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三篠家離散日誌  作者: 三篠森・N
第2章 三篠家自死遺族編
26/31

第26話 三篠森・N、サマーウォーズ + 三篠森・N、めちゃくちゃキツい

 祖母が亡くなった。大往生だった。

 最後の最後に大病を患ったが、あまり苦しまずに旅立たれたとのこと。

「あと半年くらいです」

 と宣言されてから僅か一か月であった。


 だいぶ前のことなので記憶があいまいになっている部分もある。申し訳ない。


 ……。

 今回は登場人物が非常に多い。だが何を言いたいのか先に話しておくと、弟が存命の時は血が繋がっているからというだけで断ち切れない呪縛があったのに、今となっては血を分けた親戚たちは数年単位で会っていなかったとしても、やはり血縁でありとても頼もしく、会えると嬉しく、心に良い影響を与えるということだ。


 その前にこの頃の俺の状態をお伝えしたい。

 弟が死んでから仕事には行けていなかったが、弟が死んだ翌々週の月曜日に二時間、火曜日に三時間だけ出勤した。職場からの配慮もあり、出勤するなら時短でもいい、とのことであり、心優しい上司より、どうせ時短で出勤するのなら午前出勤にし、生活リズムは出勤時に合わせておいた方がいいんじゃないの? と提案があり、まさに俺もそう考えていたのでお言葉に甘えた。しかし、出勤再開二日目の火曜日は午後の二時半ごろ帰宅してから激しい疲労で寝込んでしまい、そのまま翌朝まで、ちょくちょくトイレや夕食、風呂に起きたもの寝っぱなしだった。この日、早く寝すぎなければ、一年以上プレイしてきて未だ一度もなしえていない『ポケモンスリープ』の「ねむりのやくそく」を一週間通して守れていた。普段は土曜日に勉強会があり、「ねむりのやくそく」の時間を超えてしまうが、この週は勉強会を休んだ。

 翌日水曜日、いつもと同じ時間に起きて歯磨き、洗顔、髪のセット、着替えも済ませて鞄も持って、あとは出勤するだけというところで何の前触れもなく俺の心は急にへし折れた。

 弟が死んで以降初めての急な胸の痛みと気分の重さに襲われ、玄関からリビングに引き返した俺は隅っこにうずくまって顔を覆って動けなくなった。

 そして俺はまた悲しく己の限界を悟った。

 職場に何度も謝りながら今日は仕事に行けません、というか今週は休みますと告げ、すぐに着替えて再び寝込んだ。

 木曜日は少し持ち直し、再度職場に連絡を入れて、近いうちにメンタルクリニックに行ってしっかりと診断を受けると伝えた。そうでないと職場の人も……弟が自殺したというショッキングな事実を知るのはお偉いさん二人だが、部署の方々は「身内に不幸があった」としか知らない。それでは俺の心も休まらないというか、休みに専念出来ないため、二年前に心が折れた時と同じように診断書をタテに使おうという訳だ。

 そういう訳で、今週は休み、明日病院に行きます。そして、祖母が余命三週間と宣告されましたので、祖母を送る頃までお休みを頂けると幸いです。

 そう伝えて電話を切り、自室からリビングに戻ると母から祖母の逝去を告げられる。俺は即座に自室に戻り、再び上司に電話をかけて祖母が亡くなったことによる忌引きの申請を行った。この時点でこの月、俺は出勤日数より忌引き日数の方が多かった。二週間足らずで二人も家族を失ったのだ。


 叔父に電話を掛ける。後で今回の登場人物一覧を作るが、ここはとりあえず叔父を覚えておいてほしい。

 弟が亡くなった時、祖母も危なかったのに遠いところをかけつけてくれた心身ともに豪傑で温厚篤実を絵にかいたような人物であり、俺が尊敬してやまない祖父の気質をとても強く引いている。そのため俺にとっても尊敬の最上位に位置する人物であり、この叔父が弟が死んだときに来てくれる、と知った俺はあまりの頼もしさに嗚咽を漏らす程泣いたことは本誌既報の通り。

