フェリクス・フォン・ヴァルモーデン
北部地域戦線の会合の帰り道のことだった。
車で砦に帰還中、突然運転手がブレーキを踏んだ。前方への強い衝撃のあと、車は、急停止する。
「大尉!伏せて……」
が、言い終わる前に、運転手の側頭部が撃ち抜かれる。助手席の後ろに座っていた私は、とっさに左側のドアを開け、銃を片手に転がり出た。
反対側からは、付き添ってきていた下士官も脱出したようだ。
出た瞬間、前にいた敵の眉間を下から撃ち抜き、走る。倒れた敵の横を抜け、道路脇の林に飛び込んだ。
後方で銃声が鳴り響き、うめき声も上がる。身を隠した木々にも銃弾が当たり、私の左頬にも熱が掠めた。
慎重に移動しながら、気配を探る。
「7人か……」
厳しいな、と銃弾を確認する。20発、無駄撃ちは出来ない。
味方はどうやら殺されたか?捕まったか?どちらにしろ、単独撃破しかなさそうだ。最前線近くのこの地は、いつ敵が入り込んでもおかしくはないが、日中堂々と襲撃されるとは。
近づく気配に打って出る。
1人倒し、もう一人を背後から捕らえたが……
「銃を捨てて、両手を上げろ」
後頭部に銃口をあてられた。息をついて、捕らえていた男の首から手を外し、銃を落として両手を上げる。
「撃たないのかい?」
「そうしたいのは山々だが、いろいろ聞きたいこともあるのでね」
成る程、拷問か……
とその時、後頭部に当たっていた銃口の感覚が、すっと右側に弾かれた。
「何?」
男の声がしたその直後、銃声が響き、続いて、ドサリと人間が倒れる音と気配。
「!?」
思わず振り返った視線の先には、左側頭部を撃ち抜かれて絶命している男と、落ちた銃、男の右掌には細身のナイフが刺さっていた。
周囲を囲んでいた敵も、弾道のもとを辿り一斉に警戒する。
私は反射的に屈み込み、自分の銃を拾うと、そのまま正面の敵を倒す。
その横では、更に2名の敵がほぼ同時に絶命していた。
形勢が逆転し、敵が散開しかけたとき、
「うぐ……」
短い声を上げ更にもう一人が倒れ、最後の一人が背を向けて逃げようとしていたので、背後から足と背中を狙って撃った。
……と後ろから、フワリと抱き締められた。
「ジル!大丈夫?どうしてこんなところ……」
女の声に、思わず振り返った。
見上げる菫色の瞳と視線が合い、一瞬息が止まる。
「え!?……誰?」
女は目を見開いて、慌てて私を抱き締めていた両腕を上げ、一歩下がった。
「それは私のセリフだが……とりあえず礼を言う。助かった」
私も両手を上げて、敵意が無いことを示し、ゆっくり三歩下がる。
「ごめんなさい。人違いを……あ、大丈夫ですか?」
女は焦ったように言ってから、心配そうに私を見上げた。
艶のあるプラチナブロンドを項のところで一つに結んで、白い陶器のような肌の頬が薄くピンクに上気している。小さな顔にバランスよく配置された大きな菫色の瞳と通った鼻筋、小さな唇。まるでよく出来た人形みたいだ。
私は頷くと、軽く口角を上げて答える。
「ああ、そこの道路で突然、襲撃を受けてね。この林に咄嗟に逃げ込んだが、危ないところだった。銃を戻しても?」
女が頷いたのを見て、銃をホルスターに戻す。それを視線で追っていた彼女が、ふっと目を眇めた。
「それ?ずいぶんと古い銃ね……っていうか博物館に展示してあるレベル?それに……なんだか、その装備も、時代錯誤。一体どこのゲリラ部隊?」
は?今、とんでもない事を言われたような?
