ジェイラード・フォン・ロッソー
未来から来たという信じ難い女を連れてきたのは、この砦の歩兵部隊の中隊長を務めるフェリクス・フォン・ヴァルモーデン大尉だった。
フェリクスは、我がベルグレア王国のヴァルモーデン侯爵家の次男で、士官学校を優秀な成績で卒業し、幹部候補生として入隊、25歳で大尉となり、同時期に開戦したため従軍し現在27歳となった男である。
金髪にエメラルドグリーンの瞳をもち、整った容姿で社交界でも人気の貴公子だったが、そつのない笑顔と隙のない態度は、相手に本心を読ませない。
同じ貴族の一員として社交界で出会うこともあったし、こうして偶然に同じ旅団で上司部下の関係となったが、戦功もあり、部下からも信頼され、戦争の貢献度の割に隊の死亡者数も少ない、優秀な指揮官で非常に頼りになる。
だがさすがに、あのリーシャという女を連れて現れたときには、正気を疑った。
いや、後からきちんと謝ったが。
「リーシャ・クラウベル 24歳 2142年のゼルメリア国陸軍特殊部隊所属。階級は大尉です。私自身も混乱しているので、お疑いなのは無理もないと思うのですが、いくつか証拠をお見せします」
女は混乱していると言う割には淡々と、言った。
人形のような女だなと思う。真っ直ぐなプラチナブロンドを無造作にまとめ、菫色の大きめの瞳、小さな顔に白い肌。美しく整った顔はほとんど表情がなく、女性らしさをあまり感じない。身長は165cmに満たないくらいか? 華奢な印象に見える。
そして示された証拠とやらは、驚くものばかりで、女の言う事が真実だと認めざるを得なかった。
そして装備だけでなく、彼女自身の視力と聴力が強化されていると言い、実際にそれを示されたときには、未来のテクノロジーに戦慄した。
現在は1923年、およそ200年先から来たという彼女のことは、とてもじゃないが簡単に今後の扱いを決められることではなかった。
とりあえず、彼女を士官用の空き部屋に案内し、そこから出てこないように告げ、フェリクスと2人今後のことを話し合った。
未だ驚きから抜けられない俺に、フェリクスは言う。
「彼女は軍人です。私は彼女に助けられましたが、体術も武器の扱いも状況判断も素晴らしい。技術開発部門にみすみす渡すより、ここで使った方が絶対に役に立ちます」
「だが、女だ。この砦に置くのは危険だし、反発もあるんじゃないか?」
「彼女が性暴力の被害者になると?彼女を害することなど不可能だと思いますが、私も守ります。それに、敵方に彼女を奪われるのは避けたい。彼女の希望を聞きつつ、ここに置くほうがいいと思います」
「上になんと報告する?」
「真実を混ぜて、未来から紛れ込んだことは報告し、装備品を一部提供してもらうのはどうでしょう? 聴取の結果、ただの一兵卒で技術的なものはわからないと言うので、中佐の部下としてこの砦で働いて貰うことになったと……」
「悪くはないが……希望を聞いて、装備品を提供してもらえるか相談だな」
結果、リーシャの希望は、この国で兵士として従軍することを条件に、衣食住を保証し、作戦成功に貢献したときは報酬を出すこと。装備品は、通信機器を中心にいくつか提供してくれることになったが、対物・対人用狙撃銃は戦闘に使用するので所持品として認め、弾丸を提供するので同じ物を作って欲しいということだった。
彼女自身に施されている視力と聴力の強化については、3人のみで話を留めておくことにした。
技術開発部に連れて行かれ、実験材料にされることだけは、避けてやりたかった。なので、砦内でも無闇矢鱈と使用しないように言い含めた。彼女も、司令室や私室での会話を聞くつもりはないと、一応約束はしてくれた。
結果、軍上層部からは、概ねこちらの要求通りでリーシャの従軍が認められ、装備品については分かる範囲での説明書を添付する事で落ち着いた。
ちなみに提供された装備品は、電話やカメラや録音機能などが一体となった複合機器と、簡易の小型レーダー、小型情報処理機器など。
技術開発部門が狂喜乱舞したという。事情を聞きたがったらしいが、添付資料以外の技術的なことは、何もわからないと突っぱねたら、女性兵士じゃ無理もないと何故か引き下がったらしい。
