第一話
悪い夢を見ていた。過去を思い出して先ず最初に浮かんだ感想は、そんな逃避にも似た考えだった。
私こと『シズ・ブライド』は、先ほど階段から転げ落ちた影響で意識を失い、死の淵を体験することで、前世の記憶を取り戻したのだ。
ベッドの上、起き上がって放心状態となりながら前世の記憶を辿る。
本当は思い出したくもない記憶だが、心とは乖離的に、私は記憶を辿らざるを得なかった。
病に蝕まれ、痩せこけていく母の顔。貧困により、枯れ木のように萎れていく自身の体。ただ生きることだけを目的に、何もねだらず、光を無くし、希望を忘れて生きていた。
そんな自分の最後を思い出す。
暴漢に襲われ、必死に逃げる中で足を滑らせてしまい、湖の底に沈んでいったのだ。
その際の湖の冷たさも、まるでこれを望んでいたかのように、足掻きもせず水底に背をつけたことも、つい先ほど体験したかのように鮮明に思い出し、身震いをする。
その際に思い描いたかつての夢、そして最後の言葉が頭に流れ、私は途端に涙を流した。
『一度でいいから、魔法を使ってみたかった』
それは前世の私が持った唯一の夢。皆が当たり前に魔法を使う世界で、私はただ1人魔法を使えずに生きていた。
まだ幼い頃、母がよく見せてくれた『辺りを照らす魔法』を見てからというもの、私はその存在に心惹かれていたのだ。
結局は叶うことのなかった夢。そんな思い出したところで虚しいだけの何かを、私は何故だか2度と忘れてはならない事だと認識する。
「お、お嬢様……」
突如声をかけられた事により、こちら側に意識を取り戻す。
一気に視界に光が入り、辺りを見渡すと、扉の前に立つメイドの姿があった。
何やら驚いた様子で、地面に掃除道具を転がしてしまっている。
「あら、おはようミルネ。どうかしたの?」
「ど、どうかしたじゃないですよお嬢様! 良かった、本当に良かった! お目覚めになられたのですね!!」
感涙と言わんばかりに涙を流しながら、メイドであるミルネは私の元に駆け寄ってきた。
そうだ。前世の記憶を取り戻したなんて重大なことがあったから気に留めていなかったが、そもそも私は階段から転がり落ちて意識を失っていたのだ。
心配をかけていたに違いない。
「ミルネ……ごめんなさい。心配をかけてしまったみたいで……」
「いえお嬢様。お気になさら……お気に……え? 今……何とおっしゃいましたか?」
ミルネは驚いた様子、というよりも怯えた様子で私を見つめた。
何か不思議なことを言ってしまったのだろうか。ダメだ。前世の記憶との整理がまだついていないからか、上手く思考が纏まらない。
「お、お嬢様が大変です〜!!」
途端にミルネは大慌てで部屋から飛び出していった。
何事かと首を傾げていると、外から皆の慌てふためく声が聞こえ始める。
「なに!? あのお嬢様が謝罪の言葉を!?」
「そんな筈は……余程頭を強く打たれたのだわ!」
「精神にも影響をもたらしているとなると余程のことだぞ! 早く医者を呼んでくれ!!」
えっと……一体何を話しているのかしら……。
心配をかけてしまったから謝罪をした。何ら不思議なことではないと思うのだけど……。
まるで皆は私が謝罪したことを以上事態かのように口にしている。それは一体どういう……。
「あの『我儘令嬢』が謝るだなてあり得ません!!」
「コラッお前、その呼び方は不敬だぞ! 『我儘令嬢』……間違ってはいないが!!」
「ですが我儘なお嬢様が謝罪するだなんて、以上事態です!!」
我儘……皆は口々にそう言っている。何のことだ。
そう思ったのも束の間。ようやく私は記憶の整理がつき始めた。
そうだ。私……私ことシズ・ブライドは、ずっと我儘の限りを尽くしていたのだ。
皆をこき使い。気に食わないことがあれば怒鳴り上げ、まるでこの世界は自分を中心に回っているかのような、そんな横暴な態度を繰り返していた。
思い出した途端に、顔に熱が篭っていくのが分かった。
「は、恥ずかしい……!!」
キャラに合わずにそう叫ぶ。
前世での私はそうじゃなかった。寧ろしおらしく、自分で言うのはあれな気もするが、常識人だったのだ。
それなのに、今の身分である貴族令嬢となってから我儘の限りを尽くしていた。
