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虚ろなる食餌  作者: つぶり


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第五章

 異変の兆候は、今から思えば数年前からあった。暑く、雨が少ない夏がずっと続いていたし、秋冬には打って変わった豪雨で、家や田畑が濁流に押し流されるということが増えていた。これまでは、他の地域から食糧が街に入ってきていたから、たとえば西の諸国では農民どもが集落を放棄し山や他領に逃散していることや、一村丸々飢え死にしていることなどに皆気づかなかったのだ。

 いや、地方役人共は、あるいは気づいていたのかも知れない。しかしそれは中央に報告されることなく、万事問題ないかのように取り繕われていた。ちょうど、俺の帳簿と同じように…。この数年気付いていた直轄領の税収減は、地方役人のちょろまかしではなく、必死でかき集めてなお足りない実情を反映したものだったのだ。

 中央の貴族たちの浪費を支えるため、廃村が担うはずであった税収は、別の村に強制的に割り当てられ、不作が続く中で血も涙もない取り立てが各所で行われた。その結果、耐えかねた農民達は逃げ出し、荒廃した農村がさらに増えるという悪循環を生んでいたのだ。

 事態がどうにも隠しきれなくなった時、その皺寄せは一気に、食糧供給を地方に頼る首都を襲ったのだった。とうとう今年になって、全国規模の天候不順により、五穀の収穫は壊滅的な不作となり、一部の漁村を除き全国を食糧危機が襲った。飢饉である。

 ある日、藁小屋の役所に上司の奴が駆け込んできた。こいつとはもう早いもので数十年の付き合いとなるが、初めて見るような青ざめた顔で、声を震わせて言う。「御前会議で決まった。都の数カ所に粥を配布する小屋を設け、民を救うのだ。お前ら、速やかに米を準備せよ!」と。俺は淡々と返す。「そんな米はどこにもありませんよ。ご存知でしょう。帳簿の額面通りの税収があったことはないんですから。」。奴は言葉に詰まり、顔を引き攣らせて立ち去った──粉飾の虚構が、未曾有の危機に晒された瞬間だった。

 人々は慌てて金品や家財を売り払い、米や粟に換えようとするが、買い手などいない。路地裏の闇市では、値の付かぬ贅沢品を並べた男が悲鳴のような声を上げる。「唐織りの絹一反、珊瑚の枝飾り、誰か米一合と換えてくれ!」と。対する高値の粟を握る商人が嘲う。「その塵同然の飾りより、俺の粟一握りが命綱だ。黄金の杯でも持って来い、さもなくば飢死にするんだな」。米の値は天井知らずに跳ね上がった。

 家を壊し木材を薪として売る者も現れ、中には寺社から盗んだ仏像と思しき、金箔の残る木片を薪として並べる不届きものまで見られる。

 貴族の家は強盗の標的になりやすく、武装して自衛を始めた。そのいでたちは、卑しい武士たちそっくりである。飢えているのは貴族も同じで、浅ましい身内争いを繰り広げている。路地裏には力尽きて横たわる痩夫どもが増え、腐臭が風に混じる。徒党を組んだ乞食たちが民家に押し入り、僅かな食を強奪し、時には主を斬る。

 さらに、辻や河原に山積みにされ、放置された餓死者の死体は腐敗し、水や空気を汚染した。屍には蛆が湧き、飛び立つ蝿が病を媒介して行く。托鉢の僧侶すら、民家の戸口で崩れるように死に絶えている。路上の野良犬を捕らえて食う者、家を捨て山中に食物を探す者も後を絶たぬ。噂では人の肉すら食うものが現れたと聞く。もはや神も仏もいないのかも知れぬ。

 俺はどうやって生き延びたか。帳簿の粉飾で得た僅かな実物を、誰にも悟られず隠していたことが、命綱となった。同僚達も、上司の奴だって皆こっそりやっていたことだ。

 どうしてこのような地獄になったのであろうな。人の寝静まった夜に床下から取り出した乾飯を、口の中で徐々にふやかし吸いながらそんなことを思った。


竈には 火気ふき立てず 甑には 蜘蛛の巣懸きて 飯炊く 事も忘れて

斯くばかり 術無きものか 世間の道


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