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三篠家離散日誌  作者: 三篠森・N
第1章 三篠家崩壊編
22/31

第22話 三篠森・N、二度と会えない。

 三篠森・Nは万策尽きたと言ったが諦めの悪い男だ。

 最早諦めが悪いのかただの復讐鬼の狂人なのかはわからないが、俺は諦めない。諦められない。

 そういうことで、俺が直で連絡をとれる保健師だの包括だの「お兄さんはお兄さん、弟さんは弟さんと、気にせず生きてください」といった当事者意識皆無の人間ではなく、実際に弟と携わり「弟さんの好きなようにさせましょうねぇ~」と言っている医療の人間に取り次ぐことにした。

 そういうことで八月中に会ってください、と弟の医師に、母を経由して連絡を取っている。以前訪問看護師にこうした時は弟にチクられ、著しく状態を悪くされてしまったのだが、さすがにそこまでの100倍ビッグバンかめはめ波級の馬鹿ではないと信じたい。そもそも七年かかっても結果が出ていない。七年あればオリンピックの準備だって出来るのに。

 ちなみにこの医師はとにかく弟の意思を尊重する。それを表すエピソードが弟ワクチン拒否事件である。

 コロナ禍真っ盛りの頃。看護師の母はいつもらってきてしまうかわからないため、弟にワクチンを打たせようとしたが、弟は拒否。それでも母は不安なので、勝手に申し込んでしまったところ、弟は「馬鹿にしている」と馬鹿のくせに大激怒。それを知った医師は「弟さんが嫌がってるので、ワクチンはキャンセルさせましょうねぇ~」と申し込んだワクチンを辞退した。クソが。じゃあ今、希死念慮が強い弟は一刻も早く死なせてやれ。

 この医師に関してはいろいろ能力や遂行速度、スタンス、スケジュールに問題があるため、不信感しかなく、あったことのある父も「どこか他人事みたいに話す人」と言っていた。

 そのため、俺の意見はこの医師は罷免としたい。代わりに俺の医師を弟の主治医とし、一刻も早く入院かグループホームに入れる。俺の主治医は弟が幼少の頃に会ったことがあり、「明らかにASD」と断言している。しかし弟はその先生をヤブと吐き捨て、受診する気はないだろう。そうなった場合、さすがに保健所も動いてくれると信じたい。

 また、受診を拒否する精神障碍者に対する記事を読み、その記事を書いた団体のHPを観、我が家に対しとてもハマっているような気がしたのだが、電話で相談するだけで一時間一万円を超す。我が家にはもう金はない。もう本当にない。

 金はない、けどまた予断がある、そういう状態の時に両親が仕事を休み、弟と向き合っていかなきゃならなかったのだが母にはもう休む余裕はない。80歳まで契約延長できる仕事のようだがなんだその老老介護。日本の縮図だな。その頃には我が家も立派な8050家庭である。

 母とは先日一緒に新潟の祖母に会いに行ったが、弟がボクシング(笑)で鍛えており、先日はスパークリングで大分ヤラレタと嬉々として語っていたが、俺は

「そのまま当たり所が悪くて死んでしまえばよかったんだあんなカス」

 と言った。もうこういうことをパッと言えるくらい、俺もおかしくなっている。

 ちなみにこれはまだ新幹線の駅にもついていない、最初の在来線の中での話である。その後の新幹線の中では一切会話せず、俺は森見登美彦先生の『熱帯』に夢中になっていた。

 現地……新潟。新潟について猫の話になったが、訪問看護師の密告事件で実家完全出禁になった俺は猫にはもう一生会えない。多分猫が死んでも線香すら上げさせてもらえないだろう。


