本の虫令嬢アメリーは、聖地巡礼の旅に出た
「わたくし、今度のお休みは観劇に行くの」
「まあ! 私も先月、彼と行ったわ。今週は王妃様主催の舞踏会に向けてアクセサリーを見に行くの」
「いいわね、私も準備しなくちゃ。隣街まで行ってみようかしら」
「隣街に行くなら、表通りにある老舗のレストランがおすすめよ。あそこはデートにもぴったりなの」
顔の広いイザベルのお茶会では、今日も令嬢達が話に花を咲かせている。その輪の端で、伯爵令嬢アメリー・リヴィエールは微笑みを浮かべ、聞き役に徹していた。
少し相槌を返すだけで、話し上手な彼女達はずっと話を続けてくれる。時々、アメリーにも話題が振られることはあるけれど――
「アメリーも、なにかご予定は?」
「私は、特に無くて……」
アメリーが言葉を濁すと、イザベル達は「あら、そう……」と各々の予定に話題を戻す。
皆、地味なアメリーにそれほど興味も無いのだろう。同じテーブルについている手前、話を振ってくれただけで……アメリーもまた、聞き役に戻る。
(皆、すごいわ。休日のたびに出かけているのね)
アメリーには、皆みたいに予定は無い。スケジュールはずーっとスッカスカの空白だ。たまに侍女達と街へ買い物に出ることはあるけれど、それも必要にかられて身の回りのものを調達するだけ。観劇やらパーティーといった華やかな催しは、彼女の人生と縁遠いものだった。
まあ、アメリーとしては本を読んだり刺繍をしたり、そんな穏やかな時間が一番充実しているのだけれど。正直、こうしてお茶をしている時間も得意ではない。
しかしそんな自分に引け目も感じていた。
アメリーは十八歳、いわゆる花盛りなお年頃だ。それなのに、うら若き乙女が日がな屋敷にこもりっきり。一日中、本のページをめくったり針をちくちくと刺し続けたりしている。
決して周りに褒められる過ごし方ではない。アメリーも令嬢達の輪に身を置き、それを肌で感じていた。
事実、父には昔から「もっと外へ出なさい」とクドクド言われ続けていた。こうしてアメリーがお茶会に参加しているのも、父へのカモフラージュだ。苦手なりに令嬢達との交流を持っていれば、父もとりあえず安心するようだったから。
「アメリーも、本ばかり読んでいないでお出かけしてみてはいかが?」
「そのままでは、本の虫になってしまうわよ」
今日も、令嬢達に含みのある視線を向けられる。
ああ、やっぱり来るんじゃなかったな……いつも通り曖昧に相槌を打ちながらやり過ごしていると、お茶会の主催者であるイザベルが、場を取りなすようにアメリーへと話を振った。
「アメリー、そういえばあなた、凪の聖浜はご存知?」
「凪の聖浜……ええ、『天上の恋人』に出てきた海の名前だわ」
『天上の恋人』とは、先日大ヒットした恋愛小説だ。苦境に立つヒロインが思いがけず王子と出会い、紆余曲折の末、叶わぬ恋に命を散らすという悲恋である。
ヒロインの身の上と切ない恋の結末に、世の令嬢達は涙を流した。そのヒロインと王子が出会った舞台というのが凪の聖浜という海なのだ。
「小耳に挟んだのだけど、凪の聖浜って実際にモデルとなった浜辺があるようなの」
「えっ、そうなの?」
「とっても素敵なところらしいわよ。来週あたり、気が向いたら行ってみてはいかが?」
(行ってみたいわ……!)
