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天地伝(てんちでん)  作者: 当麻 あい
7/53

1-6

   六


 「京也さまが」

 タイマの部屋に駆け込んできて叫んだのは、世話係をやっていた下女だった。藍色の着物を乱して、息も絶え絶えに、タイマの体にしがみついた。それを受け止めて一度驚いた顔をしたが、すぐに元に戻る。笑みを浮かべて「落ち着きなさい。京也がどうかしましたか?」と、やさしく諭した。女の体を支える。

 女は一度大きく息を吐き出して、まっすぐにタイマの顔を見つめた。顔色を青くしたまま、震えるくちびるを動かした。

 「裏門から、京也様と誰か、言い争う声がして、それで、見たら、血が、京也様が、怪我を、」

 はらはらと、両の眼から雫が落ちる。女は泣きながら、嗚咽をくりかえし、意味のわからない言葉をくりかえした。眉間に皺をよせて、女の背中をさすってやりながら、「京也が怪我をして、それで?」と、先をうながした。

 「私が、悲鳴をあげたら、男が、京也様を連れて、逃げてしまって。すぐに、何人かの下男が追いかけたのですが、逃げてしまって。奥さまは失神されて、旦那さまも動転していて、わたし、わたしが、もっとしっかりしていれば、どうしよう、京也様、怪我が、もし、もし、死ん」

 混乱を抑えようとしたのか、タイマは女の濡れた両の目を、片手で覆った。そうして、ため息を一つつくと「あの人達は駄目だねえ。肝心な時に役に立たん」と言って、苦笑を浮かべた。

 女は、「ああ」と、一度短い悲鳴を上げて、すぐに身を正した。あわてて、タイマの手をはがすと、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、謝罪の言葉をくりかえした。

 だが、畳に頭をつけようとした女の額を支えて、無理やり起こすと、それを元の位置に戻した。まるで、転びそうになった人形を、起こすかのような動作だ。女の滑稽な様に、思わず笑いそうになったが、どうにか咳払いをして済ませた。女は正座をしたまま目を瞬かせて、タイマの冷徹な双眸を見つめた。うっすらと笑みを浮かべてはいるものの、その奥に眠る怪物は笑っていないようだ。

 「時間がないんです。後にしてください」

 「……は、い。すみま、せん」

 「京也は俺がなんとかします」

 「なんとかって、でも」

 「まあ、なんとかです。心配しないで。でも、あれです。大事になると面倒なので、あの人達、ああ、えっと、父と母には俺が動いていることは、内密にしてください」

 タイマは着流しを翻して、立ち上がった。一瞬、女は呆けた顔をしたが、すぐに頬を朱に染めてうつむいたぎり、黙りこんだ。泣いたり、騒いだり、赤くなったり、忙しない女だ。

 「八枯れ」と、わしを呼んだタイマの声は思いのほか、厳しいものだった。縁側から庭に降りると、身ぶるいして、毛を逆立てた。

 「喰っていいだろう」と、嬉々とした表情を浮かべて、タイマを振り返ると、困った顔をして笑っていた。

 「と、言うより、もしもの時は止めてくれ」

 「何をだ」怪訝そうな表情を浮かべたわしに、タイマは何でもないように、言った。

 「俺が人間を殺すことをだ」

 その細められたするどいまなざしは、かつて天狗だったころを思わせる。ぎらぎらと光る黄色い眼光は、獲物を前にすると、そのかがやきを増す。わしの背中にまたがったことを確認し、闇の中を駆けだした。

 茅葺、瓦屋根の群を飛び超え、木々の間を渡る。うまいこと追い風を起こして、速さの渦に乗せているのはタイマの持っている、小さな団扇だ。

 天狗は風を操り空を舞う。流星がごとく、駆け抜けるその様に、いつだったかうらやましさを抱いていた。それが、今は背に乗っている。おかしなこともあるものだ、と微笑を浮かべて夜空を駆けた。

 「匂いを辿る。そう遠くへは行っとらんようじゃ」

 「そりゃそうだ。子どもとは言え、人ひとり抱えて、そんなに早く走れるものか。馬でもそうだ。お前より、足の早い動物なんかいないよ」

 「それは褒めとるのか」

 「もちろん、俺より早く走れるのはね」

 そう言って笑ったタイマは、大きく団扇を仰ぎ、突風を引き起こす。なかば、吹き飛ばされるように、屋根や木々の間を走りぬけながら、「それだけ、風を起こしておいて、よく言う」と、愚痴をこぼした。

 「ただの追い風だ」

 ふん、と鼻を鳴らし、一度大きく跳躍した。田の広がる風景のなか、一つの小さな馬小屋を見つける。家畜の匂いにまざり、判別しづらいが、たしかに京也の体臭と、血の匂いをかぎとった。

 「見つけたぞ」

 そう言うが早いか、タイマは大きく団扇を仰いだ。その勢いにのって、加速したわしの体は、突如、落っこちるようにして滑空していった。耳なりの響くなか、風を切り、渦に巻き込まれる。移りゆく景色の先で、近づいてきた木戸を見つめ、声を上げた。

 「おい、このままじゃ」ぶつかる、と言う前に、扉を破壊して、中へと転がり込んだ。本当に信じられないやつだ。



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