キース・オライエンの恋愛指南
エヴァンが出ていった扉を、呆然とした表情で眺めている情けない男に、俺は腰を上げると言った。
「さて、フェリクス。今日の勤務は終わりだ。飲み行くぞ?」
「……やめとく。悪酔いしそうだ」
おいおい、なんて顔してるんだ? えらい思い詰めたような表情で、首を横に振るフェリクスに、これは放ってはおけない案件だと、俺は言い募る。
「だからだろ?聞かせろよ? 女嫌いだったお前には、絶対的な経験値が足りてないんだよ。こんな時こそ親友として頼って欲しいな、俺は」
そう、俺達は士官学校の学生時代から、かれこれ12年の付き合いになるいわゆる親友ってやつだ。
こんな状態になったフェリクスを俺は初めて見るが、原因が女だってことも驚きだ。もっとも、こいつのリーシャに対する執着は半端ではなかったが、おそらくずいぶんと拗らせているんだろう。
フェリクスはそんな俺に苦笑すると重い腰を上げた。
「悪友の間違いだろ?……外では出来ない話だ。うちに来るか?」
「それは構わないが、リーシャがいるんじゃないか?」
いくらなんでも当の本人が在宅しているんじゃ、いろいろと気を遣って話も聞けないだろう。
「今日はロッソー伯爵夫人に呼ばれてる。夕食を共にすると言っていたから、遅くなると言っていた」
「そういうことなら、遠慮なく」
ああ、実家になった伯爵家に行っているのか。形だけじゃなくて、それなりに親しくしているらしい。
まあ、それなら問題もないだろう。
フェリクスは自宅に電話をかけて、俺が行くことを伝えていた。ホントこういうところ、ソツがないよな。
そして、フェリクスが住む屋敷にやってきたのだが、侯爵家と違ってこじんまりしているし、畏まってもいないから、そう肩ひじも張らずに過ごせて、居心地がいい。
俺達は、ワインやら蒸留酒やらいろいろ持ち込んで、用意された軽食と一緒に談話室に閉じ籠もった。
いい感じで酒も入ったところで、俺は切り出す。
「……で、お前それだけリーシャを囲い込んで、周りの根回しも完璧にしておいて、なんで恋人にも婚約者にもなってないわけ?」
「ああ」
グラスに入った蒸留酒を揺らしながら、フェリクスは短く答えた。
俺は、更に続ける。
「リーシャは逃げ出さずに、素直に受け入れているんだろ? あいつはその気になればいくらでも一人で逃げ出せるんだから」
「そうだな」
「ここにいる時点で、お前を受け入れる気はあるってことだろ? 何を遠慮してるんだ?」
畳み掛けた質問に、目を伏せて相槌だけ打っていたフェリクスは、ここでようやく話す気になったらしい。
顔を上げて。俺を見た。
「リーシャが未来から迷い込んだのは知ってるな?」
「ああ。そんな話だったな」
突然砦に現れた女の素性がわからず、中佐やラファエル、フェリクスや俺、マクベルやカイウスには、リーシャの情報が共有された。
正直今でも半信半疑だが、証拠の品物もあったし、納得はしている。
フェリクスは、表情を歪ませて、続けた。
「リーシャには未来に、結婚を約束した恋人がいた。私と同じ髪と瞳の色で、後ろ姿がよく似ているらしい。会いたい……と泣かれたことがある」
「……」
たぶん、リーシャに悪気はなかったし、弱音を吐けるのがこいつしかいなかったんだろうが……こいつにとっては、なかなか酷なことをしたな。
「私と出会ったあの日、私は会合の帰り道で敵の襲撃を受けたところを彼女に救われた。彼女がいた未来での歴史では、私はあの日敵に拉致され、情報を吐かされて、おそらく命を落としていた。この国も悪条件で停戦に持ち込まれ、約十年先には歴史から消えたらしい」
続けられた内容は、衝撃的だった。
リーシャは、歴史は興味なくて、ほとんど知らないと言ってなかったか?
