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フェリクス・フォン・ヴァルモーデンの愛は重い? 後編

本日2話目後編です

2話に分けたけど、少し長め

 屋敷に戻って夕食後、私とリーシャは人払いをした談話室で向かい合っていた。

 今朝方リーシャに話があると言われ、この時間が一番落ち着くだろうと彼女を誘った。

 目の前には、ショコラとアルコールをいくつか用意してある。

 私は彼女に好みを尋ねて、ブランデーに大きめの氷を入れ彼女の前に置いた。私は同じ物をストレートで用意する。


「この時代にはもう、セントラルヒーティングが普及していたんですね」


 唐突に、リーシャはしみじみとそう言った。私は口を開かずに彼女を見つめる。

 おそらく、これからの話は未来の技術的な分野にも及ぶのだろう。彼女を理解するために、私は真剣に向き合った。

 リーシャがブランデーを一口含んで、氷を回しながら口を開いた。


「この時代の遺伝学ってどのくらいのレベルなんでしょう?」


 セントラルヒーティングの話からかなり飛んだ話題に、学生時代やら最近のニュースやらから記憶を引っ張り出す。


「私が学んだ遺伝に関する知識は、メンデルの法則とショウジョウバエを使った優生学の証明くらいか?」


 かなり朧気な記憶だが。


「ヒトについては?ヒトの染色体はいくつか知っていますか?」


 ??染色体?さあ?聞いたこともない。


「いや」


 首を振った私に、リーシャはしばらく考えるように目を伏せた。

 やがて顔を上げると、ゆっくりと話し出す。


「……これから先遺伝学は、貴方が想像できないほど、素晴らしい発展を遂げます。特にコンピューター、以前提出した装備にもありましたけど……その性能が向上したことで人間の遺伝子はかなりの部分まで解明され、その改変も行われるようになりました。

 私は、その遺伝学の最先端の知識を駆使し、産み出されたデザイナーズベイビーであり、人体の一部を人工物、機械と言ったほうがわかりやすいかしら?に置き換えたサイボーグと呼ばれるものです」


「デザイナーズベイビー?サイボーグ?」


 リーシャの言っていることが、半分も理解できない。良くわからない言葉が出てきて、思わずそのまま聞き返した。人間の遺伝子の解明とか改変の意味も、どういうことなのか?

 混乱している私を見たリーシャが、噛んで含めるように説明し直す。


「人間が身体の一部を機械化しても上手く適応出来るように、ヒト遺伝子を選別して一部組み換えなどして、優生学の粋を極めたヒトを創り出し、その適性が認められて、身体の一部を後天的に機械化した機械化人間と言えばわかりますか?」


「遺伝子の選別や組み換えをして、優れた人間をつくり、機械を埋め込んでも問題がないようにした、と……だが、君は身体の弱い双子の弟がいた、と言っていなかったか?」


 自然に生まれたのではなく、造られた人間で機械化したらしい事はわかったが、双子の弟がいたのならそれは普通に産まれたということじゃないのか?

 疑問に思うまま、口に出した。


「未来では子に恵まれない親が、体外で卵子と精子を掛け合わせ受精させた受精卵を、子宮に入れ妊娠させる技術が発達していました。試験管内でそれを育てるよりも、健康な母親の子宮で胎児を育てたほうが、生後の発達に良いんです。私とシャルルはその母親の胎内で双子として育ち生まれました。

 私は、ミスだったのか作為的だったのかはわかりませんが、母親の胎内にシャルルの受精卵と一緒に入りこんだのです。受精卵はきちんと着床しないこともあるので、子宮に複数個戻されますので」


「では、君は」


「両親の遺伝子を継いでいたのはシャルルだけでした。でも、私のことも彼らは同じ様に育ててくれましたよ。私もシャルルを弟として愛していました」


「幼い頃から、私は突出した知能を持ち、政府に登録されていました。16歳になった時には高等教育を修了し、軍からの勧誘を受け、私が開発されたデザイナーズベイビーであることを知りました」


