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フェリクス・フォン・ヴァルモーデンの愛は重い? 前編

長くなったので前後編に分けました

 

 溢れる幸せに胸が暖かくなることがある

 彼女が私を見て、その菫色の瞳を緩ませてあどけなく笑うとき

 私を想い、そっと寄り添ってくれるとき

 絶対的な信頼を持って、互いの背中を預けるとき


 時々ひどく遠い彼女との距離が、苦しくなる

 隔てられた遥か未来に生きていた彼女の生き方だったり

 そこに残してきた恋人や、亡くしてしまった弟への思慕だったり

 この時代とは相容れない価値観の違いだったり


 もどかしさに辛くなるのは

 私を助けたことにより、失われてしまった彼女の帰るべき未来の時間軸を想うときに

 彼女が感じる孤独とか寂寥とか喪失に寄り添えず、共に分かち合えないとき


 そんな様々な感情に強く心を揺らされるのは

 彼女にどうしようもなく

 焦がれ、惹かれ、求めて、囚われているから


 襲撃のときも、あの獲物を狙う肉食獣の様な視線に

 敵を見つけたときの獰猛な微笑みに

 絶対王者の様な圧倒的な狙撃に

 背筋が震えるほどの高揚と興奮そして憧憬を覚えた


 私の運命

 私の唯一

 私の女神


 リーシャを知らなかった頃の私は、一体どうやって生きていたのだろう?

 もう、それも思い出せないほど、私は彼女に侵食されている


 だから私はリーシャを手離すことは出来ない

 そして彼女はそれを拒まないから

 私は期待してしまう

 いつか私達が互いにとって至上の一対になれることを





 昨日は、およそ1年半ぶりの王都への帰還にも関わらず、パレード中の狙撃やらその後処理、その他諸々雑事に追われ、帰宅したのは22時を回っていた。

 帰宅と言っても、実家のタウンハウスではない。


 私は5年ほど前、兄が結婚したのを良い機会と実家である侯爵家を出て、軍本部に近いこの屋敷を購入して住み始めた。もとは、どこぞの子爵家の持ち物だったらしいが、貴族の邸宅にしてはこじんまりとしていて、管理もしやすく気に入っている。

 執事や料理人も含めて使用人は10名ほどだが、口の堅い誠実な者達を選び、余計なことに煩わされることなく、快適に過せ、留守も安心して任せられた。

 いくつか事業も経営しているが、意思決定さえすれば後は管理を任せておける片腕も、ここで執事と一緒に留守を守ってくれていた。


 昨晩は帰宅時間が遅く、執事と、リーシャの部屋付きとなる彼の妻であるメイドに、簡単に挨拶と紹介をしてそのまま別れたが、リーシャはもう起きただろうか?


「8時か……リーシャはどうしてる?」


 私は起床後、執務室で留守中の書類を確認しながら、傍らの執事ギルバートに尋ねた。

 ギルバートは私の尋ねることを予想していたように、スラスラと答える。


「お嬢様は2時間程前にはお目覚めになられて、マリアがお召し替えのお手伝いとお茶をお出ししたところです。本日は早い時間に侯爵家にいらっしゃるとのことでしたので、既にお支度も整えていると思います。食堂に朝食の準備が出来ておりますが、どうされますか?」


「流石だな。だがリーシャには少々窮屈な思いもさせたかな。ではついでに屋敷の皆に彼女を紹介するから、食堂に集めておいてくれ。リーシャは私が迎えに行こう」


 ギルバートにそう指示すると、私も書類を置いて、執務室を出る。彼女の部屋は2階の奥、私の寝室の隣。本来なら女主人が使う部屋だ。

 私は扉を叩いて、声を掛ける。


「おはようリーシャ、私だ。入るよ?」


「どうぞ」と声がしたので、そのまま扉を開けて部屋に入る。



「おはようございます、フェリクス」


 部屋のソファに浅く腰掛けて、マリアと話しながら茶を飲んでいたのだろう。朝の柔らかな光に照らされて、こちらを見たリーシャに私は息を呑んだ。


 もともと綺麗な女性だとは思っていた。いつも無骨な軍服を着て化粧っ気のない普段の彼女だって充分美しかった。しかし……この様に女性らしく装い、薄いながらもきちんと化粧を施し、姿勢良く優雅に腰掛けているリーシャは、私の想像を遥かに凌ぐ美しさで。