女の視線に遠慮が無くなり、ジロジロと眺め回される。
私も思わず女を見返した。
彼女が着ているのは、なんだか草木や土色の柄が不規則に混じり合っているような不思議な柄の戦闘服に、揃いの柄の帽子とミリタリーブーツだ。
対してこちらはグレーのジャケットに階級章がついた我が国の軍服。
だが、明らかに持っている装備や武器が違う。なんというか見たことが無いタイプのものだ。
「我がベルグレア軍の正規の支給品だ。ゲリラ呼ばわりは酷いな。君こそ一体どこの所属だ。女性の軍人なんて衛生兵以外で見たこと無いぞ?」
「今、なんて?……ベルグレア? ベルグレアって、あの?」
彼女は、信じられない……というように一瞬動きを止め、そしていきなり私の胸ぐらを掴んだ。
「今!何年?何月?ここは、どこ!!」
「あ?ああ、1923年9月2日。ここはベルグレア王国の北側デーメテル地方の国境付近。ちなみに我が国はザーイーク国と戦闘中。最前線の砦に戻っている途中に襲撃を受けた」
女の勢いに押され、丁寧に説明してやる。一体なんなんだ。
女は、ブツブツと何事か呟いて、呆然としたように宙を眺める。私は、何とも声を掛けれず、その様子を窺った。
やがて彼女は、手を離して数歩下がる。
そして、こちらを見上げ敬礼すると、信じ難いことを口にした。
「私は、リーシャ・クラウベル 24歳 2142年のゼルメリア国、陸軍特殊部隊所属。階級は大尉です。現在隣国での単独任務を終え、帰還途中でした。この林を通過中、知人に良く似た貴殿を発見。救出しました。といっても、信じ難いことだと思いますので、これから私の装備品などをお見せします。少し移動してもらっても?」
「は?」
思わず間抜けに聞き返したのは、勘弁して欲しい。意味がすぐには理解できなかったのだ。
俄には信じられないが、敵意が無いのは明白で。だから、よくわからない状況に答えが欲しくなり、素直について行くことにした。
「私は、フェリクス・フォン・ヴァルモーデン 27歳 ベルグレア王国第12旅団、第1歩兵中隊隊長、階級は大尉だ」
歩きながら私自身についても話す。
そして、彼女のリュックが置いてある場所に着くと、そこから出されたものは、もはや私の常識では測れないものだった。
「クラウベル大尉。これが、約220年先の武器と装備か?」
「ええ。実はこの他にも」
「まだあるのか?」
「私の左眼と左耳は、視力と聴力を強化しています。夜間暗闇でも日中と同様に見ることが出来ますし、この大きさでの会話なら、意識すれば数百メートル先からでも聞き取ることが出来ます」
「……」
「あの……大尉?」
「驚いた。未来からでも、他の星からやって来たと言われても、信じるよ」
銃やスコープ、レーダーだけでなく、小型のコンピューターと呼ばれるものや通信機器(この時代じゃ充分に使用できないようだが)、そして彼女自身も。
未来から来たと言うのは、どうやら事実らしい。
「それで、お願いなのですが」
「ん?」
クラウベル大尉が遠慮がちに言う。
「このぶんだと私帰還できなくて……この時代に伝手もないし、使える通貨……お金も無いしで、戦闘力を対価に少しの間、お世話になれないかと。私、結構な戦力になると思いますよ? 特にこの時代では」
成る程。気がついたら突然この時代に居たと言うなら、戻る方法も無いのか。
いろいろ有り過ぎてすっかり過去のことになっていたが、確かにあの状況で敵を倒した手際は見事だった。
「専門は長距離狙撃です。2,000mなら夜間含めどんな条件でも、3,000mなら条件次第で目標を撃ち抜けます。あと、潜入任務もいけますよ?」
なんだか基準がおかしいが、かなり使える戦力だということは理解した。
「わかった。これで君をみすみす手放すようなら、相当愚かな司令官だと言わざるを得ないな。クラウベル大尉、ぜひ我がベルグレア国軍へ」
「承知しました。ヴァルモーデン大尉」
そうして、彼女は砦に来ることになったのだ。
クラウベル大尉の諸事情が認められ、正式に砦での訓練や作戦に参加することになった。
砦内では唯一の女性兵士ということで、彼女には将校と同様に個室が与えられたが、もとの階級は大尉ということなので、特に問題もないだろう。
ただ、ここでは、司令官であるジェイラード・フォン・ロッソー中佐の個人的な部下という扱いとなった一兵卒である。
私が彼女をここに連れてきた関係で、私の隊で行動を共にすることになったが、一週間程の訓練で彼女はうちの隊員とすっかり打ち解けていた。
最初は女性ということで遠巻きにされていたが、走り込みやトレーニングで熟練の隊員にも遅れを取ることなく、体術訓練では気がつけば彼女が独り最後に立っていた。
あの小柄で華奢な身体に見合わず、その体力も体術も、並外れて優れていたのだ。しかも、淡々と媚びること無く隊員達にフラットに接するものだから、最初は近寄りがたく様子を伺っていた隊員達も、やがて皆、気兼ねなく彼女に接するようになっており、気軽にファーストネームで呼び合うようになっていた。
