第139話 独学で取得した
昼飯を食べ終え、約束のおにぎりを作る。
鈴ちゃん用に小さなおにぎりも作った。
それらを時子がカットしてくれたクッキングシートでひとつひとつ包む。
本気で海苔が欲しくなってくる。
エイルも売っているのを見たことがないと言っていた。
やっぱり海が無いと無理なのかな。
そしていよいよ出発の時を迎える。
これで2度目の別れになる。
本当は行くのを止めたいだろうに。
トレイシーさんは一度も言わなかった。
「絶対のよ、父さんを連れて帰ってくるのよ」
「エイルさん……」
「もう遅いのよ、今日中は無理なのよ。でも明日のよ、帰ってくるのよ」
「無理に連れ帰る必要は無いんですよ」
「父さんだって帰りたいにきまってるのよ」
「やるべきことが終わっていないから帰れないのかも知れないわ」
「うちが手伝うのよ、さっさと終わらせるのよ」
「エイルさんが幸せなら、私もあの人もそれで構わないのよ」
「……行ってくるのよ」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「分かってるのよ」
「エイル……」
「なにしてるのよ、さっさと行くのよ」
おい、1人でさっさと船に乗るな。
「ったく。トレイシーさん、エイルのことはちゃんと守りますから」
「いいのよ。自分のことを第一に考えなさい」
「いえ、僕はエイルに雇われている身ですから。拾ってもらった恩もありますし」
「エイルさんは自分のことは自分で判断できます。だからあなたはあの人みたいに居なくならないでください。トキコさんを、スズちゃんを私たちみたいにしないでください」
「トレイシーさん……大丈夫です。僕たちは一緒に行くんですから、離れ離れになんかなりません」
「……そうね、そうでしたね。私もあの人と一緒に行けばよかったのかしら」
「あ、ごめんなさい。そういう意味で言ったわけでは……」
「ふふっ、分かっていますよ。モナカさん、トキコさんとスズちゃんをしっかり守ってくださいね」
「勿論です。行ってきます」
「「行ってきます」」
「行ってくるのでございます」
「行ってらっしゃい」
「わうっ! わうわうわうっ!」
ん? 珍しいな、フブキが騒いで居るぞ。
「フブキさん、どうしたんですか?」
トレイシーさんと一緒に一犬家まで様子を見に行く。
「わうわうわうっ!」
普段と違い、飛びかかろうかという勢いで暴れている。
変だな。
俺と時子以外には決して近づこうとしないのに、今はトレイシーさんに飛びかかろうとしているかのようだ。
「もしかして、フブキさんも一緒に行きたいんですか?」
「わうう!」
「そうですか。モナカさん、どうしますか?」
「そう言われましても、船の中は狭いですから、フブキが乗れる場所なんて……それに明日には帰れるんですから、辛いですけど置いていくのがいいと思います」
「わうう! わうわうっ、わうー!」
「フブキっ、なにを騒いでるのよ!」
あれ、先に船に乗ったエイルが降りてきたぞ。
フブキを連れて行くのか?
「わうわうわうっ、わうー!」
「明日には帰るのよ、我慢するのよ」
そんなわけなかった。
「わうっ! わうわうっ!」
「エイルさん、連れて行ってあげてはどうですか?」
「無理なのよ。船の中は狭いのよ。フブキの居られる場所のよ、ないのよ」
「そうなんですか? だそうですよ。私と一緒に留守番していましょう」
「わうっわうっ!」
ここまでエイルに反抗的なフブキも珍しいな。
一体どうしたっていうんだ。
「母さん?! なにしてるのよ!」
「ん? こうやって頭を撫でてあげると、落ち着くものですよ」
「そういうことじゃないのよっ! フブキに触って冷たくないのよ?」
「あら、そう言われてみればそうね」
トレイシーさん、それは呑気すぎませんか。
でも言われてみればそのとおりだ。
こんな風に接することができるのは、俺と時子だけのはず。
「フブキさんの側に来ても寒くなかったから、忘れていました」
忘れないでください。
「寒くないのよ?」
「ええ。エイルさんもいらっしゃい」
「大丈夫なのよ?」
恐る恐るフブキに近づいていく。
急に大丈夫と言われても、疑いたくなる気持ちは分かる。
でも俺じゃ代わりに確かめられないからな。
見守るしかない。
手を伸ばせば触れるところまで近づいて足を止める。
辺りの気温を確かめるように空気を掻く。
「ホントなのよ。フブキ、やりたかったのよ、これなのよ?」
「わふっ!」
思い出した。
訓練して魔力の操り方を覚えれば回りへの影響をコントロールできるようになるって、レイモンドさんが言っていた。
その方法を訓練していたみたいだけど、取得できなかったんだよな。
それを1日で取得したってことか。
しかも独学で?
でもなんで急に練習したんだ?
「お前も行きたいのよ?」
「わふっ!」
そういうことか。
確かに船で出掛けるとなると、フブキの性質上連れて行くのは不可能だ。
それを理解して練習したっていうのか。
船で出掛ける話、フブキにしたっけ?
「今回は日帰りなのよ。フブキは留守番なのよ」
日帰りといっても、帰ってくるのは明日だろうけど。
「わうう!」
「ダメなのよ」
「わふわふっ!」
「わがまま言わないのよ」
「エイルさん、いいじゃないですか。連れて行ってあげてください」
「母さんまでのよ! ダメなものはダメなのよ」
「きっとフブキさんも早く会いたいんですよ」
「いいじゃないか。連れて行こうぜ」
「モナカはフブキと居たいだけなのよ」
「それは否定しない。でもフブキの頑張りも認めてやれよ」
「結界の外に行くのよ。危険なのよ」
「それはお前も同じだろ。トレイシーさんが〝子供に危険なことはさせられません。夫は私が連れて帰ります。だからエイルさんは留守番していなさい〟って言いだしたら〝分かったのよ〟って素直に引き下がるのか?」
「それのよ……」
よし、エイルに口論で勝ったぞ!
「モナカさんの言うとおりですね。エイルさん、あの人のことは私に任せて、フブキさんとここに残りなさい」
「いきなりなにを言い出すのよ?!」
しまった、そっちに飛び火してしまった。
「僕は別にそういう意味で言ったわけでは――」
「いいえ。子供に危険な役目を任せるのは、親としてよくありません。私にできることなんですから、私が行きます。モナカさん、お願いしますね」
「僕は構いませんが……エイル、いいのか?」
「分かったのよ! フブキを連れて行くのよ。だから母さんは待ってるのよ」
「分かりました。あの人のこと、任せましたよ」
やけにあっさり退いたな。
ただのお芝居ってことか。
……いや、トレイシーさんのことだ。
あのままエイルが折れなければ、本当に自分で迎えに行ったはずだ。
エイルもそれが分かっていたからすぐに折れたんだろう。
あの笑顔の下に、一体なにが隠されているんだか。
「母さん、フブキの分のご飯――」
「もうモナカさんに頼んで積んでもらいました」
あの荷物の中に入っていたのか。
なんというか……手回しが早いな。
『グルだったのよ!』
エイル、睨むな。
俺も知らなかったんだから。
『違う違う! 俺も初耳。追加の荷物を頼まれたのは本当だけど、中身までは知らなかったから』
嘘言うなって顔だな。
そんなに俺って信用無いのか……
ショックだ。
「フブキさん、エイルさんのこと、お願いね」
「わうん!」
出発直前でフブキも行くことになった。
でもフブキは椅子に座れないからな。
どうしたものか。
フブキも連れて行きますよ
次回はいよいよ出発です