「まぁ、もう俺はにゃんこたちには会えないんだけどね」

「アンタどこにでも地雷あるわね。話しづらいわ」


 新潟の祖母は昨年のお盆の頃よりも圧倒的に弱っていた。母は弟が祖母に懐いているというのが嬉しいらしく、唯一残された弟の良心のように思っている節がある。

 そして祖母の部屋に行くと、俺はその部屋から出ていくように母に命じられる。


「ブロリーとおばあちゃまにテレビ電話させるけど、アンタと新潟来てるってバレると大変だからどっか行ってて」


 ……。

 思い出すなぁ、七年前……。

 祖父が亡くなった時、弟は「兄貴とは行動したくない」と言ったので俺は一連の間「どっか行ってて」状態にあり、家族の中で俺だけ別行動、別の宿、別の移動手段、葬式会場にはお情けでお焼香だけ。

 祖母の時も同様だろうが、祖父の時は実はまだ妹と父がターゲットになっていなかった。今はターゲットなので、祖母が亡くなったら父、妹も葬式会場出禁である。

 しかも弟は一人で新幹線にも乗れない重要人物であり、祖父の時は妹が新潟まで連れてきた。次はどうなる? 母が連れて行くにせよ、母・弟組と俺・妹組のどちらかは、同じ便に同乗できないため最速では駆け付けられないということになる。


 まぁいい。今回は22話目、にゃんにゃん話目である。なのでにゃんこの話をする。


 実家には二匹の猫がいるということは本誌既報の通り。特定されたところで困るのは弟だし、特定されてこの随筆が炎上騒ぎになるようなら俺はクソッタレの訪問看護師と医師の情報を開示して道連れにするつもりなので、個“猫”情報は出す。

 一匹目はキジトラのオスで、名前はレオ(14歳)。生まれは新潟の山奥で陶芸をしている親戚の家の近くで半野良半飼い猫のような生活を送っていた猫一家の子である。

 このレオを貰ってくる直前、祖父のところで飼われている従妹猫に初めて会い、猫の可愛さにメロメロになってしまった俺と妹は、この陶芸の親戚のところで「猫飼ってみたいよね」「猫可愛いよね」とネコネコカワイイカワイイヤッターな話をしていた。全く他意はなかったが、親戚のお姉さんが

「じゃあこの子を連れて行きな」

 と差し出したのが幼子のレオだった。トイレのしつけはバッチリ、ただし今でもそうであるように弱気で臆病で、実際フィジカルも弱くカラテの高まりもないため、兄弟ゲンカで尻尾の骨が曲がって耳に切れ目が入っていた。しかし息を呑む程の美形であった。

 さらに親戚はケージまで譲ってくれ、この時は東京から新潟まで車で来ていたので俺と妹は「この子を東京に連れて行かないなら帰らない」と駄々をこね、レオは我が家の一員となった。

 レオは非常に良い子であった。騒がないし、悪さをしないし、粗相もしない。ただし運動神経が悪くどんくさく、椅子から飛び降りようとジャンプしてテーブルに頭をぶつける、階段から転げ落ちるなど猫とは思えない失態も犯した。夏になると栽培マンにやられたヤムチャのような姿で寝転がる。

 元々食が細かったが、最近ではさらに細くなり、体には骨が浮いているという。しかし、最初の猫がレオで本当によかったと思っている。


 二匹目は三毛猫のメスのみかん(10歳)だ。レオの名付け親は親戚だが、みかんの名付け親は俺である。

 2014年7月。当時大学4年生……なのは俺が落ちこぼれであったことを伝えた『窓ぎわの三篠森・Nちゃん』回で本誌既報の通りだ。忘れもしない。2014年7月1日(火)。当時、大学までの電車の乗り換えが面倒だった俺は毎日自転車を30分漕いでショートカットしていた。そのショートカット先の駅の近くでミーミーと、文字の上では可愛らしいが、ちぎれんばかりに喚く声がした。声の下を辿ると駅の近くの商店にて、貰って来た時のレオよりも幼い子猫が商店の店主のマダムとその娘さんに保護され、どうしたらいいかわからないとおっしゃっていたのでもらってきた。ちなみにその時もケージは分けてもらったし、店主は快く譲ってくれた。

 そのケージを自転車のカゴに乗せ、来た道を30分の倍かけて戻る。その日の講義は欠席した。落ちこぼれであるが故に4年の7月に必修があり、しかもその講義は俺の恩師のものだったので悪いことをしたと思っている。

