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ウザいヤツと教室に閉じ込められてしまった件

作者: 十十廃色
掲載日:2025/10/27

 牡羊(ぼよう)儚夜(もうや)――中学三年生。


 なんの変哲もない帰宅部で、趣味は読書。最近はアニメにハマっている。居眠りが多く、よく教師に注意されている。寝言が多い。志望校は近くにある工業高校。学校以外では眼鏡をかけている。視力は両方0・1未満。身長は高いが体つきが細い。成績は学年下位。得意科目は国語。赤点常習犯。よく自分のことを落ちこぼれだと自虐する。運動はできなくもない。ただしスタミナはない。足が長いので走りだけは速い。小学生の頃から、シャトルランはクラスで最下位。恋人ができたことは一度もなく、本人はすでに諦めている。オシャレに気を遣うことが面倒だと感じており、登校時に寝ぐせは直さない。社会不適合者である自覚はある。


 そんな彼は教室で、笑いながら笑えないことを口にした。


「将来なんて諦めてるよ。おれはもう、終わってるんだ」


「……」


 彼女は、儚夜の自虐に反応してあげようと口を開きかけ、やっぱりやめた。馬鹿らしくなったのだ。


 悳冥(とくくら)遺愛(いあい)は現在、おかしなことに巻き込まれていた。


 目の前の暗い少年と、ふたりきりの暗い教室。現在時刻は、夕方ぐらいだ。雰囲気的には、ここでラブコメが始まりそうな予感がする――しかし、この話がロマンティックな展開になることは絶対にない。遺愛にはもう恋人がいる――が、理由はそうじゃない。


 ロマンティックな展開どころか、このままじゃ物語自体が始まらないのだ。

 それもそのはず――少年が、付け加えるように言った。


「お前だって、同じだろ。だからもう諦めちまえよ。おれたちは一生、ここから出られないんだ」


 ふたりは、この三年一組の教室に閉じ込められているのだった。

 遺愛は怒って言い返す。


「わたしはまだ、諦めていないわよ。諦めるわけにはいかない。だって、恋人を待たせているんだもの」


「ふうん、恋人か。よく分からないけど、そんなに大事なら、肌身離さず傍に置いておけばよかったじゃないか」


 なにも知らない儚夜の的外れな指摘に、遺愛は無言で返答した。閉じ込められてから一時間、彼と口論することの無意味さは、すでに嫌というほど実感していた。深呼吸をして冷静になり、遺愛はこの状況を分析する。


 まず、教室のドアは開かない。引き戸はピクリとも動かないし、蹴ってもなにも起きない。硝子を叩いても割れる気配がない。もっとも、それについては遺愛の非力が原因である可能性も否定できない。遺愛は同級生と比べてかなり小柄であり、女子にしたって力の弱いほうなのだ。


 儚夜も力は弱いほうだが、さすがに遺愛よりは強い。

 それに、たとえそうでなくても、戸を蹴破ったり、硝子を割ったりといった乱暴なことは男子の仕事だろうと、遺愛が思うのはおかしいことじゃない。しかし、


「儚夜、アンタも手伝って」


「嫌だよ。どうしておれがそんなことしなきゃいけないんだ?」


 遺愛がここから脱出しようと懸命に足掻いていても、儚夜は頑なにそれを手伝おうとしなかった。巻き込まれたくないから、面倒だから、働きたくないから、ウザいから――そんな理由で、彼は全てを諦めたのだ。


 儚夜は自分の席に座り、難しそうな本を読んでいる。


(珍しく眼鏡をかけているのは、本を読むためかしらね)


 唯一の男手は使えないし、協力も得られないし、未だに教室から出られる手がかりは見つかっていない。外の状況も、いまいちよく分からない。窓から見える景色が、一面真っ黒なのだ。そして、月も太陽も出ていない。


