第10話 もういくつ寝過ごしたことか
「ただいま」
「た……ただいま」
「お帰りなさい。ご飯できてるわよ。手を洗ってらっしゃい」
「はい」
「……はい」
家に帰ると、トレイシーさんが出迎えてくれた。
手はフブキのリードを外すときに離したら、繋ぎ直してくれなかった。
当たり前か、っはは。
手を洗う……といっても、どうしようかな。
いつもなら散歩を終えると、エイルとアニカが迎えてくれるから、そのまま洗いに行くんだけど。
エイル……に頼むとまた〝時子に〟って言われる気がする。
いつもどおりアニカに頼むか。
朝の調子からみて、大丈夫そうだし。
と思っていたのだが、時子に手を捕まれ、脱衣所に連れてこられた。
そして携帯を使って水を出してくれた。
「ありがとう」
「いいから、さっさと洗って」
携帯からダバダバと出てくる水で、手を洗う。
石鹸を使いたいところだが、水に浸けて擦っても泡立たないんだよね。
だからいつもならアニカに洗ってもらっているのだが……
洗い終わってタオルで手を拭く。
さすがに魔力が無くても、手を拭くことはできる。
ちゃんと水分を吸ってくれるのはありがたい。
この差ってなんだろう。
なんてくだらないことを考えていると、時子が携帯片手に手を洗おうとしている。
洗面台に携帯を置いて洗おうとすると、水の勢いで携帯が動いちゃうんだよね。
だから持って固定しなきゃいけないんだけど……
「持とうか?」
「いい」
だよね。
だからって〝はいそうですか〟で済ませないぞ。
「それじゃ洗えないだろ。持つよ」
「いいってば」
くっ、強情だな。
「ほら、貸して」
「やっ」
強引に携帯を奪おうとしたら、時子の抵抗にあってしまった。
そこは予想できたのだが、当然水が出たままなので、思いっきり時子が水を被ってしまった。
「きゃっ」
「あっ……ごめん」
「壊れたらどうするつもり!」
「ごめんってば」
時子はバスタオルを棚から取り出すと、濡れた携帯を拭いた。
それからパタパタと畳んだり開いたりしてから、ホッと一息つく。
大丈夫っぽい?
でもあの水って、携帯から出てきているんだよな。
……ま、科学製品から魔法で出した水だ。
考えても分かるわけがない。
それから漸く自分の頭を拭いた。。
そんな様子を、ただ見ていることしか出来なかった。
時子はあらかた拭き終えると、脱衣所を出た。
よかった。
壊れていないみたいだ。
「さっさと出て」
「あ、はい」
廊下に出ると、時子はエイルの部屋に入っていった。
付いていこうとしたが、「着替えるんだから、付いてこないでっ」と追い返されてしまった。
そうだよな。
拭き取ったとはいえ、濡れた服のままいたくないか。
暫くすると、着替えた時子が出てきた。
俺を見るなり、しかめっ面になった。
「まだ居たの」
「あ……うん」
そう一言言い残して、食卓へ向かった。
そしてその後を付いていく。
時子は食卓に入ると、自分の席には着かず、アニカのところへ行った。
「ご主人……ご主……ご……ぐっ」
ん?
もしかして、〝ご主人様〟じゃなくて、〝アニカ〟って言おうとしているのか?
抵抗をしているようだけど、〝アニカ〟の〝ア〟の字すら出てこないな。
諦めたのか、ため息をついてエイルに向きなおったぞ。
「エイルさん、席を替わってもらえませんか?」
「嫌なのよ」
「お願いします」
「ダメなのよ。アニカに頼めばいいのよ」
「あ、うん。いいですよ。替わり――」
「ちょっと待つのよ」
席を立とうとしたアニカを制止した。
自分で言ったのに、なにかあるのか?
「時子、自分でお願いするのよ」
あー、なるほどね。
エイルも意地が悪いな。
「お願いします」
「誰のよ、お願いするのよ?」
おいおい。
〝ご主人様〟って言いたくない以上、無理だろ。
「う……ご、ご主……その」
うん、やっぱり言えないみたいだ。
そりゃそうか。
腐っても力はあるからな。
精霊が呼び出せない今ならって思ったけど、人間じゃ抗えないのか。
「もういいですっ!」
トレイシーさんに頼めばいいんじゃね?
