第七話 心は盲目に彷徨う 〜公開プロポーズ〜
何とも言えない空気が漂うルクレ邸の客間・青藍の間。
セリーヌは眉をひそめ、冷気をはらんだ声で淡々と話し始めた。
「何をおっしゃっておられます? 当家に“エルミージュ“なる者は、現在存在いたしません。どなたかとお間違いでは? あるいは、幻でも見られたのでは?」
彼女の静かな、それでいて少し怒気をはらんだ声に、冷めた空気がさらに凍りつく。
「不敬だぞ!」
アランディルは激昂した。
「君たちは、どこまで彼女を蔑ろにするつもりだ!? エルミージュは可憐で、気高く、春の花のようだった」
アランディルは立ち上がり、一人掛けの椅子の方に歩いていく。
「ウサギを追いかけていた彼女を初めて庭園で見た時、僕の心に光が指したんだ! そう、これは僕の運命だ! 彼女こそ、僕の天使!」
そのまま、誰も座っていないはずの空席の前で跪いた。
「僕の求婚を受けてくれるよね、エルミージュ・ヴェル・ルクレ伯爵令嬢」
恍惚とした表情で、そう口にしたアランディルを、周囲の者たちは息を呑んで見つめていた。
そこに、“エルミージュ“の姿は、アランディルとリオネル以外には、誰の目にも映っていなかった。
セリーヌがそっと横を見ると、リオネルが血の気の引いた顔で「だから忠告したのに、姉上」とアランディルを見つめながらこぼした。
セリーヌは唇をギリリと噛み締めた。
アランディルが呼ぶ“エルミージュ“が誰なのか、本当はわかっている。
でも、言葉にしたくない。言葉にしなければならない現実に、心が悲鳴をあげていたが、なんとか気を取り直し、告げた。
「殿下……姉は……既にここにはおりません」
「たわけが! どこにやったというのだ! 目の前にいるだろうが!」
「その御方は……殿下にしか視えておられません」
セリーヌは、ゆっくりと諭すように告げた。
そして、搾り出す様な声で語り始めた。
「姉は……父の代わりに護り、優しく包んでくれた心の拠り所でした。ですが、わたくしが幼い頃にいなくなりました。それ以来どんなに願っても、わたくしでは話すことも逢うこともできないのです」
この人は、どこまで人の心に、土足で踏み込めば気が済むのだろう……
何故言葉にしたくないことを、話したくもない相手に、話さなければならないのだろう。
セリーヌは、込み上げる感情を抑えながら、アランディルに詰め寄った。
「なのに……なぜあなたはエルミージュと惹かれ合ったと、さもエルミージュに想われているかのように言えるのですか? わたくしを厭うあまりの戯れ言ならば、あまりにも心なさすぎます」
セリーヌは、よよよと泣き崩れてやろうかと思ったがやめた。柄じゃないわ。
(もういいわ、不敬だろうとなんだろうと言ってやる)
「どこまで人の心を……大切な者を失くした者の心をわかろうとされないのですか! 最近この国に迎えられた殿下はご存じなかったのでしょう。姉の事は、当時社交界では少なからず人々の口の端にのりました」
セリーヌはここまで話すのが、精一杯だった。
怨嗟の言葉を発しないよう、これ以上は飲み込んだ。
視えたアランディルへの八つ当たりだと……
(逢いたい……誰よりも逢いたい。エルミージュ。
おそらくリオネルも視えるのだろう。あの子は昔から不思議なものが視える。
リオネルは許せても、殿下は無理。私達の領域に、聖域に踏み込まないで……)
心のなかでは溢れかえる想いが、なおも荒れ狂っていた。
アランディルは理解できないという顔で、セリーヌと彼には視えるエルミージュを交互に見つめた。
エルミージュは静かに微笑んで座っている。青藍の間に居るのだ。
「リオネル……君は視えているよね? 君だけが、彼女に優しく話しかけていたのを、僕は確かに聴いたんだが」
リオネルは静かに頷いた。
「えぇ、エルミージュは、確かにそこにおられますね」
その言葉に自分だけが視えない悔しさにセリーヌは唇をさらに噛み締め、アランディルは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ですが、殿下。先程から申し上げているとおり、エルミージュは、この世の者ではありません」
「は? こんなにもリアルなのに? 足もあるぞ! 浮遊していないぞ! かなり元気そうだぞ!」
「どう視えたところで、我々とは違う世界の住人です。我が家の使用人はもちろん、殿下の側近や護衛の方々も、ルクレ伯爵家の長女はすでにいないということをご存知でしょう。現実を受け入れて下さい」
アランディルは、そこでやっと周囲を見回した。
自分を見る人々の目は冷ややかだった。
ヒソヒソと話す側近達の態度に、急に恥ずかしさと虚しさが込み上げた。
(嘘だろ……エルミージュがこの世にいない?)
「エルミージュ……俺を愛しているのに?……俺には君以上の光はいないんだよ」
アランディルは、か細く呟きながら力なく立ち上がることすら出来ずにいた。
エルミージュは一度もアランディルに愛を語ったことも愛を乞うたこともない。
ただ話をしていただけだ。もて遊ぶつもりもない。
エルミージュは、肩をすくめて、困ったわねと、小首を傾げていた。
アランディルは、その後は、フラフラとする身体を護衛に支えられながら、一言も発する事なくルクレ邸をあとにした。
その背中を、セリーヌ達は無言で見送った。
彼の側近は、誰も異変に気付かなかったのか?
どうして一人もあの愚行を止められなかったのか……
誰も忠告しなかったのか、それとも彼自身が耳を貸さなかったのか……
いずれにせよ、彼を正す者がいないという事実に、それがこの国の王族であるということに、セリーヌは深く長い溜息をついた。




