5話 ピキッ……三篠だらけの家族旅行、そして大きな転機
この項では二つの話題について触れる。
一つは弟以外のメンバーで行った二泊三日の北海道旅行、そしてもう一つは弟大暴れだ。
当初の予定では、離散すると言ったくせに何故両親も揃って家族旅行などしているのか、どうせ両親不仲でピリついたんだろう……。など三篠家の歪な関係、それでも多分楽しめたであろう北海道旅行の様子を「楽しめた」という前提でお伝えしつつ、起承転結の結として先月弟が起こした三篠家全員を一気に落胆、激怒、悲嘆させた事件でオチ、としたかった。
だがこの弟の起こした事件を隠したまま北海道旅行の項を描くことは不可能と判断したため、順番を入れ替えて弟の事件から先に触れる。
また、北海道旅行を俺がいかにエンジョイしたかはこの後投稿予定の活動報告で詳しく述べ、この随筆では北海道旅行前後の三篠家のそれぞれの動き、様子を中心に述べていく。つまり「旅行」の内容は活動報告で、あくまでもこのエッセイはテーマに則り「家族」に焦点を当てていく。
では弟の事件から触れていこう。
俺がこの時期になると特定の虫が怖くていつも以上にヘタレになってしまうことは本誌既報の通り。しかし今年はこの四年で一番調子が良く、春にダスキンに本格的に防虫をしてもらったこと、そしてまだやつが出ていないこと、俺の不眠症も改善してきて精神に余裕があることなど様々なファクターがかみ合い、普通に過ごせている。
それでも念には念を入れ、7月の終わり頃から一~二か月程は実家で過ごしたいと考えていた。それは母、弟も了承済み。
年始から念入りにガンプラ攻勢をかけ、泊りこそないものの帰宅リハも済んでいたので成功すると思っていた。
サッカーと野球が好きな弟とパリサンジェルマン来日やオールスターゲームも見たかった。
そして俺は大荷物を抱え、実家に戻った。
そして食事が始まり、弟と顔を合わせると弟はさめざめと泣き出し、その後フルパワーの大声と暴力で家具や壁、扉を殴って大暴れを始めた。
「警察を呼んで!」「森、ごめんなさい! 隠れて!」と母の叫ぶ声と必死に謝る声。それをかき消す弟の言葉ではない慟哭……いや、咆哮?
あの姿はもう人ではなく動物であった。
不思議と俺に怒りはなく、こみ上げるのは悲しさであった。
今まで明言はしていなかったが弟は中学時代と大学卒業時に知能検査を受けており、いずれもIQは70程度であったと聞いている。所謂グレーゾーンというやつだがあの姿はもうグレーではなかった。
「家族のことは考えたくもない」「家族とは関わりたくもない」「家族の顔は見たくもない」と言いながらも「何もしたくねぇ」「何もやる気起きねぇ」で何も行動せず、本来家族全員が帰る権利があるはずの家に居座り、「家族にはいつか復讐する」と母以外を本格的に出禁する理屈の通らなさ、その無気力と支離滅裂ぶり、そして復讐の動機も「兄弟ケンカに負けた」「俺の友達をバカにした」「昔叱られた」などの逆恨みだ。
それでも俺は自分が虫恐怖症なこともあり、和解とはいかずとも自分が辛い時には多少わかってもらって共存するくらいの理解が欲しい、などといくつかの意味で甘えた思考を持っていた。
しかし人間の理性を捨てて畜生に落ちた者には言葉も共感も理解も通用しないのである。
俺も数年前から本格的に弟を障がい者として認識するようになり、その生きづらさに多少同情している部分もあったがこの事件でもう同情は捨てた。
障がい者が相手なんだから本気になるな、生きづらさをわかってやれ、という人もいるだろう。だが兄を追い出し、姉を追い出し、父を追い出し、戻ってくれば暴力を振るい、暴力によって復讐すると宣言し、ネットスラング「実家のような安心感」を俺たちから奪った、実家を俺たちから奪った畜生を相手にこれ以上同情と譲歩をしろ、というのは無理な話である。
その点、妹は見切りをつけるのが早かった。妹は一足早くその「復讐」とやらを受けており、数年前にあざが出来る程蹴られている。
5年前に家を出る時点で妹は弟を「我が家の癌」と断じ、その癌を切除しない限り三篠家に幸せは来ないと結論を出した。妹が実家を出たのは俺より後だったが、妹が実家を出る直前はほぼ毎日来ていた助けを求めるような悲痛なLINEは気丈な妹とは思えない程であり、妹もまた弟から心身ともに傷を負わされている。
また、妹は2018年に母と共に生きていたのが不思議な程の交通事故に遭い、母と共に複数個所骨折してしばらくは買い物にも行けないくらいだったが、それでも弟は妹の実家療養を拒否していたため、その頃は俺が妹の買い物代行をしていた。この頃の話は今回のような殺伐とした内容ではなく、三篠家も組み合わせによっては仲が良いという内容の回で詳しく話したいと思う。
