公爵令嬢による婚約破棄マニュアル
「シャルロット嬢、君との婚約を破棄する」
ここは煌びやかなダンスホール。
金髪碧眼の第一王子オーギュスタンは、着飾った男爵令嬢と連れ添って、真紅の絨毯が敷かれた階段からゆっくりと降りてきた。
階下には、待ち構えるように立っている公爵令嬢・シャルロット。
ふたりが向かい合って開口一番、オーギュスタンが告げたのは婚約破棄だった。
ところが婚約破棄の言葉に最も体を震わせているのは、男爵令嬢・サラ。
サラはシャルロットの表情を窺うように、不安そうな面持ちになっている。
対する公爵令嬢シャルロットは……王子の宣言に喜びを隠しきれず、扇子で口元を覆っていたのだった。
――話は三年ほど前に遡る――
「シャルロットさま? 今、なんて仰ったのですか?」
「婚約破棄、ですわ。わたくしの望みを実現させるには、王太子殿下との婚約を破棄するしかないということに気づきましたの」
光が窓からたっぷりと差し込む公爵家のティールーム。
シャルロットは読んでいた本をぱたんと閉じて、向かいに座るサラを見つめた。
サラは紅茶色の瞳で瞬きを繰り返して、眉を下げる。
「もしかして、王妃教育に耐えきれず……?」
「いいえ」
シャルロットは頭を振った。
「わたくしにとって、最も優雅に見えるドレスのつまみ方やお辞儀の角度、歩幅の計算はある種の遊戯ですわ。完璧にできたときの達成感は得がたい喜びがありますの。それに、歴史や地理を学ぶのはとても楽しくて……一生を書庫で送りたいくらいですわ!」
シャルロットはきらきらとすみれ色の瞳を輝かせて、頬を紅く染めた。
テーブルの上にある本も、すべて王室の書庫から特別に借りてきたものである。
趣味は読書、とはまさにシャルロットのためにある言葉だった。
「つまり、シャルロットさまの望みというのは、一生を書庫で送るということですか?」
「少し違いましてよ。読書によって得た知識を、ひたすらに実践したいのです。たとえば公爵領で、より効率的に穀物を育てるにはどうすればよいか? 土壌の改善、穀物の交配。試したいことは無限にありますの。その為には、国母となるよりも女公爵となるべきだと考えましたの」
王家と、当代では魔力が最も強いといわれている公爵家。
シャルロットが生まれたときから決められている婚約ではある。
なお、シャルロットは先祖の用いていた魔法についても独自で調べ上げ、十五歳にして魔法学研究者としての一面も持っていた。自身もまた、風や水などの自然を操ることのできる魔法使いである。
平々凡々なサラには魔力など欠片もないが、シャルロットの説明は分かりやすく、話を聞くだけでもとても楽しい時間だった。
「さすがシャルロットさまです、と申し上げたいところなのですが……そこでどうして婚約破棄という結論に至るのでしょうか……」
公爵令嬢としての誇り高い部分もある一方で、身分差のある者とも分け隔てなく接するシャルロット。
長く伸ばした髪の毛を頭の上でひとつに纏め上げ、花を挿している様は優雅すぎて、いつしかこの国の流行となった。
サラももちろん、シャルロットを真似てブラウンの髪をまとめ、すみれを挿している。
(すばらしい御方だと思うのだけど、時々、突拍子もないことを思いつかれるのですよね……)
サラは心のなかだけで溜め息をつく。
そんなサラの心中を知ってか知らでか、シャルロットは意気揚々と答えた。
「かんたんなことですわ。王家に嫁いでしまえば、わたくしは政に関わることを許されないからです」
未来の王妃として、陰から第一王子を、つまり将来的には国王を支える。
国じゅうの女性が憧れている未来のはずなのに、どうやらシャルロットにとってそれは最良の人生ではないらしい。
サラは恐る恐る質問を重ねてみた。
「シャルロットさまが、殿下を嫌いだということではないんですね?」
「えぇ。あの方の知性的な面を、わたくしは心から慕っております」
「でしたら、どうして」
「かつて、王都では婚約破棄が流行していたという記録を見つけましたの」
「物騒な流行ですね……」
「最後までお聞きなさい。もちろん、絞首刑のような物騒な結末もあったそうだけど、婚約破棄された側が隆盛を誇るという場合もあったようなのよ。当然、わたくしが目指すのは後者ですわ。そこで、わたくしは時間をかけて丁寧に婚約破棄を目指すことにしましたの」
「丁寧な婚約破棄とは……?」
「そのためには、サラ、あなたの力が必要不可欠ですの」
(えぇぇっ!?)
