お前の為にここにいる
そしていよいよ、本番当日。
兵部に連れて来られた控室は、当たり前だが歩と一緒だった。さて、どうやって着替えようかと思っていたら、歩がトイレに行ってくれた。
(チャンス!)
外で兵部が見張ってくれている間に、マッハで着替える。初対面の時、英が言っていた通りのショートパンツは少し恥ずかしいが、着替えるのは楽だ。
(アユは普通なのに……まあ、体育の授業だと思えばいいか)
「兵部さん、終わった!」
「おう……っと、俺もちょっとトイレ行ってくるな」
「解った」
外の兵部に声をかけると、そんな答えが返ってきた。最初の難関は突破したので、一つ息をついて椅子に座ると――カチャリ、と控室のドアが開いた。
「……アユ?」
戻ってきた歩の顔を見て、十和は思わず声をかけた。真っ青とまでは言わないが、顔色が悪く表情も硬い。
「大丈夫か? 具合悪いのか?」
「……違うよ。ちょっと緊張してるだけ」
そう言って笑って見せる歩に、十和は目を見張った。
生放送、しかも一番目に歌うので確かにプレッシャーはあるが――自分ならともかく、歩が緊張するなんて。
「失敗したら、社長とか母さん達をガッカリさせるかなとか……考え出したら、止まらなくなって」
「……アユ」
「あんなにカズと練習したのに、おかしいよね?」
意外な言葉に驚いたが、歩は真剣だ。
そんな彼に、十和は立ち上がって近づいた。それからその目を真っ直に見上げて、十和は口を開いた。
「オレは、ガッカリなんてしない」
「……えっ?」
「成功したらやっぱりスゴいって思うけど、失敗してもまた練習して一緒に頑張るだけだ」
「本当? 嫌いにならない?」
十和の言葉に、尚も歩が尋ねてくる。呆れることなんて出来なかった。いや、むしろ力になりたかった。
(オヤジでも、カタチが欲しいって言うくらいなんだ)
ましてや、歩とは他人な上に会ったばかりだ。恥ずかしくても、キチンと言葉にしなければ伝わらない。泣きそうになっている相手には、届かない。
「ああ、嫌わない。絶対だ……オレは、お前の為にここにいるんだから」
「……ありがとう」
だから少し赤くなりながらも、十和はキッパリと言いきった。
と、そんな彼女の視線の先で――ひどく嬉しそうに、歩は笑った。笑ってくれた。
……君の為という言葉には、鎖とか手錠みたいに相手を縛りつけてしまうイメージがあった。けれど先程、不安に揺れる歩を見たらそれこそ、縛りつけてでも何とかしたいと思った。
「立ち止まっていられない、君の為に強くなる」
そして今、歩は十和の隣にいる。スタジオのライトは熱くて眩しくて、何も見えない。しかし重なる声が、自分が一人じゃないと教えてくれる。
歩みたいに上手くはないが、今までとは違って自然と歌詞に気持ちが入った。
「走る僕、その先には君がいる」
「笑う君、ずっとそばで守るから」
それから歌いきり、クルリと回って――先程の歩の笑顔を思い出し、十和は笑った。
その瞬間、隣で歌う少年の為の笑顔はスタジオ中の、そしてカメラの向こうにいる視聴者達のものになったのである。




