第101話 捨てた方がいい
他の味覚って、分かるのかな。
えーと、そうだ。
ドレッシングのかかってるサラダはどうだろう。
これは酸っぱいからな。
う……スプーンだと取りにくいな。
くっ、この!
「モナカさん、はい」
「ありがとうございます」
トレイシーさんが気を利かせてフォークを持ってきてくれた。
席を立たずに食器棚から取ってこれるんだから、羨ましいよ。
フォークでサラダを串刺しにする。
よし、取れたぞ。
「鈴、次はサラダだ」
「うん。フー、フー」
「サラダは熱くないから、フーフーしなくても大丈夫だぞ」
「そうなんだ。いただきます」
「〝いただきます〟は最初の1回でいいんだぞ」
「う? 分かったー! あーん、んー!」
パクッと咥えてサラダを噛み切った。
シャキシャキといい音をさせて噛んでいる。
「ごくん、なにこれ! 苦くないけど、なにこれ!」
やっぱりそうなんだ。
〝苦い〟しか味わったことがないんだ。
多分言葉自体は知っているんだろう。
でもどういう味が酸っぱいとか、甘いとか、塩っぱいとかまでは分からない。
本当にクスリ以外口にしたことが無いのだろう。
サラダをフーフーしたのもそうだ。
どの食べ物が熱いか冷たいかとかも知らないんだ。
「それは〝酸っぱい〟っていうんだ」
「〝酸っぱい〟? 酸っぱい! 苦くない! でも酸っぱーい!」
「どうだ? 食べられそうか?」
「う……鈴、平気だよ、食べられるよ。酸っぱいのも苦いのも食べられるよ」
あ、酸っぱいのも好きな味じゃないみたいだ。
うーん、どうも鈴ちゃんは素直に嫌なことを嫌って言わない……いや、どちらかというと言えない感じ?
素直で良い子なんだけど、なんでだろう。
相手を気遣っているのとも違う気がするし。
食べられるというのをアピールしたいのか、俺の手からフォークを取ろうとしている。
無理に食べなくてもいいんだけど、苦手を克服しようとしている意思は尊重したい。
「はい」
フォークを渡そうとしたが、サラダを手で掴んで取った。
うーん、道具を使って食べることも教えないとダメだな。
サラダに齧り付いているが、食べづらそうだ。
あー、口の周りがドレッシングでベタベタだ。
テーブルにもポタポタ垂れている。
大人なら一口で入る大きさだけど、鈴ちゃんの小さな口じゃ無理だ。
仕方がない。
それにしても、言いつけを守ってよく噛んでいる。
よし、俺も見守ってないで、食べるとするか。
箸に持ち替えていつものように食べ始める。
「ん! んー!」
ん? 鈴ちゃんがなにか騒いでいるぞ。
あ、口に物を入れてるから喋れないのか。
一所懸命噛んで噛んで、モグモグして飲み込んだ。
「なにその棒!」
「ああ、これは箸っていうんだよ」
「箸!」
「こうやって……切ったり、挟んだり、刺したりできるんだぞ」
「モナカさん、刺すのはお行儀が悪いですよ」
「あ、済みません。つい。鈴、刺すのは無しだ」
「分かったー!」
再び持っているサラダを噛んでモグモグ。
小動物みたいで可愛いなあ。
そしてサラダを食べ終えると、手に付いたドレッシングを舐め始めた。
それが終わると、今度はテーブルに垂れたドレッシングを舐め……って!
「鈴! それは舐めなくていいんだぞ」
「でも、残したらダメなんだよ」
「これは残したことにならないからいいんだ」
「よくないの。ちゃんと全部食べないとダメなんだよ」
えー。これ、どうしたらいいんだ?
さすがに舐めさせるわけにはいかない。
けど無理矢理止めさせるとまた泣きじゃくるだろうし、米みたいに誤魔化せないだろうし……
鈴ちゃんの居た場所では、これが常識だったのか?
なんか勿体ないからというより、恐れている?
必死すぎるんだよ。
余裕が無いというか。
なにをそんなに恐れているんだ?
それが分かれば、止めさせられるかも知れない。
みんなもなんとなく察してくれたのか、ただ見守ってくれている。
関心の無さそうな時子でさえ、食べるのを止めて見ている。
こんな異様な光景、一刻も早く止めさせないと。
そんなことを考えていたら、綺麗に舐めきったみたいだ。
口の周りに付いているものも、手を使って綺麗に舐める。
止めさせなきゃと思いながらも、ただ見ていることしかできなかった。
「ちゃんと残さず食べられたよ。えへへ」
笑顔でそう言うのが、今は逆に痛々しい。
俺が戸惑っていると、不安そうな顔に変わった。
「ごめんなさい。次は気をつけます。だから捨てないでください」
まただ。
そりゃなんでもかんでも残して捨てるのはよくない。
でも落とした物を拾って食べて、お腹を壊される方がもっとよくない。
「落としたり垂れたりした物は、無理に食べなくていいんだぞ」
「鈴、無理してないよ、平気だよ、食べられるよ」
「んー、落とした物は汚くなっちゃうんだ。それを食べたら、お腹が痛くなるかも知れないんだ。だから、無理に食べなくていいんだぞ」
「鈴、痛いの平気だよ、ちゃんと残さず食べられるよ、だから捨てないで! お願いします、うぐっ」
「お腹が痛いときは、我慢しないで言っていいんだぞ」
「我慢してないよ。痛いの、平気だもん」
平気って、そんなわけないだろ。
「鈴が痛くなるくらいなら、捨てた方がいいんだよ」
「やーだ! 捨てないで! お願いします。鈴はまだ平気だよ、痛くないよ、壊れてないよ、だから、そんなこと言わないでください、お願いします、捨てないで、お願い……します、ひっく、うう……」
そこまでなのか?!
抱き付いて懇願するって、相当なことだよな。
アニカも抱き付いて離れないなんてことはあるけど、それとは比較にならないくらいだ。
どうしてそこまで……
「分かった、分かったから。捨てない、捨てないから!」
「うぐ、本当……ですか?」
涙目で俺を見上げてくる。
半信半疑……いや、信じていない目だ。
疑っているわけじゃない。
単純に信じていないんだ。
そんなこと言うはずがないという目だ。
〝本当ですか?〟と言いながら、〝嘘を言わないでください〟と言っている感じに近い。
どうすれば信じてもらえるんだろう。
やっぱり、俺が本当のパパじゃないからかな。
どうすることもできず、ただ頭をぎゅっと抱き締め、撫でてやることしかできなかった。
浮き沈みが激しいかな
次回は塩味です