エヴァン・フォン・シャペル伍長の忠告
戦場から王都に戻って、貴族の義務とやらで王室主催の祝賀会なんてものにも顔出して、しばらく経ったある日、俺は、上官のキース大尉に呼び出された。
そこには、元直属の上官だったフェリクス少佐もいた。
なんだろう?この2人に個人的に呼び出される意味がわからず、俺は首を傾げる。
「あの、御用と伺い参りましたが……」
「ああ、うん。まあ座って?」
キース大尉が執務室内の応接セットを指して言った。すでにフェリクス少佐も腰掛けて、優雅に茶なんて飲んでいる。
どうやら、任務の話じゃなさそうだ。
俺は少佐の向かいに腰掛けた。続いて少佐の隣に座った大尉が、事務官の女性に茶の準備をさせると、彼女に退室を促す。
3人だけになったところで、大尉が話しだした。
「エヴァン、君さ、射撃に自信あるよね?」
「はい。まあ、そこそこ。もっともリーシャを見たらその自信も吹っ飛びますけど」
俺は子爵の五男で、高等学校までは出してもらえたけど、その後は自立しなきゃいけなくて。昔から父や兄達に狩猟につれていってもらっては、銃の腕を褒められていたから、そのまま銃が扱える陸軍に入隊した。
軍に入ってからも、結構銃の扱いは褒められて、腕には自信を持ってはいたけれど、所詮は井の中の蛙ってやつだった。
俺の自信をへし折ってくれたのは、北部地域の戦場で一緒に訓練していた女性兵だ。
突然、ロッソー中佐の個人的な部下という触れ込みで現れたリーシャは、フェリクス少佐がまだ大尉だった頃、同じ部隊で戦闘訓練やら射撃訓練やらを行っていたが、驚いたことに、女性ながらに誰よりも能力が高く、いつしか尊敬とともに部隊に馴染んでいた女性だ。淡々としていて、感情の起伏があんまりなくて、でも、さり気なく親切だったり気遣いが出来ていたり、話してみれば気さくだったり、となんていうか気がついたら皆仲間として受け入れていた感じだった。
だが、彼女が怖ろしく有能で敵にとっては容赦のない兵士だってことは、そのうち嫌でも思い知ることになる。
砦周辺の国境付近で行われた戦闘で、敵を深追いし過ぎて、気がついたら敵の支配地域の山に、俺達の分隊が取り残されたことがあった。
数十人の敵に囲まれ、もう駄目か……と諦めかけた時、その敵兵達が、次々と喉や左胸を撃ち抜かれて倒れていった。
5人ほど死んだところで、敵は、どこから狙われているかわからない恐怖に慌ててあたりを警戒し、俺達を盾にしようと動き出した。だが、そいつ等も同じ様に絶命した。
10人ほど死んだところで、奴らはとうとう恐慌状態になり、慌てて撤退したのだった。
「全員、無事ですか?」
しばらくして、呆然としていた俺達の前に現れたのは、リーシャだった。
「リーシャ?一人か?今の狙撃は君が?」
俺は恐る恐る彼女に尋ねる。この視界の悪く障害物も多い中で、敵に発見されることなく10人を1発ずつで仕留めていくって、どんな腕だ?
「貴方達がじっとして動かないでいてくれたので助かりました。さあ、急いで撤退しますよ」
彼女はそう俺達に促し、殿を引き受けてくれた。
曹長を先頭に、国境に向けて引き上げる。俺はリーシャと一緒に全員が進んだのを確認して動き出した。その時だった。俺が彼女に突然背を押され倒れ込んだのと同時に響いた数発の銃声。
そして間髪入れず、彼女の銃からも発砲音がして、やや離れた場所でうめき声が上がる。
リーシャはもう一度発砲し、辺りが静かになった。先に進んでいたこちらの兵士が心配そうに、離れたところから振り返った。
「行ってください。すぐに追いつきます」
そう答えた彼女の大腿部は赤く染まっていた。先行していた兵はそれに気が付かず、頷いて姿を消した。
俺は慌てて起き上がり、救急セットを漁る。リーシャは俺を庇って負傷したのだ。
「すまない。大丈夫か?」
「傷口にあてるガーゼと縛るための太めの包帯を。見た目の出血量ほど大きな傷ではありません。大丈夫ですよ。ただ、肩を貸していただけると助かります」
冷静な声に、俺はほっとする。大きな怪我ではなさそうだった。
「背負って行ったほうが……」
「現実的ではありませんし、歩行は可能です」
そう言って簡単に手当てを済ますと、俺達は歩き出した。
負傷した彼女の脚への負担を減らしながら、俺達は歩き続け、無事にフェリクス大尉の隊と合流した時、負傷したリーシャを見て誰よりも顔色を悪くしたのは、フェリクス大尉だった。
後から聞いた話だと、リーシャは散々心配され、不注意を叱られたという。
あれは不注意とかでは無いと思うが、うんざりとした様子で語られた様子に、もう怪我は出来ないわ〜などと零していた。
あの時、俺達を見捨てるか?という上官達の判断に(状況的にやむを得ない判断だったと理解している)、リーシャ単独でなら救出可能だからと、ただ一人で俺達の下へ来てくれた彼女に、今でも心の底から感謝している。
俺もそれなりに射撃に自信はあるが、あの状況で俺達を救ってくれたリーシャの銃の腕に、到底及ばない。
「うん。わかるよ。その気持ち」
キース大尉が俺の回想に共感するように言った。
すると、フェリクス少佐がわざとらしく咳払いして口を開く。
「1ヶ月半後、国内軍部主催で射撃大会が開催される。軍に従軍していれば所属は問わない。戦後いろいろごたついているが、今後の為に陸軍の特殊部隊としてスナイパーを養成することになった。この大会は、その隊員の選抜を兼ねている。講師はリーシャだ。彼女のようなスナイパーを育てたい。エヴァン、挑戦してみないか?」
リーシャのようなスナイパーを養成する?彼女が講師になって?
