第107話 天秤に掛ける
起きたのか。
アニカが連れてきたみたいだ。
なんでこのタイミングで……
「違うぞ。船に乗らなくていいだけだ。鈴が要らないんじゃないんだぞ」
「船を動かすために鈴を作ったって言ってたじゃないですか。船に乗らなくていいのなら、なんのために鈴を作ったんですか。鈴、知ってます。船に乗れない子は、みんな廃棄処分されてるって。廃棄処分される子は、パパが優しくしてくれるって。〝冥土の土産〟って言うんだよね。鈴、知ってるよ。他の子たちはもう廃棄処分されてるって。ちゃんと船に記録されてるんだから。パパが嘘ついて誤魔化しても、分かってるんだよ」
「嘘なんか吐いて――」
「みんな廃棄処分したんでしょ! 代わりが居ないって事は、もう鈴しか残ってないんでしょ。ひっく、でも、もう鈴も要らないんだ。だからパパは優しかったんだ。分かってたけど、違うって、そう思いたくて……やだよぉ。鈴、まだ壊れてないよぉ。だから、そんなこと言わないで。お願いします。捨てないでください。ぐすっ」
分かっていたけど、やっぱりこうなるのか。
でも今回はしがみ付いてこない。
その場で下を向き、肩を振るわせている。
いや、足も震えている。
恐怖で身体が動かないかのようだ。
『だから申し上げたではございませんか。スズ様の幸せを考えるのでございましたら、船に乗せてあげることが一番なのでございます』
『そんな訳あるかっ』
『スズ様は今までそうやって生きてこられたのでございます』
『だからこれからはもっと平穏な生活を送ってほしいんだ』
『それを理解できるほど、スズ様は大人ではないのでございます。タイム様も仰っていたではございませんか。精神的にはまだ幼いのでございます。船に乗せることが、スズ様にとっての〝生存の保証〟になるのでございます』
『バカ言え』
『いいえ、ナームコさんの言うことにも一理あるわ』
『ナースまで!』
『ところでマスター、話は変わるけど、フブキさんのことで大切なお話しがあります』
『いや、後にしてくれないか。今は鈴ちゃんの話をしているんだから』
『鈴ちゃんにも関係のある話なのよ』
鈴ちゃんにも関係がある話?
一体なんだ。
『実は鈴ちゃんは重度の犬アレルギーがあることが発覚したの』
『重度の犬アレルギー?!』
『背中に痣があったのを覚えてる?』
『ああ、あったな』
『実はあれ、痣じゃなくてアレルギー反応なの』
『本当か?』
『あら、ナースが嘘を吐いてるって言いたいの?』
『いや、そんなことは……』
『マスターに付着してたフブキさんの毛が、服を脱がせたときに背中に接触したの。だから今後そのようなことが起こらないように、マスターはフブキさんとの接触を禁止します』
『……は?』
今なんて言った?
接触禁止?
フブキと?
え?
頭が、理解を拒否している。
理性が、全力で拒否している。
意味が分からない。
『だから散歩も禁止よ。これからは、今までどおりエイルさんがするわ。だからマスターはもうフブキさんの散歩をしなくていいの』
『なんで……そうなるんだよ……』
『勿論、ご飯もトレイシーさんが持っていくわ。だからマスターはもうフブキさんと会う必要もないの』
『ちょちょ! なんでそうなる』
『マスターが来る前に戻るだけよ。なにもおかしなことではないわ』
『ちょっと待てって。散歩に行った後、シャワーで流せばいいだけだろ』
そうだよ。
洗い流せばいいんじゃないか。
うんうん、問題解決。
俺、頭いいじゃん。
『散歩に行ってる間、鈴ちゃんはどうするつもりなの?』
『エイルかトレイシーさんに相手をしてもらえばいいだろ』
『絶対鈴ちゃんは〝パパ、捨てないで〟って泣きわめきますよ』
『うっ』
『〝置いてかないで〟って縋り付きますよ』
『ううっ』
容易に想像できてしまうところが恐ろしい。
いや、目の前にその結果が見えているじゃないか。
『フブキさんだけじゃないわ。他の犬も同様よ』
『……なんだと』
『当たり前でしょ。犬アレルギーなんだから、フブキさん以外だって同様なのよ』
『……まさか』
『ええ。商店街に行く途中に居る犬たちとの触れ合いは勿論、接近も禁止よ』
『待てよ、それまで禁止されたら、俺は一体どうすればいいっていうんだよ』
『どうもこうも、今後一切犬と戯れることができないだけよ。大したことではないわ』
『いやいやいやいや、え? 今後? 一切?』
フブキだけではなく、他の犬も?
俺を見かけると、お尻歩きをして寄ってくるノルレちゃん。
窓に肘を掛けてジッと見つめてくるイケメンのウルガくん。
垣根から顔だけ飛び出してくるピルサナちゃん。
屋根の上を走り回っているポルカちゃん。
玄関前で寝転がっていて、1度も起きたことがない……あの子。
他にも散歩中に出会った子たちも居る。
まさか……いやいやそんなはずは。
『その〝まさか〟よ』
『……え?』
『あ、えっと……マスターの考えてることくらい、分かるわよ』
『俺が近づかなくても、犬の方から寄ってくるのは構わないよな』
『全力で逃げなさい』
『通り道に居るんだから、それは構わないよな』
『迂回しなさい』
『さ、散歩してるんだから、避けようがないよな』
『タイムがトンボを飛ばして出会わないようにするよ』
『なんでだよっ』
『鈴ちゃんの健康を守る為よ。諦めなさい』
嘘だろ。
もう犬と戯れるどころか、会うことも許されないっていうのか?
あり得ない。
唯一の心の癒やしだというのに。
でも、鈴ちゃんの健康を考えたら、そうするのが一番……か。
かけがえのないものを天秤の片側に乗せたことはありますか
次回は天秤が揺れます