「機械化とは、君の左眼と耳のこと?」


「……全ての骨格と脳の一部、左眼左耳、手足は、生体組織や金属を使った機械ですね。残りの脳と感覚器、体幹部の内蔵はいじっていませんよ。遺伝学の技術で傷が治りやすく痕にならないとか、免疫力が非常に高くて感染を起こしにくいとか、老化が緩徐だとかはありますけど……

 身体の成長が止まった18歳のときに、機械化する手術をしました」


「でも、君は以前脚を怪我していた」


「はい。生体組織ですが、血管は通っていますから。手足に関しては荷重などの負荷に耐えるために特殊金属でコーティングされた骨格を生体組織の筋肉や皮膚で覆っていますけど、基本的には人体と変わらないんです。傷の治りは早いし痕も残りませんが」


「なんていうことを……未来の人間は……」


 こんな、まるで神への冒涜だ。リーシャは、未来でも孤独だったのか!!

 技術や研究の進化はこんなにも、人間の生の神秘や、人の意志や想いを置き去りに、権力者が都合よく、国のためだという大義名分のもとに、使われているのか?

 私は、人の所業の愚かさに思わず呻いた。

 そんな私に、リーシャは淡々と表情を変えずに続けた。


「そうですね。ですから私と共にいるという貴方は、知っておかなければなりません。私が死ぬことがあれば、溶鉱炉か火山口に放り込んで私を完全に消失させるか、超高温ガスなどで全てを焼き払って下さい。遺伝子の一欠片も残らないように。それが出来ないのなら、私はここを出て自らを葬る場所を探します」


「本気……なんだな」


 私は彼女の真意を探るように、その瞳を覗き込んだ。

 それは、彼女の遺伝子を持つ子供も作らないということだ。


「ええ」


 迷うことなくはっきりと頷いたリーシャに、私の答えは一つしかなかった。


「わかった。受け入れよう」


 いろいろと腑に落ちたこともある。彼女の能力や身体に見合わない筋力など。だが、きっと本気を出せば、人間を大きく越える能力を発揮することも出来るのだろう。

 私がゆっくりとブランデーを飲んだのを見て、彼女は寂しそうに笑って言った。


「私が、怖くなりましたか?」


 菫色が揺れている。


「いや。ただ哀しく思うだけだ……君のその華奢な身体であまり力仕事が入らないようにも配慮しよう。不自然に見られないように」


 怖いという感情を彼女に覚えるはずがない。私は、リーシャが存在しない世界のほうがよほど怖ろしい。

 私は、せめて彼女が過ごしやすい環境を作るだけだ。ここでは可能な限り、リーシャが孤独にならないように。


「ありがとうございます。この体型は、手術前の18歳のままなんです。でも車1台位なら持ち上げられますし、建物3階位の高さなら跳躍出来ますよ?」


「やめてくれ、頼むから」


 うん、それは聞かなかったことにしよう。


「はい。そうします」


「あと、脳の一部をと言っていたが、支障はないのか?」


 脳は、繊細な臓器だと聞く。そこを一部機械化していることに問題は無いのか気になった。


「脳の機能もだいぶん解明されているので、記憶が消えたり、暴走したり、性格が変わったりとかは無いですよ。小型の高性能チップが、知識の補充や記憶力の向上、計算処理速度を上げてくれたりはしますけど。

 狙撃が早くて正確なのは、そこに依るものが大きいです。他の外部機器との連動も可能なんですが、ここでは役に立たないので」


「そうか……一つだけ約束してくれ。私の前から黙っていなくなることだけはやめて欲しい」


「わかりました。約束します」


 脳にも特に影響はなく、彼女も黙ってここを去ることがないという確約が出来て、ほっとする。


 私はリーシャが何者であろうが、私の傍で共に生きてくれればそれで良いのだ。






 そして、1ヶ月半は瞬く間に過ぎ、王家主催の祝賀会の日となった。

 少尉以上の将校と貴族籍の軍人、そしてそのパートナーに夜会の招待があり、その他の兵士には報奨金が支払われた。

 本来ならリーシャも報奨金の支払いだけで済むはずであったが、事情を知る王族との面会が取計らわれたため、参加要請があったのである。


 ヴァルモーデン侯爵夫人の強力なコネで、短期間で仕上げられたドレスは、リーシャの為に誂えただけあって、最近彼女のドレス姿を見慣れた私でさえも、暫し固まるほどリーシャの美しさを引き出した出来だった。


