2話
湾岸の高速道路。
白いBMWが、海を渡る大橋に差し掛かろうとしていていた。
BMWを運転するのは、信長を助けたメガネの男。信長は助手席に乗り、
大きな鉄の橋が近づいてくるのを驚いた様子で見ている。
「海を渡る鉄の橋か…。こんな大きな橋は見たこともない。誰が作ったのじゃ?」
「どこかの建設会社でしょ。たぶん」
「建設会社とは何じゃ?南蛮人の集まりか?」
メガネの男は、少し邪魔くさそうに答えた。というのも、この車に
乗ってから信長に何度も名前や住んでいるところを聞くが、
一切答えてくれないのだ。
「違います。建築会社は、日本人の建築をする技術者の集団ですよ!
すいませんが、もういい加減に名前と住んでいるところを教えて
もらえませんか?せめて名前だけでもお願いできますか」
そう言われても、相変わらず無言を貫く信長。二人の間に重い空気が流れる。
信長は、この空気をなんとかしなければと思い、声のトーンを少し高めにして
喋り出す。
「こ、この鉄の箱、自動車という乗り物は、ガソリンとかいう油で動いていると
申したな。誠にすごい発明じゃ。この世では、馬は何をしておるのじゃ?」
「もう、その話はいいです! 今は、あなたの名前を聞いているのです。
それではもう一度、私から名乗りますね。私の名前は、高井憲司。
職業は、何件か居酒屋を経営しています。家はここから近くのマンション。
独身の40歳です! はい、ここまで言いましたよ。そしてあなたは?」
メガネの男、高井は、かなりイライラしていた。
信長は、自分を助けてくれた高井に対して申し訳ない気持ちで
いっぱいになり、重い口を徐々に開く。
「わしの名や、住処を高井殿に明かせば、かならず高井殿にも良からぬ
事がおきる。それゆえ言えぬのじゃ」
「何が起きるというのですか?あなたは、どこかの国のスパイか、何かですか?」
「スパイとは、なんじゃ」
「諜報部員のことです」
「わしは、そんな者ではない。わしは、正真正銘の武士じゃ」
「ご先祖さまがですか?今時、武士って。そりゃ、私も歴史や時代劇は
大好きですよ。特に、戦国時代はね。実は今度、戦国時代をテーマに
した居酒屋をしようと思ってるんです。戦国時代から400年以上経った
令和でも戦国ファンは多いですからね」
二人の乗った白いBMWは、湾岸の高速道路を降りて埋立地のマンション
街区の道路にやってきた。信長は戦国時代が好きという高井に好感をもち、
この男なら自分を理解してくれるのではないかと確信した。
「その戦国時代から、このわしが来たと言えばお主はどうする?高井殿」
「そんなSFのような話があったら面白いですけどね。もし時空を
超えることができるなら一番尊敬する武将の織田信長に会ってみたい
なぁ〜(笑)」
信長は自分の名前が高井の口から出た瞬間に、目を見開き、大きく
息を吸い込み、今がチャンスとばかりに口火を切る。
「お主の言う、その織田信長とは…(急に声が大きくなり)この…わしじゃ!」
高井の右足が、急ブレーキを踏む。
「キキキキキキキーーーー!!」
高井も信長も、シートベルトはしているが
急停車したため大きく体が揺さぶられる。
停車した車の中で、ハンドルの真ん中に顔をつけている高井。
ゆっくりと顔を上げ、信長の方に振り向く。高井は思った。
そういえばこの男は、現代人とは思えないことばかり聞いてくる上に、
変な古めかしい日本語を使っている。しかも、この格好。
もしかして本当に時空を超えて令和のこの時代に来たのではないかと。
そこで高井は少し冷静になり、この男が本当に信長本人なのかを
確かめるためにいろいろ質問してみた。
「本当のお名前は、織田なんとかの介信長ですよね」
「そう、織田上総介 信長じゃ。本能寺が焼かれ、寺が崩れた時に
気を失ったのじゃ。次に目を覚ましたら、この令和の世に来ていたと
いうわけじゃ」
「あの有名な本能寺の変ですね!」
「そう呼んでおるのか、この世では」
「はい。そういえば金ヶ崎の戦で、長政の裏切りを伝えるために
お市さまから送られた小豆の巾着袋は、どんな状態でしたっけ」
「上下二箇所が結ばれておった。あの時わしはそれを見て、とっさに浅井と
朝倉がわしを挟み撃ちにすることを察し、事なきを得たのじゃ。
あれは、今考えても、一番の窮地じゃったのう」
これは本物かもしれない、高井はそう思った
日本の歴史上、最大のクーデータと言われている本能寺の変。最後まで信長の
遺体は見つからなかったと言われているが、もし、ここに信長がタイムリープ
していたら見つかるはずもない。
そして信長は、小太刀を取り出し高井に見せる。
「高井殿。これをご覧あれ。この鞘の家紋こそ、織田家の証じゃ」
小太刀の鞘に描かれている、織田木瓜の家紋。
その家紋を見て、急に頭を深く下げる高井。
「申し訳ございません、信長さま。これまでのご無礼、お許しくださいませ。
こんな助手席にお乗せして、申し訳ございません。どうか、後部座席で
ゆっくりおくつろぎください」
急いで車から降り、助手席のドアをあけ、信長を後ろの座席へ誘う高井。
その申し出を拒否する信長。
「わしは、この席でいいのじゃ。わしが、ここに座ると言うたのじゃから。
ここの方が、前の景色がよく見えるからのう。
余計なことはせんでいい。それにその堅苦しい振る舞いはやめよ。
今は、お主の方が上なのじゃから」
「そんな滅相もない」
ある大きなタワーマンションの前の道路を走ってくる白いBMW。
運転しながら高井は、そのタワーマンションを指さす。
「あの目の前に見えるマンションが我が家です」
「おお!わしの安土城より、はるかに高いではないか。高井殿だけにな」
「しゃれですか?(笑)」
「つまりこの世では高井殿が天下人なのか?」
「とんでもございません。あのマンションの10階の一部屋が我が家です。
私はしがない経営者の端くれですよ。殿、一つお願いがあるのですが
いいですか」
「なんなりと申せ」
「その格好では、マンションの他の住人に怪しまれます。マンションに
着きましたら、この車の後ろの座席にある私の帽子とコートを着てもらえますか」
「承知した」
マンションの駐車場に停まる白いBMW。車から降りてくる高井。高井が助手席の
ドアを開けると、高井のキャップと春物のコートを身につけた信長が降りてくる。
マンションを見上げ足を止める信長。
「わしは、これからどうなるのか…」
「私に考えがあります。今私は、信長さまと一緒にいることが限りなく幸せ
なのです。これは天が私に与えてくれた奇跡です。ですから私が殿をお守りすることを
天命と心得、励みますのでご安心ください。
ただし、これからひとつだけ守っていただきたいことがあります」
「なんじゃ」
「私以外に、絶対、自分が信長であると名乗ってはいけません」
「なぜじゃ」
「詳しいことは、私の部屋でお話しします。ではこちらへ」
高井はそう言って、信長をマンションのエントランスへ誘う。