緑髪の女
とても言葉で表現できないくらい、激しく、甘くて甘い時を過ごした後、ボクは目が覚めた。
隣には愛が寝ていた。
辺りは明るくなっていて、窓からは日差しが差している。すがすがしい、朝。
愛を起こさないようにそっとベッドから抜け出ると、部屋着を羽織って、台所に立った。
自分と妹、そして愛の分の朝食を作り始める。
混ぜた卵をレンチンするだけのスクランブル・エッグと、焼いたベーコン、トースト、コーヒー。
匂いにつられてなのか、妹が部屋のある二階からおりてくる。
「おはよう」
妹は抱えていたパソコンを居間に戻していた。
「……もしかして、下で寝たの」
スイッチを入れていないテレビの方を向いたまま、妹が言った。
「ん、ああ」
「……」
聞いておきながら、ボクの答えはどうでもいいようだった。
とりあえず、できた分を皿にのせ、妹に渡すと、妹は一人で食べ始めた。
部活で早く家を出るときはいつもこんな感じだった。
「愛さんは食べないの?」
「呼んでくるよ」
ようやく残りの朝食の準備が出来たので、手を洗って父母の部屋に向かった。
ボクが父母の部屋に向かうと見ると、妹は横にある椅子を遠ざけるように押しやった。
「?」
口をつんとさせて、妹が言う。
「ほらっ、いいから。呼んで来たら?」
ボクが父母の部屋に入ると、愛さんはまだ寝ていた。
静かに近づいて、そっと顔を寄せていく。
目覚めの、キス。
パチパチ、とまぶたが開くと、ボクと目が合った。
「智 おはよう」
「おはよう。さあ、ごはん作ったから、食べて」
そう言うと、愛は布団で顔を隠す。
「えっ、ボクの作った朝食、食べてくれないの?」
「ごめんなさい。ちょっと食べる気分じゃないの」
「あれっ? 愛具合悪いの? 病院に行く? 救急車、救急車呼んだほうがいいかな?」
布団から顔を出して言う。
「大丈夫。しばらく寝ていれば治ると思う。ごめんなさい」
「……うん」
しばらく愛を見ていると、瞼がすーっと閉じていき、動きが固まって寝息を立て始めた。
あっという間に寝てしまった。
「疲れてたんだね……」
愛の髪に触れて、指で髪をとかすように何度もそれを繰り返す。
ずっと監禁されていて、ようやく脱出し、やっとゆっくり寝れるという時にあんなに激しいことをしたら…… 眠いのも当然だ。ボクだって眠い。
愛を起こさないように静かに父母の部屋を出ると、妹はテーブルからいなくなっていた。
バタバタと上の部屋から音が聞こえる。
ボクは二人分の朝食を自分の更に盛り付けて、テーブルに置いた。
朝食を半分ほど食べたころ、バタバタと階段を下りる音がして、玄関のドアがバタンと音がした。
「なんだよ、行ってきますぐらい言ったって……」
愛がやって来た時、愛さんが妹を抱きしめた時、不機嫌な様子もなかったから、てっきり歓迎しているんだと思っていた。
もしこれがずっとつづくなら、辛い。何が気に食わないのか分からないが、もっと妹とよく話さないと。
朝食を食べ終わると、大学に行っている間、愛にどうしていてもらうかを考えた。
付いてきてもらう、となると大学の友達に関係を説明しなければならない。それはイヤだったし、愛を会わせたくなかった。
ここにいてもらう、それが一番いい方法だが、かなり時間がある。昼食もないし、なにより何か暇つぶしをしていてもらわなければならない。
とりあえず今は具合が悪いから、水だけでも飲んでもらって、食べるものはパンを焼いて食べてもらおう。
ボクが大学に出ている間、ここで過ごしてもらう方法を紙に書いて、テーブルに置いた。
ボクは大学に行くため家を出た。
講義が終わると、帰りの駅に妹が立っていた。ボクは慌てた。かわいい妹がいることが、友達に知れたらと思うと気が気でなかった。
「お兄ちゃん」
口に人差し指を立てて、黙るように仕草で示す。
「なんでここにいるんだよ。来るなっていつも言ってるだろ? だいたい、今日は部活はどうしたんだ」
「そんなことより、大事なことが……」
妹はスマフォを見せる。
そこには、街を歩いている緑髪の女性の映像があった。
「愛のことか」
「!」
妹は何かが気になったらしく言葉が出なかった。
「これがどうした?」
「愛さんを街で見かけたの」
「えっ……」
合鍵を渡せないから、勝手に外を出歩かないでくれと、メモに書いたつもりだったのに。読んでくれなかったのか?
「……っていうか、なんで部活しないで街なんかぷらぷら歩いてるんだ」
「それは、この画像が友達から送られてきたからよ」
フリックして別の画像を見せる。
緑髪の女性が、映っている。
「?」
「友達が街で遊んでると、緑髪の女性をみたから、『学校で話してた緑髪の女性ってこんな感じ?』って送って来たの。これを見た時、『愛さん!』って思ったわ」
「それで部活をさぼったのか?」
妹はボクの言葉を無視して、話を続ける。
「私は慌てて学校を出て、友達が見かけたというあたりに行く途中で、さっきの映像を撮ったの」
変なことではない。同じところにじっとしている方が、返って変だ。
「だから私は声をかけたの。けど完全に私を見ているのに愛さんは無視して去って行ったわ」
「お前の顔を見たのは、昨日が初めてなんだから、憶えてなくてもしかたないじゃないか」
「本当にそう思う? 私が家に帰って、愛さんが私のことを憶えていたら、どうする?」
「家の外で会うのと、家の中で会うのは条件が違う。家の中は、ボクか萌か、という二択だが、外で見かけた時はn対1だからな」
「意味がわからない」
あまり数学が得意でない妹に『n』を使って説明したのはまずかったか。
「もう一つ」
妹はまたスマフォをスライドさせる。
別の『愛』の画像を見せる。
「これもまた全然別の友達から送られてきたの。こんなに早く移動できるわけがないわ。あの女何か変なのよ」
「知りもしないくせに、愛のことを悪く言うな」
「お兄ちゃん、急に『愛』なんて呼び捨てにして何かあったの? 妹が変だって言っていることを聞き入れてくれないの?」
妹は両手を体側にそうように下に伸ばし、身を乗り出すように訴えてきた。
「愛のことを『愛さん』なんて呼んでなかったろ?」
大体、昨日初めて愛のことを話したのに、『愛さん』→『愛』になったなんて、どうして気付くんだ。
「ああ、そうですか。お父さんとお母さんの部屋をつかってそういうことをしたんですか」
「なっ…… 妹でも言っていいことと悪いことがっ、あるっ!」
ボクも妹と同じように両腕を体側にそって下に伸ばし、怒った。
妹はそれでも言い返してきた。
「とにかく、これがどういうことか分からないけど、あの女には気を付けないと、きっとひどい目にあうよ」
「……」
ボクは、すぐ目の前にいる妹を無視した。
電車に乗り、駅を降りて歩く間中、近くにはいるものの一言の会話もせずに、ボクと妹は家まで帰った。