作中の海は魅力的に描かれていて、なんともロマンチックな場所だった。もしこの目で見ることができたなら……アメリーも物語に浸りながら、そう思ったりしたものだ。
「イザベル、教えてくださってありがとう。さっそく調べてみるわ」
「ええ。土産話を期待しているわね!」
調べてみると、凪の聖浜とモデルとなった砂浜は馬車で二日ほど走る場所にあるようで。アメリーの住む王都より南、ほどほどに観光地として栄えている街らしく、知れば知るほど魅力的なところだった。
ということで、今アメリーは浜辺にいる。凪の聖浜のモデルとなったあの砂浜だ。
自分でも、この行動力に驚いている。やればできるじゃないか。
無理のない行程を考えると、一週間ほどの旅になりそうだ。
侍女のソフィも同行してくれることになったが、女の二人旅なんて……と父からの反対も覚悟していた。けれど意外にも父は快諾してくれ、同時に旅行資金も多めに手渡してくれたのだった。滅多にない、前向きな娘の姿に感動したらしい。
「来てよかった……なんて素晴らしい浜辺なのかしら」
「そうですねアメリー様。お話に出てきたままの光景ですわ」
浜辺に風はほとんどなく、波音さえ囁くように静かだった。白い砂浜はどこまでも続き、空と海の境目が曖昧に溶け合っている。
海に来たことのなかったアメリーは、目の前の景色に心を奪われた。絵画や本などで見たことはあったけれど、寄せる波を間近で感じるのは初めてのことだったのだ。
「この海で、ヒロインは王子と出会ったのね」
「ええ、出会ったころは王子だなんて身分を明かされなかったのですよね。なのでヒロインは彼と恋仲になったわけですが」
「切ないわよね……こんな素敵な場所なら恋に落ちてしまうのも頷けるわ」
周りをぐるりと見渡せば、恋人達の姿もちらほら。ロマンチックな景色に、恋愛小説の舞台となった場所だ。なるほど、デートにはもってこいである。
「ずっとここにいたいくらいだけれど、砂浜を歩き続けて少し疲れたわね」
「休憩しましょうか。たしか、あちらの土産街に休めるようなカフェがあったはずです」
「ええ……あっ」
突然、視界がグラリと揺れ、アメリーは砂浜に倒れ込む。
砂に足を取られ、不覚にも転んでしまった。浜辺がこんなに歩きにくいだなんて知らなかったのだ。靴は街歩きのまま、踵の高い靴で来てしまっている。靴の中には砂も入り込み、足取りはどうにも心もとない。
侍女のソフィに助けを求めようとしたが、カフェを探す彼女はアメリーのはるか先を歩いていた。
同じような靴を履いているはずなのに、なぜあんなに早く歩けるのかしら。砂浜に倒れ込んだまま、ソフィの背中を目で追っていると――
「大丈夫ですか?」
座り込むアメリーに、一人の男が手を差し伸べた。
淡い茶色の髪をした、穏やかそうな青年だ。年は同じくらいだろうか。その足を見てみると、アメリーとは違って歩きやすそうな靴を履いている。
「あ、ありがとうございます。お恥ずかしながら、転んでしまって」
「ええ、ちょうど見ていました。派手に転びましたね、怪我はありませんか」
どうやら転んだ瞬間を見られていたらしい。あの、まぬけな姿を。顔から火が出てしまいそうだ。
「すみません……海は初めてで、こんな靴で来てしまったのです」
「そうなのですか。大丈夫ですよ、歩きやすい舗道からも海は見えますから。良かった、怪我は無さそうだ。さあこちらに掴まって」
青年はアメリーを立ち上がらせると、レンガで舗装された小路まで連れて行った。ここならアメリーの靴でも問題なさそうだ。
「ありがとうございます、助かりました……!」
「あなたも『天上の恋人』を読んでこちらに?」
「ええ。ここが凪の聖浜のモデルになったと聞いて、どうしてもこの目で見てみたくて」
「そうでしたか。実は私もそうなのです。良いところですね、やはり来てよかった」
そう言って、青年は眩い海に目を細めた。
(この方……おひとりで来たのかしら。そばには誰もいないようだけれど)
彼をしげしげと見上げていると、遠くから侍女ソフィが走り寄ってくる。
そうだった、彼女は休憩するためのカフェを探してくれていたのだ。
