第26話:珠江の憂鬱
大阪城の南西、大阪メトロ 谷町6丁目駅に程近い、昔ながらの町屋が残るエリア。
ある三軒続きの町屋の一軒が改造され、ガラス工房「ガラス屋」という看板がかけられている。
町屋特有の格子は、ガラス戸に入れ替えられており、外からさまざまな手作りのガラス作品が見える。
店内では、所狭しと作品が並べられ、ステンドグラス、小物、トンボ玉、風鈴などを20代の女性客がゆっくりとチェック中。奥のパーテーションの向こう側には、作品づくりの作業スペースが設けられている。
ちょうど今、この店の店主でガラスアーティストの道上葉子(40歳)が、ある女性にトンボ玉作品制作の指導をしているところ。髪の毛を後ろでまとめた女性は、赤いガラス棒の先を卓上バーナーで溶かして球体にし、透明なガラス棒を溶かしてその球体の上に載せようとしている。
「そう、その調子ですよ」
女性は、赤い柄の球体を溶けた透明のガラスで包み込むことに成功。女性は完成した作品を見せようと作品を持って葉子先生の方へ振り返る。
「先生、どうでしょうか、このできばえは?」
その振り返った女性とは、葉子先生の家に住み込みで働いている細川ガラシャだった。カジュアルなセーターとジーンズにエプロンをつけた格好が、なかなか様になっている。
「いいんじゃないかしら。珠江さんは、なかなかいい筋してると思いますよ」
「ありがとうございます!」
このお店では、ガラシャさんは、珠江と呼ばれているらしい。ガラシャはあくまで洗礼名。本名は、細川珠。
おそらく珠江という名前は、本名の珠から来ているのであろう。
「私、かなり好きになりました、ガラス細工が」
「よかったわ。なんか珠江さん、ここに来た時より、かなり明るくなっている気がするわ」
「そうですか?ありがとうございます。もっともっと練習して、お店に並べてもらえる作品がつくれるようにがんばります」
「そう、その調子。じゃ、今日はここまで」
「はい」
ガラシャこと珠江は、バーナーの火を消し、完成した作品をケースに入れ、作業用エプロンを外す。ちょうどその時、お店の方から会計カウンターのベルの音が鳴り、葉子が返事をする。
「はーい。すぐまいります!」
葉子は、そう言いながら、珠江の方へ振り向く。
「じゃ珠江さん、発送する商品の梱包、お願いしますね。私は戻りますから」
「わかりました」
珠江は、作業場の横のスタッフルームの中へ入っていく。
しばらくして、お店の会計カウンターでお客様が購入した商品を紙袋に入れている葉子さんのところに、梱包した商品3点と発送伝票を持ってくる珠江。葉子は、紙袋をお客様に渡して、お客様を送り出す。
「ありがとうございました。また、お待ちしています」
「ありがとうございました」
お客様に向かっておじぎをする葉子と珠江。お客様がお店を出ていくと同時に、少し背の高い、細身の女性が店に入って来た。葉子の妹で、お店の隣の町屋で、洋子と珠江と一緒に住んでいるグラフィックデザイナーの優衣である。
「お姉ちゃん、新しいパンフレットできたよ。こんにちは、珠江さん」
「こんにちは」
そう言ってパンフレットの入った封筒を葉子に渡す優衣。
「ありがと‥」
葉子は店内の古い柱時計を見る。時計の針は、お昼の13時30分すぎを指している。
「もうこんな時間か。じゃ、みんなでちょっと店を閉めてランチでも行く?」
「私はもう食べたから、店番でもしとくわ。珠江さんと二人で行ってきたら?」
「そう? 悪いわね。じゃ行きましょうか」
「はい。では行ってきますね」
「いってらっしゃい」
二人を送り出した優衣は、心の中でこうつぶやいた。
「お姉ちゃん、もうあそこに珠江さんを連れていったのかしら?」
葉子と珠江は、生パスタ専門店「なにわ屋」という、こぢんまりしたイタリアンのお店の席につき、ランチメニューのAセットを注文している。店員がその注文を聞いた後に、一言添える。
「コーヒーは、いつお持ちしましょうか?」
「私は、食後で。珠江さんは?」
「私も食後で…」
「はい、承知しましました」
店員が、席をはずすと、急に珠江のテンションが落ち、下を見る。先ほど、自分で作品をつくり上げた時のはしゃぎようとは正反対。葉子は、自分の店に珠江が来た時から、1日のうち何回かはこのように落ち込んだ様子を見せることを心配していた。
「珠江さん、どうかした?」
「なんでもないです」
珠江は、気持ちを切り替えて明るくその場を取り繕う。
「先生、次はどんなガラス細工を教えてもらえるんですか? 私、楽しみで楽しみで‥」
葉子は、自分のことを気遣って、無理に明るく振る舞っているのだなと思った。教会のシスターも言っていたように、やはり珠江さんは、まだ父上のをことを考えているのだ。葉子は、珠江の気持ちに一区切りをつけさせるために、思い切ってあることを珠江に提案する。
「珠江さん」
「はい」
「実は、今日、ランチが終わったら、珠江さんを連れて行きたいところがあるの」
「どこですか?」
「それは…行ってのお楽しみ。ここから歩いて15分ぐらいかな」
「近いんですね。なんか楽しみです」
「そうね」
葉子は、珠江が喜ぶ様子を見て、これでいいのだろうかと心の中で自問自答していた。




