第10話:土下座
光秀は、ふと思った。この頬の痛みは、あの世や夢の中では感じることができないもの。つまり自分は本当に今、生きているのだと結論づけた。
「上様! それがしも上様も今ここで生きているということなのですね」
「ようやくわかったか。その通りじゃ」
もう一度、光秀は土下座の体勢になる。
「それでは改めて上様に申し上げまする。この度の謀反、それがしの不徳のいたすところでございました。上様のそれがしへの理不尽とも思える所業の数々。それがしは、その深き意味を知ろうともせず、ただひたすら上様のことを恨んでおりました」
ノブさんの顔が少し、険しくなっていく。
「しかし、本能寺で上様の首が見つからず怯えていたそれがしの心に突然、後悔の念が湧き上がってきたのです。
お前もわしに続き天下人を目指すなら、今一度精進し、大きくなれと。そのためにわしは貴様を鍛え上げているのだ!と。そのような上様の声が聞こえてきたのです。本能寺の一件で、もうそれがしの面など見たくもない!この場で切腹いたせとお思いでしょうが、生きておられるなら、なにとぞこの光秀をお許しくださいませ。もう二度と上様に楯突くようなことはいたしませぬ。それがしは、上様あっての日向守光秀なのですから‥」
土下座しながら泣き崩れる光秀。ノブさんは、偽りのない光秀の本心を知り、光秀のことをいとおしく思うようになっていった。そしてノブさんはしゃがみ込み。光秀にやさしく声をかける。
「光秀。もういいのじゃ。お前もわしもこの時代で生きているのだから。これも天がわしらに与えてくださった定めよ。のう!光秀。頭を上げよ」
ノブさんにそう言われ、再び頭を上げる光秀。ただ、何か納得していないような表情を見せる。
「上様をそれがしをお許しになられたことは、天にも昇るうれしきことではありますが、この時代とはどういうことでござる?ここはどなたが治めるいつの時代なのですか?」
「天正から400年以上のちの令和という時代なのじゃ。治めているのは、武士でも帝でもない、この日の本の民が選んだ総理大臣が率いる日本政府なのじゃ」
公園の彼方に聳え立つビル群や空を飛ぶ飛行機を眺めノブさんの言っていることが事実であることを悟る光秀。
「城よりも高き砦や空を飛ぶ鉄の大きな鳥、それにこのような大きな石のタコでござるか。400年の時は多くのことを変えたのですね。では上様はどうやってこの時代に?」
「光秀よ。もう上様という呼び名はよせ。ここではノブさんで通している。わしは、本能寺のあの夜、燃え盛る寺の寝所にて自害するつもりで脇差を抜いたのじゃが、その時ちょうど天井や柱が崩れ下敷きになり
気を失った。そして次に目がさめるとこの時代に来ていたということじゃ。察するにお前も、あの秀吉に戦で負け、命を奪われる寸前にこの時代に飛ばされたのであろう」
「さすが上様。図星でございます」
「では立つのじゃ光秀」
ノブさんと光秀は一緒に立ち上がる。
「もう上様でもなければ、家臣でもない。だから土下座もない。わしにとってはこの時代で戦国の世を経験した唯一の友、それがお前、光秀じゃ」
「ありがたき幸せ!」
「その言い方もなんとかせなあかんな」
ノブさんと光秀が話している姿を、いつの間にか公園にやってきた小学生低学年の男の子とお母さんが、少し離れた公園の入口あたりで見ている。ノブさんも、その親子に見られていることに気づき、お母さんに軽く会釈をする。すると恐る恐る親子がノブさんの方に近づいてくる。
「光秀、その兜を脱いで、甲冑も外すのじゃ。その格好ではあまりにもこの時代では目立ちすぎる」
「おうせのままに」
「ああ、もうその言い方もあかんで。はい、わかりましたや」
ノブさんが振り向くと、もうそこにはお母さんと息子の姿。
「えらい鎧着て、なにしてはるんです?」
「なんか、めっちゃかっこいい!」
小学生の息子は、光秀の鎧の袖を手で触る。
「ママ、これ重いよ。本物だよ」
「そう、紛れもなく。お褒めに預かり嬉しうござるよ」
「おまえは話さんでええから、はよ外せ」
ノブさんは、光秀が子供と話すのを遮る。そしてお母さんに事情を説明する。
「実は、時代劇の舞台の練習をしてまして、こいつだけが不器用なんでわしがここで特別レッスンしてたんですわ。巨大なタコと戦う侍という設定なんですけど」
「でも、なんか、お侍さんの雰囲気ちゃんと出してはりますけど」
「それはそうなんですけど、セリフ覚えが悪くてね。ちょっと急いで戻らな
あきませんので失礼します。ほら、行くぞ!!」
脱いだ兜を持っている光秀の手をとり、急いでその場から立ち去っていくノブさん。
「上様。いずこへ?」
「だから上様は止めと言うとるやろ!!」
ノブさんは、自分が初めてこの時代にタイムスリップして高井に車へと連れていかれたことを思い出しながら、戦国時代の友があらわれたことにで少し笑みを浮かべていた。
ノブさんに連れられ、光秀はある古いアパートの階段を2階へと上がっていく。
二人が立ち止まった部屋の玄関には「時田」の表札。
ノブさんは、鍵を開け二人で部屋に入っていく。
部屋の中で、光秀は甲冑を外し終えて、まだ季節的に布団がセットされていない小さなコタツテーブルに出されたお茶を飲みながら、1LDKの部屋を物珍しそうに見回している。ノブさんの方は、箪笥から自分のパーカーや Tシャツ、スウェットパンツを取り出しては、座っている光秀の前に放り投げていく。
「とりあえず、わしの服に着替えよか、ヒデちゃん」
「ヒデちゃんとは?」
「この時代にあった気軽なお前の呼び方やないか。光秀のヒデでヒデちゃんや。だから言うとるやろ、わしは信長やからノブさんでええって」
「そんな失礼な呼び方は…」
「ええの。はよ着替えや。そやないと外に行かれへんがな」
「次は、どちらへ」
「ヒデちゃんは気にせんでええから。わしにまかさんかい。
この時代でストレスなくちゃんと生きていけるようにしたるからさ」
「スットレスとは何でござるか」
「後で教えたるから、今はまず着替えよ。 わかった?」
「御意!」
「違うって!はいでええねん。わからんやつやな!!」
ノブさんにの顔に、疲れの色が見えている。




