8話 三篠家は殺し合いをしてるんじゃないんだ! 今ここで△&$~#はない! わかってください!
母が悪者になっていることが俺の不徳の致すところのこの随筆、来週に大きなネタを抱えているが、その前にネタがまた出来てしまったので出す。
というかもう……。三篠森・Nはギリギリだ。同情を誘っているんじゃなくてマジでギリギリである。
それでも正気を保てているのはこの随筆で発散出来ること、優しく明るい方々が集い、活気にあふれ、福利厚生もバッチリしているホワイト職場のおかげだ。しかし今日、もうこれ以上何かが起きると心が折れると判断した俺は、その福利厚生をフル活用し、まずは人事に連絡を取り、職場についてくれているカウンセラーと保健師さんを紹介してもらって来週から治療? を始める。2019年のパラガス事件の時は完全に心が折れてしまったがその時にはもう職場の福利厚生をフル活用すべきだったのだ。ちなみに2019年に心が折れた時はオフィスの人が見ただけであいつは心が折れているとわかる状態だったようで、部長と入職したばかりの俺の教育係だった部署随一の明るさを持つ上司に牛タンとパンケーキを食べさせてもらった。
この随筆を書き始めた頃、第二話辺りで恨み辛みを発表されても不快なだけだから、束の間の仲直りに焦点を当てていこうと宣言したが撤回する。
実はこの随筆、俺の作品の中では「いいね」数が『CZK』に次ぎ2番目に多いのだが、「いいね」がついたのは全てほのぼの回であった。しかし今後は殺伐回しかなくなると思っていただきたい。
母が悪者になっているのが不徳……。だがもう仕方ない。この随筆まで母が盗み見ているか知らないが、
①机の中を漁られ、机の中の『ふぉそみつ』盗み見られた。
②詮索されないために、詮索しないという条件で読ませられるものを渡した。
③それを手がかりに詮索して『離散日誌』がバレる。
これってもうURLを握られてる以上防ぐ手立てないし、常識で考えてやったらダメなことを一度、約束は一度破ってるんだからもう母が読んでいるかはどうでもいい。「最終的に褒めるんだからやってもいい」というような言い訳をしていたこともあったが、この随筆を読んでいる女性の方々。乳を見せてくれ。「ウッヒョ~! いい乳してんねぇ~!」と見せてくれたら褒めるから。女性の乳を盗撮、盗み見したら違法だが、なろうの作品を盗み見られても取り締まる法律はない。事前に「乳を見せてくれ」と頼むのは俺に残った良心である。そういうことで詮索して盗み見るなら勝手にすればいいし、もう忖度はない。
今回のここまででわかったと思うが、どうやら俺も恨みに取りつかれ人間性の一部を失ってしまったようだ。
順を追って説明して行こう。
来週、父が免許の更新のために東京に来る。父は当然、家に泊るか宿をとるか、日帰り(70オーバーの高齢者にはこたえる本州縦断往復)となる。
俺の意見としては、パラガス事件の再発を防ぐため、父には実家に泊ることはよしてほしい。
母の意見は「ブロリーと向き合え」(泊れ、の意か?)らしいが、父が「父、母、森、ブロリーの四人で食事でもしないか?(妹は家が遠いので無理)」と提案すると、母はそれは無理だと却下した。
要するにだ。宿泊するだけなら父と弟は対面を避けられる。だが食事では対面しなければならない。だが、そもそもこの「ブロリーと向き合え」がいかに矛盾した言葉であるかを解説したい。
実は、母は父に対し弟に関する情報提供を一切行っていない。驚くかもしれないがマジだ。母は父を嫌悪しており、まともに会話をしようともしない。弟の治療(笑)で保険証のコピーが必要で送ってもらわなきゃいけないのに、母はその保険証のコピーの用途すら父に伝えていなかった。
俺の心が折れた2019年のパラガス事件のことにも触れよう。2019年秋、ジャイアンツがホークスにフルボッコにされた頃、東京に帰ってきた父は弟に喉輪を掴まれて壁に叩き付けられ、「殺すぞ!」と恫喝された。後になって知った母は「じゃあ通報すればよかったのに」と他人事、そればかりか弟と一緒になって父がいかにダメな父親か詰った。この後、俺と二人で喫茶店に入った父は悔し泣きしていた。