「アメリー様! 探しましたよ、まだこんなところにいらっしゃったのですか!」
「ソフィ、ごめんなさい。砂浜で転んでしまって」
「あら……この方は?」
「倒れたところを助けていただいたの」
「まあ……!」
ソフィはアメリーと青年を交互に眺めると、ニンマリと笑顔を浮かべた。
「アメリー様を助けて下さりありがとうございました、親切なお方。ええと、お名前は……」
「私はリュシアンと申します」
「リュシアン様。ちょうどアメリー様と休憩しようかと話をしていたところだったのです。お礼もかねて、ご一緒にお茶でもいかがですか。あっ、当然お代は頂きませんので……」
「ちょ、ちょっとソフィ!」
アメリーは慌ててソフィを引き寄せた。そしてお節介な彼女に耳打ちする。
「あなた何考えてるの! よく知りもしない初対面の方を誘うなんてご迷惑でしょ!?」
「だってまるで『天上の恋人』のようじゃないですか。この砂浜で出会うなんて……ああ、なんてロマンチックなのでしょう。あの方、親切な上にとっても素敵ですし」
アメリーは思わず青年を振り返った。
育ちの良さが滲む、すらりとした青年。端正な顔立ちをしたその人は、ソフィのお節介など露知らず、後ろで待ち続けてくれている。
(動きやすそうな服だけれど、身なりは良いようだから……リュシアン様はこのあたりの貴族かしら。どうしましょう、ややこしいことにならないかしら)
「私なら大丈夫ですよ、ご一緒させて下さい」
リュシアンはなんの迷いもなく、にこやかに微笑んでいる。
「え……でもリュシアン様のご都合もおありでしょうし」
「どうせ私一人で来たのです、都合なんてありませんよ。それに聖地巡礼に来た者同士として、ぜひお話をしてみたい」
「聖地巡礼?」
聞いたことのない言葉に、アメリーは思わず首をかしげた。
リュシアンが言うには、物語の舞台となった場所は巷で聖地と呼ばれ、そしてその地に訪れることを聖地巡礼と呼ぶらしい。
「『天上の恋人』の、聖地巡礼……なるほど」
「この浜辺は聖地と呼ぶに相応しい素晴らしさでしたね。さあ、行きませんか」
リュシアンは紳士らしくアメリーの手を取ると、カフェに向かって歩き出した。
カフェは土産街の一等地にあった。二階のテラス席に案内された三人は、向かい合うように席につく。
こうして対面するリュシアンは、やはり非の打ち所のない容貌をしていた。どこか気品さえ感じさせるような……思わず見蕩れていると、海から視線を戻したリュシアンと目が合ってしまう。
「あ、つい……じろじろと申し訳ありません」
「いえ、私も海ばかり見ていて申し訳ありませんでした。でも、とても良い景色ですね。素敵なカフェにお招きいただいて感謝します」
アメリーは、こうして男性とお茶をすることなど初めてだった。実は少しだけ緊張していたのだけれど、彼の柔らかな雰囲気がこわばった心を解いてくれる。
「リュシアン様、アメリー様。実はこのカフェ、ヒロインと王子が食べていたあの『海のゼリー』を提供するお店だとか」
「えっ! あのゼリーを食べられるの?」
「それは食べてみたいな。アメリー、注文しましょう」
海のゼリーは、作中でヒロインと王子が食べた、青く透き通るデザートだ。小説を読みながら、アメリーも一度は食べてみたいと思ったものだ。それが今ここで味わえるなんて。
ほどなくしてテーブルに運ばれてきたデザートは、まさしく作中に出てきた海のゼリーそのものだった。海のように青く、それでいて透き通っていて……爽やかな甘さが口いっぱいに広がる。
思わず、三人から感嘆の声が漏れた。
「まさか、このデザートが食べられるなんて思いもしませんでした」
「ええアメリー、私もです。凪の聖浜に立てただけでも感動したのに、こうして作品の世界のものを口にすることができるなんて」
「リュシアン様は本当に『天上の恋人』のファンでいらっしゃるのですね」
「ファンといいますか……私は読書が好きなのです」
聞けば、リュシアンもアメリーと同じ十八歳。本が好きな男だった。放っておけば一日中と言っていいほど、読書してばかりだったという。
(私とまったく同じだわ……!)