 非公式な場で行われた国王と王太子との面会で、私とリーシャは戦功を労われ、いくつか事情を尋ねられたが、想定の範囲内の質問で無難に対応して解放された。


 そして……


「随分と化けたな?どこの令嬢かと思ったぞ?」


「ありがとうございます?と申し上げればいいのでしょうか?」


「中佐、レディにその言いようは、流石に……」


「そうですよ。だから30過ぎても嫁の来てがないのでは?」


 会場でジェイラード中佐に出会うなり、褒めてるんだか貶しているんだかわからない言葉をかけられ、リーシャがそれにこやかに答え、マクベル中尉が慌てて諌めたが、私も一言嫌味も含めて申し添えておく。

 案の定、中佐がギロリと私を睨んだが、事実だしリーシャに暴言を吐いたので謝るつもりもない。


 現に今日リーシャは、この会場の誰よりも美しいと思うし、所作も完璧だ。パートナーのいない男性の視線が、かなり鬱陶しく、それだけが不満だった。

 そんな私に多分中佐は気づいたのだろう、呆れたような視線をこちらに投げて言った。


「リーシャ、うちの両親がお前に会いたがっている。フェリクスからうちの養女にと打診されたんだが、結構乗り気でな。受ける気はあるか?」


 これには私も驚いた。

 まさかロッソー伯爵家が受けてくれるとは思ってもいなかったのだ。私は中佐に尋ねた。


「あの話、本当によろしかったのですか?」


「俺の父はお前も知っての通り、陸軍の大将だ。北部地域の戦況についても俺の話でいろいろ含めて理解している。リーシャを守る為に、結構大きな盾になると思うぞ?」


 陸軍大将であるロッソー伯爵は、中佐の言う通り軍の最高幹部の一人だ。これからリーシャが軍で従事し続けるなら、これ程心強いことはない。


「中佐。お心遣いありがとうございます。フェリクス?お受けしてもよろしいでしょうか? 私は、許されるなら、これからもこの国の陸軍に従事したいと思います」


 リーシャが私を見上げて、そう尋ねる。もちろん私が願ったことだ。

 私は態度を改めて、中佐に頭を下げた。


「ありがとうございます。とても心強いお話で、ぜひお願いしたいです」


「ふん。じゃあ行くぞ」


 そう言って中佐が歩き出す。私とリーシャもそれに続いた。




「まあ、なんて綺麗なお嬢さん!貴女がリーシャさんなのね?」


「お初にお目にかかります、ロッソー伯爵夫人。リーシャ・クラウベルと申します。ロッソー陸軍大将、お会いできて嬉しいです」


 中佐が、ロッソー伯爵夫妻にリーシャを引き合わせると、伯爵夫人が嬉しそうに声を上げた。まるで実家の母上を再現しているようだ。

 リーシャが片足を引いて、完璧なカーテシーを披露する。

 夫妻はそんな彼女を感心したように眺めると、今度は大将が柔らかな表情で続けた。


「楽にしてくれ、リーシャさん。息子から君の話を聞いているよ。君はこの国に多くの益をもたらしてくれた。公に出来ない事もあるが、私は君に感謝しているよ。

 今回の君を養女にという話、君さえ良ければ喜んで家の娘として迎えたい。ヴァルモーデン少佐、君もそれで良いかな?」


「大将、ありがとうございます。こんな心強いことはございません。何卒よろしくお願いいたします」


 私とリーシャは、揃って頭を下げる。

 するとロッソー伯爵夫人が、コロコロと笑いながら言った。


「もう!リーシャさんもヴァルモーデン少佐も頭を上げてくださいな。ご存知の通り、うちには面白くもない息子ばかり。こんな素敵なお嬢さんが来てくれたら、私もとても嬉しいわ!息子の誰かと結婚してくれてもいいのよ?」


 は?ロッソー家の息子の誰かと結婚?