潜入もいけると言っていたから、人間関係を構築することにも長けているのだろう。
中佐の執務室で、私は彼女の様子について報告する。
「思ったほど反発も抵抗もなさそうです」
「とりあえずは良かったな。作戦の参加にも支障がなくて済みそうだ」
外部からきた中佐の個人的な部下という触れ込みで、女性である彼女が、兵士達にスムーズに受け入れられるか?を懸念していたのだろう。中佐はとりあえず安心したようだ。
1ヶ月ほど経ったときだった。
彼女と隊員達と一緒に、6人程で砦の酒場で飲んでいたときだ。
酒も結構進み、鎮魂祭が近いせいもあって、弔った仲間や家族を思って、思い出話をしていたときのことだった。20歳を過ぎたばかりの若い隊員が、リーシャに尋ねた。
「ねえ、リーシャには大切な人いる?」
リーシャは軽く目を瞠ったあと、思い出を掘り起こすように少しの間をあけ、寂しそうに微笑んで答えた。
「はい。私は私の大切な人を守るために軍人になりました……でも、もう会えません」
そのリーシャの様子があまりにも儚げで……
訓練中は、いつも淡々として感情の起伏が無く、圧倒的な強さを誇り、若い隊員達から半ば崇拝に近い感情を持たれている彼女のそんな表情に、尋ねた隊員をはじめ周囲がハッと息を呑む。
「……そっか」
「皆さんと同じですよ、多分……
戦争中です。大切な人を亡くしても私達は戦わなければならない。でも、時々こうやって思い出すときには、少し泣きたくなります」
そう言って目を伏せたリーシャの右腕を、私は咄嗟に掴むと立ち上がった。驚いた菫色が俺を見上げる。
「キース、この危険物は、連れて行く。これで払っといてくれ。釣りはいらない」
私は副官のキースに小金貨を投げて渡すと、リーシャも立ち上がらせて腕を引く。テーブルにいた隊員達が驚きの表情を浮かべていたが、誰かが何かを言い出す前に、サッサと酒場を出た。
薄暗い砦の庭を突っ切って、士官の宿舎へと歩いていく。
「あの……フェリクス?」
戸惑いがちな声が、私を呼ぶ。
よくわからない感情が私の中で渦巻いていた。
酒精が入った影響か、普段は人形のようなリーシャの仮面が剥がれて、儚げな女性が現れた。生身の美しい女性を目の前にした男達が、息を呑んで彼女を見つめるその視線に、酷く腹が立ったのだ。
そして、覚えた焦燥感と、酷く気になった彼女とその大切な人との関係。
「ジル、と言っていたな……」
初めて出会った日、彼女はそう言って私を背後から抱擁した。
どこかでずっと引っ掛かっていた。あのとき以来、あんな親しげに柔らかな声で誰かに呼びかけるリーシャを見たことはない。
「大切な人……恋人か?」
思わず口にしてしまった言葉に、私自身がハッとした。
リーシャの歩みが止まる。腕を掴んでいた私の足も必然的に止まった。だが、彼女の顔を見ることが出来ない。私は気まずくなって足下の地面に視線を落とした。
彼女は、しばらくそのまま立ち止まっていたが、やがて、静かに話しだした。
「……ジルは確かに恋人なんですけど……
亡くした大切な人というのは、双子の弟でした。私は健康だったのに、一緒に生まれた弟は病気がちで……結構ね、医療費がかかったんです。私は高額な報酬に惹かれて、自分自身の改造手術も込で職業軍人の話を受けました。弟には内緒にしていたんですけど、やがてバレてしまって……泣かれました。
軍に入って数年後、彼は敵国のテロに巻き込まれて命を落としたんです。
ジルは、ジルベルトは私の上司で、結婚の約束をしていました。弟も一緒に住んでいいって言ってくれた、優しい人なんです。でも、もう……彼にも会えないですね……」
リーシャの声が、途方に暮れた迷子のようだ、と思った。気がつけば、彼女を振り返って、その顔から視線が外せなくなっていた。
彼女の菫色の瞳に浮かぶのは、悔恨か悲哀か懐古か……
「フェリクス、貴方の後ろ姿がジルにそっくりで。ごめんなさい。今だけ背中を貸してもらっても良いですか?」
リーシャを掴んでいた手から彼女の腕が外れ、あの時のように後ろからそっと腕が回される。背中に彼女の頭があたった。
「ジル……会いたい」
小さく消えてしまいそうな声に、私の心臓がギュッと掴まれたように痛んだ。
部屋に彼女を送り届けたあと、自室に戻るとベッドに横たわる。
彼女の過去に、衝撃を受けた私がいる。普段の彼女は全くそんな素振りを見せること無く過ごしているが、独りでいるときは、泣いているのだろうか。
彼女の過去を知りたいと、いつからか思っていた。だから、今日思わず尋ねてしまったことに、後悔はない。
ただ、ジルベルトという男を想って泣くのだけは、許せなかった。
いつから彼女にこんな感情を抱くようになったのか?
出会ったときの圧倒的強者だった彼女にか? 訓練中に見せる底の見えない強さにか? 淡々とだが穏やかに隊員達と過ごす日々の姿にか? そして、今日初めて見せた儚く笑う年相応の女だったリーシャにか?