そんな彼のあだ名は『本の虫』。知識として本や文献から多くのことを学んできたが、実際にその地を訪れたことは無かったらしい。
するとついに、見かねた父から「見聞を広めてこい」と旅を勧められてしまった。それが先日の話だ。
「勧められたと言うよりは、父の強い意向ですね。今後のために国の各地をその目で見てこいと……なら、聖地巡礼も兼ねようかと思いまして」
「そうだったのですね。私、思わずリュシアン様に親近感を覚えてしまいました」
「親近感……ですか?」
「ええ。私も、本の虫になるわよと言われるほどの本好きなのです。あまりにも外出しないものだから、私自身に引け目もあって……友人からこの海辺のことを耳にしまして、一念発起して来てみたのです」
「君もですか。ははっ、私達は似ていますね」
リュシアンが、初めて声を上げて笑った。僅かばかり少年っぽさの残る笑みに、アメリーの目は釘付けになる。
(な、なんて素敵な笑顔なの!?)
免疫のないアメリーは、彼の一挙一動に動揺してしまう。しかしそんなアメリーを知ってか知らずか、リュシアンはズイッと身を乗り出した。
「ねえアメリー。君さえ良かったら、また聖地巡礼に行きませんか。今度は『碧い瞳の嘘』の祈りの塔を見に行こうかと思うのです」
「えっ! 祈りの塔も、実際にあるのですか?」
『碧い瞳の嘘』も、数年前に一世を風靡したミステリー小説だ。犯人を追い詰める時計塔が通称“祈りの塔”と呼ばれ、作品を象徴するような建物なのだけれど。
「ええ。モデルとなった時計塔があるのです。ちゃんと中まで見学できるようですよ」
「すごいわ! では、犯人を追い詰めた螺旋階段を、現実に登ることが出来るのですか?」
「もちろん。そう遠くはありませんし、君と一緒に行ったほうが絶対に楽しいと思って」
「い、行きます!」
アメリーは即答した。行こうかどうか悩むより、好奇心が勝ってしまったのだ。外出なんて面倒だったはずなのに、次の小旅行をこんなに楽しみにしてしまうなんて自分でも驚きだ。隣では、ソフィが相変わらずにんまりと笑っている。
「決まりですね。ではアメリー、お互いに予定を合わせましょう」
リュシアンはそんなアメリーを見て、安堵したように微笑んだ。
「では、アメリーはまたその男性と“聖地巡礼”をするの?」
「ええ。現地で待ち合わせて、一緒に塔へ行くだけなのだけれど」
次のお茶会で、アメリーはイザベルに凪の聖浜での出来事を報告した。彼女には、あの浜辺を教えて貰った恩がある。
「いいじゃない! 読書仲間が出来たなんて楽しみね。また帰ったら話をきかせてくださる?」
「で、でも、あまり面白いものではないかもしれないわ。聖地のことも読者にしか分からないし」
「そんなことないわよ、聞いているだけでも楽しいわ。アメリーがこんなにも生き生きしているんだもの」
アメリーの土産話は、イザベルにはおおむね好評だったようである。けれど相変わらず、他の令嬢達の反応は冷ややかだ。
「本に出てくる場所へわざわざ行くなんて、私達にはちっとも理解できないわ」
「でも、アメリーにぴったりのお相手ね。その方も、世間知らずの読書家ってことでしょう?」
「えっ……」
彼女達には、聖地巡礼など理解されないだろうと思っていた。けれど、見ず知らずのリュシアンまで悪く言われるのは我慢できない。
アメリーだって、彼には一度会っただけだ。けれど本当に素敵な人だった。本が好きで、心から聖地巡礼を楽しんでいることが伝わってきた。
だから彼女達にリュシアンを軽んじられるだけで、思い出まで踏みにじられたような気がしてならなかった。せっかくイザベルが招いてくれたお茶会とはいえ、言い返さずにはいられない。
「……彼は私なんかよりずっと立派な人よ。勉強家だし、国の各地を回る行動力もあるわ。悪く言わないで」
「な、何よ、似たもの同士だなって思っただけじゃない」
「大袈裟だわ。そんなに怒らなくても……」
普段は何を言っても怒らないアメリーだが、今回だけは様子が違う。それが分かると、令嬢達は慌てて取り繕った。けれど侮蔑の色は消えないらしい。