十四歳のサラが悲鳴を上げなかったのは、男爵令嬢としてせめてものプライドだった……のかも、しれない。
(1)男爵令嬢と王太子殿下の運命的な出逢いを演出
翌春。
男爵令嬢・サラは、王立学院高等部に入学が決まっていた。
だからこそ、そのタイミングを狙ってシャルロットが計画を発動させたともいえるのだろう。
通学路から校門までの道の両脇には、国花であるヤエザクラが満開。
青空とのコントラストは、見事なまでの美しさ。
第一王子は絶対的な生徒会長として、学院の正門に立って新入生たちを迎えていた。
ちなみに、シャルロットは副会長なのだが、姿は見えない。
(あの御方が、王太子殿下。まさに眉目秀麗ですね……)
シャルロットの婚約者とはいえ、顔を合わせたことはない。
サラは思わずまじまじとオーギュスタンを見つめてしまった。
金髪碧眼、すっと通った鼻梁を中心に、彫りの深い顔立ち。
すらりと背が高いのに肩幅も広くしっかりとした体つき。
すると王子はサラの視線に気づいたのか、顔を向けてきた。
ふたりの瞳が合った瞬間。
ざぁっ……!
花びらが風で勢いよく舞い上がった。
そしてふたり以外を花びらで隠すように、トンネルのようになる。
とても幻想的な美しい光景にサラは思わず息を呑んだが――視界の隅にシャルロットの姿が入り、はっと我に返る。
(シャルロットさまー! 何をやっていらっしゃるんですかー!!)
明らかにシャルロットの風魔法だった。
公爵令嬢は本気だ。本気で、男爵令嬢のサラを王太子殿下の婚約者にしようとしている。
(うっ……胃が、胃が痛いです……)
サラが胃のあたりを抑えると、オーギュスタンが近づいてきた。
(輝きが! 輝きが歩いてきます!?)
オーラを纏う人間というのは、輪郭ですら輝いているのだとサラは知った。
しかしそれを呑気に眺めている心の余裕は、ない。
オーギュスタンがサラを覗き込んでくる。
間近で見る第一王子。甘いのにきつくない香りが漂い、肌はなめらかで、動く彫刻のようだ。
「大丈夫ですか? 襟元のリボンの色からして、新入生ですね。保健室へ案内しましょう」
「い、いえ、結構です。すぐに治まりますから」
「そんな青い顔をしているのに放っておけませんよ」
ひょいっ、と。
細腕のはずのオーギュスタンは軽くサラを抱きかかえ、いわゆる『お姫さま抱っこ』状態になる。
(おやめください! そうされればされるほど! 胃がー!!)
心のなかで悲鳴を上げるサラ。
シャルロットの方向を見遣ると、見たことのない満面の笑みで拍手を送ってきていた……。
(2)王太子殿下の学友から男爵令嬢の美点を広める
「いいかしら? 殿下のご学友といえば、ルビー、エメラルド、サファイア。瞳の美しさからそのように呼ばれてもてはやされています。サラ、あなたは彼らと交流を深めなさい」
入学式からしばらくして、シャルロットはサラを人気のない美術準備室へと呼び出した。
オーギュスタンとの出逢い方をひとしきり褒めたたえてから、シャルロットは次なる計画を説明する。
「彼らから信頼されれば、殿下との距離も縮まりますわ」
「シャルロットさま。いくらなんでも、それは無理難題すぎます……」
「何故?」
できない理由なんてないでしょう、とシャルロットの瞳は純粋な光を放っていた。
「殿下とも完璧な出逢いをしたんですもの。あなたなら必ずできますわ」
うっ、とサラは言葉に詰まる。
シャルロットはシャルロットで、サラに絶大な信頼を寄せているのだ。
すみれ色の瞳で見つめられたら断ることなんてできない。
「窓の外をご覧なさい」
シャルロットに言われて、サラが三階の窓から中庭を見ると。
青々とした芝生のなかのベンチで、ちょうど三人の男子学生が談笑しているところだった。
ルビー。公爵家の長男、アダン。
エメラルド。侯爵家の次男、レオン。
サファイア。伯爵家の長男、サシャ。
「お言葉ですが……男爵家のわたしが、どうやって交流を深めればよいのでしょうか?」
「男爵家のあなただからこそ、できることがあるでしょう?」
「……とは?」
サラは勉学のために王都に住んでいるが、実家である男爵領は王都の西にある山に囲まれた地。
元々は、シャルロットの父――公爵からサラの父に与えられた領地でもある。
