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三篠家離散日誌  作者: 三篠森・N
第1章 三篠家崩壊編
4/30

4話 父と過ごす春

 お久しぶりでございますな。

 先日、父、母、妹と四人で食事をとってきた。弟をハブった訳じゃない。もちろん弟が来ないことなど火を見ることより明らかであったが、誘うだけ誘ってこなかった、そういう結果だ。


 父は母、弟と仲が悪く、現在両親は離婚に向けて話を進めている最中である。そんな父が母と弟の住む家に二泊もするのだから随分と気を揉んだことだろう。


 俺もかつては父と非常に仲が悪かった。それには言い訳めいた理由がある。幼少期より不仲だった両親。仲良くしていた場面など見たことがない。一度だけあるが、それは読売ジャイアンツが中日ドラゴンズとの伝説の10.8決戦でジャイアンツが勝利した時に抱き合って喜んでいた時だけだろう。ちなみにその時三篠家は名古屋在住であった。

 そんな両親だが、昭和のモーレツ企業戦士の生き残りである父は留守がちだったため必然的に俺は母と過ごす時間が長かった。俺の趣味が映画、音楽、読書と母と重複していることからも俺のマザコンぶりが伺える。そんな母は俺に父に関する悪口や愚痴を吹き込んでいたため、中学生になる頃には父を嫌悪するようになっていた。

 まぁ父もやや奇人ではあるのだが、父に非があり母が不憫だった、と今でも思うようなエピソードの大半は父の母、つまり祖母に原因があったように思う。

 そして俺も大学生になり、父の理念、気持ち、偉大さを理解するようになり、父とも仲良くするようになった。父は理不尽な程俺を可愛がっているので、思春期のことは水に流すどころか最初から水が濁ってもいなかったのだろう。


 父は2007年より家庭を離れ、一人で暮らしていた。その後は転勤に次ぐ転勤で各地を転々とし、最後は富山に務めることになった。

 そんな富山で2018年、2019年のこの季節。5月の末頃、俺は父と数週間過ごした。


 父は出向に次ぐ出向で、最終的には出世のメインストリームからは離れたものの、最初に就職した会社から転職することはなかった。

 一方の俺は大学時代からちゃらんぽらん。さぼりにさぼって4年後期に卒業単位にちょうど乗ってギリ卒業という劣等生ぶりであり就職活動も疎かだったため父の紹介した会社に就職したものの、縁故採用であることから冷遇されて長続きしなかった。そして自分のやりたい仕事……というか職場を見つけて派遣社員から再出発。そこでは期間を満了したが、同業他社に拘った俺は転職活動に苦戦。精神的にすり減り眠れなくなり、毎晩潰れる程酒を飲んで強引に眠る、ということを繰り返し、リフレッシュと転地療養で父の暮らす富山へ向かった。

 アルコールを断ち……というか元々弱いのに無理な飲酒を重ねた俺は酒を一切受け付けない体となった。

 初めて過ごす富山での暮らし。毎晩野球を観て、父と鉄板焼きをやったり……。昼は自転車に乗ったり、片道1時間以上かけて富山市街へ向かって映画を観たりした。俺は高岡の藤子・F・不二雄 ふるさとギャラリーなどに赴き、妹へのお土産を買ったりしていた。このお土産の末路についても、いつかはこのエッセイで語ることになるだろう。その時は、今回悪役のようになってしまった母のフォローにもなる。その秋、お望みの同業他社に契約社員で就職。

 翌2019年。俺はまた富山にいた。2018年秋に入職した俺は、翌2019年の春に突如契約終了を言い渡されたのだ。その時初めて聞いたのだが、俺は育休に入った人の代理で雇われ、その人が復帰するから席を空けろ、という……。

 また再就職に困った俺は大学時代のゼミの後輩の同窓会に呼ばれて(同級生の同窓会に呼ばれたことは一度もない)大学時代の恩師と再会した。再就職後にもまた後輩の同窓会に呼ばれたが、恩師は休職期間中の俺のことを「目が死んでいた」「見れたものじゃなかった」と評した。そんな精神状態で書いていたのが『東京悪魔』の最終章であった。なぜあんなものが書けたのかは今でも不思議である。

 そして再びストレスで眠れなくなった俺は富山行き。

 今度も父から手厚い歓迎を受けた……。というだけの理由ではない。

 この年、父はついに仕事をリタイア、富山でキャリアを終了した。しかし父には東京に居場所がない。母に嫌われ、弟に嫌われ。父は生まれ故郷の新潟県で一人暮らしをすることに決めた。その引っ越しを手伝ってくれという訳だ。

 しかし俺は昭和のモーレツ企業企業戦士の生き残りとワーカホリックナースの両親の息子とは思えない“のめしこき”。結局85%は父が作業して父は隠居することになった。


 その後も父に呼ばれ、何度も新潟へと向かった。しかも交通費は全額父負担のデリバリー長男である。

 そしてこの春。父は完全アウェーの東京へと泊りに来た。父、母、妹、俺での食事。両親は子供の前では離婚の話はせず、ことを荒立てないよう努めたようだが、二人きりの時やLINEでは母が相当辛辣に父に離婚を迫っているという。

 母は結婚してからずっとつらかったと語っているが、父は俺たちが小さい頃の五人で過ごした生活はとても幸せであり、その頃の再現という夢を捨てきれないという。

 ちなみに2019年の秋にも東京に帰ってきた父は弟に暴力を振るわれている(パラガス事件)。今回の上京でも同じことが起きるのでは……。

 そして先日、東京の某繁華街で食事をとった俺たちだが、父はシメのラーメンを食べたがった。しかしダイエット中の母と妹はそんなこと出来る訳ない。

 明くる日、家にいるとパラガス事件が勃発するのでは、と危惧した俺は父を誘って少し遠出し、ラーメンを食べに行った。有名な行列のできるラーメンである。その帰り、父はタバコが吸いたいと言った。普段は禁煙しているが、俺と会う時だけは吸うのだという。コンビニの喫煙所でタバコを吸い、父はアイスコーヒーを欲しがった。

 俺は父から多くのことを教わったが、俺が父に教えられたのはコンビニでのアイスコーヒーの買い方程度だった。

 しかし父の住む新潟の田舎町でこの知識が活かされるかは不明である。

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