俺はスパダリでもドアマットでもかまわないのだが
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春の文化祭を翌月に控えている。生徒会の出し物もそろそろ決めなければいけない。生徒会の長である俺は口の字型に配置された席――黒板を背にした上座に座り、副会長の鈴木はというと、上座から最も遠い端っこに座っている。そこにあるのはなんらかの美学なのか――その鈴木が手を上げた。「風船でも売ったらどうですか? ダメですか? いけませんか? ゆるせませんか? しょうもないですか? ほかに意見があるなら誰でもいいですから言ってください。風船以上の夢を謳ってください」とえっらいメチャクチャ早口で言ってのけた。鈴木が賢い、あるいは勉強ができるのはみなが知るところだ。だからこそだ、鈴木の瞬発力のある発案と言葉には誰もついていけず、またそんな中で賛同を求められる――。ついていけるのは俺だけだろう。鈴木のデフォルトだ。思いやりをもって相手に接することがない。
「まあ待て、鈴木」
「会長は私のことを呼び捨てにされるんですね。年下だからですか? 下に見ているからですか? 女だからですか? ダメダメですね、会長は。私は見損ないました。とっととこの部屋から出て行っていっていただけませんか? お願いします。もう一度言います。LGBTQを意識してください。理解してください。できないならいますぐ荷物をまとめて出て行ってください。ご実家に帰られてください。邪魔ですから」
「俺は会長だから、そうもいかないんだよ」
「だったらこの場で死んでください。餓死してください、即死してください」
「すぐに餓死することは不可能だ。一つだけ、助言だ」
「なんですか?」
「極端な早口はやめたほうがいい。捲し立てるような言い方もよくないぞ」
「うるさいです。やかましいです。そんなことをのたまう私は許せませんか? ダメですか? 私はあなたが大嫌いです、会長」
場がじわりと色めき立ったのだが、俺はそんなもの、気にしない。
俺は腕を組んで、仰け反るようにして胸を張った。
「風船屋はダメだ。夢はあるが需要がないだろう」
「だったらおでん屋さんとかどうですか? 味噌おでんです。ダメですか、いけませんか? 軽蔑しますか、軽んじますか? 会長はおでんすら下に見るんですか? 見下されるんですか?」
「鈴木、そうは言ってないぞ」
「でしたら会長、あなたが案を出してください、お願いします、ダメですか、いけませんか? 会長、あなたは言うことだけ言ってなにもしない愚か者なんですか馬鹿なんですか?」
「いろんな意味で二番煎じだが、メイド喫茶にしよう」
鈴木は「うわぁ」と言って目を丸くした。
「会長はヘンタイだったんですね。自死すればいいと思います。っていうか死んでください。いますぐこの場で死んでください。お願いします」
「だが鈴木、おまえは肌を見せることに抵抗はないんだろう?」
「うっわ、会長はほんとうにヘンタイです。やっぱり死んでください。この場で心臓発作で死んでください。脳梗塞とかでもいいです。お願いだからお願いします」
「だから、早口はよせ。俺とおまえの会話には、誰もついてこれていない」
鈴木は「わかりました、残念ですけどわかりました。読書をします。もうほうっておいてください」と言い、文庫本に目を落とした。距離があるのでさすがになにを読んでいるのかまではわからない。
生真面目な書記の男子、それにこれまた真面目な広報の女子が、揃って「異議はありません」だなんて言った。二人に対して「ほんとうにいいのか?」と問うと、受け容れてくれるらしい。
かくして、出し物は決まったのである。
鈴木が文庫本から顔を上げた。
「ほら、私が言うとおりになるじゃありませんか。会長は馬鹿なんですよ。大馬鹿なんです。なんでしたら私が会長をしてさしあげてもいいくらいです。無能な上司に仕えると損をしたり悪い被害を被ったりする。社会の縮図です。わかってください、そのへんは、会長」
「会場はどうする?」
「ここ、生徒会室でいいではありませんか。会長、あなたどこまで馬鹿なんですか? 阿呆なんですか? それとも場をセッティングすることすら面倒なんですか? だったら軽蔑もしますし侮蔑もします。とりあえず、死んでください。お線香くらいはあげてあげますので、よろしくお願いします」
鈴木はあらためて、「赤いマフラー」に口元をうずめた。読書に戻る。マフラーはプレゼントらしい。誰からかって? ――それは。
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「今日はいいです」
「今日もいいです」