「それは……興味深い、魅力的な話ですが、俺に出来るでしょうか?」
「大会を勝ち抜く自信は?」
フェリクス少佐の探るような視線に、俺は答える。
「まあ、五本の指には入ると自負していますが……」
「それは結構。決まりだな。大会まで練習を優先して構わない。期待している」
だが、俺は知らなかった。
それは、過保護なリーシャの保護者であるフェリクス少佐が、リーシャのいろいろな意味での護衛として、俺を養成校に潜り込ませるための布石だったのだ。
確かに彼女に大恩のある俺は、リーシャの為ならなんでもするつもりだけど、そこにリーシャの男避けという仕事は入っていないはずだ。たぶん。
だから、この養成校で同期となったデューク・アシュバル軍曹が、リーシャに対しどんな感情を持ったとしても、俺にはなんの咎もない。
一応警告はしたし。
彼が無理やりリーシャになにかするというわけでなければ、ノータッチを決め込んで何が悪い。
……と思っていた。
「デューク・アシュバルとは、どのような人物だ?」
何故、俺はまたこの2人に呼び出されて、ここにいるのだろう?
そして、フェリクス少佐の視線が、これ以上なく冷え切っているのは、なぜだろう?
デュークは、北部地域の基地に本拠地を置く、北部軍団所属の名狙撃手として有名な男で、黒髪に蒼い瞳で、逞しい体格を持つ美丈夫だ。
現場叩き上げの下士官で、実家が猟師だと言っていた。粗野な部分もあるが、頭が良く、分隊の指揮官としても有能そうだ。何より戦闘全般において、勘がいい。
だが、おそらく少佐が聞きたいことは、こういう情報じゃないのだろう。彼のプロフィール程度は、とっくに手に入れているはずだ。
デューク、お前一体何をした?
俺は、それとなく少佐を探ることにした。下手なことを言って、少佐の彼に対する心象を悪くするのは、本意ではない。
「あの、デュークは一体何したんですか? 彼は、射撃の腕もよく、真面目に取り組んでますけど」
「女性関係の評判や素行は?」
フェリクス少佐の質問内容の雲行きが怪しくなっていく。
「はあ、モテるとは思いますが、養成コースが始まってからは、全くそういう話も聞きませんよ? そもそも女性関係が派手な感じでもないですし、そのあたりは割と真面目だと思いますけど? 恋人もいなそうです」
「リーシャに対する態度はどうだ?」
「それも別に、気になるようなことは何も。養成校では、いたって普通の生徒です」
「プライベートは?」
「さあ? プライベートであの2人に、どんなやり取りがあったかなんて、俺は知りませんよ。リーシャに聞けばいいんじゃないですか?」
答える俺の口調も、だんだん雑になっていく。だってこれはどう考えても、仕事じゃない。
「……リーシャが、その男に突然持ち上げられただか、抱き上げられただかして、細さを心配されたと言っていた」
はあ?何してるんだよ、デューク!……ていうか、俺は警告したよな?
リーシャも、なんでそういうこと、迂闊に彼に許して、それを少佐に言っちゃうかなあ?
ホント、男からの恋愛感情には鈍い女だよ。警戒心も足りない。
いくら敵じゃ無いからって、簡単に懐に入れたら駄目だって、誰か彼女に言って欲しい。
もっともその辺の普通の男は、大概彼女に畏れを覚えるから恋愛感情には発展しないんだけど、デュークは、違う。
この間一緒に飲んだ時の様子、たぶんリーシャを意識して、落としにいく気だ。
といっても彼の性格上、養成期間中に強引にどうこうはないだろう。
精々、リーシャの油断を誘って、しっかりデュークを売り込むくらいだと思う。
「そんなに心配することじゃないですよね? お互い大人なんだし、デュークだって養成中は辨えてますよ。リーシャだって、恋人や婚約関係にある男を、裏切ったりする女じゃないでしょう?」
恋人や婚約者じゃなければ、それこそ二人の事にどうこう言う資格は無いだろう……と少佐には暗に言ってやる。
俺は、少佐とリーシャがどういう関係にあるかなんて知らないが、リーシャがフェリクス少佐とくっつこうがデュークと付き合おうが、心底どっちでも良い。
ただ、俺を巻き込むな、と言いたい。
「……ああ、俺もエヴァンと同意見だな。お前が何を躊躇っているのか知らないが、周囲の平和のために、リーシャとの関係をハッキリさせたほうがいい。今のお前はリーシャにとって、ただの拗らせた保護者だ」
キース大尉も、とうとう口を挟んだ。
まったく持って正論である。
案の定フェリクス少佐は、複雑な表情で黙り込む。やがて、大きなため息をつくと、力なく言った。
「……時間を取らせて、悪かった」
何か事情があるのは察するが、リーシャを手離したくないなら、婚約でもなんでもして縛り付けてしまえばいい。フェリクス少佐なら、彼女は別に拒否しないだろうと思う。
中途半端に囲い込んでるから、掠め取ろうとする男が湧いて出るのだ。
俺は立ち上がり、部屋を出ようと歩き出した。
「どっちつかずだと、後悔しますよ? デュークは、なかなかいい男です。そして、たぶんリーシャに本気で惚れてる」
ドアの手前で振り返り、俺はそれだけは少佐に忠告して、部屋を出た。