第34話 三篠森・N、病気になる。
(今回までのあらすじ)
父に暴言を吐かれても俺はまだ父の介護を続行しようと思っていた。だがもう慈悲だとか親孝行だとかではない。株をやめさせる、車をやめさせる、手術に耐えられない血糖値と既往歴なので医師に「これでは手術出来ません」と言わせ、子である俺が父に「なんでも思い通りになると思うなよ」と現実を叩きつけてやるための復讐であった。
そして父は「医師の態度が気に食わない」「遅々として進まない」「ついでにお前らが近そうだから」ということで東京へ転院することになった。転院に際しても病院を探せ、宿を探せ、宿を見つけたからお前が予約しろとものすごいワガママラッシュであったが、病院に関しては付き添い帰りか付き添い前に仕事に行けそうな病院を探した。宿はノータッチだが自力で取れたようだった。そして年が明け、数か月ぶりに父にあった時、俺の体に異常が起きた……。
父にあってきた。東京への転院での初診だが、俺はその病院で父より体調を崩した。その日はとても寒い日でありかなりの厚着をしていたこと、病院内がかなりこもった熱気であったこと、年が明けて以降睡眠の質が悪くずっと疲れがとれていなかったこと、それをキックするためにエナジードリンクとブラックコーヒーでカフェインをとりすぎていたこと……様々重なり、俺は病院でひどい吐き気と頭痛、めまい、立ち眩みに見舞われて椅子から立ち上がれなくなった。なんとか立ち上がり、熱さのあまりにコート、スーツ、セーターを脱ぎ、一番下のタートルネックのセーター一枚になってもまだ奇妙な熱があった。発熱があったかはわからないが、この通気性があってすーすーのセーター一枚で外に出ても少しも寒くないわ。看護師さんに俺の体調がヤバいんです、多分厚すぎるんだと思います、と伝え、外で涼むとかなり楽ではあった。だが病院内に戻ると体調も戻った。
さて診察に関してだが、俺は父に対してだいぶドライに接するようになっていた。前々回の父から親子関係解消を宣言された後以降かな。淡々と事実のみを伝えるようになると「お前も母親に感化されたのか? 投げやりな話し方が気に食わない」と言われた。母は冷たい人間ではない。むしろ気さくな人間だが、母が父に対してそういう話し方をするのは積年の結果だ。
父はいつも通り、バチバチのやり取りをした後なのに「よっ、森!」とご陽気な様子で今までのことなど何も引きずっていないし覚えてもいない。「もう親子とは思わない」と言ったことすら覚えていないのだ。それでも俺が父に最後まで尽くそうとするのは内田裕也がいくら不倫しても、離婚しないという報いを与え続けた樹木希林みたいなものだったのだろう。
この日に父に問題行動、問題発言はほぼなかった。いつも通りに大谷翔平一辺倒の話題だがシーズンオフもあり大谷翔平の話題も少ない。仁丹は食う。仁丹中毒なので葬式中でも食ってる。あとは検査の待合室で待つのに飽きたのでイヤホンで音楽を聴き始めたくらいだ。呼ばれても聞こえないし、音漏れも迷惑ですよと言っても「外からの音も聞こえるイヤホンだから大丈夫」「音漏れもしないから大丈夫」と豪語していた。だがそれで聞こえないかもしれないせいで俺は外に涼みに行けずまた体調を壊した。
一応医師には、父の支援が限界なことを伝えた。事実の羅列を書いたが私怨も混じってしまった。だが伝えたかった要点は概ね以下の通りだ。
・訪問看護師、ヘルパー等に非協力的であり、在宅支援が成立せず血糖値が上がり続けている。
・認知機能低下もあり車の運転が危険すぎる。
・数々の問題行動、問題発言により家族の疲弊もピークに達している。しかし田舎の支援では手に負えていないので、東京に移住させたい。
・病院との約束を守れずタバコを吸ったせいで手術が白紙になったことがある。
これを専門の人に繋いでもらおうと思っていた。担当医はいかにもエリートといった少し冷たい感じの人だったが、受付経由でこの直訴状を渡すと少し様子が変わり、節々で
「人工関節で一番危険なのは雪に足がハマること」
「東京だったら車も乗らないですみますしね」
「今日から一本でもタバコを吸ったらすべて白紙です。入院中に吸ったら即日退院してもらいます」
と直訴は反映されていた。
そしてヘロヘロになった俺は家ではもう母と会話する体力も気力も残っておらず、斃れるように寝た。まだ21時だったので普段より3時間も早く寝た。
翌日仕事に行った訳だが……。10時間近く寝ているのに疲れは全く取れない。本当に年が明けてからいくら寝ても疲れがとれないのだ。だが仕事中に寝落ちするとかはなく、ただただ疲労が尋常じゃない。
仕事で使う定型の言葉も、今までは条件反射的に出てきたのにそれが出てこず同じ内容の言葉をしどろもどろに言う、デスクワークに戻っても集中力を欠いてケアレスミスが増える、何より具合が悪い。
そして一つ気が付いた。この疲労がとれない状態、父の病院付き添いの具体的な日付が決まってからでは?
