フェリクス・フォン・ヴァルモーデンは手を伸ばす
あと1話で完結です。
もうしばらくお付き合い下さい。
今日はリーシャと帰宅時間が合い、共に夕食を取っていた。
週に何度かは、こうして彼女と夕食を共に出来る。
私の夜勤や出張や残業、リーシャは養成校で行われる演習の参加やロッソー夫人との会食など、同じ屋敷に暮らしていても、いつも一緒にプライベートの時間を過ごせるわけでもない。
だからこうして、夕食を食べながら、いろいろと話せる時間は貴重だった。
「う〜ん」
メインの肉料理を見つめて、何やら考え込んでいるらしいリーシャに、可愛らしいな……と思いながら、私は声を掛ける。
「どうしたんだい?足りない?」
「いえ充分なんですけど」
首を横に振って答えた彼女に、私は常々思っていたことを提案してみる。
「君はもっと食べて、少し太ってもいいくらいだと思うけど?」
「体重増やしたり体型が変わると、いろいろバランス調整が必要なので……やっぱり細いですか? でも体重はそこそこあるんだけどなあ」
「どうしたんだい?急に」
身体の一部を機械化している彼女は、簡単に体重の増減をさせられないらしい。原理はよくわからないが、この場でそれを尋ねることも出来ない。
だが、体型と体重を気にする様子に、何かあったのか?と気になった。
「今日、生徒の一人にいきなり子供みたいに持ち上げられて、細くて軽いから、もう少し体力つけろと言われたんですけど、私体重は……」
「なんだって!?」
続いたリーシャの台詞に、思わず私は声を上げて彼女を遮っていた。
「え?」
リーシャが驚いたように、私をきょとんと見上げる。
「……君にそんなことをした失礼なヤツは、誰?」
私は心が荒ぶるのを抑えて、静かに尋ねる。心が冷えていくのがわかる。
「あの……失礼って……ああ、一般的に、女性にそういうことって確かに失礼だったわ。でも、彼にそんな気はないですよ?単純に心配してくれただけみたいです」
リーシャは、私に言われて初めて思い当たったように、ああ、と頷いて、その男を庇うようなことを言う。
「……そう? でも、普通はそんな風に女性をいきなり持ち上げるなんてことは、しないよね?」
私は根気強く彼女に言って聞かせる。
「そうですね。たぶん、デュークにとって私は、女性扱いされていないんですよ。私、養成校では鬼教官なんです」
「ふうん?」
リーシャの細いウエストに手を回し、彼女を抱き上げる。子供みたいにってことは、軽々と持ち上げてみせたのだろう。
そして、細いから体力をつけろだって?
たしかに小さい子供にならしてもおかしくはないが、妙齢の女性、しかも自分の教官相手にそんなことをするのは、明らかにリーシャに関心と興味があるからだ。
おそらく好意……
そして、彼女にそれを意識させたくて。
残念ながらその意図は、鈍すぎる彼女には伝わっていないみたいで、私はそのことに少し安堵した。
デューク・アシュバル軍曹……リーシャの養成校の生徒になる者達の、事前調査は私が行っていた。我が国の精鋭を育てる養成機関に入るのだ、詳細な調査は当然のことだ。だが入校後の彼の様子を、私が直接知ることは出来ない。
「あの、気をつけます。たしかに迂闊でした」
黙り込んで思考に沈んでいた私に、リーシャは上目遣いで伺いながら、そう言った。
本当にそれ、可愛くてつい許したくなるから……
冷えた心に少しずつ温度が戻って来る。こんな気持ちにさせるリーシャに、意趣返しがしたくなって、私はにっこりと笑ってみせた。
「そうだね。でも、後で私にもさせて?」
エスコートで彼女のウエストに手を回すことはあるけど、抱き上げたことなんてない。
彼に先を越されたことは腹立たしいが、リーシャにはどういうことなのかきちんと理解してもらわないと。
「ええっ?だから、見た目より重いんですって!」
あたふたと慌てる彼女の様子に、可笑しくなって笑いがこみ上げてくる。
「持ち上げてみなきゃ、わからないじゃないか?」
「う〜〜、一度だけですよ?」