 そういう話なら、この話は無かったことで構わない。リーシャを他の男に奪われる位なら、大将の後ろ盾などゴミ以下だ。私の顔から、表情が抜け落ちていくのがわかる。私が断りの言葉を口にしようとしたその時、中佐が慌てて割って入った。


「やめて下さい母上、血の雨が振ります。それにリーシャはこう見えてうちの三兄弟の誰よりも強いですから。うちの嫁には、もっと穏やかで優しく、か弱い女性の方が良いと思います」


「そうですね。ジェイラード様の理想に私は程遠いようなので、それはご遠慮しますわ。

 でも伯爵夫人?仲良くしてくれると嬉しいです」


 リーシャも私の腕を取り、宥めるように身を寄せ、ロッソー伯爵夫人にそう答えた。その様子に私の気持ちも落ち着いていく。

 すると、目の前の大将が、噴き出すように笑いだした。


「ハハハッ!ヴァルモーデン少佐、君のそんな姿を見ることになるとは思ってもみなかったよ。セイラ、令嬢泣かせの氷の貴公子と評判の少佐が、君の軽口に過剰に反応するくらい、我が義娘に夢中なんだ。うちの息子の嫁には諦めて、嫁に出すことを考えた方がいいぞ?」


「まあ、それはそれで腕がなりますわね。楽しみです」


 ロッソー夫妻はそう言って楽しそうに笑い合うと、「後日改めて」と去っていった。

 見送ったリーシャが、首を傾げて呟く。


「?どうして私が、嫁に入るとか行くとかいう話になっているんでしょう?」


「自覚ないのかお前?」


 中佐が呆れたようにリーシャを見た。

 いや、まだ私からは何も言っていないのだから当然だ。


「中佐」


「ああ……わかった。周囲の平穏のために、早目になんとかしてくれ。じゃあ、またな」


 私の言いたいことを察した中佐は、肩を竦めるとそんな事を言って、両親の後を追っていった。


「大丈夫ですか?フェリクス」


 リーシャが私を見上げて、心配そうに尋ねる。私も表情を緩めると、彼女に答えた。


「ああ、何も問題ない。ロッソー伯爵夫人は冗談がお好きなようだ」


 私はそう言って彼女の腰に手をやり、エスコートする。サーバーを呼び止めて、飲み物を一つ受け取った。


「シャンパンで良かったか?」


 そう言ってリーシャに手渡してやる。彼女が嬉しそうに受け取り、私も同じ物をもらった。口にすると冷えた炭酸と爽やかな香りが喉を滑り落ちていく。

 リーシャが私を見て、肩の力を抜き緩く微笑んだ。


「ロッソー伯爵家への養女の件、フェリクスが考えてくれたんですね。ありがとうございます」


「いや、軍の中で融通が効くと思ったまでだ。気にすることじゃない」


「それでも……助かります。ありがとうございました」


 リーシャが浮かべる微笑に、私の心も暖かくなる。彼女が嬉しそうにしているのを見るだけで、彼女の為なら何でもしてやろうと思うのだから、私も単純だ。


「よう、フェリクス。リーシャも今日はめかしこんだな」


 顔を見合わせて笑い合っていた私達に割り込む声があった。振り返るとキース大尉とジェイラード中佐の副官であるラファエル少尉だった。


「ああ、お前達か」


「こんばんは。キース。えっと……ラファエル少尉」


 リーシャが2人が揃っていることに首を傾げながら挨拶をする。彼女の疑問を読んだように、キースが2人の関係を説明した。


「ああ、俺達士官学校の部活の先輩後輩なの。チェス部」


「え?キース、チェスやるんですか?」


「あれ?食い付きいいねえ?」


「好きなんです!チェス!今度相手してください!」


 私達は一様に、リーシャの意外な趣味に驚いて、話が弾む。

 すると別の声が、私に呼びかけた。


