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No.17 先には進まない

 フィーの部屋は片付いてはいるものの棚や収納箱の類が多く配置されており、人より収納スペースが多い。

 一度気に入った物は何年経とうと捨てられない性格が災いし、部屋の配置は収納スペースの確保が何よりも最優先される。

 その性格は自分でも自負しており、家具の様に大きな物は捨てられなくなると困るので、新しい物は見ないようにしている。

 それでも小物は増えていき、そろそろ次の収納をどうするか考えないといけない。

 気を抜けばゴミ屋敷待ったなしで困っている。

 そういえば、こんな困った部屋に自らが誘って招き入れるのは珍しいかもしれない。

 フィーに言われるがまま先に部屋に入ったエンがこちらを振り向く。


「フィーどうしたんだ?」


 エンは何食わぬ顔をしているが、尻尾の先だけがピクピクと動いている。

 何を考えているのだろう。

 しかし、それを気に掛けられるほど今の自分に余裕がない事はわかっている。

 部屋の角にある少し広めのベッドに向かって歩き出し、徐に被っているニット帽に手をかけてベッドに投げる様にして放つ。

 エンはと言うと、心配そうな顔でこちらを見ている。


「エン、ちょっとこっちに来てくれる?」


 片手を伸ばしてエンを呼べばすぐに来てくれる。

 手の届く所まで近づいてくれれば腕を引っ張り、後は重力に任せてベッドに倒れ込むだけ。


「ッ……フィー?」


「……」


 呼びかけには答えない。

 エンが倒れるのを回避しようとして出した両手はフィーの顔の両側に置かれ、ベッドに片膝を突く。

 そしてフィーは完全にベッドに仰向けになっている。

 今部屋に誰か入って来ればエンがフィーをベッドに押し倒している様にしか見えない。

 一体誰がフィーの方がエンを引っ張ったと言い当てられるだろうか。

――まあ鍵は閉めてるけど。


 少しの間そのままの体勢で二人とも動かない。

 エンの三白眼をじっと見つめる。

 眼球だけ動かして見える範囲で辺りを見渡し、自身の精神状態に異常が現れない事を再確認する。


「――やっぱり」


 突然声を発すると、再びエンの左腕を掴む。

 体をビクつかして驚きを隠せないエンの様子は、とてもじゃないけど激戦を制してきた人には見えない。

 ちょっと可愛いと思ってしまった。

 拒否されるかな、なんて思いながら腕を引っ張るとすんなり動かせる。

 何故だか嬉しい。

 そのまま一直線にフィーの胸部上に移動させ、心臓があるであろう場所にエンの手を押しつけさせる。


「ッふぃ?! なっ?!」


 まあつまりは胸なのだが、心臓がここにあるんだから仕方がない。

 言葉にならない言葉であたふたと赤面する。

――無理やりこんな事してごめんなさい。それでもどうしても確認したかったの。


「やっぱり……あなたの事は怖くないわ」


「え、それって――」


 毛が逆立って少しくしゃくしゃになった髪の毛を両手を使って治してあげる。

 エンの口も止まり、されるがまま。

 それをいい事にこちらのペースで話を進める。


「さっき思い出したんだけど、昔私の事襲おうとした事あるわよね?」


「ゔ……」


 顔ごと視線を逸らそうとするのを頬を持って阻止する。

 目が合う。

 近い。

 こんな状況にも関わらず、自分でも驚く程平常心だった。


「何故かあんまり覚えて無いんだけど、さっき一つ思い出した事があるの」


「何を思い出したん、だ?」


 喉に何か引っかかったような喋り方。

 恐らくエンはあの時の事を覚えているのだろう。

 私が思い出したいあの時の――


「暖かかったの」


「へ?」


「それに安心した。エンは私を抱きしめてくれた事ある?」


「え、えっと……」


 再び目を逸らそうとするが、フィーの手がそれを許さない。

……エンが何か反応する度に胸に置いた手に力が入っている。

 エンが話を聞いてくれていると思うと嬉しいけど、こうするのはやめておいた方がよかったかもしれない。

 少しした事で体が跳ねそうになるのを、さっきから何とか抑えている。

 ゆっくり話すつもりが、想定外の事が起こったので結論を急ぐ。


「……とにかく私はエンの事怖いと思ったことないの、きっと他の人とこんな状況になったら怖くてあの人に会った時みたいに正気を失うわ」