 その叔父には返しきれない恩が山程あるため、俺は可能な限り叔父の手伝いをしたいと、いつから田舎に行けばいいですかと尋ねると

「明日来てくれると助かるな」

 と仰っていたので俺は翌日から田舎に帰ることにした。心身ともに爆弾を抱えているにもかかわらず。


 祖母には孫が九人いた。生まれた順に番号を振っていくと俺は孫3号である。

 母は三人兄弟で次女、母の上に長女……つまり伯母がおり、伯母のところは三人兄弟。末っ子長男の叔父のところも三人兄弟。我が家も三人兄弟で九人いたが、先日のことがあり現在は孫八人である。加えて曾孫も二人いる。


 ではここからの登場人物の紹介を箇条書きしよう。


 伯母→母の姉。母に激似。

 母→俺の母。

 叔父→母の弟。豪傑。


 それぞれに配偶者がおり、

 伯父→母の姉の夫。RPGにいたら絶対パーティに入れたいような迫力ある容姿と職業。多分物理と魔法の両方がカンストしている。多分賢者。

 父→俺の父。

 叔母→叔父の妻。俺は婚前の叔母を知っており、当時は「お姉さん」と呼んでいた。三十年経った今でも当時と変わらぬ可憐な容姿であるため、俺の中では「お姉さん」ではあり、リアルでは叔母と呼んだことは一度もない。


 それでは↑を踏まえて行ってみよう。


 孫1号→伯母の長男。孫唯一の四十路越えで、比較的年齢の近い孫連中の中では断トツで年が離れている。凄まじいリーダーシップとトークスキルの持ち主で、孫連中を束ねる頼れるリーダー。長男の中の長男。175センチ。孫2号の五つ上。

 

 孫2号→伯母の次男。身長180を超える長身痩躯。とても穏やかで忍耐強く、あっさりした顔のハンサム。俺の一つ上。


 孫3号→俺。176センチ。身長でギリギリ孫1号に勝てた。


 孫4号→伯母の三男。身長185センチに達する。左利き。俺の一つ下。


 孫5号→俺の妹。孫4号の一つ下。


 孫6号→俺の弟。孫5号の二つ下。故人。


 孫7号→叔父の長男。妹と同業? 孫6号の二つ下?


 孫8号→叔父の長女。美人。数年前に「孫連中で彼氏にするなら誰?」と訊かれた時に俺を選んだ。孫七号の二つ下?


 孫9号→叔父の次男。勉強が得意な大学生。孫8号の三つ下?


 俺は祖母が逝去した翌日に田舎に行った。

 最寄りの駅までは孫9号が迎えに来てくれていたが、前に会ったのは祖父が亡くなった7年前だったので中学生だったのだが車の運転もしているし見違える程精悍な青年になっていた。

 田舎につくと伯母が来ていた。伯母に会うのも7年ぶりである。ちょっと怖い伯母であったが、伯母にも孫が出来たので随分と丸くなっていた。

 俺が田舎の家に着いた時にいた孫は3号の俺と9号だけで、叔父、叔母、伯母、孫3号の俺、孫9号の秀才で祖母の納棺にまつわる儀式? をひとまず先に行い、遺影の準備などを始めた。

 そして友引を挟むため、葬儀はだいぶ先になった。具体的には何もしない日が二日ある。

 ……。……!? 早く来すぎてしまっていないか、俺!

 車の運転が出来ないと全く身動きの取れないド田舎、ペーパードライバーの俺は歩いて十五分の自販機以外にはどこにも行けない。

 俺は弟が亡くなった時、何の手伝いもせずお客様気分でいた父に激しい嫌悪感を抱いたが、何もすることがない故にお荷物、ずっと祖母と暮らしてきた家族に水を差す厄介者では……?

