第24話 三篠森・N、逃げ出す。
弟が死んだ。
その日の晩、泣きじゃくる母の話を聞けるのは俺しかいなかった。父は酒を飲んでご機嫌になり、ジャイアンツ戦の様子が気になってそわそわしている。
弟の部屋で俺と母は話していたが、電話で妹にいずれ今の家から離れるべき、と言われたそうだ。そしてお前と父の二人で住めと言われる。
俺の人生はいつもこうだった。
不仲の両親の顔色伺いを幼少期から続けてきたことは本誌既報の通り。
弟が生まれていないころから、休日になると父は車で俺を近所のスーパーのヒーローショーやなんかに連れて行ってくれたが、スーパーでも車中でも母の愚痴ばかり。平日は母から父の愚痴を聞かされる。幼稚園の頃からそうだった。
両親の不仲はどんどん加速し、小学校の高学年になると常時一触即発。俺は両親のコントロールによる激突の回避ばかり考えて休みを過ごしていた。
そして、そのせいで子供の頃から母に「スパイ」「コウモリ」と言われ、
「わたしとお父さんが離婚しても、妹と弟はわたしが引き取るけどあんただけ父のところに行きなさい」
などと言われる。
弟が死んだ日にあっても、俺は妹と母から父のスパイや下僕、コウモリ扱いだった。
……。
俺も極度の不眠症であったことは本誌既報の通り。薬を何度も変えてやっと落ち着く薬が見つかり、今は夜は静かに憩っている。弟が死んだ日も夜はいつも通り眠れた。別の部屋から母が時折鼻をかむ音が遠く聞こえた。
朝はいつもの通勤時と同じ時間に起きた。父は「よく寝たぁ。爆睡しちまった」。
母は警察の検死等の手続きがあるため、俺は母のちょっとしたお使いと同時に弟の遺品を弟のトレーナーから受け取りに行った。そこでは弟は愛されていたようだった。
俺が遺品を家に持ち帰る道中だが、自分は動いていた方がいいと気付いた。当日にああやって本作23話を書いていたこともそうだし、じーっとしている方が辛く、家で両親のメッセンジャーやバランサーになっているのが一番辛い。
役所への届け出も買って出る。父は機能しない。
午前の遅い時間に妹が実家に帰ってきて号泣する。
父は弟の遺骨を新潟のお墓に入れると言ったが、母と妹はあんな遠いところで一人にしたくないと主張し、二人は口には出さなかったが、デリカシーどころかモラルすら失って大谷翔平の試合を観ている父を戦力外とした。
遺影や葬儀の段取りは俺、母、妹の三人で進めることになり、俺の部屋にて三人で話し合っていたが、父は自分が仲間外れにされたと思ったのかそこに乱入。
だが俺は三十年以上三篠家をやっているのだ。俺にはわかる。また父は母と妹を怒らせるはずだ。
父をスーパーに連れだすことにした。たらふく町中華を食い、「朝飯は?」とねだる父と違って妹と母は当日からほとんど何も口にしていない。そのため俺は女性二人に食べさせる軽食やゼリー飲料などを買いに行くという名目で父を連れだすことにしたのだ。
そこでも時計をちらちらし、落ち着きのない父。
「大谷の試合が始まって一時間くらい経つな。さっきはすごかったぞ! バコーンとヒットを打ってビャーっと走って、見せてやりたかったぞ!」
と楽し気にしている。そして
「ソフトクリーム食うから先に帰れ」
と帰らされる。
家には葬儀会社の人がお見えになっていた。
弟は本随筆でもブロリーと称してきたように巨漢である。そのためお棺が大きく、お棺を置ける居間への敷居を通らない可能性があったため、俺は急遽和室と廊下を隔てる蝶番を外して少しスペースを空けた。
ソフトクリームを食べ終わって帰宅した父は疲れた、昼寝がしたいと言い始め、こともあろうか弟のベッドで寝ようとしたので、俺の部屋に布団を敷いた。そして俺のTVに「これは動かないのか?」「大谷の試合は映らないのか?」と、大谷のことしか考えていない。
父がいびきをかく階下では母と妹が葬儀会社の人と話し合っていたが、納棺するかどうかなどを聞いていた俺は突如激しい吐き気に襲われ、トイレに駆け込んだ。幸いにも吐くことはなかったが、俺は自分の限界を悟った。これ以上は耐えられない。
弟が帰ってくることでまた泣き叫んでしまう母と妹、無神経に野球を見る父……。それを想像しただけで吐き気がし、弟の死体を見る自分を考えるだけでまた眩暈と吐き気、そして飛蚊症が起こった。
