デューク・アシュバル軍曹の恋慕
素人なので、スナイパーに関する設定が甘いのはご勘弁を。
専門性の高い射撃手を育てるという名分のもとに集めれられた候補生は、10名だった。
2ヶ月ほど前に突然公示された射撃大会に集まったのは、国内各地でもそこそこ名の知れたスナイパー達で、見知った顔もチラホラと見かける。
そこから好成績を収めて選ばれたのは僅か10人で、皆それぞれに腕に自信があるものばかりだ。今更何を学ぶのか?という驕りも確かにあったと思う。
だから、開校日に俺達の前に立った教官を、一様に侮ったのは決して俺だけではない、と思う。
今にしてみれば、それは大きな間違いであったし、スナイパーとは?という概念すらもひっくり返されたのであるが。
俺達の教官として現れたのは、華奢な、人形のように美しく整った顔の、うら若い女性将校だった。
そもそも、この国の陸軍に、女性将校が存在するということすら、俺は知らなかった。いや、兵士にすら女性を見たことがない。事務方か医療従事者、後方支援部隊に一部従事している女性はいるが、将校で戦場での実戦経験もあり教官でもあるという彼女を、すぐに受け入れられなかったのは、無理もないとわかってほしい。
それくらい稀なことなのだ。
だが、その名を聞いて理解する。
リーシャ・フォン・ロッソー、伯爵令嬢にして、スナイパー養成校の講師で中尉。
優秀な軍人を多く輩出している家系で、現在でも当主は陸軍大将、長男は陸軍中佐、次男は海軍大尉、三男も海軍少尉とエリート揃いだ。
まあ、所詮俺達とは生まれも育ちも違うお嬢様だ。
だから、まさに今のこの状況に、俺達は震撼していた。
今俺達がいるのは、王都から数十キロ離れた広大な陸軍演習地。森林や沼地、草原を有する広大な土地である。
ここに野営を始めて早10日。
行軍、偽装、潜入訓練を繰り返し、時には短距離の射撃、時には偵察なども加え、極限の精神状態まで追い詰められ、任務を遂行するといったかなりハードな訓練中である。
特に偽装潜入訓練では、教官に発見されれば射撃の的となる、精神的にかなり追い詰められる訓練でもあった。
俺達が耐えていられるのは、ただあの教官が、同じ条件の訓練を涼しい顔をして熟しているため、意地とプライドがこれを放棄することを許さなかったからだ。
そして2週間が過ぎ、げっそりと窶れヒゲ面になった俺達に、あの女は初日と全く変わらないキレイな顔で、演習場での野外訓練の終了を宣言したのだった。
3日の休暇というかインターバルをはさみ、次に行われたのは、ひたすら銃やその周辺機器の扱い方の訓練だった。
もちろん今までだって、銃の扱いや手入れは自分で行っていたが、分解や組み立て調整まで徹底的に叩き込まれ、新型の対物狙撃銃や周辺機器である光学照準器の原理や使用法まで学ばされた。
もちろん基礎の体力訓練も行いながらである。
そうしてやっと、1,000mまでの射撃訓練が始まった。
今まで従軍中は、精々4〜500mまでの射程距離だったが、ここに来て約倍の距離である。しかもあの女は、この程度は何も考えなくても当てられるようになれと、無茶を言った。
無理難題を押し付けるなと文句をつけると、おもむろに銃を取り、立位のまま10発撃って見せ、全てど真ん中に命中させたのを見せつけられ、誰も何も言えなくなった。
一体あの女はどうなっていやがる。
黙り込んだ俺達に、淡々と女は言う。
「言っておくが、これはスナイパーの初歩的な訓練だ。この銃の性能なら、2,000m先を撃ち抜けるようになって欲しい。もちろん実戦レベルでだ。
1,000mまでなら、計算せずとも当たる。それ以上は、様々な要因を考慮した緻密な計算が必要だ。
これを当てられるようになったら、次はその計算方法を叩き込む。
それと潜入、偵察に必要なトレーニングもレベルアップして継続する。何度も言うが、正確な射撃の技術に加え、敵から発見されないからこそ、相手にプレッシャーと圧倒的な優位を誇示できるからな。
実地訓練も、次は市街戦を想定して行う。
最終的には、実戦と同じ形式で1個小隊撃破してもらう」
「教官!教官は北部地域戦線で、アデル奪還作戦で活躍されたと聞きました」
常識では考えられない目標値と訓練内容に、息を呑んで聞いていた俺達だったが、突然一番若い兵士が顔を上げて、女に尋ねた。
女はあのアデルの街の奪還作戦で、偵察部隊の中尉と先駆けで、検問所を突破し戦車を無力化させたと聞く。奴はその詳細を聞きたがった。
「……あの作戦で検問所の1個小隊を殲滅したのは、夜間潜入でのサイレントキリングと毒だ。最後は銃も使ったが。敵に検問突破を知られるわけにはいかなかったからな。
その後街の約2,000m手前から、砦を警戒して配置された戦車15両を、対物狙撃銃で弱点部分を撃ち抜いて無力化させた。敵は外部からの攻撃ではなく、街中のゲリラの攻撃と誤認し、夜明けとともにやってきたうちの後続部隊にやられたんだ。
つまり、訓練された専門のスナイパーに必要なのは射撃だけじゃない。作戦遂行に極めて有効的に動ける駒だ」
「夜間に2,000……的が大きめとはいえ、もはや、人間技じゃねえな」
俺は、思わず口にしていた。気象条件が良く、月明かりがあったのかもしれないが、かなり無謀な作戦だと思われた。
だが、女は笑みを浮かべて続けた。
「夜間狙撃も、今進めている暗視装置の開発が上手く行けば、誰でも可能になるさ。私は、お前達をそれが可能な兵士に育てようと思っている。半年間でな」
半年でコイツに近いレベルのスナイパーを育てる?