もちろん、訪問看護師(笑)、往診医師(笑)が来てることも告げず、弟の状態は何も告げず、俺が母に「もっと父を頼って協力すれば? わだかまりがあってもさすがにここまで来たら協力すべきだ」と提案しても「役に立たないから相談しても逆に失望するだけ。だからさっさと離婚したいのよ」とつっぱねる。あまつさえ「父と離婚して実家と財産の半分を貰い、それを資金に新居を探す」とまで言っている。
なのに「ブロリーと向き合え」? 弟が一番恨んでいるのは父である。自制心や理性など既に失った畜生同然の今の弟がすぐにキレて暴れ散らかすあの家に、父を泊まらせようとするのは普天間にSPナシノーガードの鳩山由紀夫を送り込むようなものである。つまり遠回しな暗殺だ。だが母のあの父への嫌悪具合を見ると弟を使って父に何かの危害を加えようとしていると考えても不自然ではない程、母も壊れてしまっているのである。
そう。母は壊れてしまった。
あれは昨日のこと。家に泊まるかどうかの交渉すらまともに行えない両親のため、俺は交互に電話をかけて意見の取りまとめを行っていた。
弟の進捗状況を聞くと、どうも母は一度可決された、家を手放して弟を施設か病院に送り込むという案を躊躇い始めているようだった。弟が入院となると、かつて母が勤務していた病院に入院することになる。それが恥ずかしいと……。それから弟が実は祖母に懐いていたことを思い出し、あの子にもまだ優しい心があるとか……。
祖母に懐いている? 前回も書いたが、祖母もまた祖父と同じく温厚篤実を絵に描いたような素晴らしい人物であり、幼少期の弟におにぎりをつくってあげたら無邪気に喜び、それを思い出したという。そして件の弟による祖父の葬式ボイコット未遂事件の際、新潟に渡った後、祖母は常に弟の近くに寄り添っていたというが……。それも前回書いたが、弟が葬式で暴れて台無しにするんじゃないかと号泣した俺のことを祖母は知っているから……。祖母の性格的に「監視」なんて強い言葉ではないだろう。でも26歳の俺が号泣して祖母に泣きついたんだぞ。心配はあったはずだ。そして当然、祖父の一連の際は一人だけ家族と別行動を命じられていた俺は、弟と祖母がずっと一緒にいたことなど知る由もない。
それでだ。
「明日も訪問看護師さん来るから」
「まだ作業所(障害者が軽作業を行い社会復帰する場所)に行かせるとか言ってんの?」
と俺は少し苛立った。
「それが何か悪いの?」
「そういう方針ならいいんじゃないの?」
と俺は相当苛立った。ここで母、ブチギレ。電話の向こうで、全力で泣きわめく。支離滅裂な言動を繰り返す。
「お前はメンタルが弱い」「お前は障害者だ」「ブロリーを殺せば満足するのか?」「死にたい」「かわりにやってみろ」「もう疲れた」「メンタルの弱いお前が壊れるんじゃないかと心配が倍になっただけ」「誰も助けてくれない」「わたしのケアは誰がしてくれるの?」「忙しい」「お金もない」「父は役に立たない」「わたしが諸悪の根源だ」「三十二歳にもなってロクに食事もとれない」「わたしの人生は家族を苦しめるだけだった」「わたしはお前みたいに親を泣かせたりしない」などなど。
あぁ……。母もついにぶっ壊れたか……。母の言葉に俺も興奮したが、その怒りの矛先は全て弟に向いていた。心身ともに限界を超えて壊れてしまった母だが、壊したのは弟だ。
そもそも母からこう言った言葉を向けられることは初めてではない。
以前も話した祖父の一連の時も、俺が家を出て一人暮らしをしないとごねていると親戚に訴えて俺が袋叩きにあった時も、祖父が亡くなったばかりなのにあろうことか「森はわたしが死んでもざまぁみろと笑っているような人間」と言い放ち、俺に最大の号泣をさせた。
かつては弟に関する進捗を尋ねただけで皿を床に投げつけて割ったことがある。既に母は壊れていたのだ。
20年以上過ごした実家に愛着は当然あったが、それを犠牲に手放して弟からの呪縛にようやく一区切りつけられる、年齢的に焦っている母もさすがに可及的速やかにコトを進めてくれるだろうとどこかホッとしていた俺は、結局母が日和ったことと母が既に戦力外クラスに壊れていると知り、ひどく絶望した。