限界だった。二度目だが、限界だった。これで三度目だ。
この時点では検死や納棺、出棺、火葬などのスケジュールがまったく立っていなかったのだが、弟が帰ってくるのは深夜の可能性もあった。
そしてもう弟の写真を観られない。……いずれ話すことになるだろうが、今までの本随筆では俺が弟に対し異常な恨みや憎しみを見せ、俺自身も一生弟を憎み続けるだろうと思っていた。きれいごとを言うつもりはないので断言すれば、生前の弟を許す気はない。だがこの日は何もかもがわからなかった。弟がもういないということも、毎日のように悪夢を見たり仕事中でもチラつくほど憎んだ気持ちがどこへ行ってしまったのかも、じゃあ今は弟を許せるのか? ということも、何もかもがわからない。
本随筆では赤裸々に、弟には死んでほしいという俺の偽らざる本音も認めてきた。だが何もかもがわからない。「?」なのではない。何も湧かないのだ。二十年以上一緒に過ごしたのに具体的な思い出も浮上しない。
だが弟の葬儀の段取りが始まると現実として何かが押し寄せ、俺が自己防衛として逃亡を選んだ。
母には限界なのでアパートに帰ることを告げた。
また、我が家では家族四人で泊まれるスペースがない。和室では母と弟が眠り、リビングにはテーブルがあるので誰も眠れない。弟の部屋は使わない。妹の部屋は広いので、当初は俺と妹がそこで眠り、父が俺の部屋で眠ることになったが、正直家族の誰とも過ごしたくなかった俺はアパートへの逃亡を決めた。
実家を出た瞬間に、迷惑と知りながら俺は前職の上司に連絡をした。
本随筆にも何度か登場したことのある理解のある上司で、教育者と学究の徒という立場ではないので厳密には恩師に当たらず『窓ぎわの三篠森・Nちゃん』回では登場しなかったが、社会人として中途半端なスキルのまま職を転々としていたオールドルーキーの俺に電話、メール、来客対応、書類整理、議事録の作成、イベントへの派遣など、ありとあらゆる仕事を俺に教え込み、共にコロナ禍という未曽有の修羅場を乗り越えた戦友……というと僭越ではあるが……戦友や恩師というより恩人だ。
この上司に会いたくなった。この上司は俺が家庭問題で悩んでいることを知っており、何度も触れたが一昨年に「休んだ方がええで」と言ってくれた方である。
結局この日に会うことはスケジュールの問題で叶わなかったが、自分の中で自分を守ることを最優先に考えた場合、家族以外の人間、もっと細分化するならば弟に会ったことのない人間と家族以外の話題をもうけることが、今の自分にとって一番大切なことだと思った。
しかし事態は急変する。
弟の検死の後の死亡届を記入に行った妹と母から電話がかかってきて、妹曰くは母が記入できる状態ではないから代理をお願いしたいと頼まれたのだ。
逃亡した身ではあるが、妹も母も俺の逃亡を咎めなかったし、何せ俺は長男である。本来ならば父がやらねばならないのだが、父は昼寝か大谷に夢中だ。
警察署で二人と合流したが、母と妹は憔悴していたが話はできる状態だった。まだ待合室におり、しばらくして担当の刑事さんに呼ばれた。
俺と妹はどこまで立ち合えばいいのかひたすら自問自答しており、もうキャパは超えていた。本音を言うと家に戻ってくる弟を見ることすらしたくなかった。
ここで刑事さんが何かの写真を見てほしいと言ったのだが、それを聞いた途端の妹の慟哭にかきけされ俺には何かわからなかった。だが遺体だろうと現場だろうと、俺には写真を見ることが出来ない。妹もだ。俺と妹はさらに深く、何度目かもわからない自らの限界により、母をエレベーターに送り出した。
しばしの間妹と待つ。
戻ってきた母は死亡届を持っていた。その一式に印刷されている「解剖」の文字を見て俺は再び強い吐き気を催した。
午前中のハイパーアクティブから一転、俺にはもう何もする気力も体力もなくなった。実家に泊まる予定だった妹も、恋人の待つ自宅に帰ることになった。
結局この日、俺が実家に戻ることはもうなかった。気にしてくれた友人が電話をかけて来てくれた。あいつは最高の親友だ。