本当に記憶を取り戻してよかった。あのまま我儘令嬢のまま過ごすだなんて、恥晒しもいいところだわ。
「お嬢様! 今お医者様をお呼びしましたので、ご安心下さい!」
複数人の従者たちが一斉に部屋に駆け込んできて、皆は心配そうにこちらを見つめている。
ずっとあんな我儘な態度をとっていたと言うのにここまで大切に思ってくれているとは……余計罪悪感を得てしまう。
「あの……皆さん。そんなに心配しなくても大丈夫……ですよ。私はほら、こんなにも元気ですから」
思わず敬語になりながら軽く体を動かすと、皆は口を大きく開けて悲鳴にも近い声をあげた。
パニックと言っても差し違いない、そんな凄惨な現場となってしまった。
――
「……うん。やはり以上はありません。魔力値が高いようですが、それは以前から変わらぬ事。強いて変化を上げるとすれば、頭にたんこぶができておりますが、ただそれだけです」
「そんな……それならどうしてこの子は……」
お医者様と一緒に、普段はあまり顔を見せない両親が私の部屋までやってきた。
どうやらメイドたちから私の性格が変わったことを伝えられたらしく、心配でやってきてくれたみたいだ。
しかし、どのように説明するべきか。
「前世の記憶を取り戻しました!」なんて言ったら、それはそれで心配される原因になり得ない。
頭を捻らせながら、何とか言い訳を考えてそれを口にする。
「その……何と言うか。心変わりしたんです。みんなが心配してくれている姿を見て、自分を見つめ直したと言いますか……あぁ、もっと私もみんなを大切に出来る人物にならないとな……って」
流石に苦しいかしら……。
そう思ったが、帰ってきた反応は意外な者だった。
「やっと……やっと改心してくれたのね、シズ……」
「そうなってくれる日を、どれほど心待ちにしたことか……」
両親は感極まったのか、薄らと涙を浮かべながら私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
どうやら両親は私の我儘っぷりを問題視していたらしく、いつの日か改心してくれる事を願っていたみたいだ。
それが遂に叶ったのかと思い、不自然に思うどころか喜びを得たらしく、今の私に疑問を少しも感じているように見えない。
「そう言うことなら安心だ。お医者、感謝致します。どうやら仰る通り、シズに以上はないみたいだ。疑って申し訳ない」
「今日はお祝いに、一緒に食事をとりましょう。お姉ちゃんたちも呼んで……いや、それは難しいかしら」
「兎に角今日は久しぶり一緒に食事をとろう。皆、準備に取り掛かってくれ!」
直ぐそばで見守ってくれていたメイドたちに父がそのように指示を出した。
余程浮かれているらしい。私としても、両親がここまで喜んでくれるのは嬉しいことではあるのだが、それよりもまだ記憶の整理をする為にも、1人にしてもらいたいというのが本音ではある。
ただここでそれを言って仕舞えば、以前の通り自分の都合で動く私と変わりない。
今まで我儘を通してきたのだから、今は両親の願いを聞いておこう。そう考え私は、両親と共に食事をしに向かう為に体を起こした。
――
流石貴族令嬢というべきか、出された料理はとても豪華で、記憶の中にある前世で食べていたものと重ねると、あまりの違いに、以前食べていたものがまともとは思えなくなる。
こんな料理を食べれる日がくるだなんて、前世での私は夢にも思っていなかった。
「いただきます……」
フォークを手に取って、食材を口に運ぶ。
シズ・ブライドとなっていつも食べていた料理ではあるが、前世を思い出した今食べると、いつもとは違った感想が出てくる。
いつもはこの程度の料理、貴族である私が食べれるのは当然であると傲慢な考えでいたが、今はまるで楽園にでもいるかのような幸せを感じている。
このような食事を食べさせてくれる両親にも、これを料理してくれた人にも、そして食材たちにも感謝の気持ちが溢れ出す。
前世での私の母にも食べさせてあげたいな。そんな叶わぬ願いが出てきたことは、そっと胸の内に仕舞い込んだ。
「なぁシズ……。心を入れ替えたというのであれば、もう一度話しておきたいことがあるのだが、いいか?」
「何ですかお父様。あらたまって……」