 さて、と遺愛は一度思考をリセットする。そうすることで、儚夜への苛立ちや、状況への恐怖心などを和らげた。こういう状況でこそ、常に冷静でいなければ。


(こんなヤツ、相手にしちゃダメ。ひとりで頑張るのよ、わたし)


 教室に閉じ込められた――この時点ですでに意味不明だが、それだけならまだ説明ができなくもない。


 問題は、出られないということである。いくら遺愛が非力であっても、窓ガラスを割ることぐらいはわけもない。椅子なんかを使えば容易に割れる。流石の遺愛も、椅子を持ち上げられないなんてことはないのだ。

 しかし――それは、すでに試した。試して、失敗した。いくらそれを繰り返しても、窓が割れることはなかった。


 というより、ものを壊せなかった。

 たとえば、教卓の上にあるプリント。大嫌いな数学のプリントだったので、なんだか腹が立ってしまい、そのプリントを破ろうとする遺愛。しかし、どれだけの力を込めても、どれだけの工夫を重ねても、プリントは破れなかった。


(な、なんで? こんなの、ただの紙じゃない)


 どう見ても普通の紙にしか見えない、数学のプリント。折れるし、くしゃくしゃにもできる。なのに、破ることだけはできない。


 明らかな異常である。誰かの悪戯、という線は完全に消えた。

 これは――怪奇現象だ。


(……夢だったりするのかしら)


 そう思い、遺愛は頬をつねった。痛みは全くといって感じなかった。


(夢、なのかしらね)


 なら、いつかは覚めるはず――いくらそう思っても、不安は消えなかった。まだ、現実である可能性も残っているからだ。

 物に傷を付けられないということは、自分に傷を付けることもできない――という捉えかたもあるだろう。少なくとも、遺愛はその考えを消せなかった。


「……」


 それからはずっと動きっぱなしである。なにかしていないと、また不安に襲われてしまいそうで怖いのだ。


(落ち着いて、わたし。これは夢なのよ、夢。現実じゃないわ。でも、一応脱出口は探しましょう)


 早く、この悪夢から抜け出さなければ。


 そして数時間後。

 脱出に繋がりそうなヒントは、ひとつも見つからなかった。


(……時計の針は進んでいない。体内時計では三時間が経っているけど、それも正確かは分からない)


 最初から、諦めておけばよかった――遺愛は激しく後悔した。初めから期待しなければ、裏切られることはない。


 三時間半かけて、徹底的に教室内を調べた。机、椅子、教卓、教壇、黒板、時計、棚、窓、硝子、戸、プリント、教科書、文房具、体操着、上着、タブレット、電灯、床、壁、天井、腕時計、髪留め、制服、インナー、身体、視線、視点、視界、世界。

 なにもなかった。その全てが異常だったが、異常でしかなかった。


 どれも絶対に壊れなかったし、自分の身体に傷を付けることもできなかった。誰かの机に入っていたカッターでひたすら自分を傷つけようとしたが、いくら切りつけても傷ひとつ付かなかったのだ。


 つまりそれは、絶望である。

 もし、永遠に脱出できないなんて事態になっても――ふたりは、死ねないのだから。


(……いや、窒息死は有効じゃないかしら? 身体に傷を付けられないだけで)


 だとしても、希望があるわけではない。だが、諦めることができるというのなら、少しはマシになるだろう。遺愛はそう思った。

 机を並べ、その上で誰かの上着を布団代わりにして寝転びながら、遺愛は未だ考えていた。後悔しながらも、必死に脱出の糸口を探していた。


(時間経過で出れるようになるとか……いや、それは期待しないほうがいいか。でも、他に探すこともないし。なにか、条件があるのかしら? でも、思い当たる節がないわ。儚夜と一緒に閉じ込められている、ということがポイントなのかしらね)


 そこで、遺愛は気付いた。今まで、遺愛は()()()()()()()()()()についてばかり考えていたが、()()()()()()()()()()()()()()()については考えたことがなかった。肝心な部分を忘れてしまうのは、彼女にとっていつもどおりのことだった。