「リーシャは私と、この国の人々の運命と歴史を変えてしまった。意図してやったことではないが、自覚はあったらしい。未来を変えた彼女は、帰るべき時間軸を失って、ここから逃げられなくなった」
ああ、そうか。彼女が知る歴史とは変わってしまったってことだったのか……
それにしても、普段の彼女の様子からは想像できない内容に、俺は驚きを押し隠して、黙ってフェリクスの話を聞くことしか出来ない。
「私は、彼女がせめてここで幸せに暮らしてほしいと、手を尽くした。私の手で彼女を守りたかった。王家や軍の上層部、もちろん敵や彼女を利用しようとする者達からも。何より、彼女が感じている疎外感や孤独からも。愛する恋人を失った喪失感からも。
ただ、守りたかった。
リーシャは、自分が死んだら、跡形もなく焼き払えと言うんだ。遺伝子の一欠片も残すな、と言うんだ。
私は、彼女がどれほどの覚悟と孤独をその中に抱えているのか、知った」
そうか。フェリクスが過剰に彼女を守ろうと動いていたことに、今更ながらに、納得した。
「リーシャを愛してる。女性として、誰よりも何よりも。
彼女に近づいてくる男にどうしようもなく嫉妬する。誰にも奪われたくない、と彼女を囲い込んだことも自覚している。リーシャはそれを拒まないから、私が彼女の一番近くにいる男だとも自惚れている。でも、それは、私が彼女の自由を奪い、ここに居ざるを得ないようにしたからだ」
苦しい告白だった。
彼女を守ろうと過剰に囲い込み、それを自覚しているから、素直にリーシャを求めてはいけないと、心まで束縛は出来ないと、耐えている。
「私は彼女に、私の側から離れないということ以外の自由は保証するから、と言った。時間をかければいつか、彼女も私を愛してくれると思っていたから。
私は、多くのものを彼女から失わせておきながら、欲張りにも、彼女にも同じ想いを返して欲しいんだよ」
一つ息をついて、フェリクスがグラスの中身を飲み干したのを見て、俺は悟る。
どうやら、話はここで終わりらしい。
俺は、半ば呆れて、盛大なため息をついた。
フェリクスが拗らせている原因も、踏み切れない現状も、理解した。いろいろと考え過ぎて、後ろめたい気持ちやら、リーシャのことを尊重しすぎて本質から外れてしまっていることやら、ツッコミどころはたくさんある。
「……で、気がついたわけだ。彼女に許した自由に、彼女の恋愛の自由が含まれていることに。側にさえいれば、リーシャは誰を愛しても良いって?
でも、無理だろ? 普通に考えて、お前の側で他の男を想うってのは、全員が不幸になる」
そう。誰も幸せにはなれない。
一番の平和的解決は、リーシャが誰かを愛したりする前にフェリクスに落ちて、2人仲良く幸せになることだ。
『どっちつかずだと、後悔しますよ? デュークは、なかなかいい男です。そして、たぶんリーシャに本気で惚れてる』
今のフェリクスに、あのセリフはキツかったな。
……まったく、恋愛ド素人が。
恋愛って、もっとシンプルで原始的な欲求に従ってもいいんじゃないか?
フェリクスは、学生時代から非常に女に人気があったが、表面上は笑顔でそつ無く対応しているものの、実際は近づいてくる女どもを警戒していたし、媚を売ってくる者は嫌悪していた。何があってそうなったかは知らないが、家柄や経済力、それに男から見てもキレイだと感心するその顔のせいだと、想像がつく。だから、まともな恋愛なんてしたことがなかったんだろう。
そして、根が非常に真面目で紳士的なこの男は、その性格のせいでこの恋に苦しんでいる。
「お前さあ、真面目すぎ。そんなんじゃ、恋愛上級者っぽい例の男に、文字通り掻っ攫われるぞ?」
俺は、もう何杯目だか?空になったグラスを置くと、フェリクスを指差して言った。
「そもそも、彼女が未来を変えてしまったのは、別にお前のせいじゃないだろ? 彼女が自分の行動を選択した結果だ。だから、お前がそのことに少しの負い目も感じることはない! リーシャだって、そんなことはわかっている。お前のせいだなんて欠片も思ってないだろうよ」
フェリクスはそのエメラルドの瞳を目一杯見開いて、俺を見た。
そんなに驚くことか?
「で、恋ってのは、お前みたいにいきなり落ちることもあるが、想いを寄せられて大事にされて徐々に落ちていく恋もある。
特に孤独感や喪失感を感じているときは、相手から寄せられる愛情や気持ちが、そこから救ってくれる。
お前のリーシャを想う気持ちをちゃんと伝えてみろ。言葉にして、毎日一言ずつでもいいから。ただ、囲い込んで相手の気持が変わるのを待つんじゃなくて、たっぷり愛情を与えて、ドロドロに甘やかして、少しずつお前に染めていけばいい」
「……それ、つけ込んでいるみたいだ」
やや苦しげに、フェリクスは呟いた。
阿呆か、それの何が悪い。もっと開き直れ!
