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天地伝(てんちでん)  作者: 当麻 あい
20/53

2-8


    八


 純粋な闇をつくりだすのは簡単だった。

光に向かうより、ましてやそれを受け入れ、共に生きてゆくよりも、容易いことだった。慣れ親しんだものを、生まれた場所を、そのまま生きようとしていったい何が悪いと言うのか。大体においておかしいのは、あの天狗のほうなのだ。

人間と、ましてや目も見えない、なんの役にも立たない女と、一緒に生きて何になる?こいつを理解したからと言って、あいつが天狗である事実は、消えない。どれほど望もうと、化け物が人になれるはずがない。わしが鬼であることも同様だ。化け物に人のことなど、わかるはずがない。

だからこそ、わしは高をくくっていた。どうせ、すぐに駄目になるに決まっている。タイマと共に生きてゆけるものが、そうそういるはずない。京也だろうと、東堂だろうと、それは同じことだ。

だが、由紀だけは違った。人間の世界で決められたルールに従って、一緒になっただけの存在のくせに、この女はいままで会った誰よりも、タイマのそばにいた。否、タイマが共に生きたいと、望むようになった。それほど、何か、かがやかしいものを持っているようには、まあ、到底見えないが、それでも由紀はタイマにとって、なくてはならないものになっていた。

わしには、その感覚が、感情か、なにかよくわからないものが、まったく理解できなかった。ゆえに、恐ろしかった。この女も、タイマも、得体の知れないものに見えた。なにより、何百年と言う時を越えても、わしはタイマにとって、そうした存在になり得なかった。それにも関わらず、この女は一瞬であの自由奔放だった天狗の魂を、人につくりかえたのだ。

そんな馬鹿げたことを、信じられるはずがなかった。だから、わしは思う。この女を殺してしまおう。そしたら、タイマはきっと、またもとの通り人に憧れるしかない、哀れな化け物に戻る。きっと大したことではないと、また快活に笑いだすにちがいない。

 「そうじゃないと、困るのでしょう」

 目も開けられないほどの暗い闇の中で、だいだいの灯が小さくともる。癪に障る透明な声が、わしの耳の奥で明朗に響いた。いつの間にか犬の体を脱いでいた。うずまき模様の着流しの袖に両腕をつっこみ、暗闇の中で三つ目を瞬かせる。由紀は相変わらず瞼を閉じて、わしの方へまっすぐ顔を向けていた。

あかぎれが、点のようにこびりついた指先を広げ、そっとわしの頬に手をのばす。それを横目で追いながら、短くため息をついた。

「触るなと、何度言えばわかる」

由紀はそれでも気にすることなく、わしの頬をゆるり、となでる。

五感を枯らしてなお、動じないこの女は悟りか何かでも、開いているのだろうか。直接、響く由紀の動作はどれほど消そうとしても、消えてはくれない。踏んでも、吹いても、水をかけても、由紀の抱える灯は、ちろちろとゆれ続けている。なぜ枯れない?なぜこいつの意志は、感情は、消えないのか。

わしが、本気で殺すはずがないとでも、考えているのだろうか。それを思うと、無性にたまらなくなる。長い牙をのぞかせて、由紀の折れそうな肩をつかんだ。

 「なぜ、貴様はおびえない。わしは鬼だぞ。化け物なんだ。人間など、すぐに殺してしまえる。怖くはないのか?」

 声を荒げて、耳元で叫ぶと、由紀はわしの首に両腕を回した。

ぬるい女の体温が、布ごしに伝わり、ひどく不快だった。わしの体からは、酸の匂いがするはずだ。感覚を消そうと、肉体に害がない訳ではない。数分もすれば、肉も骨も溶けてなくなる。

案の定、由紀の白い腕は赤くはれ上がりはじめた。痛みさえも、いまはない。だが、このままではおそらく死ぬだろう。

「死にたいのか」そう言っても、由紀はやはり動じない。しがみついたまま、微笑を浮かべている。だから、タイマは由紀を抱くのだろうか。ああ。

 馬鹿な女だと思う。

いつまでも、抱きついていれば、わしが懐柔されるとでも思っているのだろうか。それとも、あんまり恐ろしくて、神経が壊れてしまっただけなのか。わしは眉間に皺をよせて、由紀の体を引きはがした。

 「でも、だって、八枯れはいつも一人ぼっちでしょう」

そう言って由紀は、わしの大きな手をつかみ、焦点の合わない眼でわしをじっと、見据えた。

「八枯れのぬくもりが、すべてなのに」

 にぎられた手が熱くなる。目を見開いて「何を」と、つぶやいた瞬間だった。体が後方に引っ張られ、吹き飛ばされる。闇の中から飛び出したのだ。

縁側から落っこちて、庭の縁石の上で頭を打った。青い空が、視界いっぱいに広がった。どうやら、無様にもひっくり返っているようだ。風が、毛の間をなでる。尻尾が池につかり、ぬれて小さくなっていた。なるほど、肉体も元に戻ったのかと思い、頭を上げた。

 やはり、と目を細めた。わしは天狗の風によって、縁側からはじき落とされたのだ。そして縮こまるようにして、しゃがんでいる白髪頭の背中を、見つめた。横たわっている由紀を、胸に抱いていた。

意識のない由紀の頬を、手の甲でなでている。まるで、怪我をしていないか、確かめているようだった。由紀の腕を見ると、さきほどの瘴気にあてられたのか、幾分赤くはなっていたが、概ね無事なようだった。それに安堵したのか、残念に思ったのか、どちらともつかないため息を吐き出した。

タイマは無言だった。こちらを振り返ることもしない。ただじっと、由紀の様子を眺めているようだった。その背中はあまりにも小さく、とても見てはいられなかった。たまらず視線を地に落とし、歯噛みする。

何かどうしようもないものを胸に抱えていた。大きく跳躍すると、外堀を飛び超え、坂島の家から逃げるようにして走り去った。

これで終いだ。自嘲の笑みを浮かべた。



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