 遺愛は、頭が良いわけではない――むしろ、悪いほうである。テストの学年順位は下から数えたほうが早い。

 なんというか、遺愛は中途半端なのだ。勉強も、運動も、そして恋愛も。脱出も。


(……でも、どうしてわたしたちは閉じ込められているのかしら。わたしと、儚夜――思い当たる理由が見つからない)


 ふたりが、閉じ込められている理由。ふたりだけが、閉じ込められている理由。

 ふたりの関係性。


「……儚夜」


「どうした? 諦めたのか?」


 儚夜の問いかけをスルーし、遺愛は寝そべっていた状態から起き上がる。


「アンタ、小学校はどこ?」


「小学校……?」


 突然そんなことを訊かれ、戸惑う儚夜。隠す理由はないので、端的に答えた。


平宅南(ひょうやけなみ)


(……当てが外れたわ)


 もしかしたら、同じ小学校なのかもしれない――そう思って訊いたが、結果は違った。遺愛は小学生の頃、()()()()()を起こしたことがあったのだ。それは一応、解決したという話にはなっているが……。


(さすがに無関係みたいね……)


 なら、怨恨ではない――と遺愛は決めつけた。

 誰かの悪意によって、自分たちは閉じ込められている――そんな可能性を遺愛は考えた。けれど、それは考えたくない可能性だった。最初にその考えに辿り着いたのは、一刻も早く、それを除外したかったからだ。


 では、次の可能性を考えよう。


「一年生の時のクラスは?」


「……んーと」


 たしか、と前置きをして儚夜は答えた。


「二組だったと思う」


「そう。じゃあ、二年生の時は?」


「え?」


 そこでようやく、儚夜は遺愛のしていることに気付いた。

 読んでいた本を閉じ、遺愛のほうへ顔を向ける。


「動機から脱出方法を探ってるのか。なるほどな」


 こちらにも隠す理由はないので、遺愛は静かに頷いた。

 それは、間違いだった。


「……そういえば、遺愛って小笛(こぶえ)と付き合ってるんだっけ?」


「?」


「順調なのか?」


 訳の分からない質問だ、と遺愛は困惑した。あまりにも唐突すぎるし、目の前の彼がそんなことを気にするとは思えなかったのだ。実際、儚夜はそのことを気にしているわけではなかった。


 それは、ただの悪意だった。

 遺愛は「順調」と答えると、儚夜はニヤリとした気味の悪い笑みを見せた。


(嫌な予感がするわ)


 当たった。


「んで、どこまで進んでんだ? アンタら。もうヤった?」


「……は?」


 儚夜の問いかけは、ただのセクハラでしかなかった。今まであまり話したことのない、パッとしないクラスメイトの男子からいきなりそんな質問が飛んできて、気分が悪くならない女子はいないだろう。


「きっしょ。いきなりなに?」


「答えてくれないなら、おれも質問には答えない」


「……っ」


 これまでの人生、遺愛はここまで不快になったことはそうなかった。ある意味、感心する。

 そんなことを言われてしまえば、答えないわけにはいかなくなる。


(この男、なにもかもが不快だわ……。どんな教育をすればこんな男に育つのよ)


 儚夜を産んだであろう両親に心の中で、心の底からの怨み言を吐きながら、遺愛は仕方なく答えた。


「した。んで、アンタは?」


「え? ああ、いや。おれは童貞だが……」


(死ね)


 誰がお前の貞操事情なんて知りたがるか――と大声で怒鳴りたくなる衝動を遺愛は必死に抑える。常に冷静沈着でいなければ、いざなにかあったときに対応できなくなってしまう。

 今がもう、すでになにかあった後なのだが。


「二年の時のクラスは?」


「一組」


「そのぐらい最初から答えなさいよ」


 ああ、腹が立つ。苛立ちをなんとか収めようと、遺愛は恋人のことを考えた。同じクラスで、フルネームは八束(はちづか)小笛。なんと、家が隣である。悳冥家と八束家は家族ぐるみで仲が良いというわけではないが、遺愛と小笛のふたりは家族よりも仲が良い。


