四つ子
妹はまだ何かすこし納得いかない様子だったが、ボクが再び強引に愛を泊めることを決めた。
しかし、妹は条件を出してきた。
「愛さんに居間を使わせないで。お話するなら、お兄ちゃんの部屋でして。ね? 私の生活をじゃましないで」
「そんな」
「愛さんにさっき言ったら、そうしますって言ってくれたよ」
将来的に愛とボクが結婚したらどうするつもりなんだ……
ボクは声を大きくして言った。
「何が気に入らないんだ!」
「不自然でしょ?」
妹は詳しく言わなかったが、それとなく愛の『髪の毛』や『多すぎる姉妹』のことを指しているようだった。
「そんな言い方あるか」
「いいでしょ。私にも受け入れられないものはあるの」
妹は怒って部屋に入って扉を閉めてしまった。
ボクも部屋に戻ると、ベッドに愛が腰かけていた。
「妹さんのことは気にしないで」
「ごめん…… 本当にごめん」
「いいんだって。私だって、逆の立場ならきっとそう言うと思うもん。それより、私を送って来た箱がここにあって、智が直接開けたとしたら、どう思った?」
ボクは想像してみた。
いつもの巨大通販企業のロゴ入り箱がベッドの上に置いてある。
人が中に入っていてもおかしくないような大きさ。
バリバリと開けると、緑髪のツインテールの女性が現れる。
部屋の明るさに反応したかのように、パッと目を開いて……
「いや、心臓とまるか、っておもうぐらいびっくりするよね。こういう箱に入っているのは漫画とかアニメだとたいてい……」
「たいてい?」
ボクは続く言葉を言おうとして、思考が停止した。何か心の奥で引っかかっているものが、その次の言葉を言わせまいとしている。
愛が何度か首をかしげる。
「とにかく。箱から出てくるところを見られないで良かった。心臓が止まっちゃったら、私、泣いちゃうから」
思考停止しているボクは、そのまま愛を抱きしめた。
顔を寄せて口づけした。
「そうだよ。もうどこへも行かないで」
暖かい。やわらかい。いい匂いがする。この腕の中にいるモノが愛以外のなんだというんだ。愛が愛でいれば、ボクはそれ以上もそれ以外も望まない。
「智愛してる」
この声が聞ければボクはしあわせなんだ。だから、これでいいんだ。ボクはボクの中にある矛盾をそうやって正当化した。
ドン、と壁から音がした。
蹴ったような、重いものが打ちつけらえたような音だった。
壁は妹の部屋からだった。
「妹さんに聞こえちゃったのかしら……」
『聞こえるわよ! その部屋でするのは勘弁してよね』
大きな声が壁越しに聞こえてくる。
妹が愛をこの部屋にいさせようとした理由が分かった。
ここにいれば、隣にいる妹のことを気にしてエッチなことをしないだろう、ということと、ここにいれば、ボクと愛がいちゃいちゃするのを直接見なくて済む。
我慢しよう。愛が住む場所を決めるまでの間のことだ。
「ああ、ごめん」
ボクは壁に向かって大きな声で、そう言った。
愛がやってきて、一週間が過ぎたころだった。
愛は寝るときは父母の部屋に行き、それ以外はボクの部屋に来て話していた。
最初のうちは平気だったのに、次第にやれない事に苛立ちを感じていた。
別の場所でやれないか思案していた。今の状況はネットで会っていた頃より酷い。生殺しもいいところだ。
「智やっと一週間が過ぎたわ」
「そうだね」
最高だ、と思ったのは最初の晩だけだった、と付け加えたかった。
「これで、自由になるわ」
「どういう意味?」
「私は智のものに(・・・・・)なったのよ」
「だから、どういう意味?」
愛はただ微笑むと、顔を近づけてきて、キスをした。
「そうよね。訳分からないわよね。その通りだわ」
「説明してくれよ」
「いいの。私はこれで外に出て、どこか住まいを探すわ。そうしたら、智。いつでも会いに来ていいのよ。そして、いつまでも部屋にいていいの。部屋で何をしても騒ぐ人はいない」
「!」
ボクは愛を抱きしめた。
そして、少し体を離して愛を見つめた。
「住まいはこの近くにしてくれよ。会いに行くまで二時間も三時間もかかるところだったら、ネットで会う方がいい」
「それはもちろんよ。智が卒業したら、一緒に暮らせるような部屋がいいわ」
ボクは二人きりの明るい未来を思い描いて、自然と笑っていた。
「そうだね」
「明日、一緒に部屋を探しに行かない?」
「うん。ちょうど、午後休講になっているから、一緒に大学に行こう。ボクの授業が終わるまで、どこかで待ってて」
「うれしい」
抱き付いてくる愛に、ボクは出来ることのギリギリまで愛に求めた。愛もボクに求めてきた。
少し声が大きくなった時に、隣の部屋から壁を叩かれた。
「お兄ちゃん!」
ボクと愛は明日の部屋探しについて細かく相談して、あらかじめ候補も絞り込んだ。
その晩、どうしても収まりきらない欲情は、自分で処理した。
翌日は、妹が学校に向かったあと、愛と二人で家を出た。
学校の最寄り駅のカフェで待っているという愛に、手を振って別れる。
後ろから、友達が近づいてきてボクの肩を叩いた。
「よお、見たぜ。手を振ってたよな」