「もう! 皆やめてちょうだい。アメリーはこんなの気にすることないわ。楽しんでくればいいのよ」
「ええ……ありがとう、イザベル」
場をとりなしてくれたイザベルに礼を言うと、アメリーは次の聖地巡礼に思いを馳せた。
それからというもの、アメリーはリュシアンと聖地巡礼を繰り返した。
『碧い瞳の嘘』の、祈りの塔。
『忘れられた羅針盤』の、地下洞窟。
『世界樹は眠る』の、神秘の森。
新たな聖地へ行くたびに、小説に描かれていた光景が目の前に広がる。そこは本の中ではなく現実の世界。手で触れ、匂いで感じる聖地に、アメリーとリュシアンは幾度となく心を震わせた。
「神秘の森……本当に精霊が住んでいるような、ありのままの自然が残っているのですね」
「ここは作品のモデルになってから、近隣の住民達が保護活動を始めたそうですよ」
「すごいわ。作品の影響で森の保護まで……主体となる方がいらっしゃるのかしら」
「ええ。その保護活動に賛同した貴族達が、資金を出しているようなのです。このような活動が国中に広がれば良いと、私は期待しているのですが」
聖地を調べるリュシアンは、近隣の事情まで併せて学んでいるようだった。そんな彼といるおかげで、アメリーの世界も広がるような気がしてくるから不思議だ。
「リュシアン様と知り合えなかったら私、保護活動のことなんて知らないままでした。このような場所にだって、一生来られなかったかもしれません。リュシアン様のおかげです」
「そんなことはありませんよ。私だって、こうしてアメリーと一緒じゃなかったらここには来なかったかもしれませんし」
(リュシアン様……? それって、どういう……)
意味深なその言葉の意味を、聞きたくても聞けずにいる。頬を染めたまま俯くアメリーに、リュシアンは優しく視線を落とした。
「アメリーといると居心地が良くて……どこへでも行きたくなるのです。もっと、ずっと一緒にいたいと、聖地巡礼を口実にして」
「リュシアン様……」
「これまで私は、一人で本を読んでばかりで、誰かと喜びを分かち合うことがありませんでした。アメリー、あなただけなのです。これからも、もっとアメリーのことを知りたいし、私のことも知って欲しいと思う」
「わ、私もです。もっとリュシアン様のことを知りたいです」
「本当に?」
アメリーは思いのままを言葉にした。それも今なら許されると思った。だって、彼がこんなにも優しいから。
心なしか、リュシアンからも熱を帯びたまなざしを感じる。
「ねえ、アメリー。来月開かれる舞踏会には参加しますか?」
「ええと……来月といえば、あの王妃様主催の舞踏会ですか?」
お茶会の席で、令嬢達が楽しげに話していた舞踏会のことだ。
王妃によって城で開催される舞踏会は、国中の貴族を招くような盛大なものだった。もちろん、アメリーの父・リヴィエール伯爵にも招待状は届いているはずだ。
けれどまったく予定になかった。アメリーには参加するつもりなんてさらさらなかったのだ。
「行くつもりはありませんでした。パーティーなど華やかな場所は苦手で。リュシアン様は参加されるのですか?」
「ええ。私も舞踏会自体は苦手なのですが……成人となったので、どうしても顔を出さなければならないのです。それならばと、アメリーにパートナーをお願いしたかったのですが」
「えっ……私ですか?」
驚いて、リュシアンを見上げる。
舞踏会に参加したこともないようなアメリーがリュシアンのパートナーなど、とても現実的な話ではないように思えたのだ。
「アメリーを身内にも紹介したい。私の大切な人なのだと」
しかし、彼の顔は真剣だ。冗談を言っているような目ではない。そんな眼差しで懇願されたら、アメリーにはとてもじゃないけれど断ることが出来そうにない。
「私でよろしいのですか? 実は舞踏会など参加したことがなく、リュシアン様にご迷惑をおかけしてしまうかもしれません」
「何を言うのですか、私はアメリーがいいのです。あなた以外考えられない。駄目でしょうか」