(あーあ。どうせなら、小笛と閉じ込められたかったわ……)


 それなら、永遠に出られなくたって別によかったのに。遺愛はそんなことを考えた。

 普段の遺愛は、いつ死んでも死に際に小笛のことを考えられるように、常に小笛のことを考えている。そして、遺愛はだんだん普段の調子を取り戻していた。

 人間の慣れというものは恐ろしい。


(……小笛)


 もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。そんな考えが、一瞬だけ脳裏をかすめる。

 しかし、その考えはすぐに打ち切られた。


「ところで、お前ってどうして小笛と付き合ってるんだ?」


「は?」


 また、儚夜が意味の分からないことを訊いた。もちろんそれに意味なんてものはなく、ただの嫌がらせでしかない。


「お前なら、普通に良い男と付き合えるだろ? どうして小笛なんだ?」


 それは、遺愛を不快にさせるためだけの質問だった。遺愛はそれを理解しつつも、


「……アンタには関係ないわ」


 と答えた。

 そして遺愛の予想どおり、儚夜は言った。


「まだ質問があるんだろ」


「……」


 こちらが答えなければ、あちらも答えてくれない――今更ながら、遺愛は自分が不利な状況であることに気が付いた。別に、ふたりは戦っているわけでもないのに。

 仕方ないので、遺愛は正直に答えた。ここで、嘘をつこうとは思わないのが遺愛である。


「一緒にいて心地いいから、話していると楽しいから、大好きだから――理由なんて、無数に思い浮かぶわ。わたしにとっては、どんなことだって小笛と付き合う理由になるのよ。……これで良い?」


「ふうん」


 訊いたくせに、興味がないと言わんばかりの反応をする儚夜に、苛立ちを覚える遺愛。興味を持たれるのは気持ち悪いし鳥肌が立つが、興味を持たれないというのもそれなりに腹が立つのだ。


(ずっと調子を崩されてばっかり。本当、どうしてコイツと閉じ込められなきゃいけないのよ……)


 これ以上、儚夜と話したくはない。しかし、気になることがある以上は、確認する必要がある。もしかしたら、脱出の糸口になるかもしれない。

 拳を握り、指に爪を立てて怒りをこらえながら遺愛は訊いた。


「わたし達が初めて話したのって、いつだったっけ?」


「……えぇ?」


 ここで、初めて儚夜が動揺を見せた。動揺というか、なんだか困っている様子だ――遺愛は直感的に、「怪しいわ」と思った。そしてもちろん、遺愛はそのことを後悔する。


「アンタ、なにか知ってんの? てか、覚えてんの?」


「い、いや。おれは、別に、なにも……」


 儚夜の怪しさは増していく。彼は確実になにかを知っている――遺愛は決め付けた。


「お願いだから、心当たりがあるなら早く言って。なんでも良いから。ほら、どうして早く言わなかったのとか、なんで黙ってたんだよカスがとかは絶対に言わないから。怒らないよう死ぬ気で頑張るから。お願い」


「もう怒ってるだろ……」


 そのとおりだったが、遺愛は「怒ってない」と否定する。儚夜に見透かされるなんて、とても良い気分にはなれない。


「……じゃあ、うーん……」


 儚夜は迷う。なにを迷っているかと言えば、それは、「遺愛になにを答えさせようかな」である。また際どい質問をしようかとも思ったが、頭が良いわけではないどころか、遺愛と比べても劇的に低い成績を誇る儚夜には、セクハラのボキャブラリーが欠如していたのだ。セクハラだけではないが。


 少ない語彙でそこまで人を不快にさせている時点で、儚夜が只者ではないことは確かだが、しかしそんな儚夜にも限界はある。人を嫌な気持ちにすること自体は簡単だ。だが、むやみにそうすると、自分がわざと遺愛を不快にさせようとしていることがバレてしまう。もうとっくにバレているとはこれっぽっちも思っていない。


「……好きな、体位は?」


「名前知らないけど普通のヤツ。それで? 早くしてよ」


(あ? 普通? 正常位か? ……いや、それはどうでもいいんだが。クソ。もうそろそろか?)