って思ったけど、そうはしないらしい。
諦めて普段どおり、俺の左側に座った。
といっても、なるべくテーブルの端っこへ寄ってだけど。
そっか。
アニカのことを〝ご主人様〟と呼ぶよりは、俺の隣に座る方がマシなんだ。
……それって喜ぶべきこと?
んー、仕方ないな。
「なあナームコ」
「嫌なのでございます」
「まだなにも言っていないだろ」
「言われなくても分かるのでございます。兄様のことですから、わたくしに席を替われと仰られるのでございましょう?」
くっ、察しがいいな。
「分かっているんなら――」
「だから嫌なのでございます。兄様はもっと自分の欲望に忠実であるべきなのでございます」
「あのな」
テコでも動かないつもりかっ。
だったら俺がアニカと――
「ボクも嫌だよ」
「……まだなにも言ってないだろ」
視線を移しただけなのに。
本当にアニカなのか?
「モナカくんの隣に座れるのならまだしも、交換なんて絶対ヤだ」
「あのなぁ」
くっ、アニカもだめか……
エイルは選択肢にすら入らないし。
なら少しでも離れるように、ナームコの方に寄るか。
「兄様、狭いのでございます」
「我慢しろ」
「嫌なのでございます」
なに?!
さっきもそうだったけど、みんなの前で兄様の……って自分で言うのは抵抗あるな。
とにかく、俺の言うことを拒否するなんて、どうなっているんだ。
「兄様、もっとそっちに行くのでございます」
「ちょっ、待て待て! 行き過ぎだろっ」
端っこに寄っている時子とほぼ密着するくらいにまで、押しやられてしまった。
「このくらいでちょうどいいのでございます」
「あのなぁ……」
こいつらぁ……
あー、時子がすげーのけぞって避けてるじゃないか。
こんなんじゃご飯が食べられないよ。
とにかく椅子の位置を戻して……っと。
「それじゃ、みんな揃いましたね」
「あ、はい」
ゴタゴタしたけど、トレイシーさんは黙って見守ってくれていた。
エイルが上手く話してくれたのだろう。
「皆さん、あけましておめでとうございます」
へ?!
「おめでとうなのよ」
「「おめでとうございます」」
……あー、そういえば、隔離されている間に、年が明けたんだっけ。
「おめでとうございます」
「……おめでとう、ございます」
なるほど、そういえば食卓に並んでいるおかずが、いつもと少し違う。
全体的に正月料理、つまりおせちっぽい。
こういったものも、エイルが言うには勇者の影響だという。
勇者が欧米人だったら、また違った風習が広がっていたのかもな。
そういえば、雑煮は地方によって違うんだっけ。
去年はあんまり気にしなかったけど、何処なんだろう。
そしてやっぱり海産物関係は1つもない。
海の恵みが、恋しい。
「みんな、今日もありがとうございます」
「ありがとう……」
「どういたしまして」
「別にいいのよ」
「うまくできてるといいけど」
「ほら、ナームコもお礼を言えよ」
「どうしてでございますの?」
キョトンとして不思議がっている。
おいおい、忘れたのか?
「教えただろ。そういう風習なんだって」
「覚えているのでございます」
「だったら」
「モナカくん、ナームコさんは作った側なんだよ」
「へ?!」
ナームコが作った側?
作れるのは隔離されていたときに知っていたけど。
まさかここでも作っていたとは。
「そうだったのか。ありがとう」
「はあっ! 兄様っ。わたくしには勿体ないお言葉なのでございます」
相変わらず面倒なヤツだな。
「みんな、今年もよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
「頑張るのよ」
「よろしくお願いします」
「兄様っ、当たり前なのでございますっ」
「……」
っはは。
時子はだんまりか。
ま、そうだろうな。
「「「いただきます」」」
計算して書いたわけではありませんが、第2部最終話が大晦日でした
次回はエイルとナームコが旅立って1章が終わります