「……いいえ、駄目など、とんでもありません」
「アメリー……!」
顔を輝かせ、満面の笑みで喜ぶリュシアンに、アメリーも胸がいっぱいになる。
舞踏会は来月、あと少しだ。彼に恥をかかせぬよう、ダンスも練習をしておかなければ。嬉しそうに破顔するリュシアンに見つめられながら、アメリーはそう心に決めた。
そうして、あっという間にひと月が過ぎ――アメリーは女王主催の舞踏会にやってきた。
この一ヶ月、アメリーは別人のように頑張った。ダンスはイザベルに指導を頼み込み、毎日のように練習してきている。おかげで、やっと人並み程度には踊れるようになったかもしれない。
ドレスもアクセサリーもそれなりのものを新調し、気合を入れて臨んだ。すべて、リュシアンの隣に立っても見劣りしないように整えてきたつもりだ。
(でも……変じゃないかしら。ソフィは似合うって言ってくれたけれど)
ほとんど着飾る機会のないアメリーは、このドレス姿が落ち着かなくて仕方がない。ここまで来れば、あとはリュシアンの反応を待つだけなのだけれど……
「そのリュシアンとやらはどこにいる? まさかアメリーにそんな男が出来てしまうとは」
美しく変身したアメリーの隣では、不機嫌な父がため息をついた。
リュシアンとは城で落ち合う予定になっており、それまでのエスコートは父にお願いしている。
しかし突然降ってきたリュシアンとの話に、父は少々機嫌を損ねてしまったようだ。反対こそしなかったものの、父親に挨拶にも来ないで……とぶつぶつ文句を言いながら、リュシアンの姿を探している。出会い頭に文句でも言ってしまいそうな勢いだ。
「まあ……内気なアメリーが、自力で相手を見つけてくるなど思いもしなかったんだが」
「そうですよ、お父様! 私にこのようなことが起こるなんて奇跡のようなものなのですから、絶対に失礼のないようにしてくださいね」
「それは話が別だ。その男がとんでもない奴だったら、この父が蹴散らしてやろう」
「ええ……?」
血の気の多い父に、一抹の不安が拭いきれない。こうなったら、なんとしてもアメリーがリュシアンを守らなければ。
(リュシアン様はどこかしら……)
「……そういえば、王族の五兄弟にもリュシアンという名の王子がいたような気がしたな」
「えっ、そうなのですか?」
「王族と同じ名をつける貴族がいるとはな。まあ……殿下はあまり表に出ない方のようだから、知られていなくても仕方がなかったのかもしれないが」
「王族と同じ名前……」
父の話によると、王子リュシアンは五兄弟の末っ子。錚々たる兄達の影に隠れ、これまであまり目立たない存在であったらしい。
「今年ようやく成人になられたようだから、今日は参列されているはずだ。噂ではたいそうな美男子らしいぞ。勉強家で、本ばかり読んでいらっしゃるようだが……ははっ、まるでアメリーのようだな! ――っと、アメリーどうした? 黙りこくって」
アメリーの身体からは、みるみるうちに血の気が引いていく。
リュシアンと同じ名の第五王子は、歳も同じく成人を迎えたばかりの十八歳。そして本が好きで、勉強家で。噂されるほどの美男子で……
『父の強い意向で、今後のために国の各地をその目で見てこいと言われ』
まさかその、リュシアンの父とは――
「アメリー!」
後ろから呼ぶ声に振り向いてみれば、そこにはリュシアンその人が立っていた。
「リュシアン様……」
こちらに駆け寄ってくる、いつものように穏やかなリュシアン。けれど、今日は黒の正装姿に、金の刺繍が施された真紅のマントを羽織っている。
舞踏会での赤は、王族のみに許される色だ。そのくらいはアメリーでも知っている。もう決定的だ。
「リュシアン……殿下? アメリーのお相手とは、リュシアン殿下だったのでございますか?!」
「お初にお目にかかります、リヴィエール伯爵。リュシアン・ド・レオニスと申します。以後お見知りおきを」
口を開けたまま固まってしまった父の隣で、アメリーもまた固まっていた。まさか、リュシアンが王子だったなんて、思いもしなかったのだ。