 そろそろだな――儚夜はため息をついて、「分かった」と遺愛の問いに答える意思を見せた。


「素直に答えよう」


「お願い」


「実は――本当に知らないんだよ」


 遺愛は、力いっぱい儚夜を殴った。


「ぐえっ!」


「……ふざけてるの?」


「いや、マジで知らな……ぐえっ!」


 床に倒れた儚夜の股間に全力の蹴りを入れると、儚夜は悲鳴を上げてのたうち回った。その様子を見て、ようやく遺愛はストレスから解放された気持ちになった。


「あう……、ぐあ……、うう……」


「ふふ。苦しそうね」


 自業自得だからか、文句を言うこともできない儚夜。まず、文句を言える状況でもなかったのだが。痛みで失神しかけている。泡を吹いていてもおかしくなかった。

 目に涙を溜めながら、変な声を上げて苦悶の表情を見せる儚夜。遺愛は久しぶりに笑った。


「あーあ、スッキリしたわ。いや、スッキリは全然してないんだけど。でも嬉しい」


「……鬼かよ……」


(どの口よ)


 遺愛はそう思ったが、口には出さなかった。スッキリはしても、必要以上に話したくはないのだ。


「それで、本当に知らないのね?」


「……おう」


 遺愛は悶絶する儚夜の腹部にかかと落としを食らわせた。儚夜は「ぎゃうっ!」と変な声を上げた後、迫りくる吐き気を必死でこらえた。


(あーあ、期待して損したわ。勝手に期待したのはこっちだけどね)


 ふたりが初めて話した時のことについて質問した理由は、特になかった。ただ、なんとなく、遺愛がそのことを()()()()()()ことが気がかりだったのだ。

 しかし、それも無理はない。遺愛はそもそも、今日この日まで儚夜と一度も話したことがなかったのだ。


 同じクラスであっても、なにもかもが違うふたり――話したことがなくても、不思議ではない。


(うーん、なんかあったかしらね)


 だから、その時になにかがあった――という遺愛の読みは、的外れなのだ。


「……あの、さぁ」


 と、ここで。

 珍しく、儚夜が遺愛に自分から話しかけた。


 儚夜は床に倒れたまま、痛みをこらえて不気味な笑みを作った。遺愛は察した。どうせまた、人を不快にさせるつもりなんだろうと。もちろん、その読みは当たっていた。


「今日は勝負パンツか? 黒って、大人だな」


「……はぁ」


 顔を殴られ、股間を蹴られ、腹に思いきりかかと落としを食らった後で、よくもまあそんなセリフが出てくるな――と、遺愛は半ば呆れ気味に感心する。

 パンツはどうやら、蹴ったときに見えてしまったらしい。遺愛はもう気にしないことにして(不快ではあるが)、淡々と訊いた。


「アンタ、どうしてそこまで人を不快にさせたいの?」


「……」


 その問いに、儚夜は答えなかった。

 遺愛はため息をつく。これ以上は時間の無駄だった。


 と。


「……ん?」


 どうして、そこまで、人を、不快に。


(もしかして、これって……)


 ここで遺愛は、ようやく答えに辿り着いた。


「……儚夜」


「なんだよ。言っとくけど、おれは今日、パンツ履いてないからな」


「要らない情報どうも。そんなことはどうでもいいから、早くここから出してくれない?」


 ・


「はぁ? いやいや、そんなことができるならもうやってるって」


「アンタだって、本当はもう飽きてるんじゃない?」


 遺愛は儚夜の返事を無視して話を進める。


「わたしとアンタに共通点なんて見当たらないし、強いて言えば同じクラスであることぐらいだけど、それは他の人にも言えること。なにか接点があるわけでもなければ、脱出の手がかりがあるわけでもない」