近年、鉱山から採れる鉱物が、磨くと美しい宝石になることが判った。
それを男爵が公爵へ献上したことがきっかけで、シャルロットとサラも友人となったのである。
*
「君がサラアイトという名の由来になった男爵令嬢ですか」
「お、お恥ずかしながら……」
「恥ずかしがることなんてないだろ」
「そうそう! もっと誇っていいと思うよ!」
サラアイト、というのは男爵領で採掘される宝石の名である。
「母上がネックレスを仕立てていたけれど、ダイヤモンドに引けを取らないすさまじい輝きを放っていましたよ」
アダンが微笑む。
サラは、曖昧に笑うことしかできない。何故だか、件の男子学生たちと学内食堂の個室にいた。
(眩しい……宝石のような瞳で見つめられると、ひたすらに眩しいです……)
テーブルを挟んでサラの向かいにはアダン、隣にレオン。
サラの隣にはサシャが腰かけていた。
アダンはシャルロットの家と連なる三大公爵の跡取りらしい優雅さがあり、レオンは物静かで口数が少ない。サシャは、サラと同い年で、はつらつとした少年っぽさがあった。
(緊張で紅茶の香りもクッキーの味も分かりません……)
泣き言のひとつも口にしたいサラだったが、なんとか堪える。
「シャルロット嬢だけではなく、我が家も懇意にしていただきたいものですね」
「父に伝えておきます」
サラは、アダンに向かって頭を下げる。
するとレオンが銀縁眼鏡の位置を直しながら、サラに言った。
「シャルロット様と親しいと伺っていたけれど、君自身は普通の子なんだな」
「レオン」
アダンがレオンを制するように名を呼ぶ。
「それじゃまるでシャルロット様が変わり者みたいだね! あははっ!」
「「サシャ?」」
(なんとなく……彼らのシャルロットさまに対する評価が解りましたよ……?)
サラは気づかれないように三人を見渡す。
自分だけでは決して会話することも許されないような人たちだが、こうしているととても気さくで人当たりがいい。
斜め向かいのレオンと、不意に視線が合った。
眼鏡をかけてはいるものの、エメラルド色の瞳の美しさはすばらしい。
「何か?」
「いえ、すみません。父も眼鏡をかけているので、なんだか懐かしくて」
とっさに下手な言い訳を口にしてしまったが、間違ってはいない。
質問をしてきたのはアダンだった。
「お父上は領地の方に?」
「はい、アダンさま。父は、王都よりも領地で、民と一緒に汗を流すのが好きなんです」
「男爵は平民の出だそうだね。きっと領地でも慕われているんだろう」
「ありがとうございます」
サラは父を褒められて、ようやく心から笑顔になることができた。
「わたしも、そんな父を誇りに思っております」
*
数日後。
サラがひとりで学院の廊下を歩いていると、奥から歩いてくるレオンの姿が視界に入った。
視線が合って、サラはぺこりと頭を下げる。
これがシャルロットであれば制服のスカートをつまみ優雅に会釈しただろうが、サラはあくまでも男爵令嬢なのである。
(シャルロットさまはわたしを王妃にしようと目論んでいらっしゃるけれど、わたしには絶対にあの王妃教育を学ぶことなんてできません……)
所作のひとつひとつ、ダンスの魅せ方、美しい言葉遣い。
シャルロットから話を聞けば聞くほど気の遠くなりそうなことばかりなのだ。
そもそもサラは、他の令嬢たちのように王妃に憧れてはいない。
しかし一方でシャルロットはやると言ったらやる人間でもある。
男爵令嬢としては、流れに身を任せるしか生きる術はない。
すれ違うことはせず、レオンはサラの前で立ち止まった。
初対面では座っていたので分からなかったが、レオンはサラより頭ふたつ分背が高い。
「……こんにちは、サラ嬢」
「レオンさま。先日はありがとうございました」
「父に君のことを話したら興味を示していた。今度、男爵家に手紙を送るそうだ」
「恐れ入ります」
侯爵から男爵への手紙。それは誘いではなく、指示となるだろう。
貴族のつながりというのはサラにとってまだまだ難しい駆け引きの世界だった。
(それでも、レオンさまはわたしのことを『普通の子』と仰ってくださった)
平民の同級生からすれば貴族であり、貴族のなかにいれば男爵令嬢であり。