 目を瞠ってリーシャに見惚れていた私に、彼女付きのメイドとなったマリアが声をかけた。


「おはようございます、ご主人様。とてもお美しいお嬢様で、衣装選びにも熱が入りましたわ。予めおおよそのサイズをお聞きしていくつか揃えておりましたけど、一度きちんと採寸されたほうがよろしいかと思います。今日のドレスは調整が効くものでしたからなんとかなりましたが……」


「ああ、そうか……そうだな、任せる」


 なんとかそう答えた私に、リーシャは少し申し訳無さそうに微笑んで言った。


「何から何まで整えてもらってすみません。この部屋もとても快適で、昨晩はとても良く眠れました。ありがとうございます」


「いや、気に入ってくれたら良かった。朝早くから慣れない支度をさせて悪かった。午前中に外出するから朝食にしよう。この屋敷の使用人にも紹介する」


 彼女が頷いて「はい」と返事をすると。私はようやく平常心に戻った。ソファに近づき、リーシャに手を差し伸べて、その手を取るように促す。

 そして、右手を乗せて立ち上がった彼女の姿をもう一度眺めた。


 淡いプラチナブロンドを編み込んで結い上げ、小さなエメラルドの付いた髪飾りを挿している。白い陶器のような肌に薄く頬紅をさし、大きく輝く菫色の瞳を縁取るいつもはヘーゼルの長いまつ毛は、今日は黒に近い色でキレイに上向きにカールして、瞼にのせたブラウンのシャドウと共にその瞳を強調していた。まつ毛と同色のヘーゼルの眉も整えられ、通った鼻筋に向け美しく弧を描いている。唇も瑞々しいベージュピンクを乗せていて、口吻けたくなるのに我慢が必要だった。

 小さな頭を強調するように細く伸びる首筋が露わになったドレスは、上品な紺色。アフタヌーンドレスのためデコルテはそんなに開いてはいないが、紺色のベルベット生地が白い首元を際立てて見せる。背中は黒のリボンで編み上げてサイズが調整できる様になっているが、その間からリボンと同色のレースが覗いている。細いウエストから下は、あまり膨らみのないスカート部分が、足首まで覆っていた。


 この華奢な貴婦人が、普段どうやってあの重い装備を担いで、大の男達に引けをとらずむしろ誰よりもタフに実戦を熟しているのだろう。徒手格闘も彼女に敵うものはうちの隊では私ぐらいだ。今まで彼女のこんな体の線が出るような格好を見たことがなかった私は、ついつい不躾に彼女をじっと見つめてしまっていた。


「ご主人様、見惚れるのは結構ですが、そろそろ皆さんお待ちですよ?」


 マリアの声に私はハッとして、リーシャと視線を合わせる。リーシャが困ったように苦笑していた。


「後でゆっくり時間をとってもらえる?貴方に話があるの」


 そう小声で囁いた彼女に私は頷くと、彼女を食堂へと案内した。




「リーシャ・クラウベル嬢だ。兼ねてから知らせておいた通り、この屋敷で暮らすことになる、私のとても大切な客人だ。そして、皆には屋敷外に決して漏らすこと無く知っておいて欲しい事がある」


 屋敷の全ての使用人が集まったこの場で、私は彼女を紹介する。この屋敷にこれからずっと住むことになるリーシャの事情を一部明かしておくことは、ここに帰る前に彼女と打ち合わせて決めてあった。


「俄には信じ難いだろうが……彼女はおよそ220年先の未来からこの時代の戦場に、不本意に飛ばされてきた。信じるも信じないも君達の自由だが、彼女はここでただ独りきりだ」