「な、なに言って……」


 だから、答えはひとつ――遺愛はゴキブリでも見るような目で儚夜を睨んだ。


「わたしってば、この教室に閉じ込められてから、ずっと不快な気分だわ。一緒に閉じ込められている人が、とんでもない性格をしているせいでね。すぐに諦めるし、諦めないことを馬鹿にするし。セクハラだって当たり前で、しかもそれら全てがわざとなんだもの」


 遺愛はずっと積み重ねてきた怒りをあらわにしながらも、淡々と答え合わせを進めていく。


「本当、こんなに嫌な気分が続いたのは、今日が初めて。でもね、疑問も残るのよ」


「……疑問?」


「どうして、アンタはわたしを不快にさせたいのか。考えが行き詰っていたから、ほんの少し考えてみたの」


 遺愛は続けた。


「教室に閉じ込められている。この時点で、結構イライラはするわよね。でも、その時はまだ恐怖も残っていたわ。今もまだ、完全に消えたとは言い難いけどね。そして、一緒に閉じ込められている人が、なにもしないまま脱出を諦めている。これもイライラポイントね。不快というか、普通にイラつくわ。さらに――諦めてる人が、諦めていないわたしに、『諦めろ』ですって? ふざけんじゃないわよ。本当に腹が立ったわ。あの時に手を出さなかった自分を褒めたいぐらい」


 そして――遺愛は、嫌な顔をしながら言った。


「わたしが脱出のための質問をすると、アンタは代わりにセクハラのための質問をしてきた。なにが『もうヤった?』よ。どうせ一生童貞のアンタが気にするようなことじゃないわよ。しかも、アンタはわたしの恋人を馬鹿にした。それも許せないし、絶対に許さない。殺してやろうかとも思ったわ。そしてセクハラを続けたり、『なにか知ってる』と思わせるような態度を取ったり。とにかく、わたしはイライラした。嫌な気持ちだった。気分が悪かった。不快だった」


「……ご愁傷さん」


「そういう態度が腹立つって言ってんの」


 遺愛はそう言って、近くにあった机を蹴り飛ばした。非力な遺愛の蹴りなので、飛びはしなかったが。多少位置がズレただけだ。


「でもさ、おかしくない?」


 ズレた机の位置を直しながら、遺愛は言った。


「流石に不快すぎるのよ」


「……」


 遺愛の言わんとすることを察してか、儚夜は固まった。その態度は、遺愛の仮説が的中していることを示す根拠となった。


「嫌なヤツと一緒に教室に閉じ込められている。脱出方法がない。心当たりもない――」遺愛は言い捨てた。「もしかして、この状況そのものが、わたしを不快にさせるために作られたものなんじゃないの?」


 ・


「……そろそろ、終わりにするか」


 儚夜の纏う雰囲気が、突如として変わった。遺愛は驚く。さっきまでは、ヘラヘラとしていたのに。


「いや、見事だ。遺愛って、頭がよかったんだな」


「……それは、煽っているのかしら」


「本音だよ」


 突然の変化に戸惑いながらも、遺愛は「それで」と訊いた。


「出してくれるんでしょうね?」


「そりゃな。本当は、最後に殺すつもりだったけど」


 怖いことを言いながら、儚夜は席を立って教室のドアのほうに向かった。


 そして、

 普通に開けた。


「……協力者はいるの?」


「というか、おれのほうが協力者だよ。別に、誰でもよかったんだ」


 どうして普通に開けられたんだとか、なぜ物が壊れないんだとか、そういうことを遺愛は訊かなかった。すでにゲームは終わったのだ。知的好奇心よりも、まずは身の安全を確保したかったのだ。

