第8話 今日だけ
朝目が覚めると、時子は既に居なくなっていた。
代わりにナームコが抱き付いている。
あれ、おかしいな。
さっきは凄く可愛いわんこにじゃれつかれている夢を見ていたはずなのに、なんでこいつが抱き付いているんだ?
とりあえずこいつを引き剥がして……引き剥が……剥が……せないだと?!
もしかしてこれ、抱き付かれているんじゃなくて、関節を決められてない?
痛くはないけど、脱出できないぞ。
『タイムっ』
『無理!』
『ですよねー』
こうなったら叩き……叩けない。
「おいっ! ナームコ、起きろっ! くっ、この」
「お兄様……」
「お兄様じゃなくてっ。起きろってば! 起き……」
あれ、もしかして泣いてね?
よく見ると、頬が濡れているような気がする。
はぁ……バカだな。
「俺は〝お兄様〟じゃないぞ」
ま、今日くらいは許してやるか。
頭でも撫でて……うん、無理。
腕が動かない。
どんだけがんじがらめなんだよ。
フッとため息をつくと、扉の方から人の気配がした。
クソッ、首が回らない。
「エイルか?」
「……」
声を掛けてみたが、返事がない。
違ったか。
すると、足音が遠ざかっていった。
起こしに来たんじゃないのか?
俺、いつまでこのままなんだろう。
「シャコはなにをしに来たんだ?」
「ん? 今の、時子だったのか」
「そうだ。ジッとこっちを見ていたのだが、兄様が声を掛けたら居なくなったな」
「というか、起きたのなら離れてくれないか?」
「そうだったな。すまん」
「……そう思うなら、早く離れてくれ」
「いいではないか。もう少しこのままでいさせてくれ」
そういえば、自分が一番大人だから泣けないみたいなことを言ってたっけ。
今はトレイシーさんが居る。
我慢する必要が無くなった……いや、張り詰めていた気が緩んだということか。
「今日だけだぞ」
〝今日だけ〟……か。
甘やかしすぎかな。
ま、今まで我慢してたんだ。
今日くらいはいいだろ。
……ところで、もう少しっていつまでだ?
フブキの散歩に行きたいんだけど。
やっぱり俺1人で行くんだよな。
時子は……付いてきてくれないか。
仕方ない。
フブキと二人っきりもいいもんだ。
たっぷりと10分は経っただろうか。
時折肩を振るわせたりしていたが、今は落ち着いたものだ。
そして漸く解放された。
「もういいのか?」
「ああ、悪かったな」
「気にするな。仮初めであっても、俺はお兄さんだからな。たまには甘やかさないと可哀想だ」
「いつでも甘やかしていいんだぞ」
「それは断る」
「残念だ。そんなことより、シャコが玄関で待ってるぞ。早く行ってやれ」
「は?! ナームコが抱き付いていたから待たせているんだろうが」
というか、玄関で時子が待っている?!
なんのことだ。
そもそもなんでこいつは玄関に時子が居るって分かるんだ。
「早く行ってやれ」
「あ、ああ」
玄関……ってことは、フブキの散歩だよな。
待っている?
俺を??
とにかく、タイムに服を出してもらい、素早く着替える。
そして開きっぱなしになっている扉から廊下に出て、玄関へと急ぐ。
曲がり角から玄関を見ると、時子が立っていた。
「おはよう」
「……おはよう」
「あ、モナカさん、起きたんですね。おはようございます」
台所の方から、トレイシーさんの声が聞こえてきた。
食卓をのぞき込むと、台所にトレイシーさんとエイルとアニカの姿が見えた。
「おはようございます」
「おはようなのよ」
「おはよう! 今みんなで朝御飯作ってるから、楽しみにしててね」
「おお! それは胃薬が必要なのかな?」
「要らないよっ!」
「っはは。エイル、玄関を開けてくれ」
「手が離せないのよ。時子にやらせるのよ」
「え……でも」
「さっさと行ってくるのよ」
そうは言われてもな。
時子が俺と一緒に散歩へ行くとは思えないんだけど。
不本意だけど、ナームコに頼むか。
そう思って部屋に戻ろうとしたら、玄関の開く音が聞こえてきた。
見ると、携帯を片手に時子が外を向いて立っていた。
開けてくれたのか。
「ありがとうございます」
「……いえ」
まだ薄暗い階段を降り、フブキの居る裏手へと向かう。
時子は俺の後ろを、離れて付いてきている。
一緒に散歩へ行ってくれるのか。
「フブキっ、おはよー!」
「わふん! ……わう?」
フブキが時子を見て、首を傾げる。
いつもなら時子も一緒に挨拶をしている。
しかしあれ以来、時子はフブキも避け気味だ。
隔離されていたときは、一度もフブキの居る車庫に行かなかったくらいだ。
そして今日は、姿を見せているものの、そっぽを向いてだんまりしている。
俺に冷たいのは構わないが、フブキにくらいは今までどおり接してほしい。
たまには優しくしてあげましょう
次回はお散歩です