この女は狙撃関連技術にもいろいろ関わっているらしいが、どれだけ国に貢献してやがるんだ?
それからしばらく後、ようやく1000mが皆撃ち抜けるようになり、チームワークも良くなってきた俺達は、久々の休日前に下士官組6人で飲みに出ていた。
曹長から伍長まで、いわゆる年配組だ。一般兵士の若者達4人は花街に出掛けていった。若いな……
中には妻帯者もいる俺達は、賑やかな酒場の一角で、丸いテーブルを囲んで好きな酒を飲んでいた。
「教官って、飲みに誘っても絶対来てくれませんよね」
伍長のサミュエルが、エールを飲みながら言った。そう言えばコイツ、今日の講義終わりにあの女を誘っていたな。
この言い方、以前にも誘っていたのか?今日の飲み会を企画したのもサミュエルだし、こういうのが好きなんだろう。
それに答えたのは、同じ伍長のエヴァンだ。
「教官じゃなくて同僚になれば来てくれると思うよ。基本的に気さくでサバサバした女性だから。あ、でも保護者も付いてきちゃうかも?」
栗色の髪にペリドットのような明るい緑色の瞳をした男だ。25歳と言ってたが童顔で、もう少し若く見える。コイツはあの女と以前からの知り合いらしく、講義や演習中以外では、気軽にリーシャとあの女を呼んでいた。
「そういえば、エヴァンは教官と同じ隊にいたって……」
2人の会話に興味を惹かれ、俺もエヴァンに視線を向けた。
「正確には同じ隊で訓練してただけ。リーシャはロッソー中佐やヴァルモーデン少佐の命令で、殆ど単独任務だったから。今になって、彼女の本来の任務を理解したよ。
俺さ、彼女は当時もすごい身体能力だなって思ってたけど、今更ながらにリーシャの凄さを目の当たりにしてかなり驚いてる」
将校付きのスナイパーだったってことか。まあ、部隊に女が紛れたら、いろいろやりにくいだろうからな。中佐にしても妹がこれだけ使えるなら、自分の庇護下で作戦に参加させていたってとこか?