多分、最初からだろうな、とため息をつく。
リーシャは、私の……私のもとにやってきた、運命の女だ。時を越えて、私の前に現れた、唯一無二。
後ろ姿ではなく、本当は、この胸の中に抱き締めてやりたかった。
これまでに出会った女達には、全く感じたこともない感情に、最近結構振り回されていた。それが、些細な嫉妬心や心配からくるものだと、今更ながらに理解する。
無防備だったり、無茶をしたり、そんなときは、つい口煩く注意を促したり、窘めたりしていたら、リーシャに過保護だと苦笑された。
わかっている。彼女は、そういう意味で私を意識はしていない。
だが、いつまでも昔の恋人を想い続けるのは、許容出来ない。
いつか、私と同じ想いを持って、私と伴に隣で生きて欲しいと、そう思う。
「恋だか愛だか知らないが、これは結構苦しい……」
いつかこの気持ちが至上の幸せになるのだろうか? ならばその為に、何としてもリーシャを全て手に入れてみせようと、私はそう心に決めた。
翌朝、私の副官であり、士官学校の同期であるキース中尉が、意味深に笑って声を掛けてきた。
「フェリクス、あの後、リーシャは大丈夫だったか?」
「ああ多分な。部屋に送り届けて、そのまま別れた。で、そっちのメンバーはどうだ?」
大方私達に何かあったのか? 探りを入れたのだろうが、残念ながら何も無い。
それより気になるのは、一緒に飲んでいた連中だ。純情な若者が、あのリーシャの様子に、下手に惚れたりしたら厄介だ。
「ハハハ……全員酔い潰しておいた。リーシャのこと、忘れてるといいな。今日訓練でバテていても許してやれよ?」
キースは一応仕事はしてくれたらしい。
「全く……あいつが酒場に行くときは、同行しないとな」
「お前が女にそんな過保護になるなんて、思っていなかったよ。ま、いい変化じゃないか?」
ため息をつきながらこぼした私の言葉に、キースは面白そうに笑って、私の肩を叩いた。
だが、昨晩、他のテーブルの男達にまで気が回らなかったのは、私の失態だ。
その日の夕方、別部隊の素行の悪い軍曹達にリーシャが倉庫に連れ込まれたと、部隊の一等兵が駆け込んで来たのだった。新人の隊員を盾に脅されていたようだと。
焦る気持ちで、現場に駆けつけた私が見たのものは、意識を失い倒れている男2名と、男性器を切断され大声で喚く軍曹。ナイフを片手に右頬を腫らし、シャツのボタンを引きちぎられ胸元を晒されたリーシャと、拘束され殴られたと思われる私の隊の新兵だった。
「リーシャ……」
全身をざっと見て、彼女のズボンとベルトに異常が無いことを確認すると、ホッと息が漏れた。
呻く男の腹に一撃を入れ黙らすと、リーシャの手に握られたナイフを受け取る。腫れ上がった頬に、そっと手を伸ばした。
「大丈夫か?」
「すみません。過剰でした。思わず手加減出来なくて」
この状況にも関わらず、謝った彼女に胸が痛くなる。破かれたシャツから、露わになった白い肌を隠すように、私は自分の上着を羽織らせた。
その時、知らせに来た一等兵とキースが駆け込んできた。
「フェリクス、リーシャは?」
「大丈夫、未遂だ。ただ殴られている」
「そっか。あ、君は新兵くんを助けて医務室に連れてって」
さっと状況確認したキースが、嫌な顔をして軍曹の傷の止血をしながら、新兵と一等兵を退室させた。
「大丈夫だよ。リーシャ。こいつらがやったことはかなり悪質だ。君の不利にはならない。ただ、証言はしてもらわないといけない。大丈夫かい?」
キースが見上げてリーシャに尋ねた。
「はい、問題ありません」
無表情で頷いたリーシャを連れて、私は部屋を出る。
目立たないように部屋に送り届けた彼女の頬を、氷水で絞った布で冷やしてやった。
ベッドに腰掛けたリーシャの前に跪き、彼女の顔を覗き込む。
「隊の新兵を庇ってくれたんだな。ありがとう。そして、君を守れなかった。すまない」
「いえ。来てくれて助かりました。ありがとうございます」
「悪いがこの後着替えたら、中佐のところに来て欲しい。私は一足先に報告しておくから。ああ、頬の布は温くなったらちゃんと替えるんだよ?」
もう少し落ち着くまで待ってやりたかったが、そうもいかないだろう。彼女をこんな目に合わせたあのふざけた男達に、私は、徹底的に思い知らせてやるつもりだった。
結局、軍曹は新兵暴行と婦女強姦未遂で有罪の上、懲戒免職。共犯の兵士も同様に有罪となった。リーシャは正当防衛でお咎めなし。
そして、私はあの軍曹を免職後に密かに処分した。今後の為に、万が一にも禍根を残すわけにはいかなかった。