第102話 代わりは居ない
こうも常識が違うとなにが正しいかが分からなくなってくる。
俺たちにとっては間違っていることでも、他の人にとってはそれが正しいこと。
頭ごなしに否定することもできない。
鈴ちゃんは元素世界の人間みたいだから、俺と同じで悪影響は受けないだろう。
だからテーブルを舐めたところでお腹を壊すことはない……筈。
だからといって見過ごすこともできない。
とにかく今はそういった事態にならないように食べてもらうしかない。
「もう捨てたりしないから、ご飯を食べよう。な」
「うぐ……うん」
とりあえず納得はしてくれた……のかな。
気を取り直して次はっと、子供が好きな定番のハンバーグにしようか。
フォークで小さく切って……こんなもんかな?
いや、念のためもっと小さくして。
「鈴もお箸使うー」
「お箸?」
いきなり爆弾をぶっ込んでくるんじゃない。
完全にフラグじゃないか。
「うーん、鈴にはまだ早いと思うぞ」
とにかく、かわすしかない。
「やー、鈴もパパと同じので食べる!」
んー、なら俺もスプーンで食べればいいのか?
いや、それじゃダメだ。
「じゃあ、まずはスプーンで食べられるようになったらな。鈴はまだスプーンを使えないだろ」
「えー、お箸がいい」
「何事にも順番があるんだ。スプーンで食べられるようになってからにしようね」
「むー、分かった」
「うん、良い子だ。よしよし」
「えへへ」
よし、これで箸からポロポロこぼれる未来は回避できたぞ。
が、甘かった。
スプーンといえど、こぼれることに変わりがない。
まず持ち方だけど、当然グーで握る。
いきなりちゃんと持てるはずもないし、ここは目をつむろう。
ご飯にガッと刺してすくおうとするも、上手くすくえるはずもない。
深く刺さったスプーンはテコの原理でお米を跳ね上げる。
当然放物線を描いてテーブルに着地する。
「ふあっ!」
慌てて手で拾おうとするから、慌ててその手を掴んだ。
セーフ。
今度は熱い思いをさせずに済んだ。
こぼしたご飯を箸で拾って茶碗に戻してやる。
トレイシーさんが〝あっ〟という顔をしたが、見逃してください。
本当は良くないが、また泣かれるよりはマシだ。
「鈴、少しずつすくうんだ」
「ふお? んーと、こう?」
「そうだ。上手だぞ」
「フー、フー、フー、あーん、モグモグモグモグモグモグ……ごくん。苦くない! 酸っぱくない! 熱くない! これが甘い?」
「そうだな」
「甘い! ふふふ」
砂糖でもなめさせれば〝甘い〟は直ぐ分かるんだけど。
お米の〝甘い〟でもいっか。
砂糖とか飴とかをなめた時のリアクションが楽しみだ。
そして次はスープを飲みたいらしい。
またスプーンをガッと差し込もうとスプーンを……待て待て待て。
「鈴、スープはゆっくりやるんだ。勢いよくやると、また熱い熱い、だぞ」
「うー、熱いの……平気だよ」
いやいや、どう見てもダメだっただろ。
そういうところは素直になってくれないなあ。
「お米みたいに回りに飛んでっちゃうだろ。そうしたらパパに掛かってパパが熱い熱い、だぞ」
「熱いのダメ! そっとやる」
自分は平気だけど、パパはダメなのか。
他人を思いやることはできるんだな。
なんで自分は思いやれないんだ?
「パパがダメなら、鈴もダメだぞ」
「鈴の代わりは居るけど、パパの代わりは居ないの! だからダメなの!」
代わり?!
「なに言っているんだ、鈴の代わりだって居ないんだぞ」
「うゆ? 代わりがいっぱい居るって言ったのは、パパだよ」
「モナカさん、そんなこと言ったんですか?」
あ、なんかトレイシーさんの声がちょっと怖い?
背筋が寒いんですけど。
「言ってません言ってませんっ!」
「鈴の代わりはいっぱい居るの。だからなにかあっても代わりを使えばいいっていつも言ってたの。そうなんだよね、パパ」
「モナカさん」
いや、だから怖いって。
トレイシーさんのこんな声、初めて聞いたぞ。
というか、顔は普段と変わらないはずなのに、この迫力はなに?
ヘビに睨まれたカエルって、こんな気持ちなのか……
生きた心地がしない。
『母さん、早とちりしないのよ。モナカは本当の父さんじゃないのよ』
『あら、そうなんですか?』
『そうなんです! ですから、〝代わりが居る〟って言っていたのは、本当のパパの方です。僕ではありません』
『ごめんなさいね。オバさん、早とちりしちゃったわ』
「いいか鈴。代わりが居たのは、前の話なんだ」
「モナカさん、やっぱり」
『母さん、話の腰を折るんじゃないのよ!』
もー、こういうところは直して欲しいな。
らしいっちゃらしいんだけど。
「こほん。とにかく、前の話なんだ。今は鈴の代わりは居ないんだぞ」
「……本当?」
う……やっぱり全然信じてないって目だ。
それでも、今はこれで押し通すしかない。
「他の子たちはどうしたの?」
他の子たち?
同じ病室とか施設とか、一緒に居た子たちか?
『エイル、どうなんだ?』
『知らないのよ。他には見てないのよ』
『兄様、居た記録はあるのでございます。ですが、生き残っておられるのはスズ様ただ1人のようでございます』
『他の子はみんな死んだってことか』
『それも全て5千年前のことなのでございます』
5千年前?!
5千年前の人間ってことか?
そんなバカな。
『5千年前の人間が、どうしてまだ生きているんだ。どう見ても子供だぞ』
『申し訳ございません。存じ上げないのでございます』
『恐らくコールドスリープなのよ』
『コールドスリープ?!』
「やっぱり、みんな捨てられちゃったんだ」
捨てられた?
「違うぞー。他の子たちも鈴と同じで、パパやママのところに帰ったんだ」
「……本当?」
やっぱり信じてくれていないみたい。
それでも、これで押し通すしかない。
「本当だ。だから鈴も熱い熱いはダメなんだぞ」
「う、うん……」
渋々頷いたって感じだ。
半信半疑……疑心暗鬼?
「さ、ゆっくり食べるんだ」
「うん。フー、フー、フー、あーん、ごくん。熱くない! 苦くない! 酸っぱくない! 甘くない? んー?」
「それは塩っぱいって言うんだ」
「〝塩っぱい〟……塩っぱーい!」
「少しお塩入れすぎましたか?」
「あ、いえ。そういうわけでは……いい塩加減ですよ」
「そうですか。よかったわ」
「塩加減……塩加減! いい塩加減!」
〝鈴は塩加減を覚えた〟みたいな感じかな。
こんな感じで覚えさせていけばいい。
世界にはまだまだ沢山の〝初めて〟があるからな。
貴方の代わりは居ますか?
次回は定義は人それぞれ……かな