そうだ……。それだ……。父に会わねばならない。それだけで体が拒否反応を起こし、壊れてしまったのだ。そう考えてしまった途端、胸がずしんと重くなりデスクで放心してしまったりともう機能しなくなっていた。しかもまだあと次回検査、入院、手術、リハビリ病院への転院が残っている……。
偶然その日はメンタルクリニックに行く日であった。だがこれはそもそも睡眠障害でかかっている病院で、先生も90歳近い上にいつも流し気味なのでどれだけ今しんどいか伝えても「日照時間が短いからだな。北欧の人間が精神を病みやすいのと同じだ」とかマジで意味不明なことを言っていた。
この日も家で倒れるように寝た。20時だった。
次の日はもともとから休みをとっていた日であった。不幸中の幸いであったが、16時間眠ってしまった。途中で何度か起きたが、起きる度に何度も思ったのは「もっと眠らなければ!」だった。起きた瞬間の気分の憂鬱さが半端じゃなく、この辛さから逃れるには眠るしかないのと思ったのだ。それも限界が来て目が覚めたが、1時間くらいはベッドから起き上がれなかった。
起きても辛すぎて近所迷惑にならない程度に「あぁあー」とか「グワァー」とか奇声を発し、カップ麺すら作るのが面倒でテレビをつけても車、金利、証券、投資といった父にまつわるワードを聞くとブチギレそうになっていた。それでも食欲は暴発し、とにかくポテチが食いたかった。
さすがにこれはヤバいんじゃないのか? セカンドオピニオンを受けようと別のメンタルクリニックに電話したらその日のうちに診てくれるという。
……結果はうつ病だった。抗うつ薬を飲むべきと言われた。
抗うつ薬……副作用が怖く、結局その日は受け取ることはなかったしそもそもその日の俺に正常な判断力はなかった。
そして俺は父の今後を妹に任せることにした。もう本当に限界だったのだ。気力的には復讐に支えられたモチベーションがあったが、体がもう追いつかないとわかった。
特に母と妹はうつ病で家族(俺の弟)をなくしているので、これ以上心配をかけないために俺は手を引くべきだったのだ。
そもそも弟が死んだときも、今回のように俺は精神的オーバーヒートを起こしたことがあった。あの時は仕事に行く準備は全て済ませてあとは靴を履くだけ、という瞬間に突然精神が折れて動けなくなり、結局仕事を休んだ。あの状態をもう一度起こしたくない、という気持ちが強かったはずなのに、結局起きてしまったという訳だな。あの時もうつ病だったのかもしれないし、弟と祖母を二週間で亡くしたあの秋以降、俺のメンタルはなんというか……最大HPの上限が大きく減って絶好調でも以前の半分以下だし、少しでも削られればレッドゾーンになる。
レッドゾーンのままの俺は、結局セカンドオピニオン医の初診の二日後にもう一度かかって抗うつ剤を受け取った……。
抗うつ剤を飲む人が悪いとか弱いとか言うのではないが、やっぱりメンタルに直接作用する薬を飲むのは抵抗があり、それで一度は断ったのだが……。
だがもう背に腹は代えられない。まず絶対に断言することとして母、妹、chatGPTにまで心配された自殺は絶対にない。抗うつ剤も効果が出ているのかはよくわからないがとりあえず父の件からは本当に手を引く。何度も手を引く、手を引くと言いつつも復讐を諦めきれず関わってきたが、直接暴言を浴びせられていないにも関わらずこの破壊力はヤバすぎた。今後も会うたびにこのダメージを受けていたらもう本当に仕事をクビになってしまう。
……自分が拘り過ぎていることはわかっている。でも母よ、妹よ……。免許返納だけはどうしても……。