「あのなあ、それでいいじゃないか? 想う男を忘れさせて自分を愛して欲しいんだろ? そのくらいやらなきゃ、無理だろうが。どんな形にせよ、リーシャがお前を愛するようになれば、それでいいだろ?」
「毎日愛情を伝えて、甘やかす……」
ああ、そんな目からウロコみたいな顔して。固い頭は解れたか?
俺はニヤリと笑って言ってやった。
「そ。難しくはないだろ?」
ふっ……と、フェリクスの表情が和らいだ。クスクスと小さい笑い声が漏れる。
「むしろ楽しそうだな……リーシャを愛する気持ちなら、誰にも負けないという自信もある」
あ〜あ、急にデレっとした顔して、単純なヤツ。
「はいはい……で、リーシャがお前に落ちたら、さっさと婚約に持ち込め!それでお前の悩みも解消し、周囲のストレスも緩和される。万事解決だ」
全く、手のかかる親友だ。だけど、こうやってフェリクスを助けられて嬉しいと想う俺もいる。
士官学校に入学して初めて会ったときは、優秀で非の打ち所がない男で、近寄りがたかったが、演習の訓練で、真面目な努力家で仲間内では気さくな男だと知れた。その後も何かと共に過ごすうちに、気のおけない友人関係になっていき、大人になった今でも親交は続いている。侯爵家なんて高位の貴族の次男坊だが、商家出身の平民の俺とも、普通に分け隔てなく付き合ってくれているのも、ありがたい。
恋愛相談なんて初めてだが、普段は、なんていうかスカした感じの男が、こうやってグダグダになっているのを見ることが出来たのも、俺くらいだろう。
そんなわけで、知らないうちにいろいろ助けてくれたらしいリーシャには、この男とニ人、ぜひ幸せになって欲しい。
スッキリとした顔をして、楽しそうに笑い出したフェリクスに、俺もホッとした。
とっておきのワインだというそれを、ドボドボとグラスに入れて、ゆっくりと背もたれに体を預けて、香りと味を楽しむ。
うん。美味い。きっとこれは、酒のせいだけではないだろう。
すると、遠慮がちに扉を叩く音がした。
「はい?どうぞ」
話も一区切りしたタイミングだったから、誰何を問わず入室を許可する。
すると現れたのは、リーシャだった。
「ギルバートから、すごい量のお酒を持ち込んで飲んでるから様子を見てくるように、って言われたんですけど……なんか部屋が酒臭い」
眉間に皺を寄せたリーシャが、窓を開けて、外からの風を入れる。
夏が近いが、夜の冷えた空気が入り込んできた。
「リーシャ、帰ったのか。早かったな」
フェリクスが、何も無かったかのように、穏やかに微笑んで、リーシャに声を掛ける。まったく、いつもこの調子で見栄を張っていたんじゃないだろうな?
「そうですか?もう22時ですよ? 明日も仕事でしょう?大丈夫ですか?」
そう言って、心配そうにでも少し呆れたように、リーシャはテーブルの上を片付け始めた。
なんだか、夫婦みたいなやり取りを見せられているようで、今までのフェリクスの話は何だったんだ?と俺は首をひねった。
「このくらいじゃ、俺達酔わないから大丈夫。まあでも、そろそろ帰るかな」
俺は席を立つと、暇を告げる。うん。今晩はよく眠れそう。
「運転手が待機してるんで、送らせますよ」
リーシャがそう言って、執事を呼んだ。
「ありがとう、リーシャ。じゃあ、フェリクス、また明日な。……頑張れよ」
俺は手を振って、部屋を出る。
「ありがとう、キース。この礼は、いずれ」
フェリクスの声を背で聞きながら、執事について行く。
リーシャに「飲み過ぎです!」と怒られながらも、フェリクスの明るい笑い声が聞こえた。
まあ、これであの二人も大丈夫だろう……
「オライエン様、いろいろとありがとうございました」
どうやら、フェリクスは使用人達にまで、心配をかけていたらしい。
執事が頭を下げて見送ってくれた姿に、俺は達成感を感じながら、家路についたのだった。