第20話:家康の首
慶長20年(1615年)5月7日、牛の刻(正午ごろ)。
毛利勝永は、現在の四天王寺南門あたりの天王寺口に本陣を構えていた。
毛利勝永や真田信繁など豊臣方の大将同士の取り決めでは、まず徳川方を天王寺口付近の狭隘な丘陵地に引きつけ、攻撃する。そして手薄になった家康本陣を側面から真田隊が攻撃し、家康の首を上げるというものだった。
毛利本陣の勝永は、敵が攻め入ってくることを焦る事なく待ち構えていた。空を見上げると、天下分け目の決戦の日を忘れてしまうほど、雲ひとつない青空。のどかに鳥の鳴き声もしていた。そんな時、遠くで一発の銃声が鳴り響く。と
同時に軍勢が攻めてくる大きな地響きにも似た音が近づいてくる。勝永の元に、伝令が到着する。
「申し上げます!」
「先ほどの銃声は、なんじゃ?」
「我が軍の寄騎が、動かぬ敵兵に鉄砲を放ち…」
「あれほど、先に仕掛けるなと申したではないか!!」
勝永は怒りに震え、立ち上がる。
「御意!しかしその結果、敵が一斉にこちらに向かって動き始めました」
勝永は、見晴らしの良い場所に移動し、遠方から丘陵地に向かって徳川方の先鋒隊が突撃してくるのを自分の目で確認する。
「何れ、こうなることはわかっておったが、仕方ない」
勝永は、本陣の家臣団の方を振り向き、指示を出す。
「皆の者、わしに続け! 真田殿のために一気に家康本地への道を開けようぞ。出陣じゃ!!」
「おぉーーー!!」
家康本陣では、家康本人は余裕を持って仮眠をとっていた。74歳になった家康は、髪は真っ白で、しわの多い疲れ果てた老人にしか見えなかった。しかし突然沸き起こった軍勢の叫び声や鉄砲の音にハッと目を覚ます。
「どうしたのじゃ?」
いつも冷静な家康が、この時ばかりは慌てて家臣に尋ねた。
「毛利勝永勢が、先鋒の本多勢に仕掛けたようでございます。しかし大御所様、二番手の榊原勢、三番手の酒井勢と控えておりますので、よもやこの本陣にまで毛利勢が迫ることはありますまい」
家康は、立ち上がり、少し怒り気味の強い口調で家臣を諌める。
「何を言っておる!油断は禁物じゃ。あの毛利勝永という男、かなりの強者。それにあの真田も油断ならぬ。秀忠にも伝えよ。黒田、藤堂とともに毛利を横から攻め、その動きを止めよと!」
「御意」
家臣は、慌てて本陣を後にする。
その頃、赤揃えの鎧に身を包み茶臼山に本陣を構えていた真田信繁は、床机に座り遠方に見える徳川本陣の動きに注目していた。
毛利勝永の軍勢が徳川本陣に迫り、徳川本陣から多くの兵が毛利軍を撃退するために移動していく。
信繁は持っていた軍扇で、大腿部を覆う鎧の草摺をポンと叩き、立ち上がり家臣に向けて檄を飛ばす。
「今こそ、徳川本陣を攻める時ぞ!見よ、勝永殿が見事に家康の軍を翻弄しておる」
「我が先鋒も、目の前の松平軍を押し始めておりまする。我らにも出陣の御沙汰を!」
そう家臣の一人が信繁に伝えると、信繁はその家臣に近づき、笑顔で諭すように答える。
「お前たちだけに行かせるものか。わしも一緒じゃ。全軍で松平を討ち破り、家康を攻める!いざ出陣じゃ!!」
「御意!」
「狙うは家康の首、ただ一つぞ!!」
真田信繁は、側に立ててある十文字の槍を持ち、家臣団とともに出陣する。
毛利勝永の軍も、家康本陣に向けて快進撃を続けていた。
家康の兵たちは迫り来る毛利軍の圧倒的な速さと鬼気迫る迫力に怯え、戦うどころかどんどん戦線から離れていく。
勝永も騎乗から多くの兵を槍で倒していく。そして家康の兵が少しひいたところで家臣の一人が馬で勝永の隣につける。
「殿、あれを」
家臣はそう言いながら、遠くで赤揃えの軍勢が家康本陣に雪崩れ込む様子を指差す。
「おお! 真田殿の軍勢が家康の陣に傾れ込んでいくではないか。我らの策は上手くいったようじゃのう!よし、我が軍勢も真田殿に加勢するぞ!」
「御意!」
家臣は、背後に振り返り、毛利の軍勢に向かって叫ぶ!
「真田殿に加勢するぞ! 我が軍勢は神の軍勢ぞ!皆、かかれー!!」
「おう!!!」
それを聞いた家康の兵たちは、家康を守ろうと本陣に戻ろうとするが、勝永の軍勢に悉く討たれていく。
家康本陣では、家康の周りで家臣団が落ち着きなく動き回っている。
地響きのような軍勢の音が迫ってくることに家康本人だけでなく誰もが恐怖を感じ始めていた。
そこに伝令が飛び込んでくる。
「申し上げます。松平忠直殿、討死! 西から真田軍がここに迫っております。東から毛利軍も‥」
「殿、ここは危険です!撤退のご決断を!」
家康は、ゆっくりと目を閉じ家臣に答える。
「ここまでわしを追い詰めるとは、さすが真田よ。ここがわしの死場所かもしれんな。秀忠さえ、将軍さえ生き残れば。この戦は勝ちじゃ。わしは捨て駒になり、ここで腹を切る!介錯いたせ!」
家康は、脇差を抜こうとするが、家臣団が、家康を羽交い締めにして止める。
「大御所様!おやめくだされ! ここは我らと陣を引き、立て直しましょう!」
「手をどけろ!わしは、秀忠を守ればそれでいいのじゃ!離せ!!!」
その時突然、陣幕を倒し、真田の軍勢が家康の陣に乱入。
真田の兵が、家康の周りの家臣や兵を討ち取り、家康だけが真田軍に囲まれ取り残される。
真田軍の中から、騎乗の信繁が現れ、馬を降り、家康と対峙する。
「家康殿。戦は数だけで勝てるものではござらん!抜かりましたな」
「親子揃って、わしをたばかりよって!」
「なんとでも言いなされ!御覚悟を!」
そう言って、信繁は家康の首を十文字の槍ではねる。
宙に舞った家康の首は、地面に落ちる。その表情は、信繁をしっかりと睨みつけている。
「おおーー!」
真田の家臣、兵たちは一斉に歓声をあげるが、信繁はそれを制止する。
「浮かれいる場合ではない、すぐに徳川の軍が我々を取り囲んでしまうぞ。皆無事に大阪城までたどり着くのじゃ!」
「おう!!」
家康本陣内に攻め入ってくる、秀忠の軍勢と再び戦闘状態に入る真田軍。
白い布に包んだ家康の首を家臣に渡され、急ぎ馬に乗り家康本陣を後にする信繁。
その顔は晴れ晴れとしていた。
「父上!私は、真田家の宿敵をついに討ち取りましたぞ」
信繁は、そう心の中で父に語りかけ、迫り来る徳川の兵を槍で退けながら家臣と共に馬を飛ばす。