サラは、学院内ではなかなか友人を作りづらいと感じていた。
だから今も、ひとりで廊下を歩いていたのだった。
「おや? ふたりは知り合いだったのかい?」
ふわっと甘い香りがしてサラが肩越しに振り返ると、オーギュスタンが立っていた。
慌ててサラは深く深く頭を下げる。
「殿下。入学式のときは、ありがとうございました」
「気にしないでくれたまえ。その後、体調はどうかな?」
「おかげさまでとても元気です」
「殿下、入学式とは?」
「青い顔をしていたから保健室へ連れて行った。ただ、それだけのことだよ」
「流石、お優しい殿下らしい」
「どうもどうも」
オーギュスタンとレオン。
ふたりは立っているだけでも視界が華やかになり、視線が集まってくる。
(目の保養……目の保養……わたしはただの空気……)
ふたりの会話は全く耳には入ってこない。
添え物のようになっているサラは、なんとか平常心を保つのに精いっぱいだった。
(3)公爵令嬢が男爵令嬢を迫害しているという噂を広める~ただし、程々に~
「計画は順調ですわ。流石、サラ。わたくしの見込んだ人間ですわ」
「は、はぁ」
公爵家のティールーム。
シャルロットは紅茶を飲む所作ひとつとっても優雅そのもので、サラには真似しようとも真似できない。そもそも、真似するつもりもないのだが。
「次の段階に移りましょう。わたくしが、あなたをいじめているという噂を静かに広めるのです」
「それはだめです! 事実無根ですし、シャルロットさまの評価が下がるだけです!」
飲んでいた紅茶をむせかけ、サラは反論した。
「わたしはずっとシャルロットさまに親しくしていただいてきました。とても感謝しています。その恩を、仇で返すような行動はできません……」
サラの視界が滲む。
「というか、シャルロットさま。その計画のために、最近学院内でわたしのことを無視されていらっしゃったんですね……?」
「その通りですわ」
即答に耐えきれず、不敬を承知でサラは頬を膨らませた。
シャルロットは、そんなサラの頬に手のひらをすっと当てた。
「泣かないでちょうだい、わたくしの可愛いサラ。あなたには涙よりも笑顔の方が似合いますわ」
「……」
「それに、アダンやレオン、サシャたちがあなたを何かしら誘っているでしょう? 決して孤独ではありませんわ」
「……わたしはシャルロットさまと学院生活を楽しみたかったんです……」
ついにサラは本音を、愚痴をこぼしてしまった。
(シャルロットさまとは学年も違いますし、そもそも殿下の婚約者ですし、公爵家の令嬢ですから。そんなに学院内でも交流を図れるとは思っていませんでしたが……これではあまりにもひどすぎます……)
ぽろぽろとサラは涙を零した。
するとシャルロットは困ったように微笑んだ。
「サラ。でしたら、こういうのはどうかしら?」
そしてシャルロットは、計画に若干の変更を加えたのである。
*
「……サラ嬢。一体、何をしているんだ?」
視界が塞がれているサラは、声で、目の前にいるのがレオンだと判った。
「シャ、シャルロットさまに、いじめられているんですー!」
サラは見事な棒読みで答える。
はぁ、と溜め息が聞こえた。
「俺の目には、君が、自分の背よりも高く積み上がった焼き菓子を運んでいるように見えるんだが?」
言葉と同時に、サラの目の前が開けた。
焼き菓子の半分を、レオンが持ってくれたのだ。
「いっぱい食べて肥えなさい、といじめられました、とても、ひどい御方なんですー」
「サラ嬢? 熱でもあるのか?」
ちょっと来なさい、とレオンは空き教室へサラを促した。
隣同士で座るふたり。机の上には焼き菓子の山ができあがる。
「近頃、シャルロット様と一緒にいるところを見かけないと思っていたが。いじめられているとは?」
レオンはあまり感情を表情に載せない。
だから怒っているようにも見えて、サラは縮こまった。
「……」
「あぁ、そうか」
レオンは何かを思いついたように眼鏡を外して、机に置いた。
「父君に怒られているように見えただろうか。これなら、話せるか?」
エメラルドの瞳がサラを覗き込んでくる。
決して派手ではないものの、深くて濃い美しさ。
(眼鏡男子が、眼鏡を外したときの破壊力……!)