結局はそう言って許してくれる彼女に、私は漏れる笑い声を抑えることが出来なかった。
あの後、抱き上げた彼女は確かに見た目通り細くて、体重だって多分、その辺の女性とあまり変わらないんじゃないかと思う。
リーシャは、骨格が金属なのと手足の生体組織の分見た目より5kgは重いと言っていたが、見た目の体重が48か9kgということなら、54kg程度だろう。身長165cmにしてはやはり華奢だと思う。
「しかし……デューク・アシュバルか」
寝台に横になり、問題の男を記憶から引き出してくる。
陸軍北部軍団所属の下士官。年齢は27か28だったか? 今回の射撃大会の優勝者で、リーシャがいいセンスをしていると目をつけていた男だ。
逞しい体躯に男らしい精悍な顔立ちの持ち主、黒い髪に蒼い目の美丈夫。
気に食わない……
私から彼女を奪おうとして近づく男を、排除したい。
暗く淀んだ気持ちが湧き上がる。嫉妬だとわかっている。
養成校で、彼女と長い時間を共有している男。リーシャがその射撃の腕を認めて、育てている男。いつでも彼女に手を伸ばせる位置にいて、リーシャが抱き上げることを許す位、近くにいる男。
男がリーシャを連れ去ってしまうイメージが現れて、呼吸が苦しくなる。
振り払おうとしても消えないそれに、私は眠れぬ夜を過ごしたのだった。
『どっちつかずだと、後悔しますよ? デュークは、なかなかいい男です。そして、たぶんリーシャに本気で惚れてる』
そして数日後、エヴァンから告げられたその言葉に、心臓が一瞬止まった気がした。
「もう、飲み過ぎです!」
ロッソー家から戻ったリーシャは、ギルバートに頼まれ、その足で談話室に来たらしい。キースと二人鬱々と酒を飲んでいたその部屋の空気を、窓を開けて入れ替え、手際よくキースを送り出し、テーブルの上を片付けて使用人に食器を引かせながら、飲み過ぎと私を叱った。
キースのおかげで随分と気分も浮上したが、ここ数日の寝不足が手伝って、少し酒に酔ったのかもしれない。
「リーシャ、そのドレスどうしたんだい? かわいい、よく似合ってる」
私は椅子に座ったまま、リーシャをぼんやりと眺めながら、見覚えのないドレス姿に、心に浮かんだ言葉をそのまま口にしていた。
「今日は職場から直行の予定だったので、ロッソー夫人が用意して下さっていたんです。早速着て欲しいと言われて……ありがとうございます」
酔った私の軽口に丁寧に答えをくれたリーシャに、思わずそのまま手を伸ばす。
彼女の手を引き、その身体に両腕を回して、そっと抱き締めた。
ちょうど彼女の腹部にあたった私の頭を優しく撫でる手に、泣きそうになるくらい幸せな気持ちになる。
「キースと良い時間が過ごせましたか?」
その声に私を心配する色が混じっていて、最近の不調をリーシャに悟られていたことを知る。
そうだね。いい時間だった。
キースがこんな面倒くさい私に付き合ってくれて、なんだかいろいろふっきれて、前向きな気持ちになれた。
それにこうやって、リーシャも私を甘やかしてくれる。抱き締めることを当たり前に許してくれて、優しく頭を撫でてくれる。
だから、私も……
「うん……つけ込んで、甘やかすことにした」
「ん?」
頭を撫でていた手が、動きを止めた。
私は顔を上げて、彼女の菫色をじっと見つめる。私が一番好きな色だ。
「覚悟して?リーシャ。私は、君への気持ちをもう隠したりしないで、素直に伝えることにしたんだ」
「やっぱり、酔っぱらってます?」
そう返した彼女に、私は声を上げて笑う。
君が溺れるくらい、溢れるこの愛情を君に注ぐから、どうか私に落ちてきて。
孤独なんて忘れるくらい、昔の恋人なんて思い出す時も無くなるくらい、他の男が割り込む隙もないくらい、君に、愛も恋も執着も伝えるから……
私はリーシャを部屋まで送るべく、立ち上がる。
「おやすみ、リーシャ」
そう言って、彼女の部屋の扉を開ける。
「おやすみなさい。フェリクス」
閉まった扉の前で、私は小さく呟いた。
「近い将来、君と同じ寝台でこの挨拶をしたいな」
彼女の聴力がこの声を拾ってくれると良いな、と願って。