「フェリクス様、お久しぶりです。この度はお勤めお疲れ様でした」


 振り返ると、見覚えのある女性だった。私は彼女に向き合い、淑女に失礼のない笑顔を作ると、胸に手を当てて軽く頭を下げる。


「これはウィステリア侯爵令嬢、お久しぶりです。今日はどなたかのパートナーとしていらっしゃたのですか?ご婚約おめでとうございます」


 この場は、招待を受けた軍人とそのパートナーが集まる夜会だ。軍属でない彼女がこの場にいるということは、つまりそういうことだろう。

 以前より、何度もしつこく婚約の打診を受けてきたが、やっと諦めてくれたのかとほっとする。しかし、傍らにパートナーを連れてはいないことに、私は嫌味も込めて、そう返した。


「まあ、嫌ですわ、フェリクス様。私まだ婚約なんてしておりません。

 今日は急遽来られなくなった母の代わりに父と共に参りましたの。父がフェリクス様とお会いしたがっておりまして、どうかご一緒していただけませんか?」


 どうやら、父親に付いてきて、その権力を使ってこの場に現れたらしい。これはウィステリア侯爵に釘を刺したほうが良さそうだ。

 私はリーシャ達を振り返って言った。


「キース、リーシャを頼めるか?ちょっと行ってくる」


「了解。あまりやり過ぎんなよ?」


 キースの言葉に、思わず上がった口角が隠せない。「怖っ」と呟いたキース達を置いて、私は令嬢と共に彼女の父親であるウィステリア侯爵のもとへ向かった。


「お父様、フェリクス少佐をお連れしました」


 ウィステリア侯爵令嬢は、勝手に私の腕に手を掛け、嬉々として父親に引き合わせた。

 陸軍の少将である侯爵は娘を可愛がるあまり、その地位を傘に常識に欠けた振る舞いをしているという自覚がないらしい。


「おお!久しいなヴァルモーデン少佐。この度は多くの戦功を立てての凱旋おめでとう。そろそろ君も身を固める気になっただろう? 娘はずっと君を想って、帰りを待っていたのだよ? そろそろ婚約を整えようじゃないか」


 ふざけた物言いに心が冷えていき、湧き上がる怒りを必死に抑えて、言葉を返す。


「ウィステリア侯爵。そのお話は何度もお断りしているはずですが、ご記憶されていないのであれば、そろそろ仕事にも支障をきたされるのではないですか? それに本日はパートナーのみ同伴の許可が出ているはず。令嬢がこの場にいることが許可されていないことは、少将の貴方ならよくご存知のはずですが?」


 私の嫌味に、侯爵の頬が引き攣った。


「君のパートナーとすれば問題なかろう? 生まれも怪しい下品な女を連れているという噂だが、その女がこの場にいる方が可笑しいんじゃないかね?」


 彼は、私の地雷を踏み抜いた。


「彼女は軍人で、この戦争で大きな戦功を立て、国王陛下からご招待いただき、先程直々に労いの言葉を賜りました。そして、ロッソー伯爵家に養女として迎え入れられることになっております。我がヴァルモーデン侯爵家も彼女を認めております」


 彼女の立場をわかっていないらしい愚かな男に、私は淡々と説明してやる。


「そんな!フェリクス様!私はずっとお待ちしておりましたのに……」


「先程から馴れ馴れしく名前を呼ばれて非常に不快です、ご令嬢。ウィステリア侯爵も私の愛するリーシャを貶める発言の数々、我が侯爵家もロッソー伯爵家も決して許しませんよ?」


 煩い令嬢は横目で睨んで黙らせる。

 ロッソー伯爵家は、歴史的に軍部では名門の家だ。そして、我が侯爵家も父や兄や私の事業はどれも成功し、経済界や社交界での地位は非常に高い。その2家を敵に回せば、軍でも社交界でも生きては行けないだろう。