サラは息を呑む。
そして、感情をあまり出さなくても、レオンが心配してくれているのは伝わってきていた。
言葉に詰まるサラを見て、レオンはぼそりと零した。
「オーギュスタンやアダンたちからも言われるんだが、無愛想なのは生まれつきで……。怒っている訳ではない。ただ、君が困っているように見えたから、力になりたいんだ」
レオンの言葉に、サラは泣きそうになって唇を噛む。
(やっぱり、無理です! 心に反する嘘をつくことはできません、シャルロットさま……!)
そしてサラは、初めて、シャルロットを裏切ることに決めた。
サラはシャルロットの計画をすべてレオンに話した。話し終える頃には、教室の窓から夕陽が差し込んで室内をオレンジ色に染めていた。
「……という、ことなんです」
「まったくもって、シャルロット様らしい話だ……」
レオンもレオンで、頭を抱える。
「だからオーギュスタンも、近頃シャルロット様が冷たいと嘆いていたのか」
「殿下も、ですか?」
「あぁ。書物を贈ってもそっけないとか、茶会を欠席するとか。しかしこれで繋がった。サラ嬢、話してくれてありがとう」
サラは両膝の上で拳を握りしめた。
「いえ、ですが。これはシャルロットさまに対する裏切り行為なので……褒められたことではありません」
「しかしそのおかげで、殿下は対策を練ることができる。今の話だと、シャルロット様は殿下を嫌いになった訳ではないのだろう?」
「はい。そうです」
「それならば、シャルロット様の上をいけばいい」
レオンがサラの手に、自らの手を重ねた。
サラは弾かれるように顔を上げ、レオンと視線が合う。
「協力してくれるかい、サラ嬢。この国の未来のために」
「はい。……はい!」
(レオンさまの仰る通りです。シャルロットさまが殿下と結婚した方が、確実にこの国のためです……!)
大きくサラは頷いた。
そしてシャルロットの計画はオーギュスタン、アダンやサシャに伝わった。
男性陣にサラを加えた話し合いの結果、シャルロットの計画がうまく進んでいるように見せかけることになった。
「実は私が一枚上手だった、という方が面白いだろう?」
計画を練りながら、オーギュスタンは楽しそうに笑った。
「私の可愛いシャルロットは、頭のいい人間を好むからね。ということでサラ嬢。君には引き続き協力してもらうよ」
「えっ!?」
サラは最初抵抗を示したもののレオンに説得され、自然にアダンたちやオーギュスタンと親しくなっていく演技をすることになった。
シャルロットと過ごす時間が減っていくのは寂しかったが、演技に自信はないので下手にボロが出なくていい、と自分に言い聞かせるのだった……。
(4)パーティーで王太子殿下から公爵令嬢に向けて婚約破棄を宣言させる
そして時はあっという間に流れ――
オーギュスタン主催の舞踏会が開かれることになったのである。
まことしやかに、第一王子と公爵令嬢との婚約を破棄するだろうという噂が流れる舞踏会だ。
(それはレオンさまたちが限定的に流した噂ではあるものの、シャルロットさまは計画がうまくいっていると思われているのですよね……)
この数年、二重スパイのような日々を送ってきたサラ。
ようやく今日、すべてが終わるのだ。
そう思うとうれしい反面、失敗してはならないという緊張感が高まっていた。
久しぶりに、サラはシャルロットから呼び出された。
最近のシャルロットは魔法学の研究で忙しく、王都にいないこともしばしばなのだ。聞くところによると、公爵領のどこかに魔法遺跡を見つけたらしい。
「よく似合っていますわ、サラ」
ますます美しさに磨きをかけたシャルロットは、自らと同じようにサラを着飾らせた。
サラの髪を結い上げ、瑞々しい薔薇を挿し。
ドレスは公爵家お抱えの仕立て屋に作らせたペールグリーンで流行りのデザインのもの。
耳飾りと首元にはとびきりのジュエリー――サラアイトが輝いている。
「今日まで頑張ってきてくださって、心から感謝いたします。サラ、あなたはわたくしの最高の友人ですわ」
「シャルロットさま……」
「泣かないで、サラ。化粧が落ちてしまうわ」
シャルロットが思うのと別の意味で泣きそうになるサラ。
慌てて鼻をすすり、涙をごまかした。
「さぁ、行ってらっしゃい。わたくしはダンスホールで待っていますわ」
シャルロットに送り出されたサラは、オーギュスタンが控える部屋の扉をノックした。
オーギュスタンは椅子に深く腰かけていたが、顔をゆっくりと上げる。
