日常への帰着
季節はゆっくりと巡り、二人の秘密の関係は、すっかり日常に溶け込んでいた。
特別な事件が起こるわけでもなく、誰かに勘づかれるスリルがあるわけでもない。ただ、穏やかに、二人だけの時間が流れていく。
学校の昇降口は、一日のうちで最も緊張する場所の一つだった。部活を終えた生徒たちの喧騒の中、葵は下駄箱で悠真の姿を探す。彼は少し離れた場所で、クラスの男子と気だるそうに話していた。目が合っても、お互いに何の素振りも見せない。それが、もう当たり前の光景。
葵が校門へ向かって歩き出す。数歩遅れて、悠真も歩き出す。
校門を出て、駅へと続く緩やかな坂道。たくさんの生徒たちがそれぞれのグループで帰っていく。葵は友達と、悠真は一人で、その流れの中にいた。
いつも別れる十字路の手前で、葵たちのグループが立ち止まる。その瞬間、すぐ後ろを歩いていた悠真が、葵の真横を通り過ぎていく。
「また明日」
誰に言うでもなく、彼が小さく呟いた。それは、周りの誰も気にしない、ただの独り言。
でも、葵だけには分かった。その声が、自分に向けられたものだと。葵も、前を向いたまま、聞こえないくらいの声で「うん」と返す。
それが、二人だけの「別れ際のサイン」だった。
その日の夜。ベッドの上で、いつものように悠真からの電話を待つ。コール音が鳴り、すぐに通話ボタンを押した。
『お疲れ』
「お疲れ様。今日も完璧な他人だったね、岡田くん」
電話越しに、悠真がふっと笑う気配がした。
『沢村さんこそ。俺のこと、見えてないみたいだった』
学校での役を演じる、夜だけの悪ふざけ。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「私たち、このままでいいのかな」
ふと、口をついて出た言葉。関係を疑っているわけじゃない。ただ、確かめたかった。
『……何、不安になったか』
「ううん、逆。すごく、幸せだなって。この毎日が、ずっと続けばいいなって思ったの」
事件も、ライバルも、ドラマチックな展開もない。
でも、学校で彼を見つける小さな喜びも、放課後のデートも、秘密基地での逢瀬も、夜の電話も、そのすべてが愛おしい。秘密を抱えているからこそ、二人きりの世界のすべてが、色濃く輝いて見える。
『……当たり前だろ』
電話の向こうで、悠真が少し照れたように、でも、力強く言った。
『俺は、このままがいい。お前と俺だけの、この感じが』
「うん。私も」
心の底から、同じ気持ちだった。
どちらかが「もうやめよう」と言わない限り、この秘密の恋は続いていく。そして、そんな日は永遠に来ないだろうと、確信していた。
「じゃあ、また明日ね」
『ああ、また明日』
電話を切り、葵はスマートフォンの画面をしばらく見つめていた。すると、ぽん、と新しいメッセージが届く。悠真からだった。
『秘密、楽しいな』
たった一言。
でも、その短い言葉に、彼の愛情のすべてが詰まっているように感じた。
葵は、スマートフォンの画面を胸に抱きしめる。部屋の明かりに照らされたその顔には、そっとした、幸せな笑みが浮かんでいた。
明日も、明後日も、私たちの「放課後の二人だけの世界」は、続いていく。