そして一晩明けた今朝。出勤のためにかけたアラームを止めた俺は、スマホを握ったまま40分にわたる寝落ちをかました。出勤時刻には間に合ったものの、今日はさして業務も多くなく、単独で行う単純な事務作業が多かったからバレることはなかったが、昨日の母のぶっ壊れ具合と母をぶっ壊した弟への怒りと憎しみで、俺はマスクをつけたまま減気状態のガノトトスのようにうつむいたまま口を半開きにして数十秒フリーズすることがままあった。
ここままでは仕事に影響すると判断したので人事に取り次いでもらい、カウンセラーを紹介してもらった次第だ。
その仕事の間、数少ない支えだったのは週明けにはカウンセラーと話せること、この随筆で発散出来ることだった。
ここまでのまとめとして、俺と母はもう壊れた。
俺は弟への怒りと憎しみ、母は父への怒りと憎しみ。それにより通常な判断力は失われ、悪いことは全て憎悪の対象のせいということにしてしまう。母がぶっ壊れたことは弟のせいだと思っているし、この言葉でヒくかどうかは皆さん次第だが俺はもう弟には死んでほしいと本気で思っている。戸塚ヨットスクールのような施設は必要悪だった。弟が戸塚ヨットスクールにでも連れていかれて殺されるなら感謝すらする。母は昨日のブチギレで「ブロリーを殺せばいいんでしょう!?」と言ったが、家族が加害者にならないのであれば、誰かを殺して死刑になりたい通り魔かなんかの第三者が弟を殺す分には何も問題ないどころか歓迎する。この言葉でヒいている方がいるのは重々承知、だがそれほどまでに俺の怒りと憎しみは強く、俺も自分がもう壊れていることを自覚し、この随筆以外ではこういった発言はしないよう自制出来る。
“マッチョドラゴン”藤波辰爾なら「我々は殺し合いをしてるんじゃないんだ! (以後解読不能)」として“ドラゴンストップ”をかけてくれたかもしれないが、もうドラゴンストップは必要ない。弟にドラゴンスープレックスをかけてくれる存在である。母がもう壊れてしまったとわかった以上。
今回お話しする家族の思い出は、そんなプロレスの話。なお、これ以降話す出来事は、今となっては弟は全て「苦痛で憎しみの記憶でしかない」というらしい。
〇
俺の好きなスポーツ。そう、野球だ。
俺の主力4作品にはすべて野球回がある。
『うぉくのふぉそみつ』ではいっぱいやった。
『東京悪魔』ではプレイこそしないが、第一部で最も重要なエピソードになった、主人公ヴェルがヒロインのマツダと一緒に東京ドームに野球観戦に行く『東京悪魔は地獄に落ちろ 前・後』。
『CZK』ではキューバでゾンビ殺しを請け負っていた公務員が野球をするために亡命してくる。
『トラッシュ』では味方チーム三人vs敵はグラウンドだけで九人、控えは百人で試合中に相手チームの殺害アリという超変則野球。
その次に好きなスポーツがプロレスである。
俺がプロレスに目覚める端緒となったのは実は弟であった。弟は2011年頃からアメリカのWWEという団体のテレビ放送を観始めた。あの頃はまだ仲が良く(上記の通り、この頃には既に俺を憎んでいたらしいが……)、家族そろってWWEを見たものである。
当時のWWEは『RAW』を3時間、『SmackDown』が2時間と、週に5時間も放送していた。これでプロレスに目覚めた俺は週刊プロレスの購読を開始し、新日本プロレスの視聴も始めたので週に7時間近くプロレスを見ていたのではないだろうか。そりゃ『ふぉそみつ』もプロレスネタばかりになる訳だ。
2012年。俺、弟、母、弟の友人の四人は、WWEの日本公演を見に両国国技館に赴いた。甲子園では、現在楽天の抑えをやっている松井裕樹が奪三振ショーを披露していた夏だった。
序盤は生で見るコフィ・キングストンのトラブル・イン・パラダイスの打点の高さに驚き、ランディ・オートンvsアルベルト・デル・リオ(ミル・マスカラスの甥でドス・カラスの息子)の本格派対決。二人ともルックスもイケメンだ。トリを飾ったのは世界ヘビー級王座のベルトを持つ俺イチオシのスーパースター(WWEでは「プロレスラー」「レスラー」という言葉は使わない)、シェイマスvs213cmの大巨人ビッグ・ショー&ジョン・ローリネイティスというハンデマッチ。倒れた相手の上をただ歩くだけの「お散歩」が大ダメージになるビッグ・ショーを相手に奮闘したシェイマスの勝利となった。