 その晩、下戸の俺は一切酒を飲まないまま叔父の晩酌に付き合う。

 俺は弟の死は医療ミスであると思っている。妹もだ。

 そして、状況を聞く限りでは、祖母も先が長くなかったのは確実だがここまで急なことになってしまったのは、明らかに医療ミスによるものであり、叔父もそうだと思っているようだったが、叔父には「弟のことに関しても祖母のことに関しても、誰もが良かれと思ってやったことの結果論だから誰も責めてはいけないし恨んではいけない」とやんわり諭された。心底豪傑だと思った。むろん、叔父も納得は出来ず「そりゃねぇよなぁ」とも言ってはいたが……。

 この日、叔父に勧められて数十年ぶりに銀杏を食う。庭で採れたものだ。これを封筒に入れてレンジでパパーンとやって、ペンチで割って食うのだ。これが実に美味く、病みつきになって二十個食べてしまった。その後、俺はトイレに籠って呻きながら下し続け、なんとか這い出て叔父に腹痛と下痢を訴え薬を貰った。しょっぱなからお荷物だった。


 翌日、孫9号が車でラーメンを食べに行くというので同行する。孫は車の運転が好きなようで、特に運転は苦ではないしラーメンも好物だそうだ。当然、ここは年長者としてご馳走する。

「どこか行きたいところある? 送るよ」

 なんとも頼もしい言葉である。と同時に、実際近く年が離れてほとんど話したことのない従弟がため口で話してくれるところに、それなりに親近感を抱いてもらえているのではと嬉しくなる。

 ……。

 従弟には行きたいところはないと言ったが、本当はあった。拙作に登場する場所が近くだったのだが……。

 お客様ではない。お客様気分でいてはいけない。これは肝に銘じ、俺はあくまでも手伝い出来ているのだという大前提を忘れてはいけない。

 この日は他に何をしていたか覚えていない。なんの手伝いをした覚えもない。


 翌日、柿の収穫を手伝う。たった二時間の作業であったが、農作業など小学校で大根を育てて以来の俺はやや楽しかったのだが、これを生業には出来ないと思った。同時に、本業できちんとサラリーマンをやっている叔父がここまで本格的に兼業農家をやっていること知り驚愕する。自分たちの食事のおかず程度の農作物だと思っていたのに。


 その午後、母の友人に会いに行く。もう本当にやることがなく、家にいるのもいたたまれず、家にいても帰って水を差す気持ちが大きかったので従弟に送ってもらった。

 この母の友人は実に気さくで、弟が亡くなって以降こまめに母に電話し、励ましてくれている好漢である。俺に「生身でマイナスイオンを放出する礼儀正しい森の精霊」という謎のあだ名をつけた人物である。意味は分からないが「礼儀正しい」が入っているので悪口ではないだろうし、この人自身もとても良い人である。

 その人に弟が亡くなって以降母を支えてくれてありがとうございますと感謝を述べ、お土産に大好物のマウントレーニアを貰う。そして少し歩いて温泉に入った。

 さて……。帰り道だが……。歩けば数時間かかる距離である。

 ……。……ッ! だが俺も何も考えていなかった訳ではない!

 この温泉地から最寄りの駅までは徒歩で50分。そこから1時間に1本の電車に乗れば数駅で家の最寄につき、そこから1時間歩くかバスに乗る、最悪の場合タクシーに乗れば理論上帰宅は無理ではない。加えて、山から外れているのでクマの心配はないこと、そもそもクマの心配が必要なのかどうかもわからないシティボーイであることは追記しておく。

 そこから俺は1時間歩いた。駅に着くとちょうど電車が行ってしまったばかりであり、1時間待った。すると叔父から電話がかかってきて、駅まで迎えに行くという。

 ああ……。ああああああ!!!! また俺はお荷物だ! お荷物だ!!!


