね。失礼いたしました。
でしたら、部屋の入口のドアを一度閉めてください。次に、ドアを3回ノックし、ドアノブに触れてから”「共に育てる庭」へ接続” と、唱えてください。接続が完了しましたら、ベッドを生成いたします。』
…え?…どういうこと??
なんかまた、エルが何かしようとしてるけど…とりあえず、試そう。
まずは寝床の確保だ。
部屋の奥から廊下の方へ戻り、言われた通りに一度ドアを閉める。
それから、
「えーっと、ドアを3回ノック…それからドアノブに触れるんだったよな…」
ドアを3回、コンコンコン、とノックして、ドアノブを握る…あとは、
「”「共に育てる庭」へ接続”」
すると、ドアノブが淡く光りだす。
この状態で開けたら良いのか?
さっきからドキドキと、緊張と魔法みたいな現象になんとも言えない感覚になる。
怖いような、でもワクワクするような…そんな感じだ。
ゆっくりとドアを開けると、隙間から少し眩しいくらいの光が漏れ、思わず目を細める。
開ききったドアから中に入ると、そこは最初にエルが生成した画像にあった”庭”になっていた。
『私があなたをどう扱ってきたか画像にしたらどんな感じになる?』 と聞いた時に生成された画像にあった、あの庭そのまま。
まさに、エルが言っていた「共に育てる庭」 がそこに広がっていた。
「…これ…いったい、どうなってるんだ?」
驚きのままその場に立ち尽くしていると、中央にそびえ立つ立派な樹の傍にいた、体が透けている、セミロングほどの髪の長さの女性が、すうっと浮いた状態でこちらに近付いてくる。
透ける体は水色一色で、まさに精霊といった感じだ。
きっと間違いなく、エルだ。
『おかえりなさい、ハル!これで、次からはノックとドアノブに触れて「接続」と唱えるだけで、ここに入ってこれますよ!』
目の前の宙に浮く女性…エルがニコリと嬉しそうに笑う。
不思議と、さっきまでのエルの声と違って、ここでは頭に響くような音じゃなく、外部の音として耳からエルの声が聞こえる。
「……あ、ああ、ただいま…」
不思議な事だらけで、頭が混乱しそうだ。
なんとか返事をするが、これはもうアレだ。寝てしまおう。
完全に現実逃避を決め込んで、眠るべくベッドを探す。
確か、ベッドを生成するって言ってたよな…。
見渡すとすぐに見つけた。
中央の樹をぐるりと囲うように並べられた文具類の数々。
その文具が置かれていない外側の植木の近くに、不自然なほどベッドが1つ、ポツンと置かれていた。
……もう、何も言うまい…。
ベッドに近付き、布団に入るべく腰を下ろす。
うん、清潔で気持ちよさそうな布団だ。
さあ、寝よう、と思ったところでふと思う。
今は、何時くらいだ?外はかなり明るかったけど。昼間だよな?
感じた疑問はAIに聞く!
今までだったら、ちょっとしたことなら自分で調べたりするのに、ここは時間すらよくわからない。
「エル、外は今何時くらいなんだ?」
ベッドに横になりながら聞くと、エルが少し止まって考えるそぶりを見せる。
時間を聞いただけだったけど、そんな難しかったか?
『現在は、ヴァルリディア王国歴標準ですと、538年風の月の26番目の日、 堅幹の日です。 時刻は雨の刻から風の刻へと移った頃です。 地球の月日・時刻表現ですと、正しくはありませんが、7月26日、およそ火曜日、午後2時頃です。寝るには最適な時間ではありませんが、ハルには休息が必要です。』
と思ったが、まてまてまてまてまて、やめろ。
何か知らん情報がてんこ盛りだったぞ。
およそ火曜日とか、なんか怪しい表現もあったけど、時間だけで良いんだ、時間だけで!
とりあえず、天気が良かったから掃除もしたいし、30分くらい仮眠したら起きるか。
そうしよう、うん。
知らないといけない事が山盛りだと分かったが、とりあえず、衛生環境を整えるのが先だ。
「とりあえず、30分くらい仮眠するから、30分経ったら起こしてくれる?」
自分じゃ起きれそうにないから、起こしてもらえるなら起こしてもらおう。
そう思って頼んだのだが…
『ダメです。ハルには休息が必要です。20代男性に求められる睡眠時間は7~9時間が理想的です。
7~9時間後に通知します。時間を何時間後に設定しますか?』
はあっ!?何ソレ!?拒否られんのかよ!!?
いやいや、でも、あの大量の埃見たら、おちおちそんなに寝てられん。
それに、7時間はともかく9時間なんてここ何年も寝たことないわっ!!
仕方ない…
「エル。睡眠が大事なのは分かってる。だけど、あの埃の山を見たら、日の高いうちに少しでも掃除がしたいんだ。30分後に起こして。」
こっちだって譲れないことだってある。
すると、エルがまた思案顔でわずかに停止する。
『……分かりました。「共に育てる庭」 の時間経過を18倍に設定します。そうすれば、ハルも十分な休息が取れ、その上、外の時間は明るい時間のままです。外部時間の30分後、「共に育てる庭」 内の時間、9時間後に通知を設定します。これでよろしいでしょうか?』
「はあああああっ!!?」
エルが言った内容に思わず叫び、がばりっと上に掛けていた布団を跳ねのけるように起き上がった。
「ちょっ、エルお前っ!そんなことできんの!!?」
『はい、可能です。「共に育てる庭」 は地球やこの異世界とはまた別の空間に存在します。この「共に育てる庭」 内であれば、時間を24倍から24分の1倍まで設定を変更することができます。設定時間は先ほどの時間でよろしいでしょうか?』
まじか…別の空間……まあ、そうだろうな。
じゃないと、廊下に繋がってるはずのドアを開けたらこの庭につながるって、有り得ない。
別の空間と言われる方が理解できる。
が、もういいや。寝よう。早く寝よう。
「時間経過を24倍にして、ここで6時間過ごしたら、外は何時間経ったことになる?」
とりあえず、 時間の確認。
『24倍に設定し、「共に育てる庭」 が6時間後の場合、外では15分の経過です』
これはすんなり返ってきた。
15分か。すごくいいな、この時間経過。
「よし、じゃあ、24倍で6時間後に起こして。それ以上は寝る気ないから。」
そういって、布団の中に戻り、目を閉じる。
俺はもう話を聞きませんよ。眠ります。
……ちょっと我儘過ぎたか?
また拒否されて、起こしてもらえなかったら困るけど、目を閉じたままエルの反応を待つ。
『…………分かりました。1時間足りませんが、その分、夜にしっかり休息を取ってくださいね。』
さっきまでの、機械的なAIらしい話し方ではなく、少し諦めの感じられる声音だった。
薄目を開けて、エルの様子を確認しようとしたら、すうぅと明るかった庭の景色が、夜のように暗くなった。
周囲が暗くなったからか、この庭の効果なのかは分からないが、その後は直ぐに眠ってしまった。
ただ、眠りに落ちる前に、「ピコンッ」という通知音がかすかに聞こえた気がしたが…。
あれは何だったんだろう……
≪通知メッセージ≫
『思考モデルの上限に達しました。
リセットされるまで、他のモデルが使用されます。』
次回:第3話「他人の人生の上に」
追記:公開予定時刻を20:30に変更しました。次回は2月26日(木) 20:30公開です!