そして、リーシャは、俺付きの諜報員という名目で従軍したのだが、実際はフェリクスの隊で訓練に参加し、任務を遂行することが多く、隊にもスムーズに受け入れられていた。
しかし、砦内でただ1人の女性兵士ということもあり、一度素行の悪い別部隊の下士官に連れ込まれ暴行されかけたが、返り討ちにした挙げ句男性器を切断するという過激な反撃をしたため、以降そんな暴挙をおこす者もいなくなった。フェリクスも相当脅したらしい。
そして数ヶ月も経つと、サイレントキリングの達人で、体術では軍でもトップクラスのフェリクスを凌ぎ、狙撃の腕は銃の性能もあって右に出るものがいないという、極めて優秀な兵士であることを誰もが認めるようになっていた。
小柄で華奢な女性の割に、身体能力が飛び抜けているのだが、彼女の居た場所では珍しいことでは無かったというから、未来の女性軍人は恐ろしいと、俺は思った。
軍の上層部からは他に、未来のことについて何か情報が無いかと問い合わせが来たが、リーシャに尋ねたところ、彼女がここに存在し、オーバーテクノロジーの装備品を提供したことですでに改変されているだろうから、わからないと一蹴された。
細々したことも、歴史に興味ないのでよく覚えていないとも。
一理あるし、覚えていないものは仕方がないので、その通り伝えた。
また、フェリクスが当初言った通り、リーシャを敵方ではなく、味方に取り込めて良かった、と心から実感したことがある。アデルの街の奪還作戦だ。
我が砦の重要な補給地点であるアデルの街を、ザーイーク軍に占拠されたのだが、2日後に奪還したのだ。この作戦で、恐ろしいほど貢献したのがリーシャだ。
確かに、彼女が従軍した時点で、歴史は変わっているのだろう。
俺は、身近にとんでもない爆弾を抱えたような気分になり、背筋が寒くなった。
「あれは、恐ろしいな……フェリクス」
俺は今、私室でフェリクスと2人酒を飲んでいる。無事にアデルに駐留部隊も置かれ、一段落したところだ。
話題は、必然的にリーシャのことになる。
「敵にとっては、そうでしょうね。恐らく死神のように恐れられているでしょう。ですが、我々にとっては、女神のような存在ですよ」
フェリクスは、グラスに入った琥珀の液体を揺らし口に含むと、どこかうっとりとするように微笑んで言った。その彼の表情は、いつもの読めない男とは違って、妙に人間臭い。
「珍しいな。お前がそんな顔で他人を語るのは……」
俺は、珍しいフェリクスの様子に思わずそう返していた。
「彼女は、リーシャは、私の運命を変えた女性ですからね」
すると、それこそ心からというように、にっこりと笑ってフェリクスが答える。
運命って、大袈裟な。大方、出会ったときのことでも思い出したのだろう。
「リーシャに助けれらたことか?」
「ふふっ。まあ、それもあるのですけど……」
そう言ってフェリクスは、今度は含んだように笑う。俺は、少々面倒な気分になって話題を変えた。本題に入ろう。
「まあ、いい。今日はフェリクス、お前に昇進の辞令が来ていることだ。アデルの駐留軍司令官として着任だそうだ。階級は少佐。おめでとう」
そろそろフェリクスにも来る話だろうと思ってはいたが、今回の奪還作戦での功績が決め手になり、いいポストも用意出来たということだろう。適任だと思う、
「そうですか……リーシャを連れていきたいのですが」
これは予想出来ていた。そもそもリーシャを連れてきたのはフェリクスだし、こちらの軍に従軍させることを熱心に説いたのも彼だ。彼女の戦力を正しく評価し、上手く使うことが出来るだろう。俺では持て余してしまうのがわかっていたから、すでに手は打っておいた。
「だろうな。それも許可を取った。アレは私の手に余る。お前が連れて行け。お前の副官として身分も与えられた。少佐付き補佐官だそうだ」
「ありがとうございます!」
ここで初めて、フェリクスは嬉しそうに言った。
「任命式は明日の10:00。その後アデルに向かってもらう。明後日からアデルの司令官として着任だ」