「手はふるもんだろ。歩くときだってこう……」
「とぼけるなよ。緑髪の女は彼女かよ」
「……そうだよ」
とうとう言ってしまった。面倒なことになるのは、目に見えていた。
「そうか、彼女出来たのか。じゃあ、さっそくだけど彼女の友達を誘ってもらって合コンをセッティングしてもらおうかな」
やっぱり来たか、とボクは思った。思わず額に手を当てた。
「あのさ、もうそういう段階じゃないんだ」
「は? ケチ臭いこと言うなよ。合コン出来ないって、どういう段階なんだよ」
友達は両手を広げて訴えてくる。
「今日、一緒に住むところを探すんだ。もしするなら、結婚式の二次会だな」
「結婚? マジか?」
ボクはうなずく。
友人は肩を落としつつも、言葉をつないでくる。
「ああ、いいよ。結婚式の二次会でもな。女の子と知り合えるならなんでもいいさ」
「とりあえず、今日は午後から二人で部屋探しするから」
「結婚するって、言ってもいいのか?」
「いや、さすがにまだ待ってくれ。結婚自体は大学を出てからだから」
まだ愛本人にもいっていないことを、勝手に口走っている自分が怖くなっていた。
愛されている自信なのか、恋人が出来た優越感からなのか、ボクはひどく浮足立っている。
「……わかったよ」
授業を終えると、急いでスマフォで連絡して、駅前のカフェに向かった。
事情を知っている友達はつまらなそうな顔でボクに手を振る。
半分くらい走ったせいで、カフェに入った時には息が切れていた。
ここでのんびりしていると、大学の友達に見られてしまう。
焦って店に入ろうとすると、緑髪の女性とすれ違う。
「愛!」
彼女は気にも止めない様子だった。
「待ってよ!」
ボクは、慌てて追いかける。
「愛ッ!」
腕をつかんで振り向かせる。
「?」
彼女は、ボクの顔を見て、一瞬固まる。
そして口を開いた。
「ああ、あなたが田畑さんね。愛なら、まだ中にいるわ」
違う女性?
ボクは完全に愛だと思っていた為に、気持ちが動転してしまった。
「もしかして、愛の双子…… じゃなかった四つ子の姉妹さんですか?」
「公佳って言います。よろしく」
それにしてもそっくりだ。声帯がそっくりだからなのか、話し方が似ているせいなのか、喋り声が愛そのものだった。
肌の色も、目鼻立ちも。コピーしたようにそっくりだった。
「あの…… 私、急いでいますので」
ボクは公佳さんの腕を握ったままだった。
「す、すみません」
「さようなら」
公佳さんは会釈をすると去って行った。
すると、スマフォが振動して愛からのメッセージが届いた。
『今どこ?』
ボクは振り返って、カフェに向かって手を振ってみようと思った瞬間。
去っていった公佳さんが、もう一人の緑髪の女性と話しているのに気付いた。
「えっ!」
四つ子。四つ子、ということで解決していいのだろうか。
着ている服が違うくらいで、鏡写しのようだった。
見つめたまま固まっているボクのスマフォに、愛からのメッセージが届く。
『今、カフェにいるから。早く来てね』
あ…… ああ、今、行くよ。
ボクの視線はすぐ緑髪の姉妹に戻っていた。
これは、何か人工的な……
ボクは背中に固いものを押し当てられた。
ビクッとして、両手を上げてしまう。
「ここにいたのかぁ~~」
愛の声だった。
銃が厳重に規制されているこの国で『固いもの』=『銃』と判断するのは馬鹿げている。今冷静に思えばその通りだ。しかし、一瞬前、ボクは確かに銃を押し付けられたように錯覚していた。
「愛……」
愛は抱き付いてきた。
ボクも抱きしめる。
「どうしたの、びっくりしちゃって」
「いや、べつに…… あ、そうだ。今、公佳さんに会ったよ」
「あ、びっくりしたでしょ。公佳は四つ子のなかで、特に私と似てるから」
いや、もう一人も完全にコピーしたように一緒だった。
ボクはそれを言わずに、相槌をうった。
「そうだね。同じカフェにいたみたいだけど、何か話でもしていたの?」
「お互いの今の状況を話していただけよ。世間話ってやつ?」
そう言って愛は笑った。
「とにかく、電車に乗ろう」
このままここにとどまっていると、大学の連中に見られてしまうだろう。
緑髪の彼女のことが皆に知られたら、面倒なことになる。ボクは愛の腕を引いて、駅に急いだ。
電車に乗って家の最寄り駅に着くと、愛が聞いてきた。
「智はお昼ご飯は食べないの?」
「愛は?」
「カフェでケーキ食べて、まだ食べたくない。けど、智が食べたいなら食べていいよ。私がべないけど気にしないで」
少し迷った。
食べるか、食べないか、ではなく、愛が食べないと言っていても、それなりのところに入るべきか、どうかだった。
食べないのだから、ファミレスでも、牛丼屋でもいいか、それとも食べなくともしゃれたイタリアンや、行列のできるような店にするべきなのか。
大体、家の最寄の駅にしゃれた店があっただろうか。
必死に考えを巡らせるが、店なんてファミレスぐらいしか思い出せない。
そのままファミレスの方に歩き出す。
「なら、ボクはファミレスで軽く食べるよ。それでいい?」
「うん」