 使用人達が驚きに息を呑んだのをみて、私は一旦言葉を切る。

 しばらくして、どうやら内容を咀嚼したらしい様子を見て、再び続けた。


「毎日彼女と接する君達は、彼女の言動に違和感を感じることもあるかもしれない。だが、それを理由に彼女を貶める事は、やめて欲しい。彼女は二度も私の命を救い、この国の勝利にも大きく貢献している。どうか私に仕えるのと同様に彼女のこともよろしく頼む」


 そう言って軽く頭を下げた私の腕に、リーシャがそっと手を添える。振り向くと緩く首を横に振って微笑んで言った。


「そこまで言わなくても、貴方が選んだ方達でしょう?大丈夫ですよ。すみません。厄介な事情があるのですが、よろしくお願いします」


 リーシャも私の横で頭を下げる。


「どうぞお顔をお上げ下さい、リーシャ様。私達の主人がとても大切にされている唯一のお嬢様です。この屋敷で居心地良くお過ごしいただけるよう、我々誠心誠意お仕えさせていただきます」


 ギルバートがそう言って綺麗に礼をし、残りの使用人たちも笑顔で頭を下げたのを見て、私はほっと息をついた。


「では朝食にしよう」


 そうして、リーシャの紹介を無事に終えたのだった。






「あらあら、まあまあ!フェリクス!無事に帰って来てくれて、しかもこんな素敵なお嬢さんも連れて来てくれて、嬉しいわ!」


 実家に帰ったら、両親と兄夫婦が玄関ホールまで迎えに出てくれていた。やけに上機嫌な母上が、私の隣に控えていたリーシャの手をとり歓迎する。

 ここに来るまで緊張していたリーシャも、そんな母上にホッとしたように微笑んで、


「はじめまして。リーシャ・クラウベルと申します」


 と挨拶を返す。

 母はそれに満足すると、今度は私を軽く抱擁した。

 私も母に軽く手を回し、そっと抱擁を返す。


「ただいま帰りました母上。父上、兄上、義姉上もお変わりなさそうで良かったです」


「お帰りフェリクス。そしてリーシャさんもいらっしゃい。歓迎するよ。とりあえず奥にどうぞ」


 父上が笑顔で歓待し、応接室へと促した。


 1ヶ月半後に控えた王家主催の慰安を兼ねた戦勝祝賀会に、リーシャが出席要請を受けているので、母上にドレスの手配とマナーの講義をお願いしていた。

 今、リーシャは母上と義姉上に連れられて、採寸と衣装選びに行っている。残されたのは、私と父上と兄上だ。


「それで、フェリクス。詳しい話を聞かせてもらえるのかな?」


 女性陣が賑やかに部屋を去り、使用人を下がらせた私に、父上が言った。もちろんその話をするためにここに来たのだ。私は早速本題に入る。


「はい。父上、兄上も、これから話すことは、軍の上層部と王家は把握していますが、基本的には情報を公開しないつもりです。彼女についてなにか噂が立っても否定も肯定もせず、というスタンスです。

 リーシャは約220年先の未来から、突然北部地域に現れ、偶然に私の命を救ってくれました」


「何?」「それは事実なのか?」


 2人は想像もできない内容に、驚愕の表情で動きを止めた。

 当然の反応に、私は2人の目を見て、しっかりと頷いた。


「彼女は未来で職業軍人だったと。階級も大尉でした。身に付けていた装備品は、とても現在の技術では推し量ることすら出来ない高度なもので、その殆どを軍の上層部を通して、技術開発部に提出し、彼女の話が事実であることが証明されました」


 一度言葉を切って2人の反応を伺う。視線で先を促されたので、私はそのまま続けた。


「彼女は優秀な狙撃手で、唯一彼女が手元に残した武器は、彼女専用に造られた狙撃銃。リーシャはそれで2Km程度なら100%、3Kmなら80%の命中率で精密射撃が可能です。昼でも夜でも」


