5話
それから半年後。ここは、大阪北区の古い下町の一角。
昭和の時代から続く木造の町屋を改装した居酒屋、バー、古着屋が
立ち並び、その昭和感、レトロ感が今時の若者に受け、人気
のスポットになっている。
そろそろ日も暮れ、各お店の看板が輝き始める頃、軒先に
模造品の古そうな槍が立てかけてある店に、買い物袋を持った
30代半ばの女性が入っていく。
店の看板には、“戦国バー・うつけの溜まり場”の文字。
そして準備中の札もかかっている。
店内は、手前に5〜6人が座れるカウンター席、奥には、6畳で二つの
ちゃぶ台と座布団が置かれた板張りの座敷がある。
周囲の木の壁には、戦国時代の歴史的な出来事をもじったメニュー名、
例えば、“比叡山焼き討ちそば(焼きそば)”“カレイの姉川の戦い
(カレイのえんがわ)”などの張り紙と戦国大名の家紋が入った旗印の
ような布地が貼り付けてある。
店に入って来た買い物袋を持った女性は、この店を手伝う女性、田辺由美。
厨房には、この店の主人と思われる男性の後ろ姿が見える。主人は、今夜お店で
出すお惣菜の調理をしている。由美は、厨房のテーブルに買って来た食材を
広げ、背中越しに主人に話しかける。
「いつもの豆腐としろねぎ。それにこんにゃくね。もう他にないものはない?」
調理の手を止め、由美の方に振り向く主人は、あの信長ことノブさんだった。
「ああ、それでオッケーや!ありがとうな。ほんなら、そろそろ店、あけよか」
「うんわかった」
由美は、戦国大名の家紋がプリントされたエプロンをつけ、入口の準備中の
札を裏返し、営業中に変える。
ノブさんは、半年前、現代に現れた時とは、かなり印象が違う。
髪の毛は、スッキリとした銀行マンのような七三分けの短髪。鼻の下には綺麗に整えられた髭。
カジュアルなシャツとスリムなジーズが似合う、スレンダーな現代の男性といった感じ。
同じ50歳ぐらいの男性より、かなり若く見える。
ノブさんは厨房から出て、入り口の方を気にしながらカウンターの席に座る。
「由美ちゃん、今日はどうやろなお客さん」
「昨日は散々でしたね。でも大丈夫ですよノブさん。今日は華金ですもん」
「華金って。ときどき由美ちゃんって、古い言葉使うよな」
「ノブさんに言われたくなですわ。時々、盛り上がると時代劇みたいな喋り方しますやん」
「わし、時代劇大好きやからな。特に戦国時代がな」
「そういえば、前から聞こうと思ってたんですけど、この店のオーナーと
知り合う前は、何をされてたんですか? どこかの会社で働いてたとか」
「まぁ、勤め人やないな。みんなを仕切る方かな」
「えっ、社長さん。たまに風格を感じることもあるけど」
少し、考え込むノブさん。高井オーナーの顔が一瞬、浮かぶ。
「そ、そやねん。小さな会社のな。でもな、これから勝負やいうときに、潰れてしもてん。
それで、ここのオーナーに縁があって拾われたという感じかな。
だからオーナーの御恩は、山よりも高く海よりも深いんや」
「ほら、また時代劇のセリフみたいになってる」
「そうか(笑)」
二人でそんな話をしていると、突然入り口のドアが開く鐘の音が鳴る。
店に入ってくる女性二人組。一人は細身のショートヘアのかわいい男の子の
ような女性。もう一人はロングヘアで少しぽちゃりした美人さん。
ノブさんは、二人を見て席から急に立ち上がる。
「いらっしゃい!」
細身の女性が、店内を見渡し、口を開く。
「二人なんですけど」
「奥の座敷が空いてますよ。そんなに広くないですけど。よかったらどうぞ」
「いいんですか?」
由美が、女性客二人を座敷に誘う。
「どうぞ、どうぞ」
「じゃあ、そうさしてもらいます」
細身の女性の名前は、佐藤佳澄。もう一人のぽっちゃり美人は柿田恵。
二人は、うれしそうな顔で座敷に上がり、壁に貼ってある
メニューや武将の旗印を見て、目をキラキラさせている。
明らかに戦国好きの雰囲気を醸し出している二人。まず、佐藤が焼きそば
メニューを見つけて騒ぎ始める。
「あれ見て!比叡山焼き討ちそば って。どんだけ焼き尽くすねんって感じ」
「めっちゃ怨念こもってたりして。でもこっちのお酒の名前もすごいよ。
天下布葡萄酒。すべて戦国に徹底してる感じが面白い!」
由美が、手元メニューも座敷にもってくる。
「お飲みものはどうします?」
恵は、壁のメニューを指さして注文をする。
「私は、天下布葡萄酒の赤で」
「私も! それと、比叡山焼き討ちそば」
恵も佳澄に負けじと、手元のメニューを見て注文する。
「この きゅうりの浅井・浅倉漬け かっこピクルス もください。
それと桶狭間ピザの戦いも。ちなみに、これってどんなピザですか?」
この女性客たちと話したくてうずうずしていたノブさんが、ここぞとばかり
恵の横にやってきて口火を切る。
「このピザは、まわりの壁が普通のピザより高く、全体が狭間のような形を
してまして、表面は、とろとろのアンチョビクリームで桶狭間の
戦いのぬかるみを表現してみました。食べ応えのある感じですよ。攻めて
みますか、桶狭間を」
「はい!お願いします!」
ノブさんは、これでお客さんの心をしっかりつかめたと思い、満足した表情で
厨房へ向かった。