弟も大変興奮し、俺も生のプロレスの面白さに目覚めることとなった。
それからも家族そろってのWWE観戦は続く。いろんな名場面があった……。『トラッシュ』のダイマだが、『トラッシュ』において珍しく評判の良かった、というか唯一評判の良かったプロレス回で主役だったゲストキャラ、ビルド・マクミランはWWEの悪のオーソリティ、ビンス・マクマホンがモデルだ。
だがここからがビンス・マクマホンの真似しちゃいけないところで、成功しないとわかっているのにビンスは何度もアメフト参入に挑戦しては借金を増やしている。これはややシリアスでバトルものでウルトラマンモチーフに挑戦したい、と何度も失敗して『東京悪魔』で作った評判を下げ、『CZK』の投稿頻度を下げている俺と同じだ。しかもビンスのアメフト挑戦と違ってタチが悪いのは、向こうは破産すれば諦めざるを得ないが、既に『東京悪魔』貯金が0になって何も持っていない俺はいくら失敗してももう何も失うものがないから諦めようがないってところだな。
まぁ話を戻すと、我が家のチャンネルで映るのはWWE、新日本、時折W-1だったが、週刊プロレスを読んでいた当時の俺はノア、全日本、大日本、ドラゴンゲート、アイスリボン、DDT、グレート・サスケによる狂気の宇宙大戦争など試合が映らない団体の事情もなんとなくわかっていた。週刊プロレスのスゴイところは読者投票による「よかった記事」ランキングが発表されると同時に、「よくなかった記事」のランキングも発表されるところだ。「よくなかった」の1位はWWE記事の定位置であった。
当時の週刊プロレスではその週のプロレス興行のスケジュールも載っており、非常にユニークで「文化系プロレス」と称されるDDTは無料公演が多かった。
そして俺は大学をさぼって、埼玉県某所の大型パチンコ店の駐車場での公演にやってきたのさ。この日、まだ仲の良かった弟も誘ったのだが腹痛と下痢でダウン。俺は一人で観に行った。
この時は新日本とのW所属が決まった飯伏幸太、イロモノを極めた男色ディーノあたりが来ていた。男色ディーノはゲイギミックの下ネタプロレスラー。入場時に男性にはセクハラ、女性にはグーパンチ及び帽子を遠くにぶん投げるなど暴れまわり、各種下ネタ技で相手を追い詰めていく。
WWEの時とは違い至近距離で見たプロレス……。キャンバスのすさまじい音。
試合後はパチンコ店内でのトークショー。
「店長に何かプロレス技をかけてみてください」という無茶ぶりに、男色ディーノは“男色ナイトメア”を仕掛けた。詳細はググって欲しいが下ネタ技である。同級生の同窓会には呼ばれないが、何故か後輩の同窓会には呼ばれる俺は同窓会でこの時の男色ナイトメアの写真を男子の後輩に見せたが、その男子の後輩は女子の後輩に「見るな!」と言っていたほどの下ネタ技である。
トークショーの後はサイン会&サイン会。男色ディーノは握手してくれるかと思いきや、手を差し出した後にフェイントで手を引っ込め俺の股間を掴んでいった。
飯伏幸太には「新日本でも応援しています」ということを伝え、「今日体調不良で来られなかった弟の名前を入れてくれませんか?」とダメ元で頼んでみたら色紙に弟の名前を入れてくれた。
その後も一度、大学をさぼって小金井で行われたDDTの路上プロレスを観に行ったがこれは弟は全く関係ないので割愛。
あれは2015年。弟との仲が悪化し始めた頃、俺はクリスマスプレゼントを贈ることにした。WWEの選手名鑑である。書店で注文し、仲直りのためにと……。包装してもらったが、この頃は既に会話不能の状態だったので、母経由で渡してもらうことにした。
そして昨年の夏。俺が2015年の年末に贈ろうとした選手名鑑は、2021年の夏の段階でまだ渡されていないことが明らかになった。なぜか昨年、突発的に状態が良くなったので……。どうやら母が渡したようだが、俺からの贈り物と聞いただけで弟は包装も開けずに捨てたと後で知った。