「明日も必要ありません」
家まで送ろうと言った結果が、これだ。俺自身、あまり重要な行為だとは考えていないのだが、それでも女子が一人で帰宅するのはそれなりに心許なく思っていた。ウィーケストリンクだ。俺の弱いところである。それでも無下に扱われては、そしてきっと心の底から要らないと言ってしまわれるとどうしようもないわけだ。
そもそも、なにか鈴木の気に障ることをしただろうか、と考える。
――まるで心当たりがない。
真意みたいなものを問いただすために鈴木の家――うどん屋を訪ねようかとも思うのだが、そしたら客である以上邪険にされることもないと考えるのだが、それはなんだか違う気がする。なぜだかよくわからないが、鈴木は俺から距離をとろうとしている――ように見える。いや、本人にはまったくその気持ちはないのかもしれないが。俺はなにぶん鈍感なので、女子、女性、異性の感情の機微はやはりわからない。だったらと、また考える。鈴木は俺のどこが気に食わないのだろう。
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生徒会室を店内として設けたメイド喫茶のバックヤードで、俺はしこしこ働いていた。といっても、ジュースを紙コップに入れたり、コンビニで買ってきたベルギーワッフルなんかを紙の皿にのっける程度のものである。だが思いの外盛況で、廊下には列までできているらしい。商品の準備は生徒会メンバーに任せ、実際に店に出てみた。ウェイトレスは三人しかいない。それが生徒会の限界だ。廊下に出ると「きゃあぁっ! 会長!!」と黄色い声を浴びてしまった。俺に興味があるだけだったらどうして我がメイド喫茶で列をなしているのか。そのへんはなはだ疑問ではあるものの、そんなことを言いだしてはきりがない。とにかく賑わいを見せているのは結構なことだ。
男子の目的ははっきりしていた。それははたから見ていればよくわかる。ほかの生徒会メンバーには申し訳ないのだが、ほとんどの客は鈴木目当てだと思われる。いつもいつもつっけんどんな鈴木がいっぷう変わった短いスカートのメイド服を着ているのがたまらないのだ。でも、鈴木自身の接客態度については感心できたものではない。雑で粗野なのだ。とてもではないが褒められたものではない。
俺はそんな鈴木をバックヤードに呼び寄せた。「ちょっと来い」といったふうに。
「なんですか、なんなんですか? 会長も私を見て欲情しているんですか? 私に卑猥なことをしたいんですか? 私にイタズラしたいんですか? 違いますか? 違うならきちんとそう言ってください」
「違う」俺ははっきり言った。「もう少し客に愛想を振りまいたらどうだ?」
「どうしてなんの利害関係にもないニンゲンに優しくしないといけないんですか?」
「商売とはそういうものだと予測する」
「働いたことなんてないのに、そんなことをおっしゃるんですか? 馬鹿ですね、会長は。墓穴を掘りましたね。身の程を知れと言いたいです」
「俺は予測すると言った。知ったふうな口を利いた覚えはない。おまえこそ、知ったふうな口を利くな」
俺が少々睨みつけるような目線を向けたせいか、鈴木は顎を引き、怯んだような目をした。
「おまえの頭が悪いとは言っていない。ただ、俺のほうが賢いというだけだ」
「そんな、傲慢なセリフ……」
「俺はおまえを買っている」
「えっ」
「買っていると言ったんだ。どうせメイドをやるならみなが楽しくなるように努力しろ」
「ここにきて命令ですか? ふざけないでください、頭にきます。いますぐ謝罪してください、土下座してください、地面を舐めてください、お願いします」
「そんなこと、俺がするわけないだろう?」
鈴木はいよいよ目を伏せ。
「わかりました。いいです。がんばってさしあげます。私は誰に嫌われてもかまいませんけれど」
「おまえは生徒会のニンゲンだ。仲間がいることくらいは意識しろ。それだけだ。行ってこい」
それ以降、鈴木の接客の具合は目に見えて改善され、生徒会は予想していた以上の売り上げを得ることができた。鈴木が少しがんばるだけでこれだけの成果が上がるのだから、鈴木自身は尊い存在と言える。そのへん、本人は考慮してみてもいいのになと、俺は上から目線で思うのだった。
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いろいろと議題がのぼった会議後、俺は夕日が差し込む生徒会室にあって、読書をしていた。なにもかもが失せた静謐な教室は好きだ。夕焼け空だとなおのことサイコーだ。ずっと「森博嗣」を読んでいる。もう何度行き来したかわからない。うんちくがうるさいように思う。ただそこには茶目っ気があり、また事実があるように考える。事実と真実の違いを教えてくれたのも彼だったなと思う。そのへん、取り違えているニンゲンが少なくないから指摘を――してやりたいだなんて思うものか。俺は無駄かつ余計な真似はしないタチだ。――否。時折、無意味なことに力を使ったりもするのだけれど。