まぁそういうことで見切りの早かった妹は、結婚こそしていないもののパートナーと仲睦まじく暮らし、実家の猫たちとも今生の別れは済んでいるのか白い猫(俺から見て姪猫)を飼い始め、実家にはもう戻らない覚悟だ。だから俺は可能な限り、妹のことは弟とのいざこざには巻き込みたくない。もう自立しているのだから。
父はだいぶ前から弟を嫌悪している。ちゃんと理由があり、あれは2019年の秋。大学の同窓会のために東京に戻ってきた父は実家に泊り、そこで弟の襲撃を受け負傷している。
怒りと逆恨みに任せて暴れる筋骨隆々で髪ボサボサの大男で、俺の友人たちからブロリーの異名をとる弟が父を襲う、これが俗にいう“パラガス事件”である。
この時、父は弟に殺害宣言を出され急遽ホテルに避難した。こうなると父ももう弟に対し同情も持たず、対話も諦めた。以降は弟の話になると辛辣で、カラスが役割分担をしながらゴミを漁っているのを見ると俺に「カラスの方がお前の弟より賢いな」など遠慮もない。
要するに、俺たち家族は弟をどうしたいのか? 簡潔にまとめるとこうだ。
妹→知ったことか。自分は自分の人生を生き、幸せになる。ただし弟という負債があるため、結婚は出来ないだろうと半ば諦めている。
父→弟は更生、社会復帰は不可能。施設に入れるしかない。
俺→父と同じ意見。しかし昨年、改善の余地を見せた弟を見て希望を持ってしまったが、今回の事件を受け、もう二度と希望は持たない。
この三人による弟へのヘイトは、北海道旅行終盤……というか東京に帰って来てから一気に炸裂する。
母にとっては「弟も自分の子ども」であるため、弟が納得する形、そして孤独や恨み、無気力に苛まれる心を救ってやりたいと考えていた。
もしかしたらこの随筆では話していなかったかもしれないが、母もだいぶ手は打っている。
そもそも母はナースで昔は病棟にいたが、育児で一度専業主婦になった後は精神科も扱う訪問看護師になっている。
そんな母は、保健所の心理士、保健師、訪問看護、往診してくれる精神科医などを家に呼んで弟に会わせている。しかし弟はそういう人たちにも心を開かず、母が弟の心の安寧を願ったからか、偶然そういう人たちが派遣されたからか、「ブロリーさんの好きなようにさせてあげればいいんですよ」と時間をかけてやっていく……なのか、悠長なことばかり言っている。
一つの例を紹介しよう。
新型コロナウイルスのワクチンについて、外出嫌いの弟は受けたくないと拒否をした。しかし母は不特定多数と接触する医療従事者である。どこでかかっていつ弟にうつるかわからない。それに弟は駅で切符も買えないのでワクチンの申し込みなど出来るはずもないと母が勝手に申し込んだが弟は「バカにしている」と激怒。それを往診してくれる先生に説得するよう頼んだが、先生は「ブロリーさんが嫌だって言っているんだからやめてあげましょう」と、申し込んだワクチンをキャンセルした。なんとも信頼出来ない先生方である。
自浄作用のないどころか何もしていない俺たちへの恨みを募らせている弟が、俺たちを受け入れてくれるまで? 何年待てばいいんだ? もう十二歳になった実家の兄猫の死に目までに俺たちは実家に帰られるのか? 五年前に祖父が亡くなった時は、弟は家族に会いたくないがあまりに葬式出席拒否をしたようなやつだぞ。
現在、弟にとって最も大きな悩みは孤独である。弟は中学校までの友人こそが真の友人であり、それ以降は友人と認めていない。そんな中学までの友人たちと話したいが、もう五年以上もニートをやっている自分が情けなくて自分から連絡はとれないという。かといってその孤独を解消しようと医療や家族が手を差し伸べても「ご機嫌を取ろうとしている」と拒否をする。
なので訪問看護師や先生にも猜疑心と嫌悪感しかないため、現時点では一切効果も結果も出ていない。徐々に先生や訪問看護師たちに不信感を持ち始めていた母も今回の事件でついに弟の納得する形、とやらを諦め、やや強行する形で施設に送り込むことなどを考えている。
だがここからもまた厄介なところで、弟は「施設に送り込んだから殺す」「次に警察を呼んでも殺す」「警察を呼んだら到着するまでに殺す」と宣言しているため打つ手はない。打つ手があるとしたら、サプライズで弟を施設なり病院なりに送り込み、弟が退院、脱走するまでの間に母は家を売るなり捨てるなりして姿をくらまし、以後連絡は取らず行政やなんかのお世話になってもらって弟のお望み通り家族と縁を切る。
なんとも飛躍した話に聞こえるだろうが、これが一番現実的な計画なのである。
おわかりだろうか。俺たちは二十年以上過ごした家に帰ろうとすれば弟の暴行に遭い、弟を家から排除しようとするなら家を捨てねばならない。つまり俺たち家族があの家で安らげる日はもう永久に来ないのだ。
これでもまだ「弟さんは障がい者だし辛いんだからわかってあげて」というのなら、俺の表現力、文章力が足りなかったというほかない。
〇
さてここからはしばし殺伐からは離れる。