「失礼します」
「サラ嬢。今日は、シャルロット嬢が仕上げたのかい?」
「はい。シャルロットさまは、ほんとうにすばらしい御方です」
「ちょっとずれている、ただ一点を除いて……ね」
オーギュスタンが苦笑する。
苦笑いでさえ背景に花を咲かせる美貌。
サラにとっては高貴すぎて、やはり慣れることはできなかった。
「今までお世話になりました」
「こちらこそ。君のおかげで、私は今日こそシャルロット嬢に愛を伝えることができるのだから。感謝しているよ」
*
煌びやかなダンスホール。
シャンデリアに負けないくらい、サラの耳元と首元は輝いている。
オーギュスタンはサラを伴って、ゆっくりと階段を降りて行く。
階下では、シャルロットがふたりを見上げて優雅な微笑みを浮かべていた。
オーギュスタンがシャルロットと向き合う。
「シャルロット嬢、君との婚約を破棄する」
その言葉に、シャルロットは扇子で口元を覆った。
(シャルロットさま、今、確実に計画が成功したって喜んでいらっしゃる……)
サラは緊張のあまり震えていたが、それだけははっきりと解った。
そしてオーギュスタンが言葉を続ける。
「――とでも言うと思ったのかい?」
「え?」
シャルロットのすみれ色の瞳が、大きく見開かれた。
サラは、すっとオーギュスタンから離れて一歩後ろに下がる。
オーギュスタンはシャルロットに向けて片膝をつき、その手を取った。
「私が可愛い君の可愛らしい計画に気づいていないと思ったら、大間違いだよ」
そして、恭しく甲に口づける。
「そこまでして政に携わりたいというなら、相応しい場も職も用意しよう。魔法学の研究も好きなだけやるといい」
「……殿下……?」
「前例や慣習は、壊すためにある。それが君のためだというなら、これ以上の喜びはないよ。シャルロット嬢」
シャルロットは、呆気にとられたようにオーギュスタンを見つめていた。
しかしはっと気づいたように奥に立つサラへと顔を向けてくる。
「大丈夫だ」
緊張で声が出せないサラの隣には、いつの間にかレオンがいた。
背中に手を当ててくれて、ようやくサラは呼吸を取り戻す。
深呼吸してから、サラは口を開いた。
「シャルロットさま、申し訳ございません。ですが、やはり殿下に相応しいのは、シャルロットさましかいらっしゃらないと思います!」
「だそうだよ、シャルロット嬢。ちなみに、私もそう思う」
「殿下。わたくしの計画をご存知で騙していらっしゃったのですね……?」
オーギュスタンは頷き、立ち上がると――シャルロットを自らの胸へ引き寄せた。
そして、サラは初めて、シャルロットが照れている姿を目にした。
人間は照れると、顔を真っ赤にして瞳が潤むのに口角が上がるらしい。
(シャルロットさまが、可愛らしいです……!)
公爵令嬢の新たな一面を知り、サラは心のなかで快哉を叫ぶのだった。
*
「シャルロットさまの計画が失敗して、ほんとうによかったです」
サラはレオンに促されて、バルコニーに出ていた。
夜風が頬を撫でていく。
数年に渡る『婚約破棄計画を破棄する計画』が無事に終わり、サラは解放感を味わっていた。
五曲連続でオーギュスタンとシャルロットが躍るのを見届けたという満足感もあった。
シャルロットとオーギュスタンの関係は確固たるものとなるだろう。
「よく頑張ったな、サラ嬢」
「レオンさまたちのおかげです」
レオンを見上げて、サラはようやく微笑んだ。
「……レオンさま?」
「着飾っているのも、可愛らしいな」
サラは、一気に顔が熱くなるのを感じて……俯いた。
「顔を上げて、もっと見せてくれないか」
「レ、レオン、さま?」
レオンがそっと、サラの顎に触れた。そのまま、サラの顔を上げさせる。
エメラルドの瞳は夜だというのに、闇に負けない澄んだ光を湛えていた。
「今度、父に改めて君のことを話そうと思う。いいか?」
「お、恐れ入ります」
(どう返していいか分かりません……。ですが)
「よろしく、お願いします」
その答えは『いいえ』ではないことを、サラは知っていた。
やがて、侯爵家から男爵家に一通の手紙が届くことになる。
それは美しい宝石の件ではなく、可愛い令嬢との、婚約の件についてだった。
読んでくださってありがとうございました。
この作品が面白かったら、
☆を★に変えていただいたり
ブックマークやお気に入り登録してくださると、
作者の励みとなるのでよろしくお願いします♪