ん?妹でいいんだよな?中佐は30越えてるし。あの女はどう見ても20代だ。俺は思わずエヴァンに尋ねていた。
「あいつ幾つなんだ?」
「24って言ってたけど、もう25になってるかも?」
「え?マジ!意外と若い」
サミュエルが驚いた様子で言った。
「見た目通りだろ?口を開けば鬼だけど」
俺の台詞も大概失礼だな。いや、見た目は25でおかしくないが、あの貫禄が……
「おっかねえよなあ。声を荒げたりはしないけど、表情変えずに淡々と……まるで機械仕掛けの人形のようだぜ?」
すると、別の方向からも話に加わる声がした。ハインツだ。さっきまでお互いの嫁自慢をしあっていたザインやクレマンも、こちらを向いて頷いている。
「ちゃんと年頃の女性だよ。戦勝祝賀会でドレス姿を見たけど、すごく綺麗だった。それに前に一緒に飲んだとき……いや、保護者が怖いからな」
そんな俺達に、エヴァンが取りなすように言った。確かに化粧してドレスを着れば相当に綺麗だろう。想像出来ないが。
ハインツが感心しながら続ける。
「へえ〜。忘れていたけど、伯爵令嬢だったけ?……エヴァンも実家は子爵家の貴族様だよな?」
「五男だけどね。士官学校にも行ってないし、貴族なんて名前だけ」
「ねえねえ、教官の保護者って?やっぱ、中佐?」
すると、今度はサミュエルがエヴァンに詰め寄る。
「あと、ヴァルモーデン少佐。リーシャは過保護だってよくぼやいてた」
ヴァルモーデン?ああ、ここのスナイパー養成校の責任者とかいう、あのキラキラした貴族か。軍で一番の出世頭で、若くして少佐になったていう。
なるほど、ロッソー中佐の部下で、あの女の上司か。エヴァンも確かヴァルモーデン少佐の隊にいたって言ってたしな。
「へえ、でもいい女だよな、あいつ」
俺はリーシャを思い浮かべた。あの女呼ばわりしていたが、名前を呼ぶのも悪くない。
「え?でもデュークの好みって、何ていうかもっとグラマーな感じの女性じゃないか?」
サミュエルが俺を見て驚いたように、口にした。
ヤツの言うことは事実なんだが……
「まあな……だが……」
あの冷静な人形のようでいて、時々垣間見える獰猛な視線や、圧倒的強者の自信やらに、惹かれる気持ちを止められない。あれを組み伏して、快楽に酔わせて啼かせてみたい。
ふとした時に現れる、穏やかな微笑を湛える菫色の瞳に、見つめられ寄り添いたい。
そんな気持ちに最近気がついた。
強さに焦がれ、追い求め、17で従軍し、戦うことを生業にして10年。これまでの女はそれを癒やしてくれる存在だったが、リーシャは違う。
戦場で並び立ち、時には背中を任せ、共に戦える、そんな女だ。戦場を離れれば、互いに労り、癒やし合える。
あの女が欲しい。
どうすれば手に入る?
強烈な欲求が、心の中を染め上げる。俺は飢えた獣のように、リーシャを求める気持ちを止めらることが出来なかった。
どうやって落とすかな?と考えを巡らせ自然と上がった口角を見て、エヴァンが俺をじっと見つめ真剣な表情で言った。
「だから、彼女を溺愛する保護者が怖いよ? やめておいたほうがいい」
ふん……なるほど。強力な障害があるわけだ。
そう簡単に手に入る獲物じゃなさそうなのが、狩猟本能を刺激する。
獰猛に笑う俺に、エヴァンは肩を竦めると、
「警告はしたからね?」
と、視線を外し、既に別の話題で盛り上がり始めた連中の話題に入っていった。
そんな出来事から数日後、今日も座学を詰め込まれた。長距離狙撃の為の計算はなかなか煩雑で、計算だけでも時間がかかる。様々な要因を考慮するが、まずは基本を叩き込まなければならない。
俺は皆が帰ったあとも課題に集中していたため、気配に全く気付けなかった。
「あれ?まだ残っていたんですか?」
突然開かれたドアとその声に、思わずハッと頭を上げる。向こうもまさか俺がいるとは思っていなかったらしい。リーシャだった。
「ああ、教官か。弾道の計算ってやつな……正直初めてのことばかりで、なかなか苦労している」
「長距離射撃は、敵からの発見の確率を下げるし、撤退の時間的猶予も作ってくれる。守りの関係で目標に近づけないときも突破口になるから、しっかり身に付けてもらわないと」
正直、数学や物理の基礎がない若者連中は更に苦労しているが、高等学校までは修了している俺達でもなかなかの関門だ。
そんな俺の愚痴をサラリと流して、リーシャは教壇にある物入れを探る。
「あんたは……ああ、忘れ物か?」
「ええ、帰ろうと思ったら気づきました。鍵を持ち歩く習慣がなくて……」
と苦笑する。お嬢様だな。
ふと窓の外を見るとずいぶんと日が傾いている。季節が進み、日が長くはなっているが結構遅い時間だ。
「こんな時間か。俺も帰るかな。教官も随分遅くまでいるんだな?」
俺は立ち上がると、荷物をまとめる。リーシャも探しものを見つけて、キーホルダーについた鍵を振った。不用心な奴。
部屋の照明を落とし、一緒に廊下に出た俺にリーシャは言った。