先程の浮かれた態度とは一変して、父は真剣な眼差しを私に向け始めた。何やら真面目な話をしようとしているみたいだが、何のことだかわからず緊張が走る。
「以前も話した魔法教師を雇う件、覚えているか?」
「え、えぇ……覚えています。私も6歳になったことですし、そろそろ雇ってみても……ってお話でしたよね」
何とか記憶を辿りながら返事をする。
魔法教師を雇う。それはどの貴族もやっている事である。
そもそも魔法とは、この世で生きていく上で何よりも大事なものと言っても過言ではない存在だ。
その為、裕福である貴族たちは皆、自分の子供に魔法を教える教師を雇い、魔法の特訓をしてもらうのが基本となっている。
うちの家系であるブライド家は魔法に関して言えば一級の実力であり、今後もブライド家の繁栄を父は望んでいる。
その為1ヶ月ほど前のこと、父は魔法教師を雇い、私に魔法の勉強をしてほしいと話してきていた。
けれど1ヶ月前の私はまだ我儘令嬢。そんな面倒なこと受け入れるはずもなく、辛辣な言葉遣いで断りを入れていた。
「実はな。やはり私としては魔法教師を雇って、シズには魔法使いになってもらいたいと考えているんだ。だからだな……魔法の勉強を始めてみる気はないか?」
父の優しい口調に、思わず二つ返事で「はい」と答えてしまいそうになったが、そうはいかない。
何せ私には……。
「いえお父様……。そんな無駄なこと、する必要はありません。私は魔法が使えませんから」
そう、私は魔法が使えないのだ。憧れではあるものの、それはどこまで行っても憧れであり、夢でしかない。
叶うものではないのだ。
「えっと……シズ。それは誰の話をしているの?」
「え、誰のって……」
「シズ。お前はブライド家の人間なんだぞ。魔法が使えないなんてことあるはずがないじゃないか。むしろ、魔法の才能は他の者よりも長けている」
私は誰の話をしていたのか。どうやら頭がこんがらがっている。まだ前世との区別がついていないんだ。
私は魔法が使えない……いや違う。それは、以前の私であって、シズ・ブライドとしてではない。
つまりは私、今の私は魔法が使えるのかしら。
え……。
もしそうだとすれば、本当に使えるのだとしたら……今度は夢を諦めなくて……いいってこと?
何か大事なことに気がついたら私は、途端に席を立ち上がり、部屋を飛び出していった。「どこに行くの!?」と心配する両親の声が聞こえてくるが、それに答えていられるほど、今の私は冷静ではいられない。
玄関までたどり着くと、そのまま外へと出て太陽を浴びる。ただ晴れているだけだというのに、この世界が私を照らすスポットライトかのようにすら思えた。
今なら本当に使えるのだろうか。魔法が、私の憧れていた存在が……。
前世で何度も口にした。何度も学んだ。何度も望んだ魔法詠唱を口にする。
「光……」
呟くように、自信のない私はそのように唱えると、自身の周りに複数の光が舞い始めた。
これは単なる下級魔法。勉強さえすれば誰でも扱える魔法であるが、これを私はいつの日か発動できる事を、心の底から望んでいたのだ。
父が死んだ夏の夜。悲しみに暮れる私に、母はこの魔法を使って私を慰めてくれた。
その時からだ。魔法に触れてみたいと思ったのは。結局前世では叶わず、終わってしまったけれど……。
「シズ……あなた、魔法が使えたの?」
「何処で……いや、いつ練習したんだ?」
駆けつけてきた両親が私の魔法を見て、不思議そうにそう尋ねてくる。
「……ずっと、ずっと昔に……」
ぼそっと聞こえない程の声量でそう呟いた後に、私は魔法を発動させながら両親を見つめた。
今の私ならなれるのだろうか。そんな先程から繰り返す自問自答を再びしてみせる。
けれど先程と少し違うのは、もう既に答えは出ているということだ。
(目指してみよう今度こそ、叶う可能性が少しでもあるのなら……)
私は両親に、そして世界、何よりも自分に宣言するかのように、口を開いた。
「私、最強の魔法使いを目指します」
妄言や虚言ではなく、実現に向けて動きだそう。
かつては夢を持つことすら出来なかった存在でありながら、無謀にも最強を目指すだなんて馬鹿げていると自分でも感じながら、それでも前世での未練を晴らすかのように、私は歩みを進めた。