 私はリーシャの為になら、容赦なくこれらの力を振るうつもりだ。

 その意図が通じたのだろう。ウィステリア侯爵が悔しげに表情を歪める。


「くっ……シャーリー、諦めなさい。お前には私が別の者を紹介しよう。失礼した、ヴァルモーデン少佐」






 あの後、早々にリーシャを連れて会場を後にして、屋敷に戻ってきた私達は、今、部屋に向って歩いている。


「フェリクス、大丈夫でしたか? なんだかいろいろあった夜会でしたね」


 心配そうに私を見上げるリーシャに、思わずため息をついて口にしていた。


「私は、君を囲い込んでしまっているな」


 リーシャはそれに軽く笑うと、視線を前方に戻して言った。


「……私は、未来でもこの時代でも、本質は猛獣です。戦いに身をおいて高揚する心を抑えられない。そしてこの身体は、この時代では人々の脅威になる。だからきっと、私を人間に留めおいてくれる枷が必要なんですよ。未来ではそれが、弟のシャルルでありジルベルトだった。ここではきっと、フェリクス、貴方なんでしょうね」


「君は……こんな私を許してくれるのかい?」


 リーシャを見下ろし、その髪を飾る金とエメラルドの細工を見ながら、私は尋ねた。

 すると、こちらを向いたリーシャの、いつもの菫色と目があった。


「パレードでの襲撃事件の時、狙われていると伝えても、貴方はまったく動じなかった。私を全面的に信頼してくれているんだなって、嬉しくなった。背中を預けてくれて、でも、軍の上層部とか王家とか……或いはこの時代に一人放り出された孤独から、私を守ってくれている。だから、私も貴方に背中を預けていられるんですよ」


 思わず、私の歩みが止まる。君はいつだって、こうやって私を落としていくのだから、たまらない。

 君から寄せられる信頼が、嬉しい。だから、そのままの気持ちが溢れていく。


「君のことは無条件に信頼も信用もしている。私の身体も心も命さえも、君に預けていることに、私は幸せを感じているよ。煩わしい外野の排除は……君と共に在ることが私の存在意義になっているからね。私のためにしていることだ。でも君からの信頼を得られているというのは、とても嬉しいことだね」


 それを聞いたリーシャは、思わず目を瞠って、小さく呟いた。


「重っ。依存体質?やばいなあ……でも自立もしているし自己肯定感もそこそこ高いし、分別はついている?」


 私は、可笑しくなって噴き出した。

 彼女の背に手をやり、再び歩き出す。


 いつか、ただの枷としての信頼だけではなく、男として私を愛してくれるようになることを願っているよ。

 君の全てを手に入れたい……と暴れている私の奥にある欲は、まだ君には見せられないけれど。

 これでも私は、健康な成人男子だからね?


「え?なんだか、ちょっと背筋がゾクゾクするんですけど」


 でもまあ、今のところは逃がしてあげよう。


「風邪でもひきかけているのかな?暖かくして寝るんだよ?」


 そう言って私は、リーシャの部屋の扉を開けて、背を軽く押し、彼女を部屋にと促す。だがその時、ふと眼の前に晒された彼女の無防備な白い項に、歯を立てたくなる衝動が沸き起こり、それを抑えることが出来なかった。

 惹き寄せられるように、半ば無意識に噛みついた私に、


「うわっ!ちょっと何するんですか!」


 と、上がる彼女の肩を押さえて、軽く噛み跡をつけて吸い上げた。咲いた赤色に所有欲が満たされる。


「ごめん。今日のことをいろいろ思い出したら、つい」


 今のところは、これで満足だ。


「はあ、そうですか。まあ、これで気が済むなら、いいのか?」


 そう言って、首を傾げ、噛み跡に手を伸ばした彼女に笑いがこみ上げてくる。

 ほら、君はそうやって簡単に私の束縛を許してくれるから。この欲が止まらなくなる。


 私は、これ以上彼女に襲いかからないように、「お休み」と言って、目の前の扉を締めた。


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