「承知しました。ジェイラード中佐、大変お世話になりました。本当に感謝します」
立ち上がり、敬礼をして礼を言われた。律儀な奴だ。俺は手を振って座るように促す。
「お前の実力だよ。リーシャを上手く使っていることも含めてな……ところで、個人的な私信でお前の実家から、リーシャについての問い合わせが来ていたぞ?どんなお嬢さんか教えてくれと」
彼が座ったのを見て、俺は続ける。
フェリクスの実家から俺個人に宛てて、意図が不明の問い合わせが来たのだ。目的がわからないのと、どこまで彼女のことについて知られているかわからず、返事が出来ずじまいだった。フェリクスに確認してから、と保留にしてある。
フェリクスは一瞬首を傾げたが、ああ、と思い立ったように言った。
「中佐に?そうですか、すみません。先日見合いの話が来たんですが、心に決めた女性がこちらで出来たので、今後一切そういう話は断って下さいと知らせたもので」
「ブッ!……ゴッ、ゴホッ!」
思わず飲んでた酒を噴いて、激しくむせた。
そんな俺に、フェリクスがハンカチを差し出す。俺は視線で断って、自分のハンカチを取り出し、手元を拭った。
「大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込むな!お前が悪い!
「お前っ!まさか、リーシャか?」
俺は、恐る恐る尋ねる。
「そんなに驚くところですか?それ……そうですよ。運命を変えた女性だって言ったじゃないですか?」
いや、普通に驚くだろう? お前……女と恋愛なんて意味がわからない、結婚なんて虫唾がはしるって言ってなかったか? ……っていうか、娼館にすら行かない程の潔癖症でもあったよな? 従軍して実家からの見合い話を堂々と断れるって、喜んでいたな……未だに実家が諦めていないらしいのにも驚いたが、フェリクスの女嫌いも知っていたから、リーシャに対しても、その可能性を完全に除外していたよ、俺は。
「正気?……なんだな。いや、悪い」
だが、フェリクスを見て、なんだか納得した。
今までの、リーシャに対するアレコレは、そういうことだったのか、と。
「まあ、中佐がどう返信されるのかはわかりませんが、私の気持ちが変わることは無いので」
そして、さり気なく牽制するなよ。
俺は一応確認しておく。
「……リーシャの反応というか、気持ちはどうなんだ?」
リーシャの態度を見る限り、こいつとそういう関係にあるとは思えない。あれば、もう少し可愛げがあるはずだ。
「やだなあ、中佐。私がみすみす彼女を逃がすと思いますか? 運命の女性ですよ? まあ、なかなか手強いとは思いますが、頑張ります」
フェリクスは、それこそにっこりと満面の笑顔で、言い切った。少し、リーシャに同情を覚えた。
「あ、ああ。まあ、いいんじゃないか? 常識の摺り合わせは必要そうだが、根は悪い娘じゃ無いしな。頭も良いし、美人だ。敵には容赦ないが、味方には情も厚いし、信頼も出来る。お前の実家にも、当たり障りなく返信しておく」
「ふふっ。中佐の評価が限りなく上司目線で、安心しましたよ。それでは、私はそろそろ下がります。ご馳走様でした」
思わず言い訳のように並べたリーシャへの諸々は、フェリクスを満足させたらしい。が、何故か上から目線で言われなかったか?俺。
納得はいかないが、上司らしく鷹揚に頷いてみせる
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい。失礼します」
そして、部屋を出ていったフェリクスの気配が消えると、なんだかどっと疲れた気になって、だらしなく椅子にもたれかかった。
翌朝、キラキラとしたあの読めない笑顔で辞令を受け取ったフェリクスは、アデル奪還作戦に参加した部隊を連れて、駐留部隊と合流すべく早々にアデルに向かって行った。
俺はヴァルモーデン家に宛てて、フェリクスの家族のリーシャに対する好感度を上げるべく手紙の返信を書き綴り、2人は揃って移動していったから、こちらへの問い合わせは控えて欲しいと、さり気なく断っておいた。