「なんだって!?」


 2人の声が重なった。無理もない、荒唐無稽な信じられないような話だ。今の技術では。


「私はリーシャに戦場でも、そして昨日のパレード中の狙撃事件でも、命を救われました。また、アデルの街の奪還作戦では、夜間にあの街に配備されていた敵の戦車15両、そのエンジンと燃料タンク、そして砲弾充填部分を、対物狙撃銃の弾丸30発で全壊させ、作戦の成功に大きく貢献しました」


「……とても想像出来ないが、事実なのだな」


「一度だけでなく二度も、フェリクスの命を救ってくれたのか」


 父上が噛み砕くようにリーシャの話を受け入れ、兄上は彼女が私の命を救ってくれたことに感謝の念を持って呟いた。


「ええ。ですが、リーシャはこの時代この世界に孤独です。私は彼女に寄り添い、彼女の一番近くで共に生きていきたい。ですから、今日ここに連れて来ました」


 私は、2人に改めて向き直る。もし、受け入れてもらえなければ、絶縁する覚悟も持って、父上に対峙した。


「父上、お願いです。どうかリーシャに結婚を申し込むことを許して下さい」


 私の言葉に、父上は頬を緩めて答えた。


「もちろんだよ。フェリクス。今は昔ほど貴族の婚姻に制限はないし、君は戦争でこの国の為に素晴らしい戦功を立ててくれた。それに次男だ。アレベールにもクリスがいるしね」


「ああ、イルマのお腹には今もう一人子供もいるんだ。リーシャはお前の命の恩人なんだね。そしてこの国の勝利にも貢献し、平穏をもたらしてくれた。彼女の幸せがお前との結婚にあるのなら、私達は喜んで賛成するよ」


「ありがとうございます」


 父上も兄上も拍子抜けするほどアッサリと認めてくれた。跡継ぎの心配もしなくて良さそうだ。

 ジェイラード中佐には、いざという時のためとリーシャの後ろ盾を増やす意味で養女入りも打診したが、断られてもなんとかなりそうだった。


「今まで君が、結婚というか女性に一切関心も興味も持たず、拒否し続けていたのが嘘のようだね。

 戦場から君の手紙が届いたときは驚いて、君の上司のジェイラード君に問い合わせしてしまったよ」


「そのようですね」


「彼からも、頭も良くて美人で、信頼に足る人物だと聞いていたよ。カタリーナも今日を楽しみにしていたんだ。まあ、リーシャさんは、しばらく放してもらえなさそうだから、君も今日はゆっくりとしていくと良い」


 中佐はちゃんと仕事をしてくれたようだ。私は頭の中で、あの頼りになる上司に感謝する。

 そして、両親や兄夫婦が、リーシャを好意的に受け入れてくれたことに安心した。


 私達男性陣はそれから、戦時中のこと、最近の中央の状況や、手掛けている事業についてなど、互いに必要な情報交換をして有意義な時間を過ごした。


 そして、3時間後の昼食時に、やっとドレス選びや採寸を終えた母上や義姉上が、リーシャを連れて現れた。

 開口一番、


「フェリクス!貴方!女性用の夜会服の準備には最低3ヶ月は必要なのよ!連れて来るのが遅いわ!今回は懇意にしているメゾンに無理を言いましたけど、この機会にいくつか注文しますからね!

 そうそう、リーシャさんをマダムも絶賛していたわ。作り甲斐があるそうよ。

 マナーも、姿勢も体幹も良いし、ちょっと見ればすぐに振る舞いも覚えてしまえるから、週に1度4回くらい通ってもらえればそれでいいわ。」


 と、一気に捲し立てられた。かなり理不尽な内容だったが、私は何も言い訳せずに、


「申し訳ございません、母上。どうかよろしくお願いします」


 と素直に頭を下げたのだった。リーシャはそんな私を申し訳無さそうに眺めていた。


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