第118話 今日は無し
『さあ兄様、ここで甘やかしてやるのでございます』
『え?』
『飴と鞭なのでございます』
そうやって手懐けろってことか?
甘やかせって言われてもな。
まあアフターケアだと思えばいいか。
……それをどうすればいいか分かれば苦労はない。
『マスター、フブキさんにしたようにすればいいんだよ』
『フブキに?』
あのときか。
『あ、でも謝るのは無しだよ』
くっ、タイムにまで釘を刺されるとは。
えっと、まずは目線を合わせて……はうっ!
声を押し殺して涙をいっぱい溜めて、泣かないように我慢している。
ごめん、鈴ちゃん!
でも……でも!
俺の視線に気づいたのか、涙を拭きながら笑ってなんでもない振りをしている。
なのに拭いても拭いてもあふれ出てきている。
気づいたらギュッと抱き締めていた。
「鈴、よく耐えたな。偉いぞ。いいか、失敗なんていくらしたっていいんだ。同じことを繰り返さないことが大切なんだからな」
「あい、分がりまじた。ひっぐ」
「よしよし、いい子だ」
「ひぃぃーん」
やっぱり我慢してたんだな。
泣き出しちゃったよ。
ナームコは満足そうな顔してるし。
これでよかったのかな。
プリスコット家ではこういう教育方針なんだろうけどさ、それは一般的なのか?
少なくとも打ち首なんて、あり得ないよな。
『あ、兄様、打ち首は冗談なので、本気にしないでほしいのでございます』
『おい! 冗談じゃ済まないだろ。完全にトラウマなんじゃないか?』
『問題ございません』
『いい加減なことを言うな。ナデナデは没収な』
『そんなっ。ご無体なのでございますっ!』
鈴ちゃんを抱きかかえて部屋に戻ると、既に布団は無かった。
洗濯機で洗っているのかな。
「散歩に行ってくるんでしょ」
「ん? けど」
「鈴のことは任せて」
「そうか。ありがとう」
時子に鈴ちゃんを預ける。
泣いていることに対して、なんの言及も無い。
なにか言われるかと思ったんだけど。
「よしよし、パパが帰ってくるまで、御本でも読もうか」
「ぐすっ、うん」
鈴ちゃんのことは時子に任せて食堂に行く。
普段ならトレイシーさんが朝御飯を作っているんだけど、姿が見えない。
布団を洗っているのかな。
代わりにナームコが作っていた。
「ナームコ、玄関を開けて――」
言い終わる前に、アニカがしがみ付いてきた。
起きていたのか。
「ボクも行く」
「ん? 分かった。行こうか」
「わたくしも――」
「朝御飯の用意はいいのか?」
「そうでございました。シクシク」
フブキの散歩をアニカとか……
「アニカと行くのは初めてだな」
「はぁ……そうだね」
ん? なんでため息?
初めて……だよな。
そう思って一犬家まで来たのだが……
あれ? ご飯食べてなくないか?
昨日のまま手つかずだぞ。
いつも綺麗に食べているのに……
「フブキ? どうしたんだご飯も食べずに。調子悪いのか?」
中を覗き込んでみるが、ぐったりしているわけではないようだ。
狭い中立っている。
「散歩はどうする? 行くか? おーい、止めとくのか?」
いつもならはしゃいで戯れ付いてくるのに、今日は一犬家から出てきやしない。
呼んでも撫でても反応が無い。
まさかこれが世に言う弁慶の仁王立ちなのか。
「アニカ、フブキが動かないぞ」
「え?! ボクが見えるのかい?」
「なにオバさんみたいなこと言っているんだよ。あれか、幽霊ごっこが流行っているのか?」
「流行ってないけど……え? オバさん?!」
なんでアニカまで驚くんだ?
わけが分からないぞ。
「そんなことよりフブキが動かないんだよ」
「そうなのかい?」
「身体も冷たいんだ。まさか死んでいるんじゃ!!」
「フブキさんが冷たいのはいつものことでしょ」
「そんな離れていないでアニカも見てくれよ」
「ええ?! これ以上は無理だよ」
「わふん!」
「あ、フブキ! よかった生きてたぁ! どうした? 身体の調子が悪いのか? 医者に診てもらいに行こうか? ん?」
「わう……」
「フブキ? フブキ。フブキ!」
ダメだ、また動かなくなっちまった。
『エイル! エイル!』
『ん、なぁに、モナカくん』
『エイル、フブキの様子がおかしいんだ』
『ええ? ふぁ……ちょっと待ってて。今行くわ』
『もしかして、寝てたのか?』
『抜けた魔素がまだ戻りきってないの』
『あ、すまん。なら寝てていいぞ』
『フブキの様子がおかしいんでしょ。私も気になるから、待ってて』
少し待っていると、エイルとトレイシーさんが来た。
「どうしたの?」
「フブキが動かないんだ。ご飯も食べていないし、中からも出てこないんだよ」
「フブキ、大丈夫?」
エイルが声を掛けても、反応がない。
相当重症なのか?
「あら?」
「どうかしましたか?」
「なんだか、いつもより冷えないわね」
「そうですか? そんなことはないと思いますけど」
「気のせいかしら」
「気温なんて毎日変わるんですから、当たり前ではないですか?」
「そうよね。やっぱり歳なのかしら」
なんだなんだ。
フブキも変だけど、エイルもおかしくないか?
魔素が抜けるとこんな風になっちまうのか。
「母さんはまだお若いですよ。それより今はフブキが心配だわ。フブキ。フブキ? 大丈夫なの?」
『エイルさん、言葉』
「え? ……あ! フブキ、大丈夫なのよ?」
「わう!」
お、返事をしたぞ。
「散歩は行かないのよ?」
「わう」
「大丈夫ならご飯を食べるのよ。分かったのよ?」
「わうっ」
「まったくなのよ。モナカ、今日の散歩のよ、中止なのよ」
「え?! 体調が悪いのか? 医者に診てもらおうか? なあフブキ」
「必要無いのよ」
「でも……」
こういうのは早めに対処した方がいいんじゃないのか?
「今は放っておくのよ。分かったのよ?」
「でも……」
「分かったのよ?」
「う……分かったよ。フブキ、なにかあったらすぐ来るからな」
「さっさと戻るのよ」
後ろ髪を引かれつつも、家の中に戻った。
散歩に行きたいのはフブキよりモナカなのでは……
それは言ってはいけない!
次回は鈴ちゃんが行方不明です