「資料を用意してたんですよ」
?……ああ、さっきの答えか。
それにしても、なんか意外だが、しっくりくる、落ち着いた話し方だ。
「普段は、そんな風に話すんだな」
「え?」
菫色の大きな瞳を瞠って、リーシャが俺を見る。その視線が心地良い。
俺は口角が自然と上がるのを自覚して続けた。
「言葉。いつもは男みたいだろ?」
「……舐められないように、頑張っているんですよ。教官、ですしね」
俺の指摘に、視線を反らし前を向くとリーシャは言った。少し拗ねたような横顔が、可愛らしい。
「ああ……最初の俺達の態度が悪かった。だが、今は皆あんたを尊敬している。実際、とんでもないしな」
俺は素直に謝って、正直な感想を伝える。
「ふふっ……褒め言葉として受け取っておきます。デュークも、いいセンス持っていますよ。成績もトップですし、良いスナイパーになると思います」
そう言って、今度はいたずらっぽく笑いながら、横目で俺を見る。
なんていうか猫みたいに変わるその表情に、これまで知ることのなかった年頃の女性らしい面が当たり前に現れて、その可愛らしさについ抱き寄せたくなる。そんな表情をお前を狙っている男に平気で見せるなんて、警戒心が足りない女だ。
俺は沸き起こった衝動をため息をつくことでなんとか耐えて、視線を下げるとそのウエストの細さにふと目が止まった。
「そりゃ、どうも……ところで、教官。ちょっと失礼」
俺は荷物をその場に置くと一言断って、今度はそのまま手を伸ばし、両手でリーシャの腰を掴んで持ち上げた。
「わっ!何? 降ろして……」
突然持ち上げられたリーシャは驚いて慌てる。だが、攻撃はしてこない程度には、俺は信用されているらしい。
「いやあ、いつも華奢だなあと思ってたけど、本当に細いのな?しかも軽い。こんなんでよくまあ、重装備持って野外訓練やってたなあ、と思って」
そう言いながら下ろしてやる。
「そこそこ重いですよ、私。力もありますし」
首を傾げて、キョトンとした表情で俺を見上げる女は、どうやら本気でそう思っているらしい。
「ふうん。まあいいけど。来月は市街戦訓練だろ?体力つけとけよ?」
流石に心配になって、置いた荷物を回収しながら、俺は忠告した。
「貴方に心配されることじゃないですけど。貴方こそ、覚悟しておいて下さいね?」
彼女の呆れたような声が返ってくる。
「あ、俺、教官の鬼モードスイッチ入れちゃった?」
軽口を叩いた俺に、リーシャの菫色が、スッと翳る。
気安い表情が消え、どこか苦味を持った声色で彼女は言った。
「鬼でも悪魔でも……育てた生徒を生きて帰す為なら、修羅にだって魔王にだってなりますよ。
スナイパーは、敵の恨みを人一倍買いますからね。失敗したら、待っているのは凄惨な死です。私は、貴方達がそんな終わりを迎えることにならないよう、手を尽くすだけです」
冷えた空気に、俺は言ってやるしかなかった。
「あんたは……いや。教官にそんな心配をさせないように、精々頑張りますよ」
コイツは今まで、一体どんな人生を送ってきたんだ?
知りたい、暴きたいと思う気持ちを、今は抑える。今じゃない。まだ生徒でいるうちは、駄目だ。
だが、コイツは基本的に穏やかで、落ち着いていて、情に厚い女だ。その情の厚さが、彼女に鬼教官の仮面を被せている。
やっぱりいい女だよな。
俺達はそれから市街戦訓練の話をしながら、駐車場まで歩いた。なんとなく送ってやる形になった俺に、彼女は律儀に言って車に乗り込む。
「ありがとうございます」
一般的な形の深めのエメラルド色に塗られた車だ。しかし、庶民にとって車はまだ高級品だ。貴族が使う時も、普通は運転手なしではあまり使われない。
「いや。車通勤って、あんたどこに住んでるんだ?」
「そう遠くはないんですけどね。過保護な保護者が、車を使えとうるさいんですよ」
ああ、エヴァンが言っていた保護者ね。
「過保護な保護者って、それあんたの恋人?」
俺はそれとなく尋ねてみる。
「う〜ん、どうなんでしょう? でも、背中を任せられる頼もしい相棒ですよ。誰よりも頼りになります。ちょっと重いんですけど」
「ふうん」
否定も肯定もなしか。
「じゃあ、私はこれで」
「ああ、明日もよろしくな」
頭を下げて言った彼女に、俺は車から離れて手を振る。
そして走り去っていくのを見送った。
背中を任せられる頼もしい相棒、ね。恋人だってことは否定はしないわけだ。
面白くない。
……だが、ハッキリ肯定するような関係というわけでもない?のか?
男がいようがいまいが、どちらにしろ俺に選択肢はない。囚われてしまったのなら、彼女を捕まえに行くしかないのだ。
「いざとなれば攫ってしまうか?」
素直に攫われてくれるような女じゃないか、と苦笑して俺は官舎に向う。
とりあえずは、このままトップの成績で養成校を卒業しないとな、と俺は気持ちを切り替えた。
リーシャが鍵を持つ習慣がないのは、生体認証が当たり前の世界にいたからです