教室の後ろの出入り口――戸ががらりと開いた。現れたのは鈴木。驚いたように目を見開いてから、明らかに上辺だけの笑みを浮かべた。
「会長はお暇なんですね」それが鈴木の第一声だった。「軽蔑します、侮蔑します。若いくせに暇なニンゲンは死んだほうがいいです。死んでください、お願いします」
「死んだほうがいいそのニンゲンに、なにか用か?」
「そんなわけないじゃありませんか」鈴木は不愉快そうに言う。「会長がまだここにいるって聞いたから、話でも聞いてさしあげようと思っただけです。そうですよね、会長は孤独ですもんね、ぼっちですもんね、寂しいヒトですもんね、寂しいだけの哀れなニンゲンですもんね」
やっぱり一を言ったら十以上のものが返ってくる。
そして、やっぱり赤いマフラーで口元まで隠す。
俺は「そのマフラー、手放せないのか?」と意味深なことを訊いてやった。いろんな意味で核心を突くようなことを言ってやったつもりだが、鈴木はこう切り返した。
「柔軟剤の匂いがとても好きなんです」
なるほど。うまいことを言ったものだ。
鈴木が椅子を引っ張ってきて、その上に腰掛けた。
「まだ『恋恋蓮歩の演習』ですか。私はもう二周しましたよ」
「残念だな。俺はもう四周目だ」
「残念でもなんでもありません。自慢しないでください」
「そうか。すまなかった」
「謝らないでください」
「そうか。悪かった」
俺はまた、読書に耽り出す。
「会長」
「なんだ?」
「こっちを見てください」
「なんだ?」
「家まで送ってください」
俺は「よしきた」とでも言わんばかりの勢いで立ち上がった。
「ようやく俺の気持ちが届いたか」
「気持ちって、なんですか?」
「おまえのことが心配だという気持ちだ」
鈴木はマフラーに口元をうずめたまま、見上げてきた。
キタキツネのようにとがった目。
怒っているようにすら見える。
「おうどんをご馳走します。今日はうまく打てたようですから」
「今日はうまく? 毎日のクォリティに差が出る。よくないな」
「怒りますよ? ウチだって一所懸命やっているんです」
「すまなかった。ご両親は? 違うんだったか?」
「いえ、いまの経営は両親ですけれど?」
「すばらしいな」
「なにがですか?」
「職人とはそれはもう、すばらしいんだ」
俺は鈴木の頭をくしゃくしゃと撫でてやり、教室の出入り口へと向かう。
「やっぱり偉そうです!!」
鈴木は不本意であるようだった。
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後日、夏服になった最中にあって、俺は早朝、鈴木の自宅を訪ねた。すなわちうどん屋だ。途中、LINEで連絡を入れ、それからやや時間があって、店から姿を現してくれたのは黒い短パンに黒いTシャツ姿の鈴木だった。
鈴木は「ま、待っていてください! 着替え、すぐに済ませてきますから!」と、らしくもなく戸惑ったように大きな声で訴えてきた。まあ、そんなところを見たかったんだけどなと思い、俺は人知れずクスクス笑った。
朝もやがかかっている商店街。もう暑い盛りにあるのに、やっぱり鈴木は赤いマフラーをしている。口元を埋め、「会長の性格は最悪です……」と恨めしそうに言った。
「たまには驚かせてやろうと思ってな」
「ええ、はい、それはもう驚きました、びっくりしました、これでもう満足ですか? 満足でないとしてもこれ以上のリアクションは示しませんから。殺してやりたいです、死ねです、くそったれです、見損ないました」
――と、そのときだった。
後方から足音が迫ってきて――走ってくる音だった。いきなり後ろから左肩を掴まれた鈴木が、ずっと先まで引きずられた。鈴木が驚いたように目を丸くしたのが確認できた。咄嗟に俺は叫んだ、「鈴木!」。いつもなら「やめてください!」とか言いそうなものなのに、とにかくびっくりし――また、怖がっている様子が俺にはたしかに見えた。スクールバッグを放り出し、すぐさま後を追う。鈴木が抵抗したこともあって、犯人はそうそう長い距離を引きずることはできなかった。犯人の顔面にド正面から飛び蹴りを見舞ってやった。鈴木を放して吹っ飛んだ相手、敵。俺は理性の糸が吹っ切れて、その上に馬乗りになり、何度も何度も顔を殴りつけた。向こうが明らかに気を失ったところで落ち着いた。振り返ってまた「鈴木!」と声を発していた。
「私はだいじょうぶです。膝をすりむいてしまいましたけれど」