聖地巡礼で会う際には動きやすさ重視の格好をしていたし、そもそも王子が一人で旅しているなんて考えるはずもない。もしかしたらアメリーが気付かなかっただけで、近くに護衛などが控えていたのだろうか。
(ということは、あれは聖地巡礼という名の視察だったのかしら……私ったらそんな事とは知らないで、図々しく同行したりして……)
「アメリー、どうかこちらに。すみませんリヴィエール伯爵、彼女をお借りしてもよろしいですか?」
「は、はい!! どうぞどうぞ! うちのアメリーでよろしければいくらでも!」
父はアメリーをぎゅうぎゅうと押し付けると、逃げるようにその場を去っていってしまった。
残されたのはわずかに頬を染めるリュシアンと、肩を抱かれたまま固まるアメリーだけ。二人の間には、不自然な沈黙が訪れる。
「……アメリー、私はずるかったですね。幻滅しましたか」
「え……?」
「私が素性を隠していたから。でも、王族ということが分かっていたら、アメリーはここへ来てはくれなかったでしょうし」
(確かにそうかもしれないわ……)
図星だ。リュシアンが王子だと知っていたなら、パートナーとしてここへ来るなんて出来なかっただろう。自分では不相応だと、身を引いたに違いない。そんなことさえ、リュシアンはお見通しだった。
「王子と告げることで、『天上の恋人』のように悲恋にはしたくなかったのです。私はどうしてもアメリーを手放したくなかった」
「リュシアン様……」
「身勝手とは分かっています。でもアメリー、私の恋人になってくれませんか。これからもあなたと様々なものを共有して、同じ時間を過ごしていきたい。どうか――」
リュシアンは懇願するように、アメリーへと跪いた。その手を取る指先はわずかに震え、彼の緊張が伝わってくる。
(私は……)
リュシアンの葛藤を知る以前のアメリーなら、王族なんてきっとお断りしていただろう。
けれど今、目の前に跪く王子は、紛れもなくアメリーが惹かれたリュシアンだ。
海岸で差し伸べてくれた手だったり、聖地に感動する瞳だったり、その地を学ぼうとするひたむきさだったり――アメリーは、彼のそんなところに惹かれたのだった。
アメリーは覚悟を決め、リュシアンの手を握り返した。そして、彼に自身の思いを告げる。
「……はい、リュシアン様。これからもずっとおそばに居させてください」
「え……本当に? てっきり断られるものかと」
「私もリュシアン様に惹かれておりました。王子というお立場には確かに戸惑いましたが、そうだとしても私はリュシアン様と一緒にいたいです」
「アメリー……!」
リュシアンは勢い良く立ち上がると、アメリーをきつく抱きしめる。
落ち着いた穏やかな人だと思っていたのに、こんなに熱い一面もあったのか。またリュシアンの新しい顔を知ったアメリーは、その背中を強く抱き返した。
周りからはどこからか祝福の拍手が鳴り響き、楽団のワルツも流れ出す。手を取り合う二人は皆が見守る幸福のなか、ホールの中央へと勧められた。
(皆が見ているわ。うまく踊れるかしら……)
「リュシアン様すみません。私、実はダンスが苦手なのです」
「でも練習してくれたのでしょう? 嬉しいです。知っていますよ、すべてイザベルから聞きましたから」
「イザベルから?」
「イザベルとは幼馴染なのです。視察に出る私に、聖地巡礼を教えてくれたのも彼女でした」
遠くに、目を丸くするお茶仲間達が見える。その隣で美しく着飾ったイザベルは、踊るアメリーを拍手で祝福していた。
アメリーに、凪の聖浜のことを教えてくれたのも彼女だった。まさか、イザベルは初めから……?
「ふふ……イザベルから見ても、私達は似ていたようですね」
「ええ、アメリーに本当に出会えて良かった」
微笑み合うアメリーとリュシアンは、優しい旋律に身を委ねる。
その結末は、これまで読んできたどんな物語よりも二人の胸を幸福で満たした。
お読み下さりありがとうございました!




