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放課後の二人だけの世界  作者: 伝福 翠人


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2/4

緊張と高まり

秘密のルールが始まって、一週間が経った。


学校での悠真は、完璧な「他人」だった。


移動教室ですれ違う時も、彼は葵の前を、何も見えていないかのように通り過ぎていく。一度だけ、葵の友達が落としたノートを拾ってくれたことがあった。友達は「ありがとう、岡田くん」と屈託なく笑い、彼は「ん」とだけ短く返して去っていった。その間、彼の視線が葵に向けられることは、一瞬たりともなかった。


頭では分かっている。これは二人で決めたルールで、悠真はそれを忠実に守っているだけ。むしろ、彼の徹底した演技力に感心するべきなのだろう。


でも、心が追いつかない時があった。


友達と笑い合っている時、ふと彼の姿が視界の隅に入る。その瞬間、彼の周りの空気だけが、シンと静まり返っているように感じる。自分だけが知っている彼の優しさや、少し意地悪な笑顔を思い出しては、胸が締め付けられた。本当に、私たちの間にあった温かい時間は、現実だったのだろうか。そんな馬鹿げた不安が、時々、鎌首をもたげる。


その日も、葵はそんな小さな不安の棘を心に刺したまま、帰路についていた。駅からの帰り道、もし彼と一緒に帰れたなら、きっとこの辺りで別れるんだろうな、といつも想像する交差点で、無意識に足が止まる。もちろん、放課後に彼と会う約束はない。ばったり会うことなんて、ほとんど奇跡に近い。


(……帰ろ)


自分に言い聞かせ、一歩踏み出した時だった。ポケットの中のスマートフォンが、短く震えた。悠真からのメッセージだった。


『駅前の公園。噴水の裏のベンチ』


たったそれだけの、暗号のような文章。葵の心臓が、とくん、と跳ねた。急いでスマートフォンの地図アプリを開き、駅前の、普段は使わない公園の場所を確認する。足が自然と速まっていた。


公園の奥、古びた噴水の裏手に、目的のベンチはあった。そこに、悠真が座っている。学校で見せる気だるげな姿とは違う、リラックスした様子で空を見上げていた。


「悠真」


声をかけると、彼はゆっくりと顔を向けた。そして、ふわりと、葵だけが知っている優しい顔で笑った。


「お疲れ」


「……うん。お疲れ様」


彼の隣に、少しだけ距離を空けて座る。学校での彼との距離感を、まだ引きずってしまっている自分がいた。


「どうした、元気ないな」


「え? そんなことないよ」


「嘘つけ。声でわかる」


悠真は、じっと葵の目を見つめた。その真剣な眼差しに、隠し事はできないと観念する。


「……悠真が、学校で、すごく冷たいから」


言ってから、子供っぽい我儘だったと後悔した。ルールを決めたのは自分たちなのに。でも、一度口に出した言葉は、もう取り消せない。


「……ごめんね、困らせたよね」


俯く葵の頭に、ぽん、と温かいものが乗せられた。悠真の、大きな手だった。


「逆だよ」


「え?」


「俺も、限界だった」


彼は、葵の髪を優しく撫でながら、ため息交じりに言った。


「お前が他の奴と笑ってるの見るのも、お前に知らんぷりすんのも、本当は、かなりキツい」


独占欲が強い、なんて彼自身は言わないけれど、その言葉の端々から、彼の本音が痛いほど伝わってきた。学校で見せる無関心は、彼にとっても「演技」でしかないのだと。


「今日、お前の友達にノート拾ってやった時、マジで心臓に悪かった。お前がすぐ隣にいるのに、声もかけられない」


「……うん」


「だから、声、聞きたくなった。顔、見たくなった」


不安の棘が、すうっと溶けていくのが分かった。彼も、同じ気持ちでいてくれた。それだけで、満たされた。


「ここ、俺たちの秘密基地な」


悠真が、少し悪戯っぽく笑う。


「学校で辛くなったら、放課後、どっちかがここで待ってる。約束なしで」


それは、二人だけの新しいルール。言葉にしなくても、お互いの気持ちを確かめ合える、大切な約束。


「うん」


葵は、今度こそ、心からの笑顔で頷いた。悠真の手が、髪を撫でていた手から、そっと頬に移る。そして、ゆっくりと引き寄せられた。


触れるだけの、優しいキス。


学校での緊張も、胸の奥の不安も、すべてがこの瞬間に浄化されていくようだった。秘密を共有する緊張と、二人きりの世界の高揚感。この危ういバランスの上に、私たちの恋は成り立っている。


「帰るか」


「うん」


どちらからともなく立ち上がり、公園を後にする。繋いだ手の温かさだけが、二人が恋人同士であることの、唯一の証明だった。

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