この殺伐ブロリー事件から約一か月。三篠家は北海道旅行へ。
一応弟も誘う。来ないことはわかっているが誘わないのはフェアじゃない。そして来ないというので父、母、俺、妹の四人だ。
しかし家族旅行にいい思い出はない。不仲の両親は必ずケンカを起こすからだ。そもそも昨年の秋に離婚に合意した二人が何故一緒に北海道旅行に? 仲直り出来るような二人じゃない。何故不仲の二人がともに家族旅行……。理由は簡単。“不仲”だからである。
不仲な上に東京の母と北陸の父。日常会話どころか必要な会話さえ一切交わさない二人は離婚の話すらしない。弟の自立支援の更新のために保険証のコピーが必要になり、父に送ってもらうとなっても父は何故保険証のコピーが必要なのか母から知らされていなかった。なので父は弟を施設に送り込むために保険証のコピーが必要なのだと思っていたくらいだ。会話することも嫌なくらい……。
これもまた矛盾ではあるのだが……。父は俺たち三兄弟がまだ小学生だった頃、家族全員が幸せだった頃を再現するという夢を捨てきれない。ただしその夢の再現に弟はもういない。なので父の方が母にまだ未練があるのだろう。離婚を切り出したのは母だし、そしてこの旅行の発案者は父だ。父はどこでもいいから家族で旅行に行きたかった。
しかし東京発の飛行機は朝の九時。父は東京に前乗りする必要があるが実家にはブロリー。パラガス事件再発を防ぐため、父は品川に一泊。俺も早起きしたくないから一緒に泊まる。
北海道旅行初日は札幌であったが父の様子がおかしい。せっかちで店の厳選をしようとせず、食事でも目に入った店ですぐ済まそうとする。
また、常にうつむき、歩行スピードが異常に遅い。父は股関節を患っている上にもう七十なのだ。昔は家族で出かける度にスタスタ歩いて先に行ってしまう父を非難した母だが母はそんな父を顧みず先に行ってしまう。
さらに旅行中の宿、計画などは母と妹が中心となって立てたが母は父に一切連絡していなかったため父はついてくることしか出来ない。
それでもケンカは起きなかったのが幸いだ。ピリつくこともほとんどなかった。奇跡に近い。
しかしそれは父の体調不良故であり、夕食もほとんどとれなかった。また、札幌到着後、俺は夕食までの間に三時間程単独行動をとっていたのでその間のことは不明だが、レンタルサイクルで転倒したりとやはり父は体調が悪かったようだ。
二日目もお疲れの様子の父。
二日目は札幌から登別までレンタカー移動の予定だ。しかし父は運転が荒くスピードもガンガン出す。先述の交通事故で車にややトラウマのある妹には辛いドライビングなので母が運転することに。
しかし母も……。二週間程前に俺と二人で妹の家に向かった時、駐車場で軽度の交通事故を起こしレッカー移動を食らっている。だがそれでも運転は母に頼みたい、ということで母に。
帰りの新千歳空港では職場へのお土産をまだ買っていなかった俺が再び単独行動。フライト前に搭乗口に集合すると何故か妹と父が不機嫌で母が落ち込んでいた。結局やっちまったか……。巻き込まれなかったのが幸いだ。
そして羽田に着いてから、父は北陸に帰るか、それとも東京に一泊してから帰るか考える。
俺と妹が弟の話をしようとすると「せっかくの楽しい旅行が台無しになる」と言っていた母は「弟について話し合わないの?」と父に突っかかる。宿を取ろうとする父に何か呆れたような表情だ。まさか……泊れというのか!? 実家に!?
俺と妹がそれは阻止する。だが母は父が弟と向き合うつもりはないのだね、とやはり呆れた表情だが、父は母から弟の状態について何の情報提供も受けておらず、自分を殺すと鳴き声をあげている畜生相手とどう向き合えばよいのだ。
保険証のコピーの用途すら伝えないのに、父と母がどうやって力を合わせて弟と向き合うというのだ。
結局父は品川に泊まることに。
そこから先の電車内、俺と妹による弟へのヘイトが爆発する……。
「家に帰ったらニャンコたちは元気にしてるかしら。ブロリーがちゃんと面倒見てるといいんだけど」
「ブロリーがニャンコたちに面倒見てもらってるの間違いでしょ?」
「兄猫の方が甘えん坊で、わたしが家を空けて旅行から帰るとすねちゃうのよね。オスの猫ってそうらしいわね。女の子よりも精神年齢が幼くて、小6くらいで止まってしまうんだって。ウチの男の子はそんなのばかりね」
「ブロリーは小6以下でしょ」
母は弟も自分の子供だからやめて、と言ってもこんな様子で俺と妹は悲しむ母相手に弟への罵詈雑言を連ねた。
弟を見ていて俺が感じた「恨みに取りつかれ人間性を捨てるな」という説教を拙作『アブソリュート・トラッシュ』でも主人公のフジ・カケルが説くが、俺もまた弟への恨みに取りつかれて人間性を失う一歩手前、いやもう一線を越えてしまったのかもしれないと感じた。
こうして北海道旅行は幕を閉じた。