 店主から「多分女の子」と聞いていたので、自転車で名前を考えていた。植物の名前がいいだろうと考えており、さくらやももなども候補にあったのだが、夏みかんの季節だったことと、活発な印象がどこかオレンジ色を連想させたので、帰宅途中で獣医さんによった時に名前にみかん、と書いた。

 みかんは当時、生後一か月程だった。話を聞く限り一匹でさまよっていたというので、保護されていなければ死んでいたと思われる。

 母はものすごく嫌がったが結局すぐにみかんを迎えてくれた。しかしすぐにレオと同じ空間に入れてはダメとのことだったので、みかんは二か月間、俺の部屋でのみ飼われることになった。何故かこの子は粗相はしなかった。

 みかんはとにかく活発であり、走り回り、よく鳴き、俺をかぷかぷ噛む。外での汚れをちゃんと落し、きれいにしたみかんははっと目が覚めるような美少女であった。俺が実家にいた頃に獣医さんに連れていくと、周りの患者さんの飼い主や獣医さんに「美人さんですねぇ!」と褒められるほどの器量よしであった。

 さて二か月経過し、レオとみかんは対面した。レオは、二階の一室になにかがいるとは気付いていたようだが、少しおっかなびっくりにみかんに接した。レオは猫社会で暮らしていた時期がみかんより長く、その猫の所作をみかんに教えてやった。

 何物でもなかったみかんは、レオに会うことで一気に“猫”になった。みかんはレオを相手にプロレスを仕掛けることはあったが、ガチゲンカは一度もしなかった。むしろみかんがガチゲンカをしたのは弟とで、弟とみかんが

「やんのかテメェ! ケンカ売ってんのか!」

「シャーッ!」

 と本気の口ゲンカしているのを見たことがあった。範馬(ハンマ)刃牙バキが空想の相手と超実践リアルシャドーが出来るように、弟は猫と本気の口ゲンカが出来る知能があるのだ。今ではみかんが大人になったが、俺が実家にいた頃から弟はみかんに「死ね」「クソ猫」「カス」と暴言を吐いていた。


 あんなにお転婆だったみかんは大人になるとレオよりクールになり、鳴かなくなり、好奇心より警戒心が強くなり、レオよりも人見知りになった。ただ食いしん坊は変わらずのようで、レオの分のご飯を食べてしまうので顔はキャワイイのに体はごんぶと、代わりにレオが痩せていく。

 あれは2016年……。これもいつか振り返りたいが、2016年は俺にとってどこか特別な年だった。この年の特別さはいずれ振り返りたいが、まぁ映画版『ルドルフとイッパイアッテナ』があり、今『ルドルフ』シリーズを読み返しているからこうやって猫の回を書いている部分もあるのだが、2016年にみかんは脱走した。網戸を突き破って外へ飛び出したのだ。

 この日は配信されたばかりのポケモンGOをやりながら近所を探し尽くしたが、ついぞみかんは見つからなかった。しかし、ちょうど真夜中前、みかんは玄関から帰ってきた。シンデレラの帰還だった。

 みかんとは3年しか一緒に暮らしていない。別れてからの方が長い。今のみかんはどういう子になったのかはわからない。


 と、俺はとにかくレオとみかんが大好きであった。

 だがその別れは唐突で、本誌既報の通りに『ラ・ラ・ランド』を見え終えた後に俺は母に不動産屋に連れていかれ、そのまま強制内見の後にアパート暮らしとなったので、レオとみかんにはちゃんと挨拶していないし、今生の別れも済ませる時間もなかったし、もう俺は二匹に忘れられている。少し前ならば1時間程度なら帰宅して二匹と謁見することは出来たが、訪問看護師の密告以来完全なる立ち入り禁止、大げさではなく全く一瞬たりとも家の敷地に入ることを許されていないので、もう会えない。

 永遠の別れを暴力で強制的に強いられることを「殺される」と表現するのならば、俺とレオ、みかんの関係は弟に殺されたのである。

 だが弟がどうにかなれば、あの二匹にはまた会える。それこそが、俺が諦めきれない最大の理由かもしれない。

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