 儚夜が教室を出たので、遺愛もその後に続いた。


「遺愛と関わりが一切ない――それが協力者の条件だったんだけど、同じクラスだったほうがまだなんか共通点があるって感じするだろう? これが別クラスだとか、別学年となると、そうはいかない。無差別ってことで、『どうしてふたりが閉じ込められたのか』についての考えをアンタが放棄してしまうんじゃないかと思ってな」


「……報酬を貰っているのね」


「当たり前だろ。ボランティアでこんなことをするヤツはいない」


 そりゃそうだ、と遺愛は納得した。本当は納得しちゃいけないのだけど。


「……現在時刻は?」


「朝の三時だな。ちゃんとアンタが寝ている間にさらったから、親御さんにはバレてないと思うぜ」


 どうやって、と遺愛は訊かなかった。


「守衛さんは? ウチの学校、監視カメラはないけど、守衛さんがいるでしょ。こんなに堂々としていて大丈夫なの?」


「殺したから大丈夫」


 流石に言葉を失った。こんなことのために、人をひとり殺したのか――遺愛は唖然とした。そしてようやく、自分が命の危機に晒されていることを理解した。


「……そう」


「警察にチクるかい? 先生でもいいけど」


「チクらないわよ」


 わたし、昔にチクりで痛い目を見ているのよ――と、遺愛は苦虫を嚙み潰したような顔をして呟いた。


「ふうん。なにかあったの?」


「小学生の頃、クラスの女の子が万引きをしていたのよ。だからわたしはチクったの。そうしなきゃいけないと思ったから。でも、それはわたしの勘違いだった」


 万引きなんて、していなかった。


「だから、それがトラウマになったってこと?」


「いえ、違うわ。この話にはまだ続きがある。というか、ここからが本番」


 遺愛の口は、自然と軽くなっていた。おそらく、儚夜が人を殺したと知ってしまったからだ。知ってしまったのなら、自分も何かを話さなければ――そんな心理が働いたのだろう。


「その子は、万引きはしていなかった。でも、それ以上に、もっとヤバい、言えないようなことをしていたのよ」


「……ほう」


 儚夜が興味を示した。


「そして――わたしが勘違いでチクったことによって、それがバレてしまったのよ」


「なにをしていたんだ? 園子ってヤツは」


「園子じゃなくてその子ね。……言えないことよ。そしてね、それをしていたのは、その子ひとりじゃなかった。クラスの大半の女子が、言えないようなヤバいことをしていたの」


 もちろん犯罪よ――遺愛は、付け加えるようにそう言った。


「その結果、みんながわたしを敵視するようになった。そしてイジメられましたとさ。めでたしめでたし」


「めでたくはないよな? ……ま、分かったよ。遺愛がチクらないヤツだってことは、十分理解した」


 だから、お前のことは殺さないでおいてやる――儚夜は最後にそう言った。


 いつの間にか、ふたりは来校者用出入口の前に立っていた。


「気を付けて帰れよ」


「……そうするわ」


 守衛室にひとり、男が倒れていることには気付かないフリをして、遺愛は学校を出た。外靴は、置いてあった。


(……わたし、パジャマで寝てたはずなのに。どうして制服を着ているのかしら。というか、勝負パンツなんて履いてなかったわよ――)


 儚夜に着替えさせられた――そうとしか思えない。ああ、恋人のいる身で、男に裸を見せてしまった。

 なんだか、自分は悪くないのに、浮気をしている気分になってしまう。そもそも、こんな真夜中に、同じクラスの男の子とふたりきりでいた時点で、それは浮気じゃあないのか。遺愛は自分を責めた。


(……このことは、小笛にも話せないわね)


 誰にもチクるつもりはなかったが、恋人には話すつもりだった。しかし、これじゃあ誰にも話せない。

 遺愛に隠し事を作ってしまった――遺愛は落胆しながら、トボトボとひとり帰路についていた。


 ・


 その日の午前八時半。ホームルームの時間ぴったりに登校してきた遺愛は、ここであることに気付いた。


「……そういえば、この学校って、女子校だったわね」

 初投稿です。

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