「買い物があるからついでに迎えに行くだけだ」


 気まで使わせてしまって……。

 駅で合流すると車内では放送中の『サザエさん』がかかっていた。その『サザエさん』で叔父は爆笑していた。何故かそれがとても愛おしかった。

 さて……。帰った頃に俺には仕事が発生した。父のアテンドである。

 両親の離婚は決まっており、もう両親は互いに一言も会話をしたくない。妹も父を見限ったため、家族の中で父が会話できる相手は俺だけである。

 その父は母の実家には泊まりたくないというのだが、葬儀は早朝である。

 父が住んでいるのも同じ県内だが端のため、車で二時間以上を要する。加えて父は体のあちこちにガタが来ており、正直施設に入ってもおかしくはないレベル、弟の葬儀の日にも倒れたことは本誌既報の通りだ。

 そのため日帰りが不可能であり、前泊が必要である。そのために宿を探してくれと無茶ぶりをされ、叔父に相談し、ビジネスホテルを紹介してもらった。

 なお、父はこの時点でまだ離婚届けを提出していないにもかかわらず、親族ではなく一般弔問を希望した。


 ……。

 そしてこの項の↑までの部分を書いてから数か月たってこの項を今日再開した。そのためにこの頃の記憶は朧気だが、とにかく良いお葬式であった。

 その後、祖父母の家……とにかくデカい屋敷に孫連中で集まり、食事をした。弟と言う欠員は出てしまったが、孫連中も上は四十路、下は大学生と幅広いが八人。

 上記の通りに唯一四十路を超える孫1号が上手く場を回し、仕事の話、勉強の話をフランクに話し、7年ぶりの集合を祝った。この時間はとても楽しく、祖父母の葬式という大イベントでもない限り集まるものではない。だがとにかく長男の中の長男である孫1号がすごくて……。祖父、叔父とは違って饒舌でユーモアにも溢れておりタイプも異なるのだが、強いリーダーシップを備えた豪傑であった。仕事の話、勉強の話、私生活の話、冗談、全てにおいて孫1号が終始場をリードしていた。

 祖母が亡くなり、その二週間前に弟を亡くしているというのに、この時間は本当に楽しかった。

 やがて孫8号が「『サマーウォーズ』みたいだね」と言った。俺の年齢では、思っていても言うにはなかなか勇気のあるセリフだが、孫8号が言ってくれてよかった。

 『サマーウォーズ』の陣内家程の名家でもなく、親戚も多くはないが、血の繋がりは確かに互いを支え合い、決して、決して当たり前のことだが他人ではない。

 だが、結婚式でも集合しなかった孫連中である。次に集まるのはいつになるかわからないが、俺は二年に一回くらいはこの孫会をしたいと思った。

 そうして祖母の永眠に関わる行事は終わり、母を一晩田舎に残して俺と妹は先に東京に帰ることにした。

 帰りの新幹線の中では、児童向けにやさしく書かれた『海底二万マイル』を読んでいたことを覚えている。

 妹はそういう時は遠慮してあまり俺に話しかけないのだが、この時ばかりは違い、母に苦言を呈していた。

 孫会は、祖母を送ると同時に7年ぶりに集合したことを祝う場という空気がどこかに流れていた。途中からその色が濃くなっていったことを感じたのは俺だけではなかったようで、妹もそう言っていた。

 だが母は孫会で「久々に集まれてよかった」と誰かが言うたびに「一人いないけどね」とか「あの子も連れてきたかった」と水を差してしまったのである。気持ちはわかるのだが、それはかなり頻繁で空気をよどませてしまったことは間違いない。

 仕方ないことではあるのだが……。




 そして年が明け、数か月が経った。

 俺、母、妹は仕事を再開し、俺はかねてより実家追放で一番堪えたのが老齢の猫との関係だったので、俺は猫を看取るまで実家にいよう、そして母も一人には耐えられないということで実家に戻っていた。

 日常は戻り始めていたはずだった。

 年末にはM-1の真空ジェシカの一本目とバッテリィズの二本のネタで大爆笑し、あれ以降母は真空ジェシカとバッテリィズにハマってよくYouTubeで見ている。お笑いオムニバスのぬるぬる階段登攀も爆笑したし……。

