第28話:辞世の句
ランチを終え、難波宮跡の南側の歩道を、東に向かって歩いている葉子と珠江。
11月にしては少し暖かく、散歩には心地よい。そのせいか、珠江の表情も明るく、葉子との会話も弾んでいる。
「これって、あの城南教会に向かってません?」
「向かってはいるけど、そこが目的地じゃないのよ」
「そうなんですね。何か、楽しみです」
そう言っているうちに、二人は城南教会の前の交差点に到着。葉子は信号を渡らずに歩道を左折して、自分についてくるように珠江を誘導する。
「珠江さん、教会じゃなくてこちらですよ」
「そういえば、こちらの方に行ったことは今までなかったかも…」
葉子は歩きながら珠江に、交差点にある石碑が立つ16畳ぐらいの場所が目的地だと告げる。
「あの緑に囲まれた、石碑とお地蔵様の祠がある場所が目的地なのよ」
「へぇ〜、何か言われのある場所ですか?」
「もう少し近づいたらわかりますよ」
葉子にそう言われて、小走りで石碑に近づく珠江。石碑の前で足が止まり、急に表情が曇る。
珠江の目は、石碑に掘られている文字を上から下へ追っている。石碑には、「越中井 細川忠興夫人秀林院殉節之遺址」という文字が掘られている。珠江は、その石碑にゆっくりと撫でるように触り、今にも泣きそうな目で「細川忠興夫人」の文字を見つめている。
「まさかここが…」
その様子を少し離れて真剣な表情で見守っている葉子。
珠江は、恐る恐る石碑の右側に回り込む。そこにある文字を見て、腰が抜けたように崩れ落ちる。
葉子は、珠江を心配して叫びながら駆け寄る。
「珠江さん!!!」
珠江の横にしゃがみ、珠江の体を両手で支える葉子。珠江は、項垂れていた頭をゆっくりと起こし、石碑の文字に見入る。すると目には涙が溢れ、涙が頬を伝わる。
「あの時、私がこんな決断をしなければ、家臣や屋敷に残った侍女たちが死なずに済んだものを」
石碑に掘られた文字は、関ヶ原の戦い前夜、ここにあった細川屋敷で珠江こと細川ガラシャが詠んだ辞世の句であった。珠江は、小さく囁くような声でその句を詠む。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
「花も人も散る時を心得るからこそ美しい。 そういうことですか…」
「ええ」
葉子の辞世の句の解釈に応える珠江。その時、慶長5年、最後の時に立ち会ってくれた家老 小笠原の顔が脳裏をよぎる。
「お方さま、お見事でございます」
小笠原の顔は、少し満足そうに笑みを浮かべている。
珠江はゆっくりと立ち上がり、振り返る。そこには細川屋敷の井戸が残されている。
葉子も続いて立ち上がり、珠江が再び倒れ込まないように珠江の体をやさしく支える。
珠江の脳裏では、現在の井戸の風景が、当時の井戸の風景に変化。まだ10代の侍女が、井戸から水を汲んでいる。次女は、井戸の側を通りががったガラシャ(珠江)に気づき、明るく元気に挨拶をする。
「お方さま、おはようございます!」
ガラシャ(珠江)に向けて一礼をし、向き直った顔は、さわやかな笑顔であった。しかし、その笑顔は紙のように燃え上がり、灰となっていく。そんなイメージが、珠江の眼前に広がっていく。
珠江は、気を失いそうになり倒れかけるが、葉子がしっかり力を込めて珠江を抱きしめる。
葉子は、茫然自失となっている珠江に、当時の珠江の判断がまちがっていないことを諭す。
「珠江さん、あなたは細川の家を守るために、立派な行いをされたのですよ。だから、もうこれ以上自分を責めないでください」
葉子は、珠江を抱きしめながら、やさしく頭を撫でる。
「私は、デウスさまより、何よりも大切なものは人の命であることを学んだはずなのに。多くの命を犠牲にして…」
珠江は、少し強い口調で言い放ち、葉子の手を振り解き、石碑の前で下を向きながら泣き続ける。
葉子は、一瞬、珠江の行動にたじろぐが、毅然とした態度で珠江に意見する。
「だからこそなのよ、珠江さん。多くの人の命が失われ、珠江さんだけが、時空を超えて今の世に転生された。これは神が選ばれた運命。つまり、多くの亡くなられた方の分までしっかりと生き抜くことが、珠江さんに与えられた使命で
あり、供養なの。だから明智光秀さまのこともそう。お父様まで、この世に転生された可能性は低いと思う、申し訳ないけど。だからお父様も珠江さんにはしっかり生きてほしいと思われているはず。もう過去は振り返らずに、明日のためにできることをしっかり会得しながら私と前にすすんでいきましょう!」
珠江は次第に泣き止み、葉子の方に振り向く。その顔には、少し笑みが戻っている。
「珠江さんには、少し酷だったかもしれないけど、今言ったことを知ってほしかったので、ここに来てもらったの。わかってくれた?」
「はい!わかりました。もう、迷ったりしません。父のためにも、あの日なくなった人々のためにも、そして神のご意志に従うためにも、今日からもっと前向きに生きていきます。葉子先生! もっともっとガラス工芸の技を教えてくださいね。よろしくお願いします!」
「その調子よ。じゃ、お店に帰りましょうか。あんまりここに長居してると優衣が心配するからね」
「えっ? 優衣さんも、葉子先生が私をここに連れてくることを知ってたんですか?」
「ええ、そうよ」
「シスターは、この場所のこと何も言ってくれなかったです」
「そりゃ、かなりショックを受けるかもしれないと思ってたんじゃない。私と優衣は、ここでお話しするのがいいと思ってたけど。どうせ、珠江さんは、いつかここのことも知ると思ってたから」
「そうですね。なんかスッキリしました」
「じゃ、ちょっとだけ工芸の道具、買い物して帰りましょうか。途中で優衣には電話するから」
「はい、つきあいます!」
大阪城の大手門付近の道を、楽しそうな会話をしながら歩いてくる珠江と葉子。
葉子が指差す方向には、美しい青空背景に映える大阪城の天守が、聳え立っていた。




