第三話 風に乗る声 〜家族風景〜
アランディルは、またルクレ邸を先触れもなく訪問していた。
婚約者候補の男爵令嬢とのお茶会へ赴いた帰りだ。
「そうだ! ルクレ邸に行こう!」と、口直しにやってきた。
失礼な男である。
アランディルが、ルクレ邸の客間・翡翠の間の前に立った時、扉の向こうから、かすかに声が聞こえてきた。
「姉上……やめて下さい」
「…………視られているんですか……エルミー」
しばらく聞いていたが、内容は聞き取れない。言葉の断片だけだった。
声の主は、セリーヌの弟リオネルだった。
文武に秀で、精霊と交流できる能力をもっており、人ならざるものも視えると噂されていた。魔法を使える者が少なくなったこの国では、かなり貴重な存在だった。
その上、国王陛下より、将来の近衛騎士として望まれる実力の持ち主でもある。
アランディルはリオネルを、「女に騒がれて、腑抜けてるぞ!」と、常々思っていた。
ルクレ家は、貴族の中では珍しいほど家族、親族の仲が良いことで知られている。
姉弟の仲もことさらよく、王城で開かれた夜会では、リオネルは常にセリーヌの傍にいた。知らなければ婚約者と間違えられても不思議ではなかった。
(血気盛んな少年かと思っていたが、実は女々しいのか? 姉離れができないのか? 格好つけてただけか?)
と、アランディルはリオネルの意外な一面を垣間見たことで、心が弾んだ。
弾んだ気持ちのまま、アランディルはドアを開けた。
緑を基調に整えられた部屋の奥、開け放たれた窓の側にある肖像画の前に、リオネルが立っていた。予想に反して他に誰の姿もない。
「また、先触れも出されずに来られたのですか? 殿下」
リオネルが静かに振り返り、静かに一礼する。
「……君、今誰かと話していなかったか?」
「いいえ。独り言です……セリーヌを呼んでまいります」
そう答えると、リオネルは恭しく一礼し、足早に部屋を出ていった。
アランディルはその背を見送りながら、何か釈然としないものを感じていた。
(エルミーって言わなかったか?)
静かな部屋に、爽やかな風が入り込む。カーテンが微かに揺れ、木々のざわめきが聴こえた。
考えを巡らせながら、彼はゆっくりとリオネルが立っていた場所へと歩み寄った。
そこにあるのは、一枚の肖像画。幼い頃のセリーヌとエルミージュ。そして、生まれたばかりのリオネルの姿。
言葉にならない感情が心の奥底でふっと揺れた。
(エルミージュが、セリーヌの姉というのは本当だったのか……幼い頃から二人とも愛らしいな)
そう考えながら、ふと窓の外へと視線を移す。風に揺れる木々の向こうはどこまでも続く青い空が広がっていた。
その時、背後でかすかな鈴のような音が聞こえた。振り返ろうとした矢先に
「殿下。今日はどうされました?」
エルミージュの明るいながらも、どこか艶を含んだ声がした。
ドアが開く音は聞こえなかった。
(やはり、先ほどのリオネルの会話の相手は彼女だったのか……どこかに隠れていたのだろう)
予想していたので、アランディルは心臓が止まるほど驚くことはなかった。
彼女はいつも、気配も足音もなく現れる。かすかな鈴の音とともに……