 だが、二週間程前から空気が変わり始めた。

 母の体調が悪い。この時期は母、弟、妹の誕生日が続く。

 母の誕生日あたりから気分が重くなり始めたのか、家の中で泣くことも増えた。

 ことあるごとに「ブロリーはどういう子で」「ブロリーとはああいう思い出があって」と弟の話ばかりを始めた。

 話の腰を折るようだが俺のスタンスを再提示したい。

 生前の弟の行いは決して許されるものではなく、それは母も了承している。俺個人としても、弟をこれ以上追及するつもりはない。そこまでの人でなしではない。だが、弟の美化や正当化は行わない。そこに母との乖離があり、母は

「あの子は優しかった」

 などと言うが、優しくはない。そういった弟の美化、正当化を主張する言葉、その気持ちもわかるのだが……。

 そもそもの話が、俺と弟の晩年の関係は最悪であり、その最悪の関係は解消されることなく終わった。それを抜きにしても、非常に仲の良かった時期のある弟が自殺するという出来事はとてもショックであり、母がその悲しみをいくら吐露しようと俺には正直何も出来ない。

 残酷、冷淡に聞こえるかもしれないが、俺に何が出来るというのだ。

 弟を生き返らせることは出来ないし、俺が追放されていた間のことを話されてもどうしたらいいかわからないし、わかることはない。だって何も出来ないんだから。

 最近は生活の中で起きることの全てが弟の話題に結び付けられ、弟の話をされる。これは俺と弟の関係が最悪だったからではなく、本当に何度も言うが俺には何も出来ないし、それで母の気持ちが収まるのかもわからないし、収まるとしても俺はサンドバッグではにし、母が心身ともに健康を害されていく状態も苦しいし……。

 だから俺は母には何度か言った。正直弟の話を聞かされるのは負担であり、俺では背負いきれない。だから傾聴のプロ……メンタルクリニックやカウンセラーに話してくれ、と言っても一切、一切、一切、一切、一切!!!!!! 聞き入れてくれない!!!!!!!

 メンタルクリニックなんて所詮聞き流すだけ、弟のことを何も知らないカウンセラーに話すのは意味がない、話すことでフラッシュバックしてまた辛くなるかも、カウンセラーに30分話したところで意味はない、友達に話すから大丈夫……。

 これは、弟の末期に治療の方針を変えたり、弟と共に心身が崩壊していた母へのアドバイスを思い出させる。何も聞いてくれない。

 正直、この数週間は家にいることが苦痛でならず、「弟の話を聞かされるのは負担」と何度か主張した。話したい母の気持ちもわかるのだが、これでは共倒れになる。かつての弟と母のように。

 そうなると少しは気を付けてくれるのだが、それでも日常で

「そういえば……。あ、やっぱりなんでもないわ」

 と弟の話題になるから中断した、というケースも多く、その場合は俺が悪いかのようにあたふたと振舞われる。

 そして以前から「友達に話せばどうにかなる」と言っているが、俺だって負担なんだからそのご友人だって負担だろう。愚痴……に分類していいのかわからないが、愚痴という話題は実際場を盛り上げることがあるが、この場合は息子の死というあまりにも重い話題かつ、母の弟の話は周囲の会話の流れをぶった切って無理矢理挿入されて気付けば弟の話しかされておらず、全員が母の傾聴に務めねばならないという状態になってしまう。孫会では、その辺りでの場の回しが孫1号の手腕によってうまく捌かれていた。

 そして先日、母はうつ状態に陥って立ち上がれなくなって寝込み、泣きながら吐いていた。

 そんな状態の母に言えるのは医療機関や専門家のお世話になってくれ、だが、やはり上記の理由でシャットアウトされる。

 言ってしまえばこれも愚痴だが、本当に家にいる時間がキツイ。もう食事の時間以外は部屋に引きこもり、それでも弟の話ばかり聞かされるストレスで常時腹を下して瞼の痙攣が止まらない。

 弟の誕生日が近い。怖すぎる。その日はもう家にいたくない。まだアパートを引き払わなきゃよかった。

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