「その程度で済んだのなら、まあ、御の字だな」
俺はふぅと吐息をついて、笑顔を作った。
「警察、呼びますね?」
「そうしろ。にしてもだ、鈴木」
「なんですか?」
「おまえ、前にストーカー被害に遭っているようなことを言っていたな?」
「ああ、それはですね、半分、冗談のつもりでした」
「しかし、実際にそうだった」
「私がまいた種なのでしょう。いけませんか? ダメですか? 軽蔑しますか? 大げさですか?」
俺は、「大げさじゃなかったな」と笑った。
*****
夏服になってしばらくが経ってからのことである。
いつもの生徒会室、いつもの配置。
会議に際していの一番に鈴木が「暑いですねぇ」と言葉を発したのである。
「暑かったらどうするんだ、鈴木」
「生徒会メンバーで市民プールにでも出かけませんか?」
当然、みながみな、驚いた顔を鈴木に向けるわけである。想定外の発言ではあったが、なにがあってもさほど驚かないように、俺はできている。
「男も女もスクール水着では冴えないぞ」
「そんなのあたりまえじゃありませんか。私はビキニを着ます」
いよいよざわつくメンバーらである。
「それならそれで、いろいろと面倒になることが予想されるが?」
「私の肌色を見たがる阿呆な男はいるのでしょうけれど、バレなければ、見つからなければいいではありませんか。そんなこともわからないくらい会長は阿保なんですか、馬鹿なんですか? 空気すら読めないんですか? 死にたいんですか? 殺してさしあげましょうか?」
鈴木がまた口元を赤いマフラーで隠した。いい加減はずしたらどうかとしきりに訴えているのだが、そのたび、「私の勝手です」と返してくるだけだ。強情さ、ここに極まれり。
「会長」
「なんだ?」
「市民プールの件、決定でいいですよね?」
「おまえが楽しめるというのであれば、口を挟む余地はない」
「私だけが楽しもうという話ではありません。みんなで楽しむんです」
「おまえの前向きさは知っていたつもりだが」
「なにかおっしゃいましたか?」
「いや。なにも言っていない」
たぶん、最近にあっては俺は一番、うまく笑えたはずだ。
*****
鈴木に呼び止められ、みなが去ったあとも生徒会室にいる。生徒会メンバーにはなんだかすべて把握され、知られているように思う。それはそうだ。鈴木が四六時中首に巻いている赤いマフラーは、以前は俺の物だったのだから。知るニンゲンにとってはバレバレなのだ。真っ赤なマフラー。それはいまや、鈴木のトレードマークになっている。
鈴木と椅子を真正面に向き合わせ――俺は足を組んだ。鈴木がなおも向けてくるのは、睨むような目、あるいは不機嫌そうな眼差しだ。
「会長の性根は腐っています」
「そうかもしれないが、とりあえず、夏場にマフラーはキツいだろう?」
「キツくなんてありません」
「そうか?」
「そうです」
俺は「おまえは根っからの美少女であるようだな」と感心して言った。
「ストーカー被害に遭っていたからですか?」
「それもあるが、こないだのメイド喫茶の件もある」
「そんな美少女に求められる気分はいかがですか?」
「悪くはないが、ないならないで、なくてもいい」
マフラーに口元を隠し直した鈴木から、「……意地悪」と恨めしそうな声が聞こえた。
「またうどんを食べさせてはもらえないだろうか。きちんと代金は払う」
「それはかまいません。かまいませんけれど」
「けれど?」
鈴木は椅子から立ち上がると、つかつか歩いてきた。
そして、俺の太ももの上にまたがるようにして座った。
「夏にマフラーは、やはりよくない」
「そんなことはどうだっていいんです。会長……ううん違う、涼センパイ、涼センパイ、涼センパイ……っ」
「一度呼ばれれば返事をする。用件はなんだ?」
「愛しています。なのに生意気ばかり言って、ごめんなさい……」
俺は大いに笑った。
「知佳、と言ったほうがいいか?」
「はい。私は知佳ですから」
「なあ、知佳」
「はい」
「俺だって、おまえのことを愛しているよ」
言葉にすると、実際にそうなんだなって、あらためて思い知った。
「マフラー、ダメですか……?」
「いや、いい。おまえが窮屈でないのであればそれでいい」
俺の首に両腕を巻きつけ、耳元で切実そうに、鈴木は言った。
「あなたはスパダリです。ドアマットなんかじゃありません」
「俺はどっちでもいい。翻って、どちらでなくてもかまわない」
「涼センパイ、愛していますから、私を愛して愛して、愛してください……っ」
「そう言う物言いは好きだ。狂気が窺えるからな」
教室で深いキスをする。
それが、その背徳感が、俺たちをさらにイケナイ気持ちにした。
したとか、してないとか、言葉にするのは簡単だ。