 孤児院時代、同い年くらいの男の子がフィーを巻き込んで転んだ事があった。

 その時ももちろんパニックになった。

 フィーの中で、この状況でパニックにならないという事は異常事態で、特別な事。

 エンの事が本当に怖くないという証明。


「何でエンにされた時だけ心地いいと思うのか私にはまだわからないけど、この心地よさの正体がわかったら言わせてね? きっとエンに言いたくなるから」


「……わかった」


 微笑みながらエンの頬から手を離し、起きあがろうとする。

 エンもそれに気づき自ずと立ち上がる。

 胸にあったエンの手も必然離れていく。

 名残惜しく感じてしまう感覚に違和感を覚えるが大して気に留めなかった。


「確認がしたかっただけなの。わざわざ部屋に連れてきてごめんなさい」


 ベッドに腰かけて、目の前に立っているエンを見上げる。

 エンは先程までの挙動不審は演技だったんじゃないかと思うほど落ち着いた顔をしている。

 むしろ少し眉をひそめている。

 やはりやり過ぎてしまっただろうか……


「いや、いいんだ。また何かあったら呼んでくれ」


「ええ、そうするわありがとう」


 エンはドアに一直線に向かって行き、一度も振り返らなかった。

 しかし尻尾は部屋に入った時と同じ、先だけピクピク動いている。

 怒っていないならよかった。






 フィーの部屋から出てドアを閉めた途端、エンはドアに背を預け、床に体育座りをしながらゆっくりと突っ伏す。

 体は小刻みに震え始め、ゆっくり揺れる尻尾。


――焦ったぁあああ!

 何今の、え、現実か?

 えあ、や、やわ――違う!

 昔の事思い出したって言われて、怖がられるかと思ったらあまりにも予想外の展開……どうしよう可愛い、え、可愛い。

……落ち着け落ち着け。

 舞い上がるな、勘違いするな。

 多分フィーは自分とそういう状況になった男が俺とあいつしか居なかったからあいつと比較して俺の事は特別怖くないんだと勘違いしてるんだろう。

 だからこの先フィーの事を気にする男が現れたら俺の事なんてすぐにどうでもよくなる。

 それでいいんだ、俺は罪を犯しすぎた。

 俺がどれだけフィーの事想ったってそんなの関係ない、過去は変わらない。

 フィーが幸せになれればいいんだ、もしその未来に俺がいなくても。


 フィーの隣にはそう、猫型じゃ無い方がいい。

 猫型だとギニアを思い出すだろうから。

 猫型じゃなくて、優しくて、フィーの過去を理解してくれて、俺からフィーを引き離してくれる……


 知らない男に向かって笑顔で話すあの子を想像する。

 そして理解のある男なら時間がかかったとしてもその先がもちろんあるだろう。

――エンの知らない所で。


「……ダメだ殺しそう……はぁどうしよう」


 正しい方向を向いて償いたい。

 でもその方向には俺の望むものは何一つなくて。

 そもそも望むものは望んだらダメなもので。

 お願いだから嫌ってくれ。

 じゃないとこのドロドロした汚い欲が出てきてしまう。

 このままじゃ俺は一生償えない。






 フィーはベッドの上に脱ぎ捨てた帽子を被り直す。

 そして再びベッドに仰向けに横たわると、綺麗な天井を見つめる。

 正直あんな事までするつもりはなかった。

 自分から誘ったようなもので襲ってくださいと言っている様な状況。

 顔には出さなかったが、それを自分で作り出した事に驚いている。

 しかし何度思い出してもエンに対して何の恐怖心も感じない。

 むしろ流れに任せてあのまま――これ以上考えるのはやめておこう。


 エンのあの目が好き――私を私として見てくれるあの目が好き。

 エンの手が好き――優しさで、暖かさで、痛みで、私を人間にしてくれるあの手が好き。

 エンの喋り方が、挙動が、優しさが、髪が、獣耳が、尻尾が――髪の一本から足のつま先まで全部、全部が大好き。

 この大好きの正体がわかったらあなたに伝えさせてね。


「......」


 身体が火照っている事に気づき、遅れて羞恥心に襲われる。

 誰に見られている訳でもないのに赤くなった顔を両手で覆う。


――エン、大好きよ。あなたの全てが。


 顔を隠している両手の隙間からは三日月の様に小さく弧を描く口が見える。

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